マイセンMeissen

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チェコ領内ドイツ国境近くの高原地帯

国境近くの高原地帯

ここはまだチェコ領内で,おそらく菜の花であろうが一面の黄が美しく咲き,所どころに赤い屋根白い壁の家々の村が点在する


ドイツ領内に入る

ドイツ領内に入る

高原のチェコ/ドイツ国境,特段の入国手続きはなかった,を越えると,黒い屋根に黄色の壁,いかにもドイツ的な家が霧の中に浮かびくるようになる.


エルベ川のほとり

エルベ川のほとり

マイセンはドレスデンより北西に25km離れたエルベ渓谷に位置する.地図上ではドレスデンがよりプラハに近いが道路の関係か,ホテルの都合であろうかマイセンを先に回ることになっている.


下は,プラハからマイセンへ向かう途中の風景

プラハからマイセンへ向かう途中の風景
プラハからマイセンへ向かう途中の風景 プラハからマイセンへ向かう途中の風景 プラハからマイセンへ向かう途中の風景 プラハからマイセンへ向かう途中の風景 プラハからマイセンへ向かう途中の風景 プラハからマイセンへ向かう途中の風景 プラハからマイセンへ向かう途中の風景
プラハからマイセンへ向かう途中の風景 プラハからマイセンへ向かう途中の風景 プラハからマイセンへ向かう途中の風景 プラハからマイセンへ向かう途中の風景 プラハからマイセンへ向かう途中の風景 プラハからマイセンへ向かう途中の風景 プラハからマイセンへ向かう途中の風景

マイセンMeissen

マイセンの街並み

マイセンの街並み

石畳の通りに歴史のありそうな建物,こう言うとヨーロッパの街の多くはそんななので区別が付かないが.....ザクセン王国の歴史はマイセンで始まり,旧市街の中心部では今日でも1000年を誇る王国のさまざまな伝統に触れることができるそうな.でも何といってもマイセンは陶磁器であろう.


マイセン陶磁器工房

マイセン陶磁器工房

ここの工房ではいくつかの行程を部屋に分け,部屋別に別々の言語のガイダンスで見学することができる.だから我々が見学しているところは日本人だけで日本語で説明が流れる.作業している人は全員マイセン磁器の職人さんたちだそうで精巧な技術を間近で見ることができた.

日本における磁器発祥の地を有田とするなら,ヨーロッパでの磁器発祥地ではマイセンであるとするのがほぼ定説だそうである.17~18世紀のヨーロッパの王侯,貴族にとって日本や中国の陶磁器は金銀と同じ価値を持っていたそうだ.たとえばハプスブルク家,ブルボン家,ハノーバー家など当時のヨーロッパの支配者たちはコレクションだけではあき足らず他国から陶工や絵付師を連れて来て自領内で焼かせるほどになったという.

当時ドイツのザクセン選帝侯オーガスタ王もまた古伊万里の熱狂的コレクターだったそうで,自分の日本陶磁器コレクションをもとに陶磁器美術館を建設し,日本宮と名づけたそうである.しかしオーガスタ王は陶磁器の輸入だけでは満足できなくなり,練金術師ベドガーを強制的に連れて来て,マイセンに製陶工場を作るに至ったそうだ.やがて白磁製作に成功し,白磁の肌に描かれたのは,東洋的な,日本的な絵柄,ヨーロッパ風にアレンジされてはいるが竹に黄金の虎,栗にうずら,芝垣.....などの柿右衛門スタイルそのものだったそうである.このスタイルの絵柄は現代のマイセンの一部の作品にも受け継がれているようである.

このようにマイセン磁器発は4世紀にわたってヨーロッパの焼物をリードして来たそうだ.オーガスタ王の功績は大きいであろうが,技術屋ベドガーは,技術が他へ漏れるのを恐れて幽閉されてしまい,やがてアルコール中毒に陥り,1719年に38歳の若さでなくなったという.気の毒に思う.タージマハル建設に携わった建築家が,やはり技術漏洩を恐れたムガール帝国の皇帝に殺されてしまったのよりはましではあろうが.....


下は,マイセンの写真いろいろ

マイセン
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