”テーブルを逆さにしたような”と形容されるブラチスラバ城であるが,日本人的には ”碁盤若しくは将棋盤を逆さにしたような”という方がぴったりくるような気がする.
前に見えるのはセントマルチン教会と呼ばれるそうで,ここで歴代のハンガリー国王の戴冠式や,多分国民にはうれしくないどころか屈辱的であったであろうウィーンの女王マリアテレジアのスロバキア国王としての戴冠式が行われた歴史を持つそうだ.街全体はいかにも中世的な趣きが漂っているように思える.
ブラチスラバ城はドナウ川に面した丘に建つ.ウィーンからは定期船が通っているそうだが,たしかにウィーンとは目と鼻の先であるからそうであろうと納得する.橋は”Novy Most”とよばれ,展望台も備えたなかなか近代的な橋のようだ.川向こう側には共産時代に建設されたという高層の集合住宅が立ち並ぶ.このような,歴史的建造物に比すれば相対的に価値の低い建造物はどうやら「共産政権時代の醜い遺産」として語られる気配がそれとなく感じられた.
ルビィツアさんというガイドさん.他の街に比べてまだ日本人観光客が多くないせいか日本語でなく英語のガイドさんであったが,ゆっくりした語りでわかりやすかった.
下は,ブラチスラバ城の写真
結構寒い地方なのにここにもあそこにも路上レストランが盛んである.こんな時間から飲んでいるのは学生が多いようであるが観光客も結構多いそうだ.でも普通の市民も多そう,と言うか一番多そう,にも見える.で,「失業率はどれくらいですかね~?」とガイドのルビィツアさんに訊ねたら,「16~17%くらいかしら」って答えてくれた.う~ん,十分に高いね!
ウィーンとは目と鼻の先,きっと音楽も盛んであったのだろう,通りにはモーツアルトやリストが滞在した処に印しが付してあった.
この日の午後スロバキアチームの出場するサッカー(だっかた?)ゲームがあるそうで,若者が国旗をかざして気勢を上げていた.フーリガンにならない限りこういうのっていいね~
スロバキア国旗の白青赤はスラブ民族を象徴し,キリスト教のダブルクロス(カタカナの「キ」のようだ)と,国土の山々が描かれている,ということだ.
旧市街の中心部にあるのがこの中央広場(Hlavne namestie).左手の塔のある建物が旧市庁舎で,中世期の市民の家を基盤にいろいろ増改築していった建物で,現在は市の歴史博物館になっている」のだそうだ.その右の薄緑の立派な建物は日本大使館で,たしかに前に日の丸が掲げてある.
ブラチスラバで最も有名な男として知られるというパンスカー通りのマンホールの男.多分,正式の名前があるのだろうが.....アップするとちょっとにやっとしている感じだ.
スロバキア国民劇場(Slovenske naronde divadlo)が正式呼称のようだ.19世紀後半,ブラチスラバ(やスロバキア地域全体が)ハンガリー王国に属していた頃,ブラチスラバの市立劇場として建設され,1918年にチェコスロバキア共和国が建国された後に,現在の名称に改名されたそうだ.内部は広くないが,装飾はなかなか立派らしい.現在バレエやオペラの公演が行われ,夜9時ごろに舞台がはねた後は正面に人が溢れ,旧市街へと歩いていく光景が見られるそうな.
下は,ブラチスラバ旧市街の写真
下は,さらにブラチスラバ旧市街の写真
多分菜の花であろうが所々に広がっている.発電用風車もところどころに見られる.
田園地帯にこのような町やも少し小さな町が点在する. ブラチスラバの近くになると集合住宅の多いベッドタウンが多くなるようだ.
何しろのバカ陽気で蝶にとっては書き入れ時のようだ.この花はあまり見かけないが何ていうのだろう?2mくらいの高さの木全体が細かい花で覆われ蝶がたくさんたかっている.
ホテルの部屋にあった機能一本やりの分別ごみ箱.空き缶がCokeにFantaとなっていることからコカコーラ社のマーケットシェアが連想される.