コリント遺跡から次はミケーネ遺跡に向かった.
農業地帯とは言ってもとても豊かな農地が広がっている訳ではなく,少し荒地のような感じで,オリーブやオレンジの畑がたくさん見える.大まかに言って地中海気候で,乾燥がちで暑いのであろう.
狭い通りの町を通る.小さく小奇麗なレストランやショップが軒を並べている.やはりヨーロッパの街並みの雰囲気だ.
紀元前1300年頃建造と言われるとても古い門.重さ20tもあるという巨石を積み重ねて作っている.門上部には,頭部は消失しているが,立って向き合う2頭のライオン像が見える.ミケーネ文明は,紀元前1450年頃に興り,地中海交易によって発展したそうだ.ミケーネ文明の建築は概して巨石を用い,城壁で囲まれ閉鎖的であるそうだ.まあ随分古い文明であることに改めて驚く.
ミケーネ遺跡は彼の有名なハインリッヒシュリーマンが1876年に発掘したのだそうである.城壁で囲まれた宮殿内部にあるこの円形墳墓(墳墓A)は石板を1mほどの幅で隔てて二重の円形を描くように立てられ,中に6個所の王家用の長方形竪穴式墳墓を造り,王とその家族が埋葬されていたそうである.また他の墳墓Bなどにも数多くのトロス式墳墓(円蓋墓)や横穴式墳墓があって,そこにはおびただしい数の副葬品があったようだ.発見された副葬品は金製品,宝飾品,儀式用石製品,陶器類,フレスコ画などがあるようで,一部はこの後訪れる博物館に展示されていた.墓地の脇には復元図の載った案内板が掲げられていた.
下は,ミケーネ遺跡の写真あれこれ
この埴輪のようなものは素朴な感じがなかなかいい.日本の埴輪と違って,あくまでシックな顔料で控え目ではあるが彩色されている点が異なる.でもこれが埴輪だったかどうか?定かではなく,あくまで感覚的な印象である.
上述の円形墓地でシュリーマンによって発見された遺物の1つ.この遺物に関して,過去にシュリーマンに対する疑惑が持ち上がったことも2,3回あるようだ.マスクは金の葬儀用の仮面であり,埋葬穴(円形墓群Aの5号墓)にあった死体の顔の上で発見されたそうだ.シュリーマンは,伝説のギリシア指導者アガメムノンの死体を発見したと信じ,このマスクにその名を冠したそうである.しかし,後世の考古学的調査では,この仮面は紀元前1500年から1550年のもので,アガメムノンの活動期より早いとされているようだ.ただアガメムノンのマスクという呼称はそのままであるようだ.本物は現在はアテネの国立考古学博物館に展示され,今見ているのはレプリカだそうだ.
下は,ミケーネ博物館の写真あれこれ
内部はドーム型でトロス(円蓋)墓と呼ばれ,外部は盛り土で覆われている.日本の古墳のように小高い山のよう(下写真右)になっており,盗掘を避けるためのカムフラージュではなかったかと考えられるそうだ.こちらも紀元前1300年頃の建造で,ミケーネにある9つの墓地の一つであって,アガメムノンの墓とも呼ばれているようだ.当時の王が埋葬されたとみられるが,発掘した時には既に盗掘で荒らされた後で,今入ったときのように何も残っていなかったそうである.ではどうして宝庫と言われるのであろうか?そういった内容を記した史書でも存在するのであろうか?ガイドのカテリーナさんが説明してくれたのであろうが思い出せない.
またアトレウスの宝庫周辺の低い尾根斜面一体には,数え切れない程の横穴式墳墓が発見され,ここからは無数の副葬品が出土してるそうだ.これらの出土品はアテネ国立考古学博物館に展示されているそうだが,見ることは適わなかった.
入り口には世界遺産の立て札が掲げられ,盛り土の一画には入り口があった.入り口は多分後になって開放されたのではなかろうか?
ギリシャはブドウ栽培で最古の歴史を持つ国の一つだそうだ.その歴史は紀元前4000年まで遡るそうで,ミケーネ文明よりさらにず~っと古い.今日もワイン生産は盛んで,このレストランで飲んだワインもなかなか美味しかった.地中海性気候で長い日照時間,石灰岩の土壌がブドウ栽培に適した環境であるようだ.まあ,ギリシャに限らず,イタリア,スペイン,フランス....と,地中海沿岸には適地は多かろうし,それぞれいいワインを産しているが.
街道沿いに糸杉の並木があった.西アジアや南欧ではよく見かけるのに,日本には普通の杉は花粉で大問題になるほど多いが,糸杉はあまり見ない.どうしてであろうか?日本も暑いことでは負けないし....でも,多湿であることが糸杉には適さないのであろうか?
下は,ミケーネ周辺の町や村の風景いろいろ