ミケーネから南下しエピダウロス遺跡にやって来た.
エピダウロスはサロニカ湾に面した港湾都市.神話でアポロの息子,医神アスクレピオスが生まれた場所であるとされ,医療の聖域として知られていたそうだ.古代では観劇も精神をいやす薬で,ここにも劇場が建設されたわけである.
写真の古代劇場は紀元前4世紀にポリクレイトスにより建設され,建築当初34段の観客席6200人を収容したそうだ.後,紀元前2世紀になって,さらに21段追加され,合わせて55段の客席で14,000人の観客を収容するに至ったようだ.この地を征服したローマ人が修正を加えたようである.貴賓席は赤い石灰石,一般席は白い石灰石で構成されている.現在も夏場にギリシャ古典劇,オペラなど公演が開かれているという.客席断面が放物線状になっていて於音響効果を高めているのだそうだ.なおポリクレイトスはその頃活躍した彫刻家で,オリンピア祭典の競技者の彫刻で特に知られるのだそうだ.
訪れることはできなかったが,エピダウロスには紀元前4世紀初期のドーリス式神殿があって,かつては黄金と象牙で造られた医神アスクレピオスの像が安置されていたそうだ.この神域から得られたいろいろな彫刻が展示されていた.
下は,エピダウロス遺跡の写真あれこれ
エピダウロスからアテネへはエーゲ海を眺めつつ帰路についた.この日は穏やかな海面が広がっていた.エーゲ海には大小合わせておよそ 2,500 の島々が浮かび,大半はギリシャに属し一部はトルコ領となっているようだ.これらの島々は良港を備えているが,古代,中世まではエーゲ海の航海は安全なものではなかったようだ.火山島が多く,クレタ島のような大きな島以外は耕作地が少なく農業には適していないようである.漁業とか,大理石や鉄を産する島ではそれらの産業があるのであろう.