ツェルマットZermatt

列車でツェルマット駅に降り立った.ここのホテルに滞在し,いくつかのハイキングに出かける.

バスでテッシュへGo to Tasch by bus

シャモニーから再びスイスは,マッターホルンの麓,ツェルマットに向かうことになった.バスの乗り入れが禁止されているツェルマットへは一旦テッシュでバスを降り,列車でツェルマットへ乗り継ぐことになる.


下は,シャモニーからテッシュへ至る各地の風景.

シャモニーからテッシュへ至るときの眺め
シャモニーからテッシュへ至るときの眺め シャモニーからテッシュへ至るときの眺め シャモニーからテッシュへ至るときの眺め シャモニーからテッシュへ至るときの眺め シャモニーからテッシュへ至るときの眺め シャモニーからテッシュへ至るときの眺め シャモニーからテッシュへ至るときの眺め
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列車でツェルマットへGo to Zermatt by train

テッシュからツェルマットへ短い区間列車に乗った.外観は京急か何かに似た感じだが,中は展望も良くなかなか気の利いた車体だ.

テッシュからツェルマットへの列車テッシュからツェルマットへの列車
テッシュからツェルマットへの列車テッシュからツェルマットへの列車

ツェルマットにてat Zermatt

登山,ハイキング基地,美しいツェルマットにやってきた.

ツェルマットの街で(1)

ツェルマットにてツェルマットにて

普通の車が禁止されている代わりに馬車や電気自動車がいくらか走っている.

ツェルマットにて
ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め
ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め

ツェルマットの街で(2)

ツェルマットでそびえるマッターホルンツェルマットで展示されていたマムート社ロッククライミング用品

いろいろな花が短そうな夏に合わせて咲くようだ.

ツェルマットにて
ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め
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ツェルマットの街で(3)

ツェルマットのねずみ返しが付き食料倉庫ツェルマットの教会

ヤギを連れてメインストリートを行く少年など

ツェルマットの光景
ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め ツェルマットの眺め
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マッターホルンMatterhorn

マッターホルン( Matterhorn:4,478m)は スイスとイタリアの国境に位置する.1865年7月14日,イギリス人 E.ウィンパーの一行によってスイス側の北東稜(ヘルンリ山稜)から初登頂されたが,下山中7名のうち4名が墜落死するという遭難事件が発生したという.最難関である北壁からは,1931年ドイツのシュミット兄弟によって初登頂されたそうである.この困難な北壁ルートは,アイガー,グランドジョラスのそれを含めて三大北壁と呼ばれる.冬期では,1962年2月,H.V.アルメン,P.エッターのスイス隊によって達成されたという.スイス側ヘルンリ山稜からの一般ルートはツェルマットを登山基地として,夏であれば多くの登山者によって登られているそうである.我々のガイドも一度登ったそうで,頂上はとても狭いと言っていた.

夕焼けのマッターホルン

ツェルマット夕刻のマッターホルンツェルマット夕刻のマッターホルン
ツェルマット夕刻のマッターホルンツェルマット夕刻のマッターホルン

朝焼けのマッターホルン

ツェルマット朝焼けのマッターホルンツェルマット朝焼けのマッターホルン
ツェルマット朝焼けのマッターホルンツェルマット朝焼けのマッターホルン


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