タシケントはウズベキスタンの首都.旧ソ連圏ではモスクワ,サンクトペテルブルク,キエフに次ぐ第4の都市だそうだ.中央アジアの政治,経済,社会の中心で,民族のるつぼ.(でもヨーロッパやアメリカと比べると黒人はいないので,その分多様性は少ないか....な?)1966の大地震で建物の大半が破壊されたが,その後高層住宅が建設され新しい都市に変貌した.再建された建物が多いためソビエト風の都市となり,歴史を偲ばせる場所は少なくなったようだ.地下鉄があるのも,中央アジアではタシケントだけだそうだ.町の人口の4割はロシア人,という記事を読んだことがあるが,実際見てみるとそれほどロシア人風の人は多くないような.......市内北西にある旧市街は土の家や土壁が残り,道は入り組んでいるらしいが,観光バスで通った道はとても広く,舗道も分離され,しかも交通量は疎らで渋滞とは無縁のように見えた.
この大きな屋根がチョルスーバザールの目印.タシケント最大の市場.内部周囲は2階建てのギャラリーが取り囲んだような構造になっている.もっとも屋外や別の建物での出店数はさらに多いようだ.
ざくろだけで商いする店の存在自体が中央アジアっぽい(?)のではなかろうか.この帽子はイスラム教徒の証,とどこかに書いてあったが,定かかかどうか.....判らない.二人掛かりで商売になるのかね~?(答:十分商売になるよ)
山盛りでドサッと置かれたチーズを見ると,こちらもまた十分い中央アジアっぽいと思う.ツアー同行者の一部から,「山羊のお乳のチーズでは?」との声が上がったが,普通の牛乳のチーズのようだ.
下は,チョルスーバザールの商売あれこれ
以前はレーニンか誰かの銅像があったという場所に,1992年ソ連崩壊で独立し,ウズベキスタンの国土が刻まれた大きな地球儀(?)が据えてある.この日,3月21日はたまたナブルースと称するイスラム暦の新年,ウズベキスタンの祝日にあたるそうで,着飾った子供を連れた家族が多く繰り出していた.
こちらは孫を連れた老夫婦か?
服装に関し,民族衣装っぽいのも結構目立つが,男も女も黒,例えば黒い皮ジャンなどが目立つ.黒が好きな国民性とみた.
普通の20本入りタバコから2本づつ分けて売っている.う~ん,その方が健康にいいよ!
なおタバコを吸っている人はそう多くはないように見えた.
下は,独立広場や近くの地下鉄入り口,バス停の人々の写真.さすがナブルース,皆着飾っているね!
正式にはアリューシャナヴォイオペラバレイ劇場という,1500人収容可能な194年7建設の劇場.内装も素晴しいらしく(内部は見学せず),6つのロビーはウズベキスタンの芸術家によって設計されたそうだ.
現地ガイドさんの説明等から,第2次世界大戦後にタシケントに抑留されていた数百人の日本人捕虜の強制労働等で造られたと理解しているが,劇場側面の銘板には日本人捕虜ではなく,『日本国民』が建設に参加,と記されている.
大変見事な建築で,強制労働にもかかわらず立派な物を作り上げたことで,ウズベキスタン人の日本人に対する信頼感が高まったとされるようだ.なにしろ1966年,タシケントを大地震が襲った時,町中の多くの建物が壊れてしまったのに,このナヴァイ劇場は倒壊を免れたそうである.
サイ...何とか,ナル...何とかいう名前から,サイちゃん(男性),ナルちゃん(女性)という名前にされてしまった2人の日本語ガイドさん.ウズベキスタン全土の大学の日本語学科系統から毎年100人余の卒業生が出るそうで,そのうちのかなりは日本留学や大学院を経て観光ガイドや日系商社への就職が多いそうだ.
劇場の近所の子供たちが花を摘んでいた.ちょうど春を迎え,このような草加や,杏などの花があちこちで咲いていた.
下は,ナヴォイ劇場と周辺の写真
ティムール広場の中心にある.この広場は以前革命広場だったそうであるが,ウズベキスタンの独立(再独立?か)にともなってアミルティムールの像を建て,改称したようだ.イラクから中央アジアにまたがる大帝国となったのがティムール帝国(1370~1500)で,その建国者がこのアミルティムール(?~1405).この人はチャガタイ=ハン国の武将だったが,やがて自立し,サマルカンドを都に大帝国を建設した.中央アジアのトルコ民族の間では今でも最も人気のある英雄の一人とされるようだ.彼はチンギスハンの再来みたいな男で,かなり残忍なことをやりながら勢力を拡大したそうだ.ティムールはチンギスハンの血を引いていると自称していたそうだ.ただし,この時代のモンゴル人とトルコ人の違いというのも曖昧なもので,中央アジアに進出したモンゴル人たちは混血によって事実上はトルコ民族化していると考えられるそうだ.(確かに朝清龍の顔を見ると典型的なトルコ人やクルド人の顔には見えないし,インドのムガール帝国のムガールってモンゴルのことらしいが,朝清龍系の顔ではないし~)
ティムールはイルハン国とチャガタイハン国の領域をほぼ統一した後,トルコ系イスラムのオスマン朝と激突した.これがアンカラの戦い(1402年)とされ,ティムールが勝って,オスマン朝は大打撃を受け一時は滅亡寸前にまでなった.ところがどっこい,オスマン朝はこの後復活してやがて古代ローマ帝国にも劣らないような大帝国になったのは周知のとおりである.一方ティムール帝国は,アミルティムールの死後徐々に衰退していったようだ.信長のようにすごかったけど短期間だったようなものかも.
パンのように見えるし,電子レンジのようなものも置いてあるし......どんな味だろう?
このように撮影サンプルを掲げて客待ちしている.ところで,ウズベクでは,多くの人が快く撮影に応じてくれた.うれしい限りだ.子供たちは,自分から「撮って,撮って!」と言ってくれるくらいだ.でもこのような状況はあと何年続くやら....
下は,ティムール広場の写真あれこれ.黒い服装の人多いと思う.
こうして見ると結構広々している,ていうか空いている.
左:正確にはブミタシケントインターナショナルホテルと長い.繁華街(あまりそのような雰囲気を感じさせる場所はなさそうではあるが)から離れている.でもタシケントでは代表的なホテルの1つのようだ.でもここのレストランではクレジットカードが使えなかった,やはり他国とはちょっと違うね~
中:タオル架けが暖かい!内部にヒーターが通っているのだ,な~るほど.
右:ホテル前の通りにはトロリーバスと市電が通っている.道路は広く,交通量は少ないので朝のラッシュアワーでも空いている.
ブハラから国内線で到着後荷物の引取りでここで大分待たされた.でも国際線入国審査と税関での辟易するようなノロノロさに比べればまあ.....
この辺りは公園のようになっている.いろいろな人が通り過ぎていく.この若人のファッションはどんななの?(筆者はファッションについては一切論評できず)
集合住宅の一階にレストランがあった.新年なのに営業ご苦労さま!!(なお,われわれ以外の客はいなかったよ)
曲目はいろいろ,まあ世界のスタンダードナンバーが中心.なおお料理は珍しくお肉ではなく,何とかいう川魚,と言っても大きい切り身の,のソテーだった.味はまあまあといったところか.
ただのバーテンダーではない,サックスの演奏に合わせて空中にボトルを転がすのだ.お見事!!イスラム国なのにこのように立派なバーもあるし,ウズベクのビール,ロシアやハイネケンのビールやワインはどのレストランでもごく普通に出してくれる.いや~ありがたい!
タシケントではこのような集合住宅が多い.ナブルースという祝日のためか平日(金曜)に拘わらずあちこちに人出が見られた.でもイスラム国だから元々金曜はお休みか?今思うにちゃんとガイドさんに聞いておくべきだった.
左:片側3車線,分離帯を挟んで反対車線,その両側に分離帯を置いて舗道,と広く,またこのように空いている.周りの木の根元が白いのは普通虫除けであるが,コンクリートの電柱や信号機の鉄柱まで根元が白い.どうして?と問えば,虫除け以外に夜間の反射効果,街灯代替のを狙っている,と云うことだそうだ.な~るほど.
右:バス待ちの人々は.被り物がいろいろあるのが目を引く.白い純イスラム風の婦人が一人見えるが他ではあまり見かけることはなかった.旅行者か?
ソ連時代の宗教に対する規制を経て,現在徐々にイスラム原理主義が復活しつつある,という記事を読んだことはあるが.....