イタリアの首都,人口約282万人でイタリア最大の都市に来た.当市に囲まれるようにローマ教皇の居住する独立国バチカン市国がある.
フォルムロマヌム (Forum Romanum) は現在のローマ市にある古代ローマ時代の遺跡.もともとは丘の間の湿地だったところに神殿が建てられたそうだ.古代ローマの建築では都市の政治,宗教の中心としてフォルムと呼ばれる広場が置かれることが多く,ローマのフォルムであるフォルムロマヌムは時の有力者たちの記念建造物によって飾り立てられていたそうである.遺跡は何層にも何層にも重ねられており,現在見えているものは紀元前のものでないものがほとんどであるそうである.つまり,もっと深く掘ればまた新しい発見があるかも知れない.この辺の事情は古い歴史を持つアテネとか,トロイ遺跡とかと同様であるようだ.
コロッセオは古代ローマ時代の,ローマ帝政期に造られた円形闘技場.コロッセオは英語で競技場を指すcolosseuの語源.工事はウェスパシアヌス治世の75年に始まり,ティトゥス治世の80年から使用されるようになったそうだ.長径188m短径156mの楕円形で高さは48m,45,000人を収容できたそうだから,現代の日本の球場くらいの大きさがあろうか.天井部分は開放されているが,日除け用に布を張る設備があったそうで,皇帝席には一日中直射日光が当たらないように,また一般の観客席についても一日に20分以上日光が当たらないように工夫されていたそうだ.中世を通じてコロッセオに使用されている建材は他の建築物に流用され続けたそうだ.つまり一種の採石場とされていたわけで,その大理石はサンピエトロ大聖堂にも使用されているようだ.万里の長城の石なんかは最近でもどんどん持ち去れているそうであるし,イスタンブール地下貯水池のメデューサ石像の流用など似た例は多いであろう.
コロッセオの南西に作られている.後にキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝(Constantinus)の凱旋門.コンスタンティヌス帝はローマ帝国末期,300年頃からの軍人皇帝.312年,宿敵マクセンティウスをミルヴィオ橋(ローマ市北部にある橋)で打ち負かし市内に凱旋.この記念に315年に建てられたのがこのコンスタンティヌスの凱旋門だそうだ.後世の,例えばパリの凱旋門などのモデルになったようだ.
石造りの堅固な建物が多い.古代とは言わないまでもかなり歴史を感じさせ,落ち着いた街並みだ.
下は,コロッセオの写真あれこれ
水道の終端施設としての泉が作られたそうだ.現在位置の泉はローマの建築家ニッコロサルヴィの設計で,1762年に完成したという.背後のポーリ宮殿の壁と一体となったデザインで,中央に水を司るネプトゥヌスが立ち,左に豊饒の女神デメテル(ケレス),右に健康の女神ヒギエイア(ハイジア)が配置されている.ローマでも有数の名所らしく,観光客でいっぱいだ.肩越しに泉へコインを投げると再びローマを訪れることができるという言い伝えから,多くの観光客が硬貨を投げ入れている.自分でも一応人並みにやってみた.このコインは半分がカトリック系チャリティ団体に寄付されるそうだが,では半分はどこへ....?
下は,トレビの泉とその周辺の写真
スペイン広場は,映画「ローマの休日」でオードリーヘプバーン扮するアン王女がアイスクリームを食べたシーンでもおなじみの場所.スペイン広場の名称は近くにスペイン大使館が在る(若しくは在った)ためと聞いた.広場の中央にはピエトロベルニーニ作「バルカッチャの噴水」(写真右下)がある.広場からはトリニタデイモンティ階段,通称「スペイン階段」が延び,2つの塔が見えているトリニタデイモンティ教会へと続く.階段ではジプシーの女スリ2人組がカモを狙って行動していた.自分で気付いたわけでなく,慣れたガイドさんに教えてもらって初めて判ったのであるが.
スペイン広場で絵を描く人,絵を売る人
ローマ三越など多くのお店が建ち並ぶナツィオナーレ通りから近い半円の建物に囲まれた広場で,地下鉄「レプブリカ」駅がある.中央には4人の妖精をあしらったナイアディという円形の噴水がある.周囲には円弧状の建物が建てられ,90度くらいの弧になろうか.
バチカン市国はローマ教皇(法王)が居住し,ローマ教皇によって統治されている.ローマカトリック教会の総本山.写真はサンピエトロ寺院前の大広場.テレビで信者の集う場面を時々見かける場所だ.バチカンの統治者はローマ教皇であるが,実際の統治はバチカン市国行政庁長官が務めているそうだ.つい最近までローマ教皇を勤め,亡くなられたのはヨハネパウロ2世.ポーランド出身で,在位:1978年10月16日~2005年4月2日,よくニュースに登場したものだ.ヨハネパウロ2世の後を継いだ現在の教皇ベネディクト16世はドイツ出身.教皇選出時78歳であったが,これは1730年のクレメンス12世以来の最高齢での選出だそうである.またドイツ人教皇は11世紀のウィクトル2世以来950年ぶりであるということだからほんとに久しぶりということだ.
ベネディクト16世は2006年9月12日にドイツで講演した際14世紀東ローマ帝国皇帝の言葉を引用,この言葉がイスラム教の「聖戦」を批判したとされ,現在世界中のイスラム教徒から激しい批判を浴びている.たとえば,アルカイダ(Al-Qaeda)のナンバー2,アイマンザワヒリ(Ayman al-Zawahiri)氏は2006年9月29日,新たなビデオ声明の中でベネディクト16世(を「イスラム教とアラブ世界を欺くペテン師」と非難した,などが報道されている.
カトリック教会の伝承によれば,サンピエトロ大聖堂はもともと使徒ペトロの墓所があったところに建立されたとされ,キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさ(床面積2万3000平方m)を誇るそうだ.サン・ピエトロ大聖堂はルネサンスからバロックの時期にかけての巨匠たちが主任建築家を引き継いで建設したものだそうだ.また,単なる宗教施設という規模を超えて宗教芸術の宝庫にもなっている.たしかに中に入り眺め回すと,全てがただものならぬ雰囲気に包まれる.最初のページに載せたミケランジェロのピエタなどはその一例だ.その一方で,この大聖堂の建設費用を調達するためとして免罪符が発行され,ルターによる宗教改革の直接のきっかけになったそうでもある.
主礼拝堂にある教皇の祭壇は黒いねじりん棒状柱が特徴的だ.巨大なドーム状の天井(クーポラ)の下に位置し,ブロンズの大天蓋で覆われている.適切な言葉で表現できないが,壁も,柱も,天井も,床も,建具も全て目が眩むような迫力だ.宗教的バックグラウンドがなくてもすごいと思うので,信者であれば感極まることであろう.
下は,サンピエトロ寺院とバチカンの写真あれこれ
下は,さらにサンピエトロ寺院の写真.
テヴェレ川(Tevere)はイタリアで3番目に長い川で,ローマ市内を流れていることでしられる.サンピエトロ寺院を後にこの川沿いを進み,オベリスクの建つポポロ広場まで歩いてみた.もともとこのオベリスクは,古代エジプトの当時の都ヘリオポリスの太陽神殿の前に立てられたものだそうで,たしかにヒエログリフが刻まれているのでエジプトのものだ.この後は完璧なまでに落書きで満たされた地下鉄とバスを乗り継いでホテルに戻った.
下は,テヴェレ川東岸,ポポロ広場周辺,他の写真あれこれ
下は,テヴェレ川東岸,ポポロ広場周辺,他の写真あれこれ(2)
その他ローマの写真
その他ローマの写真(2)