アグラはデリーからヤムナー河に沿って南東に200kmに位置し,ムガール帝国の栄光の都.1526年,開祖バーブルにより都とされ,一時デリーにその座を奪われるも再びここに遷都し,第5代シャージャハーンの時代に絶頂期を迎えたそうだ.なおデリー,アグラ,ジャイプールの街は三角形状の頂点にあり,これを”ゴールデントライアングル”と称しているようであるが,何がゴールデンか?歴史か?....
たまにこのように道の悪いところもあり,まあ田舎街と云った趣である.ただこの街はデリーとかジャイプールとかと比べて人間が.....で,インド人でもだまされたりすることも多いとデリー育ち(と,云うことにしておく)のガイド,サルマさんが話してた.アグラ市内に入る道沿いには,車窓より何度が「熊使い」が見え,熊が2脚立ちしていた.(なお,よく知られる「蛇使い」はジャイプールで見かけた)
タージビューホテルの閑そうなドアボーイの脇を通り,部屋に上がると右のように見える.この部屋からは,名前と違ってタージマハルは見えなかった.
下は,アグラ市街のあちこち
ファテープルシークリーとは”勝利の都シークリー”と云う意味なのだそうだ.ムガール帝国第3代アクバル皇帝は世継ぎに恵まれない事を憂いていたそうだ.そこでアグラから四十キロのシークリーに住む聖者サリーム・チシュティーを訪ね,相談した.その後首尾よく王子ジャハンギールをもうけたアクバルは聖者に感謝し,聖者の住まうこの地(シークリー)に新都市を造営し,都をアグラからここに移すことにした.またちょうどその頃,グジャラート地方の戦に勝利したこともあり,新都の名前は”ファテープルシークリ”になったそうな.丘の上にモスク地区と宮廷地区が築かれ,その下には城下町が築かれた.建材としては赤砂岩が多用された.しかし,水源の確保は必ずしもうまくいかなかったようだ.人造湖を作ってはみたものの,とても大都市の全需要を満たすに及ばず,それ故この新首都は造営されて20年もしないうちに放棄されてしまうことになったようだ.幸いにも戦乱に巻き込まれなかったので,ムガール時代の都市様式を今に残してくれたようだ.1986年世界文化遺産に指定された.
全体が赤砂岩でできているのでお城全体が赤い.写真手前は貯水池で,庭全体が樋状に微かに傾斜し,ここに注ぐ構造になっている.しかし前述の如く十分に確保することは困難で,よってこの城を短期間で放棄する結果になったようだ.
石なのに細かに彫刻が施されており,私的にはちょっとくどく感じるくらいだ.彫刻はここに限らず屋根や,庇や,柱や壁や....,要は全部に施されtいる.
外観はシンプルで力強い印象を受ける.近づくと壁面には草木模様や,幾何学模様や,さらに別の草木模様が浮き彫りされている.
最初,底の部分のみが見つかり,ガイドのサルマさんは,観光客に対して「大きなたらいです」と説明していたが,最近になって上部が発見され,「水瓶」と訂正したそうだ.案内板をみるとこの城郭は相当広く,現在も発掘調査を継続中ということだ.
下は,ファテープルシークリ各所の写真
1565年,これまたムガール帝国第3代皇帝アクバルによって建設されたムガール帝国権力の象徴.実戦向きの堅固な城だが,内部には華麗なるモスクや宮殿を備えている.ムガール帝国時代,デリーのラールキラーとともに皇帝の居城であった.建築資材として赤砂岩を多用した典型的なムガール様式建物で,前述のように当初第3代アクバルによって造営された後,ジャハーンギール,シャージャハーンと代々の皇帝が増築を重ねていったようだ.1983年世界文化遺産に指定された.
この辺りは土産物屋さんの追撃をかわして,集団でゲートに急ぐ.
こうしてタージマハルを眺めていると,実の息子の手によって幽閉された,シ第5代ムガール帝国皇帝シャージャハーンの無念さが偲ばれる(ような気がする).
イスラム建築なので基本的には動植物の図柄はあまりない筈であるが,少し草模様のようなものも見える.
下は,アーグラ城の入り口から本丸に至るまでの写真
下は,アーグラ城の本丸から裁判所辺りの写真
下は,アーグラ城の本丸から裁判所辺りの写真
下は,アーグラ城の美しい象嵌模様の数々
ムガール帝国第5代皇帝シャージャハーンが愛妻のために,幅300m奥行き580mの敷地に建てた左右対称の白い霊廟がこのタージマハル.ただ皇帝シャージャハーンは,あまりにも贅を凝らし,霊廟建設に没頭したため国家の財政を傾けてしまった,と云うのが実相のようだ.それ故か実の息子,アウラングゼーブ(第6代皇帝)の手によって,シャージャハーンはアグラ城に幽閉されてしまった.幽閉された皇帝は毎日この霊廟を囚われの塔より眺めていたということだ.嗚呼!悲しい!1983年世界文化遺産に指定された.
左右対称のこのイスラム建築は確かに美しい.ズームアップすると最上部ドームに積み上げた大理石一つひとつの輪郭が見えてくる.さらに拡大し廟入り口辺りで人の大きさと比較すると,廟全体の大きさが実感できる.インドの人々にとっても代表的な観光地であろうから,ここに集い寛いでいる人々も多い.
ここは正面玄関近くの壁で,コーランの一節を刻んでいるというアラビア文字や彩色模様がなんともきれいだ.また大理石の格子も細かいのによく割らずに...と感心してしまう.この下部には草木模様が浮き彫りされている.
夕方の見学だったので西側の壁面は強いコントラストで輝いていた.一段,二段,三段と,ズームアップするに従い,細かいところまで象嵌されていることに気付く.
タージマハルはヤムナー河南岸に建つ.後ろ側のミナレットは河幅近くであるが,雨季で増水しても冠水したことはないという.このミナレットは万一地震で倒壊しても霊廟本体に覆い被さらないように僅かに外側に傾けてあるそうだ.近づくと大きさは実感できるが,傾きは判らない.上流側にはモスクが配置され,たまたま礼拝の時刻かイスラム関係者が呼びかけていた.
正面の門を霊廟本体側から見たところ.近づくと頂部に11×2列,合計22個の白いドームが見え,建造に要した年数,22年を表しているという.この建物は赤砂岩で作られているが,他の色の石で象嵌されている.
下は,タージマハル各所の写真