イエローナイフのオーロラ
このページは,2009年12月オーロラ見物のためパッケージツアーでイエローナイフ(Yellowknife:カナダ)に出かけたときに撮った写真を載せました.
マーカーは宿泊したホテルの場所(The Discovery Inn in Yellowknife, 4701 Franklin Avenue)
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今回は妻と共に20人余りのツアーに参加した.成田からエアカナダAC-0004便は定刻の19:00発にバンクーバーに向け出発し,定刻10:50少し前に到着した.
機内では映画『ジュリー&ジュリア』(ジュリアチャイルドさんが米家庭主婦向けに1961年出版する仏料理本,それと後の世2003年,そのレシピ通り料理を作ってブログに紹介することを日課にしたジュリーパウエルさんのお話)を眺める.実話に基づいているそうで,それなりに楽しめた.
バンクーバーで大分待ち,ここから14:30発エアカナダAC-8227便に乗りこみ,イエローナイフへと向かった.上から見るとバンクーバーは山が直ぐ太平洋まで迫り,狭い平坦地に展開される大きな都市,といった印象だ.日本各地海岸風景にもこうした眺めが多いが,山がさらに大きいようである.ロッキー山脈の一部もしくは支脈のようである.機は北へ北へと向かうので,太陽の位置がどんどん低くなり,間もなく暗くなっていった.
イエローナイフには定刻の18:00に着いた.タラップを下りると,地面は薄く雪が被り,顔がビリっとするくらい空気は冷たい.お気の毒なことに同行者の一部の荷物が未着であったが,他の者は荷物を受け取り,お迎えのバスでホテル(ディスカバリーイン)へと向かった.ホテルの部屋には手際よく防寒服一式が届けられていた.
夜も更けてから,その防寒服に身を包むと,ごわごわ嵩張り,まるで一昔前のロボット歩きのようにぎこちない.バスに乗り込んで,オーロラ見物のサイト,上写真のオーロラヴィレッジへと向かった.30分足らずであったかと思う.重い防寒服でよたよたしながら,今か今かと待つこと3時間.だがこの日は残念ながらオーロラは出現しなかった.後で聞いたことだが,この日まで11日間連続見えなかったそうである.オーロラ見物とはかなり辛抱を要するものだと改めて認識する.さて明日はどうなるか?
この日の午後,ガイドに伴われ小さなイエローナイフの街巡りに出かけた.
昼過ぎ目を覚まし,ホテルの窓から外を眺めると夕暮れのような光景だ.イエローナイフは北緯62.5度に位置しており,日の出が遅く,入りは早い.昼間も太陽の位置が低いため光は赤味を帯び,夕方のような光景だ.
この辺りは断熱や暖房は生死に関わるであろう,窓は当然二重ガラスだがコーナー部内側には少し氷が着いている.積雪はさほど多くなく,車が舞い上げる雪もパサパサしているように見える.時々除雪車が路面の雪を剥いで通り過ぎていく.
イエローナイフではその一部を見るに過ぎないが広大なグレートスレーブ湖(Great Slave Lake)に行ってみた.琵琶湖の43倍もあるという.確かに地図で見ると大きい.
湖は氷結し,パラシュート(写真中央)でスキーを引くスポーツ(パラシュート スキーと呼ぶのか?)を楽しむ人たちがいた.
また湖畔の水面上には立派な住宅が見える.昔は固定資産税が掛からず,貧乏人の住まいというのが相場であったが,今は大半がお金持ちの別荘だそうだ.12月初めのこの頃はまだ車が渡るには氷の厚さが十分でないが,間もなく厚さが増し,その別荘まで車で行けるようになるそうだ.
なおイエローナイフはダイヤモンドなど鉱山が主力産業であるが,厳しい自然環境故ここで働く希望者は少なく,所得水準はとても高いそうだ.また平均年齢が低く,子供が多いので人口当たりの学校などはかなり多いようだ.鉱山で働き,十分なお金を蓄え,やがて温かい地方に移っていく若い人たちが多いそうである.
イエローナイフはカナダノースウエスト準州の州都で,州議事堂が置かれている.円形の議場には人口の半数を占める先住民族も多く座り,先住民言語を含む複数の公用語の同時通訳で議論されるというのが印象深かった.
準州議事堂の一部は伝統衣装や工芸品,バッファローの剥製,また写真のメイス(のレプリカだったか?)などちょっとした展示場も備えている.メイス(mace)は元々は単体棍棒から発達した武器だそうだ.その棍棒などという原始的な武器が,現在はカナダ各州州議会及びその議長の権威の象徴となっているのだそうだ.ノースウエスト準州のそれは,主に銀と銅に,1.31ctのダイヤや各種ノースウエスト準州産鉱物が嵌め込まれ,また内部に各地域産出の小石が仕組まれ,振ると独特の音色を奏でるそうだ.
議事堂近く,プリンスオブウェールズ博物館(Prince of Wales Northern Heritage Centre)を訪ねた.Prince of Walesはウェールズと付くものの,大英帝国UKの王子の称号で,現在はチャールズ皇太子がそのように呼ばれるそうだ.実際殿下がこの地を訪れたときの写真が掲げてあった.そうかカナダも英連邦の一員であったか,と改めて認識させられた.確かに綴りもCenterではなくCentreと英式だ.
博物館にはノースウエスト準州の動物など自然に関するもの,先住民族の生活道具やその製作過程など多く展示されている.
写真はHavilland DH82 Fox Mothという複葉機,傍らの説明書きによれば元は英の設計で,カナダに合わせた設計変更がなされ,1945年から製造されたそうだ.145馬力の単発エンジン(写真右側)で,パイロット+乗客3人を乗せたそうだ.原野が殆どを占めるノースウエスト準州では水陸どちらにも着地/発進ができたこの機は大いに活躍したそうだ.現在もこの州は飛行機の役割が重大なことに変わりないようだ.
2日目:12/5(土)午後8時半,またバスでオーロラヴィレッジに出かけた.ホテルから30分弱かかる距離だ.到着し,歩き始めると人によっては既にオーロラが見えているそうだが.....?....確かに見渡すと北東の空に待望のオーロラがぼんやり光りを放っている.
も少し明るく光るものと思っていたが,幾度か経験のある人の話ではまあこんなものであるらしい.昨夜まで11日間全然見えなかったそうだから,2日目にして見えたのはラッキーであろう.
事前に聞いていたことではあるがオーロラ見物は寒い.防寒服/靴を身に着けているので概ね大丈夫なのだが,手袋を外してのカメラ操作などでは著しく冷たいし,金属部に触れたりするとちょっと危ない.またメガネの曇り止めは殆ど全く効かず,これには困った.目出し帽の開口部から吐き出される自分の息がレンズに当たり,そこで直接凝結(いや凝華または昇華か?)するのではなかろうか.
この日も深夜12時半ごろ,オーロラヴィレッジを引き上げ,バスでホテルに戻った.ホテル向かいの電光掲示板には-22℃が表示されていた.風も多少あったし,道理で寒かった訳だ.
3日目:2009.12.6(日)夜8時半,3回目のオーロラヴィレッジ詣に出かけた.ちょっと雲が多いようでオーロラはあまり期待できそうにない雰囲気が漂っている.なのでティピーの中,木材チップのストーブ脇はコーヒーやココアで歓談しながら待機する人で繁盛している.
少しすると月の周りの円弧模様が見えるようになった.何だ?「傘雲だ」「傘雲なら天気が崩れる前兆だ」.....とか何とか聞こえる.地方によってはこれは傘雲と言われるようだが,傘雲は一般的には山の上に架かるレンズ雲を指すことが多いようだ.
で,これは多分ブロッケン現象の一種で,光が背後からさしこみ,影の側にある雲粒や霧粒によって光が散乱され,虹に似た光の輪が現われる.....とか.
お待たせしました,この日は帰る間際になって急に出現した.空の真上辺りから広がっていったように見えた.かなり明るく,盛大で,慌ててレンズを上に向けようとするがなかなか思うようにアングルが決められない.そのうち光は西の方向に移動していった.
もたもたしながらも漸くファインダーで捉え,シャッターを押した.周りが明るいのに結構な明るさを持っており,移動したり,渦巻いたり,一条から2条,3条へ,或いは逆に減少したりと変化を見せる.なかなか楽しいものだ.
ところでカメラは暖房されたティーピー(写真左右下のテント)内に入れたり出したりすると,ビショビショになる程ひどく結露する.バッテリーはあっという間に上がってしまうが,三脚に載せたまま常時外に置いておくのが間違いなさそうだ.ただスペアバッテリーは大量にポケットで保温しておく必要がある.またカメラに直接ホッカイロを貼り付けてみたりしたが,全く効かなかった.防寒ケースに包んでカイロを併用すれば効果があるかも知れない.
この日夕方,オーロラヴィレッジに出かける前にホテルの近所を歩いてみた.
ハンバーガーショップから戻るとき,夕方6時頃であっただろうか,この日もよく冷えた.ホテル向かいの電光掲示板には-20℃が表示されている.雪はぱらつくが,滞在中に限れば,あまり降り積もるようなことはなかった.
テレビで天気予報だけのチャンネルがあり,オーロラヴィレッジに出かける前によく眺めた.曇ればオーロラは見えないので,専ら雲が出るか否かがポイントではあるが,気温もそれなりに気にはなった.
テレビでは湿度はあまり表示されず,替わりに露点(dew point)が表示される.気温より露点が下回るほど,湿度が低いということらしいが,使い慣れない筆者には全くピンとこない.なお温度は摂氏表示なので米国の華氏と違って困ることはない.
4日目,この日が最終回4回目のオーロラヴィレッジに出かけた.この日は東から西にかけての天空いっぱいに大きく現れたのだが,光が弱かったのか,或いは露出が足りなかったのか結果はちょっとイマイチだったようだ.
それでも4日間中3日間見えた.4打数3安打はなかなか難しいと云う声も多く,まあ総じて良かったのではなかろうか.なのに煩悩の塊り,欲は尽きない,グリーン以外の色,例えば赤やブルーの入るオーロラも見たいものだ.....見える確率は著しく低いようである.
イエローナイフでのオーロラ見物が終わり,イエローナイフ空港からバンクーバー経由で成田に戻った.さしてトピックはないが下のようなシーンを眺めつつ.
バンクーバーからのAC機内でクリントイーストウッド監督/主演作「グラントリノ」を見た.ベトナム戦争時反共活動で,米国に亡命を認められたラオス系モン族と元自動車工イーストウッドのストーリー.やくざなモン族同胞に脅されるも果敢に挑む青年や女性を助ける老いたイーストウッドは彼らしい好演だ.「許されざる者」などと共通する正義が描かれているように感じた.
なかなか映画やテレビを観る機会が少なくなったが,機内映画は時間がたっぷりあるし,往き帰りで合わせて4~5本観た.なかなか楽しかった.
イエローナイフ2009スライド版
では写真をスライドショー形式で見れるようにしました.こちらもご覧ください.
おしまいまで見て頂きありがとうございました.