デリーDelhi

デリーの歴史は紀元前,しかも紀元前1200年と云う早期にまで遡るようだ.イギリスの統治で幕を閉じるまで,七つくらいの王朝が興亡した.10世紀にヒンドゥー系のラージプート族がディリ,ディリカと読んだのが街の名の起こりらしい.途中ムガール帝国が首都をアグラに移したことがあったが,5代皇帝シャージャハーン(後述のタージマハル建設者)が再びデリーに戻した.永らく続いたムガル帝国であるが,やがて19世紀になるとイギリスの植民地に陥ちてしまった.そして2次大戦後,再び独立を勝ちとり,デリーはインド共和国の首都として機能している.

人力車が行き交う喧騒の区域はムガル帝国までの街並みであり,オールドデリーと称され,当然ながらイスラム様式を含む多くの古い建造物が残されている.

一方大英帝国による計画都市で1931年に完成し,整然とした区域はニューデリーと呼ばれ,混沌としたオールドデリーと大きなコントラストを形成している.

デリー市街City of Delhi

デリーのスーパーストア

スーパーストア

住宅街の一角にあるバザールにあったお店.スーパーストアと書いてはあるが大きくはない.


デリーの住宅街

住宅街

上記バザールに隣接する住宅街.この辺は高級住宅街で,家1軒が日本円で5000万円~5億円くらい,これに対して2LDKクラスの庶民の家(マンション?)が600万円~1000万円くらいだという.


きれいなスクールバス

きれいなスクールバス

スクールバスに限らず,きれいなバスはあまり見かけないが,これは例外.ここは立ち寄った高級(高価?)デパート近くの大通りで,家人(召使い?)が子供をバスまで出迎え,帰宅するところである.

そう言えばジャイプールのホテルの部屋に配られた新聞には,西ベンガル州で前タイヤがバーストし,脇の池だったかに突っ込み乗客46人が死亡,と云う記事が出ていた.そうなっても不思議ではないようなバスがいっぱい走っている.


デリーのスラム街

スラム街

デリーの南側入り口辺りにある.デリーに流入する人々のかなりの数はこういうところに滞在するはめになるという.都市で,公道の一部と思えるところなのに牛糞堆肥置き場があったりするのもインド流なのだろうと,やがて理解できるようになった.


スラムから少し進んだ辺り

スラムから少し進んだ辺り

高級住宅街だ.尤も,門番が立っているようなとても立派なお屋敷から50mも奥に入るとごみ置き場にしか見えないようなスラムがあったりして,インドの多様性に激しく驚かされる.金持ちとそうでない人との差は滅茶苦茶大きいのだそうだ.


大使館の立ち並ぶ通り

大使館の立ち並ぶ通り

(中央,左右の緑地帯を含めて)途方も無く広い道,としか言いようがないよう美しい通り.右も左も各国の大使館が立ち並ぶ.


下は,デリー市街の写真あれこれ

デリー市街
デリー市街 デリー市街 デリー市街 デリー市街 デリー市街 デリー市街 デリー市街
デリー市街 デリー市街 デリー市街 デリー市街 デリー市街 デリー市街 デリー市街

クトゥブミナールQutab Minar

クトゥブミナールはインドで最も高い石造建築物だそうだ.デリーに最初のイスラム王朝を開いたアイバク(生年不明-1210年)が建てた勝利記念塔は,5層に分かれ,それぞれに異なった装飾が施されている.1993年世界文化遺産指定された.

アーチからクトゥブミナールを望む

アーチからクトゥブミナールを望む

塔は,第3層までアイバクの時代(アイバクが1層,2,3層目は娘婿)に建造し,上部は14世紀に付け足された.塔は円柱形だが,赤砂岩で作られた表面はひだ状で,縦方向にいくつも溝が走っている.銘板によれば高さ72.5mとかなり高さがあり,また配置図には,はっきりとは読み取れないが時代別建設区域が示され,拡張された様子がわかる.


クトゥブモスクにある鋼鉄の柱

クトゥブモスクにある鋼鉄の柱

柱に刻まれているサンスクリット語によると,チャンドラ王(グプタ朝)を記念し,ヴィシュヌ寺院のために4世紀頃作られたことが分かったそうだ.クトゥブの地区で4世紀の遺跡は発見されていないことからこの鉄柱は別の場所にあったものを運んで来たと考えられている.1500年以上を経た今でも柱は錆びていない.


クトゥブミナールの壁面

クトゥブミナールの壁面

赤砂岩に植物をあしらった模様やアラビア文字が彫られている.イスラム教では偶像崇拝は禁止されているので,建築に人物や動物の像が彫られることはない.ただ植物は許容範囲なのか,他のイスラム圏に比べれば草花を図案化したものは多いのではないだろうか.また下向きに蜂の巣状の文様が見られるが,これは蜂が巣を作るのを未然に防ぐためだという.セル穴の形状,サイズがノウハウらしい.


クトゥブミナール建物の壁面

建物の壁面

クトゥブモスクだったと思うが建物の柱/壁面には,アラビア文字があたかも唐草模様のように図案化されている(ように見える.違うかな~?).


下は,クトゥブミナール各所の写真

クトゥブミナール各所
クトゥブミナール クトゥブミナール クトゥブミナール クトゥブミナール クトゥブミナール クトゥブミナール クトゥブミナール
クトゥブミナール クトゥブミナール クトゥブミナール クトゥブミナール クトゥブミナール クトゥブミナール クトゥブミナール

フーマユーン廟Humayun’s Tomb

これはムガール帝国第2代皇帝フマユーンの墓廟で白大理石と赤砂岩の組み合わせが美しい.タージマハルのモデルとなったとも言われるこの廟は,ペルシャの建築家ミラク・ミルザー・ギヤースの設計によるもので,イスラム廟であるに拘わらず壁面装飾にユダヤ教やキリスト教様式の要素も取り入れ,美しい折衷様式となっている.1993年世界文化遺産指定された.

フーマユーン廟

フーマユーン廟

建物本体は左右対称に構成される本格的イスラム建築である .庭は正方形,長方形をいくつも組み合わせたデザインである.庭に植えられた花と通路の中心を流れる水路は乾燥した灼熱の北インドの地と対比して,フマユーンの祖先の地中央アジアの風景をイメージしていると言われる.また左側の建物や,入り口右の建物などはムガル王家の人々の墓で,確か後者はフーマユーン廟建設を命じた第一皇妃ベガ・ベガムの墓であったかと説明された?ような....


フーマユーン廟の中央ドーム天井

中央ドームの天井

高さ21m,幅48mのドームには白大理石が使われており,建物の砂岩の赤色を引き立たせている.この下にはフマユーンの石棺が置かれ,四隅の副房にはムガル王家の人々の墓が安置されている.また壁面や,には白大理石,黒大理石,赤砂岩の象嵌が見られる.


下は,フーマユーン廟各所の写真

フーマユーン廟
フーマユーン廟 フーマユーン廟 フーマユーン廟 フーマユーン廟 フーマユーン廟 フーマユーン廟

インド門India Gate

第一次世界大戦の戦死者を祀った慰霊碑,インド門を訪れた.イギリス軍兵士としてヨーロッパの戦場で没したインド人兵士は9万人にのぼるそうだ .

インド門

インド門

大きい!パリの凱旋門に少し似ているが,広い芝生広場の中心にそびえ立っているので,一番の繁華街にある凱旋門と雰囲気は異なる.


インド門の壁面

インド門の壁面

第一次世界大戦のインド人と英国人戦死者の名前が刻まれている.英国人はアフガニスタン辺りで戦死した将校クラスだけなので,大多数の名はインド人兵士だという.


下は,インド門各所の写真.広場両側の池には水浴びする子らが見える.またインド門後方の天蓋付き台はかつて英国元首が訪れたときに座る場所だったそうだ.

インド門
インド門 インド門 インド門 インド門 インド門 インド門

ラージガートRajghat

非暴力,不服従を唱えイギリス植民地支配からの独立を勝ち取った建国の父マハトマガンディーを祀った墓.イスラム教徒がパキスタンとして分離する際,イスラム教徒に対しても寛容で,多くの土地を与えたガンディーに対して不満を持ったヒンドゥー教右翼のテロによって倒れた.ガンディーはここで荼毘に付され,すぐ裏のヤムナー河(ガンジス河の支流)に遺灰が流されたという.ヒンドゥー最大の聖地であるバラナシではなくデリーから流したのは,インド全域(実際には無理であるが)に遺灰を行き渡らせたいという願いを込めてのことだったそうだ.

ラージガート本体

ラージガート本体

ラージは最高の,ガートは洗濯,沐浴,火葬を行う川辺の場所のことだという.アーリントンのケネディの墓と同じように永遠の灯が燈されていた.


下は,ラージガート入り口から出口までの写真

ラージガート
ラージガート ラージガート ラージガート ラージガート ラージガート ラージガート

タージパレスホテルとその周辺Taj Palace Hotel & the vicinity

タージパレスホテルの庭

タージパレスホテルの庭

タージパレスホテルの外観はごく普通の近代建築であるが,サリー姿のフロント女性ロビーの造りなど,いかにもインドぽい工夫を凝らしている.


タージパレスホテルのお向かい

タージパレスホテルのお向かい

このホテルの周囲は緑豊かで,お向かいさんのここはインド陸軍の将校クラブで,また後ろにはカザフスタン詩人の記念緑地など見られた.そして少し歩くと鉄道が走っているのに出くわした.


下は,タージパレスホテルとその周辺.赤く丸いポストは日本以外では珍しいのでは?と思った

タージパレスホテル周辺
タージパレスホテル周辺 タージパレスホテル周辺 タージパレスホテル周辺 タージパレスホテル周辺 タージパレスホテル周辺 タージパレスホテル周辺 タージパレスホテル周辺


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