メインストリートであるが極めてのどかである.菩提樹やガジュマルなどの大木が見事だ.このような樹木やバナナやパパイヤの実っているのを見ると,「亜熱帯」と云うことが実感できる.
インドと同じに野良牛,いやヒンドゥー教では聖牛,が多くいるが,これは紐が付いているからには飼われている牛である.向こうは公園であるが,あまり散歩している人を見かけない.「どうして?」と訊いたら,「まだヒルがいるから」と教えてくれた.
バス停前のここでは何軒か出店している.バナナの皮色がイトーヨーカドーやダイエーのそれと違って,美しく均一な黄色ではない,ことに微かな途惑いを覚えるが,中身は美味しい.
蛇(コブラ)はヒンドゥー教の何かの神の化身であろうか?それとも蛇そのものを祀っているのであろうか?ヒンドゥー教は実にいろいろな神様が居られるので........
たまたま裁判所の前を通りかかった野良牛(紐がついていない).
下は,レイクサイドの通りの写真
通りに面したお店を持てないため,こうして移動販売を行っているのであろう.シャツとか日用の品々のようだ.道路脇の定位置に定住するとそのスジからショバ代とかせびられなねかねないが,こうして絶えず移動していればショバは定まらないのでその心配も要らない,ということかな?
やはり本場だけあってトレッキングショップは多い.この種の店が多いと言われる神田とかの比ではない.ザックとか,ウェアとか,トレッキングに必要なものは皆揃うようだ.それによく看板を見ると,単に売るだけでなく,買い入れ,レンタル,交換から,経験豊かなガイドやポーターの手配....と一通りなんでもこなすようだ.
インターネットとEメールのお店は多い.わざわざノートパソコンを持ち歩くのは大変だし,小さなホテルやロッジが多いポカラにあっては,モジュラージャックを備えた部屋も多くはないであろうから,このようなインターネットショップを活用するのは正解であろう(多分).
たまたま警察署の近くで交通に関することで,大きな声で言い争っていた.でも互いに十分主張が通ったのかさっぱりと消えて行った.
4輪ではなく2輪のトラクタ.このタイプはかなりたくさん走っている.なおポカラ空港では,普通の空港でよく見かける荷物専用牽引車の代わりに,農業用の4輪トラクタ,そうあの大きな車輪のトラクタが使われていた.空港用などどうせそんなに台数がはけず,自ずとコスト高になることを考えれば合理的かも.
下は,さにレイクサイドの通りの写真
左から鋭い三角状のマチャプチャレ(Machhapuchhare:6993m),中央台形状のアンナプルナⅢ峰(AnnapurnaⅢ:7555m),Ⅳ峰(AnnapurnaⅣ:7555m)が見えている.マチャプチャレとは「魚の尾:Fishtail]の意だという.ポカラからは三角状であるが,山の西側から見ると魚の尾の形に見えるのだそうだ.この中では右端のアンナプルナⅣ峰が7555mと一番高いのであるが,雲が完全にはとれていないのが残念.
高い方のアンナプルナ南峰(Annapurna South:7219m)に朝日が当たり始めた.写真では高く写っているものの,実際はアンナプルナ南峰より低いマチャプチャレ(右:6993m)はまだ夜明け前の状況にある.(5:40AM頃)
雲がかかっているが朝日に輝くダウラギリⅠ峰(DhaulagiriⅠ:8167m).
ホテルのバルコニーから眺めたアンナプルナⅢ峰(AnnapurnaⅢ左側:7555m),アンナプルナⅣ峰(AnnapurnaⅣ右側台形状の左端:7525m),アンナプルナⅡ峰(AnnapurnaⅡ右側台形状の右端頂部が雲で覆われた部分:7939m).アンナプルナⅡ峰のさらに右にはラムジュンヒマール(Lamjung Himal:6986m)も時々顔をぞかせる.なお地図を見ているとよく現れるヒマール(Himal)とはサンスクリットで雪山,ヒマラヤ(Himalaya)とは雪の棲家という意味なのだそうだ.
ピラミッド型の美しい姿はマチャプチャレ(6993m)神の山といわれ,ネパール国がこの山に登ることを許可していないためこの山の頂上に登ったものは誰もいないのだそうである.アンナプルナⅢ(7555m)はマチャプチャレの後方に位置するため少し低く見える.
左側が夕陽に輝くヒマルチュリ(Himal Chuli:7893m).右は何峰だっけ?ヒマルチュリの左側には日本隊が初登頂したマナスル(MAnaslu)がある筈であるが残念ながら雲が切れなかった.
下の写真は,マチャプチャレ,アンナプルナとその周辺.
オールドバザールのある辺り,つまり旧市街近くの丘の上にある複合寺院.この中の1つドゥルガー神を祀る白い祠の前では,毎朝山羊や鶏が生贄として首をはねられるそうだ.生贄は願掛けの信者の方々が持ち寄るのだそうだ.
ネパールの神様はみんな赤く染められている.この神様は何だったか?判別しにくいね~でもこれはまだいい方かも,猿の神様ハヌマン像なんか,まるでペンキ缶をひっくり返したようにベッタリ赤く,何がなんだか判らない.
いくらかのお賽銭を上げ,この少年僧にお祓いをしてもらい,額に赤い印を付けてもらった.ヒンドゥー教ではカーストが今も根強く残っており,この少年もカースト最高位のバラモン階級の生まれで,生まれた時点で既に道が決まっているのだそうだ.上の階級はいいとして,下の階級の人は大変だろうね~.....だから仏教とか,他に改宗する人もいるのだと思うが....でもヒンドゥーから見ると,別の宗教とか,外国人は最低のカーストのさらに下に属するのだそうで,それはそれでまた大変そうだ.
ちゃんと仏教寺院も併設されているのがネパールだ.仏教寺院には四方を見下ろす大きな目玉が付いている.この複合寺院の門前にはちゃんとお供えを売る露店もあり,多くの信者が訪れるようだ.観光客も多い.
前国王は人望厚く,昨年の政変で暗殺され,政権交代された後でもこうして銅像は破壊されないで,他の神様と同列に祀られているようだ.
下は,シバ神の乗り物ナンディーはじめ,寺院各所の写真.
レイクサイドから約4km南に向かうとオールドバザールに着く.昔インドとチベットとの交易地として栄えた時代の建物が今も他の建物と同様に使われており,その時代の名残を見せている.1階部分は店舗,2階部分が居住空間,3階部分が.....キッチンだったか?貯蔵空間だったか?う~ん,忘れてしまった.子供たちが制服を着ているのが,「やっぱりアジアの国だな~」と再認識させる.
レンガの壁に木造の屋根の3階建て構造で統一されているようだ.また店舗部分は舗道まで張り出した長い庇も共通であるようだ.
年輪を感じさせるこの方は大きなドッコを背負っていた.食事の時はじゃまにならないか,と余計な心配をしてしまう鼻ピアスリング.ネパールは多民族国家で,このような鼻ピアスを付けるその中の特定の民族だけ,(確かグルン族だったか?)なのだそうだ.例えば多数民族のネワール人は鼻ピアスを付けないそうである.他の部分の装身具や化粧についても民族の差が多いのだそうである.中沢正夫著「心やさしきネパール」の一節に,どう見ても80歳台の皺深い老婆(としか思えない)のポーターに,恐るおそる歳を訊ねたら,40代で,自分より相当若く驚き入った,と云う話が載っている.案外この人もそうかも知れない.
一昔前風,いやもっと前か,の店構えで,奥さんが娘二人の面倒を見ながら商っていた.暖かくほっとする光景だね~.このような店の他に,ヒンドゥー教が根ざす土地柄だけあって木の葉のお供え物容器を作り,売る店なども見られ,この国ならではの景観であろう.
ちょっと大きめであるが餃子ではないだろうか,いやそうだと思う.どんな味だろう?
下の写真は,オールドバザールとその周辺.仕立て屋さんが道に面して仕事をしている(ここだけでなく,他の仕立て屋さんも)のがおもしろい.パフォーマンスで客を引き寄せるため?店番を兼ねるため?文字がなく絵だけの看板(時計屋さんなど)はオールドバザールの伝統らしい.
ニューバザールが現在のポカラ市民にとって一番の商店街であり,またこのような所謂市場的出店,露店も多いようだ.このバザールでも,また他の道端でもこんな果物屋さんとか,あんな果物屋さんとか,要は果物屋さんが目立って多いように見受けられる.
3階建てくらいの建物が多い.景観保護と,ポカラには王室の別荘があるため,高い建物が禁止されているようだ.通りを牛が歩く光景はインドの街と似ている.看板の文字もインドの文字,と言っても十数種類あるようであるが,とよく似ているように見える.
スクールは看板の懸かり具合からすると3階部分だけだろうか,生徒らしき人たちが顔をのぞかせている.なお通りの外れの方には寄宿舎制の学校,高校?なども見えた.
この辺りは台所用品のお店が何軒も連なっていた.水瓶か?油缶か?大きな銅製の容器がたくさん売られている.
ニューバザールの外れにセティ川(Seti川)という流れがあり,このセティ川に架かるマヘンドラプルと呼ばれる橋から下を眺めると,幅はたかだか5m,深さが50mと,とても深い渓谷になっている.渓谷がガンダキ(Gandaki)と称されるようで,世田谷の等々力渓谷などと比べるととても深い.
下はニューバザールとセティガンダキ(Seti Gandaki/Seti gorge)付近の写真.
レイクサイドから北東に向かい,大きなガジュマルの木の下をくぐって行くとパタレチャンゴ(Patale Chhango)若しくはデビィフォール(Devi´s Fall)と呼ばれる滝が見える.その昔Daviというスイス人女性が落ちたと言う話しからDavid´s Fallとも呼ばれるようになったそうだ.
滝の落ちた先がどうなっているのか覗き込む.滝ではあるが,滝の落ちた先が無い,地中に水が吸い込まれていく,そんなように見える,だから穴でもあると言える.暗渠(あんきょ)になっていて出口は2~3km先だとか.
風に見える.まあごく普通のきれいな(ように見える,ほんとはそうでない可能性が高い)川である.なおこの川は前述のセティ川とは異なる川で,ペワ湖から直接流れ出す川のようだ.
デビィフォールの近くにあり,マニ車を備えたチベット仏教寺院,学校,病院などが揃った難民キャンプだそうだ.左の写真は寺のグラウンドで坊さんや青年たちがサッカーに興じ,観戦しているシーン.1959年中国軍がチベットに侵攻した動乱時に作られた避難キャンプの1つだという.ただ一般のネパールの人からみると,チベット人は商売根性が旺盛で,必ず何かを売りつけようとするし,結構蓄えもあり,「何が難民だ!」と云う感情もあるらしい.
下は,デビィフォールの写真あれこれ