富士山2009年

さて今年の富士山は初めてのコースを歩いてみる.

2009年8月26日(水)-27日(木)  【2009#3】

河河口湖口5合目→富士山頂→富士宮口下山道→富士宮口6合目→須山口4合5勺目→須山口登山道水ヶ塚のルート地図

この日のコース

(新宿からバス→)河口湖口5合目→富士山頂→富士宮口下山道→富士宮口6合目→須山口4合5勺目→須山口登山道水ヶ塚(→バスでJR三島駅)
天気:富士山上部は曇り,下は晴れ
歩行+休止時間:13時間30分くらい.

初めて歩く須山口ルートは狭いがとても空いていた.実際人っ子一人会うことがなかった.多分この前の週まではバス便が多いので歩く人も多いのではなかろうか.

須山口ルート終点の水ヶ塚は静岡県裾野市にあって,このルートぼ振興を図っている様子が窺えた.他と比べて歩く人の少ないここは樹木も多く,穴場かも知れない.


浅間大社奥社の夜明け

浅間大社奥社の夜明け

この日も朝4時過ぎ頂上(久須志神社)に達した.登る途中は風が強くえらく寒かった.だが普通とは違って頂上に至ると風はいくらか和らいだようだ.

日の出まで大分間があるので久須志神社から浅間大社奥社まで歩くことにした.ただ一人で歩くには道が見辛い.幸いガイドに引き連れられた5,6人のグループがあり,ちゃっかり後を付けさせてもらうことにした.

浅間大社奥社に着き,日の出を待っていると続々と人が集まりだした.やがて空が白み,5時ごろ日の出の気配が感じられるが.....雲が厚くどうやらご来光は望めないようだ.

富士宮口下山道を下り始める

富士宮口下山道を下り始める

ご来光は諦めて富士宮口下山道を下ることにした.雲の切れ間から局所的に陽が射し輝かすシーンが見られる.なかなかきれいなものだ.

富士宮口ルートは登山道と下山道が共通だ.ただ河口湖口ルートのように登山者は多くないので,込み合ってにっちもさっちもといった懸念はあまりないようだ.


タルチョーとコインの柱

タルチョーとコインの柱

富士宮口下山道の途中で,タルチョーが結ばれ,裂け目にコインを嵌め込まれた柱があった.コイン嵌め込みは頂上鳥居でも見られる.古来からある習慣なのであろうか?ちなみにチベットの聖地では巡礼の途中で亡くなった人の歯や骨を,柱に家族が埋め込むといった慣わしがあるようで,ジョカン寺でそのような柱を見かけたことがある.またタルチョーは元よりチベット仏教のものだ.とするとやはりチベット仏教式の祈願であろうか......


自衛隊の人たちが訓練

今年も自衛隊の人たちが訓練

途中で隊員の方たちと挨拶を交わした.千葉の部隊の方たちで,昨夜から歩き始めたということだ.殆どの人が私たちと同じように杖を使っているところが親しみ易く感じられる.

この日はバカにドカーンドカーンと大砲の音がこだましていたが,「あれは別の部隊の訓練です」と云うことだった.どちらもご苦労さまです!

先方には,この日下ろうかと計画中の須山口ルートがちょうど見えている.


須山口ルートに渡る

須山口ルートに渡る

富士宮口下山道6合目まで下ったところで,須山口ルートに移ることにした.当初から須山口ルートに下る計画ではあったが,調子を見て....と思っていた.右足首が痛むので,案内板に依れば終点の水ヶ塚まで2時間50分の行程はちょっと無理かな.......でも,今年下らなければ来年はさらに可能性は無くなるし....と思案した結果だった.

なお須山口ルート下山開始点は富士宮口6合目から宝永山へ行く途中で,目と鼻の先程度に間近なところだ.


常緑樹の林に入る

常緑樹の林に入る

須山口ルートに移り下り始めると程なく比較的低い常緑樹の林に入る.森林限界はくっきりしているようである意味革命的変化と感じられる.須山口ルートはとても狭く,また曲がりくねった印象だ.路面もミニ砂走り状からガレ場風,川底風.....と色々なバリエーションが見られる.


大木の林の中を下る

大木の林の中を下る

須山口ルートは下り一方で,上りは僅かなリップル程度しか存在しない.まあ,これは他のルートでもそうで,富士山がきれいな独立峰である証でもあろう.林の樹木はもみや松などんどん大きなものに変わっていく.トレイルも狭いながら吉田口のように深く抉られた部分も現れる.

案内板を眺めると終点の水ヶ塚は近いようだ.でも須山口ルートに入ってから,登る人にも下る人にも人っ子一人会ってはいない.


終点水ヶ塚に至る

終点水ヶ塚に至る

11:45AMついに誰にも会わず終点水ヶ塚に到着した.所要時間は富士宮口6合目の標識に記された3時間弱にほぼ等しかった.到着し振り返ると,富士山の頂は雲で覆われ,宝永山には陽が当たっていた.どうやら歩いていたときとほぼ同じような天気を維持しているようだ.

水ヶ塚には大きな駐車場付き公園が備えられていた.バスはこの週からは3:33PM三島行き1日1本のみだが,その1本も8月中でなくなるようだ.なお前の週までは2時間に1本くらいの頻度で走っていたようだ.いずれにしても4時間近くバスを待つことになる.まあ足も何とかなったことだし,いいとするか.

バスは富士宮登山口が始発のようで,2/3程度のシートは埋まっていた.水ヶ塚からは筆者ともう一方(非下山者)乗り込んだ.三島までは立派な道であるが,1時間以上掛かった.何しろ遠いのだ.バスを使うときは事前に時刻表を調べておいた方がよさそうだ.


下は,今回下山路で見かけた花や実.

今回下山路で見かけた花
下山路で見かけた 下山路で見かけた 下山路で見かけた 下山路で見かけた 下山路で見かけた

2009年8月19日(水)-20日(木)  【2009#2】

河口湖口5合目→富士山頂→御殿場口下山道→宝永山→富士宮口下山道6合目→富士宮口5合目のルート地図

この日のコース

(新宿からバス→)河口湖口5合目→富士山頂→御殿場口下山道→宝永山→富士宮口下山道6合目→富士宮口5合目(→バスでJR富士宮駅)
天気:曇り/晴れ
歩行+休止時間:11時間20分くらい.

下山の宝永山を通るコースは逆向きであるが,2008年8月8日皇太子殿下が登られたときのルートとして知られている.なお殿下は下山では御殿場口下山道をストレートに5合目まで下られたそうだ.


7合目辺り

7合目辺り

今回は7:30PM新宿発最終バス(去年より20分ほど早くなったようだが)が取れた.バスは順調に進み,9時半頃5合目に到着した.少し間を置いて歩き始めた.

ここは7合目辺り,多くは深夜黙々と歩き,中には大声で談笑しながら登る若者グループもある.

休むとちょっと寒いが,歩いている分にはちょうど良いくらいの気温だ.


山頂でご来光を待つ

山頂でご来光を待つ

4:20AM頂上に到着した.登山客は続々と頂上に至り,それこそ黒山の人出といった趣になる.

誰しもがご来光を待ち,やがて5時頃になると雲の間から陽が現れ始めた.うぉ~と云う歓声が上がり,富士山頂恒例の光景ながらやはり晴れがましい気分になる.雲でどうかな~と少し心配だったが,現れて良かった.


ご来光の後は皆歩き始める

ご来光の後は皆歩き始める

これもいつも同じパターンであるが,ご来光を望んだ後,大半の人は腰を上げ歩き始める.歩かないと寒くて寒くて仕方がないと云う事情もある.ある人はお鉢巡りに,ある人は下山路へと向かう.

筆者は今回御殿場ルート経由で宝永山に向かう予定で,先ずは御殿場ルート下山路へと歩いた.


御殿場ルート下山路

御殿場ルート下山路

火山岩ゴロゴロの御殿場ルート下山路に入った.雲海の先には静岡県の山並みがきれいに見えている.八合目の小屋で山の名を教えてもらったのだが.....う~んいかん,忘れてしまったぞ.

この辺りでは暫く大阪から来られた人と一緒に歩いた.大阪からだと新富士宮間を新幹線で往復できるので,乗り換えの多い信州辺りより手軽に来れるのがいいそうだ.


大砂走りの先に宝永山

大砂走りの先に宝永山

御殿場ルートをどんどん下り,やがて大砂走りエリアに達した.先方には目指す宝永山がクリアに見えてきた.トレイルも浮かび上がるほどはっきり見えているので何ら問題無さそうだ.

実際大砂走りから宝永山に分岐するトレイルに入り,歩き始めると,道はとても良く若干の下りの連続で楽々歩ける.ただ富士山と宝永山を結ぶトレイルは尾根筋にありとても風が強く,かなり寒く感じられた.


宝永山山頂

宝永山山頂

程なく宝永山山頂に達した.山頂には壊れた案内板や手摺のような部材が散乱している.手摺は整備工事の最中のようであった.


宝永山から望む富士山南面

宝永山から望む富士山南面

宝永山からは富士山南面が間近に見える.大量に土砂が崩落し,堅い岩石の地層部分が残った風で,さらに今にも落石が起こっても不思議ではない様相だ.

宝永山山頂から富士宮口方面に向かうのであるがここもまたすごい砂走りだ.私たちのように下り方向は楽チンだが登る人たちは大変だ.休み休み登る人の姿が3,4組見られた.

宝永山からの道は富士宮口ルート6合目で合流した.6合目からは5合目までは幾らの距離でもなく,程なく到着した.ここは数週間前落石が駐車場で停車中のキャンパーを直撃し,死に至らしめた事故が発生した場所だ.冥福を祈りたい.

富士宮口(5合目)に到着したのは9時を15分程廻っており,9時発の三島行きバスを逃してしまった.次は午後1時発で3時間半以上ある.うちまで遠くなるが富士宮行きなら9時半発があったのでそれに乗ることにした.バスが空いていたのは良かった.富士宮から在来線の東海道線で帰るのは安いが,乗換えが多く結構時間が掛かるものだ.午後遅くには篆刻クラブの例会に出席予定であったが欠席し,迷惑を掛けてしまった.次はバス時間を見ながら下山しなくては.


下は,今回下山路で見かけた花.八合目,茶色い火山岩ばかりの辺りでも咲いているのを見るとやはりすごいと思う.

今回下山路で見かけた花
下山路で見かけた 下山路で見かけた 下山路で見かけた 下山路で見かけた 下山路で見かけた 下山路で見かけた 下山路で見かけた

2009年8月15日(土)-16日(日)  【2009#1】

この日のコース

(新宿からバス→)河口湖口5合目→富士山頂→河口湖口下山道→河口湖口6合目→吉田口登山道→長い舗装道路→富士吉田駅
天気:曇り/晴れ
歩行+休止時間:14時間半くらい.

河口湖口5合目→富士山頂→河口湖口下山道→河口湖口6合目→吉田口のルート地図吉田口のルート案内板
7合目の小屋

7合目の小屋

この日は,新宿からのちょうど良い,つまり最終バスが確保できず,新宿発4:50PM→河口湖口5合目7:15PM着のバスで出掛けた.

お盆休みの帰りで中央高速の東京方向はえらく渋滞していたが,富士山5合目行き方向は順調に進み,定刻より若干早めの7:00PM頃に到着した.到着すると空気がひんやりと感じられ,身支度を整えて出発した.


やがて6合目の安全指導センターに至り,河口湖口(吉田口)ルートのマップを頂戴する.去年までは黒単色だったが,今回はカラー刷りに変わっていた.

歩みを進め岩場のある辺りに来た.手袋を.....と思ったら,忘れてきたことに気付いた.それなりの数の登山客がベンチで休憩している写真の7合目小屋の売店を覗いたら幸い軍手が吊るしてあった.土地柄若干高いが怪我したら大変なので買い求めて直ぐ着用した.

誰も居ない頂上久須志神社

誰も居ない頂上久須志神社

この日はへんな時間であるため道はとっても空いていた.特に8合目辺りから上は殆ど無人状態で,頂上には12時ちょっと過ぎに到着した.いつもは人だかりの久須志神社の前もひっそりと誰も居ない.

久須志神社から少し先の小屋前のベンチに腰を下ろし,おにぎりを頬張る.幸いなことに気温は6℃くらい,殆ど無風状態で,これまでで最も寒くはなく感じられた.さてどうしようか?と思っていたら,若く,日本語の上手なロシア人カップルから頂上はどこかを尋ねられ,剣が峰方面を指差す.でも暗くてよく判らないし,当方も日の出まで暇を持て余しそうなので,「では一緒に行って見ますかね」,と一緒に反時計廻りに剣が峰方向に出発した.

でも久須志神社を越えた辺りからだだっ広くなり,道がはっきりしなくなる.去年,道を見失ったときと同じパターンだ.ロシア人カップルはこの辺りでテントを張り,ご来光まで一眠りしようかな~と言うので,ここで別れ,筆者は再び久須志神社方面に戻った.それでもまだ1時を過ぎた程度でご来光までは時間があり過ぎる.結局下ることにした.また時間がたっぷりあるなら,この際長い吉田口ルートに下ってみようと考えた.


6合目の吉田口分岐点

6合目の吉田口分岐点まで下る

3:45AM安全指導センターまで下った.途中8合目江戸屋さんまでは道が共通な須走口からの登山客と出会う.だが8合目~6合目のここまでの間は人っ子一人出会わない.幸い周囲は木立一本ないのであまり怖いことがない.

ここで少し休んで日の出時刻を訊いてみたが尚も時間がありそうだ.やはり吉田口ルートに下るしかあるまい.

ところで写真のように,今年は登山道の案内板が新たに整備されている.英語,簡体字の中国語,ハングルも併記してある.電車の駅並みになった感じだ.吉田口はこの案内板では真ん中の矢印方向で,ここを下り始めた.下るといきなり樹林帯に入り,たった一人だと少し不気味だ.現に途中動物のばさばさ動く音と光る2つの目に遭遇したときはいささかビクついた.稀に登ってくる登山客に出会うとほっとする.


5:00AM,5合目佐藤小屋でご来光

5:00AM,5合目佐藤小屋でご来光

吉田口ルートは,浅間神社から山頂久須志神社までで,標高差で2,835m,距離で16.95kmあるそうだ.他と比すれば圧倒的に長い.『歴史の道』100選に選ばれている由緒ある登山道でもあるそうだ.古くは日蓮上人が籠もり,江戸時代になると長谷川角行という人が富士山信仰の教義を整え,吉田口を富士講の登山道と定めたのが栄えた理由のようである.

やがて5合目佐藤小屋辺りまで下った.たまたまここで小屋を手伝っていると云う人に「あと2,30分だからここでご来光眺めてから下ったら」と薦められ,従う.

雲は多めだがうまい具合に太陽は透過し,上面の雲と下の山中湖を赤く染める.なかなかきれいだった.


2合目小室浅間神社

2合目小室浅間神社

5合目佐藤小屋からは明るくなった道を下った.やはり明るい道を歩くのはいい.

富士講に纏わる各合目毎の要所を過ぎ,やがて6:20AM頃2合目小室浅間神社に達した.神社の痛み具合は著しく,富士講で栄えたであろう頃からの落差を際立たせている.


土砂流防止?

土砂流防止?

吉田口ルートを歩いていると道の真ん中に頻繁にこのような構造物に出合う.木枠で囲われ,上流側には凹み,下流側には石が満たされた構造である.登山道は概して窪み,谷のようになっている.多分雨水が流れ,侵食されて谷のようになっていくのではなかろうかと想像する.で,この木枠構造は水の流れを緩和し,土砂の流出を抑えるものなのかな~?すれ違う2,3の人に訊いてみたが,やはり「はて何でしょうね?」と答えられるばかりで,はっきりとした解は得られなかった.


馬返しから先は舗装道路

馬返しから先は舗装道路

やがて7:00AM馬返しに至った.ここで土の道は終わりになり,以降は舗装道路になる.看板によってはここからは吉田口登山道ではなく遊歩道と記されている.吉田口ルートの定義は定かではないが,場合によっては馬返しで終わりとするのかも知れない.

馬返しから下の道は痛んではいるが,1964年に富士スバルラインが開通まではバスも来ていたらしい.現在は交通量は少なく,立派な樹木の林を歩くので快適である.


中の茶屋から先はさらに立派な通り

中の茶屋から先はさらに立派な通り

馬返しから1時間ほど下り,8:00AM頃になって「中の茶屋」という地点に達した.ここからはさらに立派な道路になって,バスこそ走ってないものの車の往来が比較的多くなる.歩くには少し興ざめな面もあるのは否めない.

それでも周りの木立はなかなか見事で,よしとしようか.


吉田口遊歩道始まりの標識

吉田口遊歩道始まり

中の茶屋から小一時間歩き,吉田口遊歩道始まりの標識に至った.上述の如く歩いた道は立派な舗装道路であまり「遊歩道」の雰囲気は感じられない.この看板を見ると馬返しまでは白いルート(これが歩いてきた道)の他に,黄色いルートも記してある.黄色のルートが本来の遊歩道なのであろうか?でも看板脇にもそれらしきトレイルは見当たらない......実際のところ普通の道案内で下りてくる限り,別ルートの存在を知る術は無さそうで,筆者の下った道を通ることになると思う.

なお,この看板は辺鄙な場所にあり,ひょっとしたらバスターミナルとかと期待していたが,大違いだった.近くの方にバス停と訊くと,浅間神社の近くらしいが,ここまで歩いたのなら一層駅まで歩いた方がいいですよ,とアドバイスされ歩くことにした.


浅間神社

浅間神社

浅間神社には裏口から入った.随分と立派な神社だ.何でも日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東方遠征した際にこの近くから富士山を拝して祠と鳥居を建てたのが始まりだそうで,延暦7年(788年)に甲斐守紀豊庭という人が現場所に社殿を建立したのだそうだ.

浅間神社でお参りし,表に抜け富士吉田駅に向けて歩いた.富士吉田駅に着いたのは9:35AMだった.あ~くたびれた!

富士吉田からは大月経由で中央線で戻った.くたびれたが吉田口ルートが体験できて良かったと思う.



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