赤い屋根が目立つ.「百塔の街」と賞賛されているようで塔も結構目立つかな?
1948年には共産党がチェコの政治を掌握し,1953年からはノボトニーによる独裁が始まった.その結果,チェコの社会は停滞してしまったようである.そして1968年,改革派に属するドプチェクがチェコ共産党の第一書記に選ばれ,「人間の顔をした社会主義」を目指し始めたチェコにおいて言論や集会の自由や市場経済などが導入され始めた.しかし,チェコにおける自由化の動きはソ連を中心とする東欧の共産主義諸国の動きを刺激せずにはいられない.ついに1968年8月20日,ソ連軍と東欧共産主義諸国軍によって構成されるワルシャワ条約機構軍がチェコに侵攻.抵抗する市民の中には兵士たちによって射殺され,軍事介入に抗議する学生二人はプラハ市内で焼身自殺を遂げた,これがいわゆる「プラハの春」事件だ.
しかし,歳月は流れ,ソ連にも東欧共産主義諸国にも行き詰まりの色が濃くなり,1989年,当時の東ドイツにおいてベルリンの壁が崩壊した.解放の動きはソ連,東欧全体に広がり一気に自由化が進んだ.そして,このチェコにもようやく春がめぐってきた.
高い踏み台が用意されていないので空しかみえない,残念!
プラハ城の高台(ハラッチャニの丘)からヴルタヴァ川方面に下る階段にはこのような絵を売る絵描きさんもしくは絵売りさん(?)が大勢居て,いろいろな流儀の作品が楽しめる.
昨年(2002年)秋の長雨はヴルタヴァ川の洪水を引き起こし,写真の2階窓下のしみはその名残だという.災害の復旧は今も続いており相当の被害総額に達するようだ.
古いプラハとちょっと趣を異にするモーベンピックホテルから眺めた朝の街.プラハ旧市街から離れているが建築物は結構歴史を感じさせるものが見られる.
これはプラハではないがチェコの1地方都市.新しい町はやはり集合住宅を多くせざるを得ないのだろう.
下は,プラハ市街の写真
市電の走る通りから登り坂で入り口に向かう.ほどなく聖ヴィート教会の尖塔と大きな屋根が見えてくる.
添乗Aさんが,「ここで並んで写真を撮ってもいいそうですよ~」と言い,並んだところちょっとにや~としていた.
この門は17世紀に建てられたそうで,ここでは2人の衛兵が立っている.プラハ城はハラッチャニの丘に建ち,プラハ市街を見下ろす好適地にある.すでに9世紀にはこの場所に貴族の城が建てられていたが,現在の形になったのは14世紀のカレル4世の時代だそうだ.広大な敷地内にはプラハ最大の教会である聖ヴィート教会や,ハプスブルク家に支配されるまでは王の居城だった旧王宮,10世紀に建てられたプラハ城内でもっとも古い聖イジー教会,その奥は召使や職人,錬金術師などが住んでいた黄金の小路などがある.
マティアス門の前には大きな広場が広がり,その一角にカレー風味の煮込みのお昼ごはんを食べたこのレストランがあった.ちなみに夕食は旧市街で黒ビールに大きなソーセージ,言わば純ゲルマン食といった感じであった.
下は,プラハ城の写真あれこれ
第3の中庭に入ると,この威圧的なゴシックの西のファサードが立ちふさがる.尖塔の高さは100mもあるという.プラハのゴシック建築の代表格であるが,元々はは10世紀に建てられたロマネスク様式の教会であったという.
この絵のテーマは「聖キリルらの生涯」とのことである.下部にスポンサーのクレジットが入っているのが現代的か?この他にも下に載せたように何枚かの作品があるが皆ミュシャの作品なのではなく別の人の作品もあるようっだ.確かに色使いとかの作風がかなり違っている.ところでミュシャという方がどういう人か私はあまり知らない.そこである資料を見たら次のように書いてあった.
下は,聖ヴィート大聖堂各所の写真
交代のため行進する衛兵の背後は,920年にヴラティスラフ王によって建てられたというプラハ城内でもっとも古い教会がこの聖イジー教会だそうである.現在の建物は1142年に改修された基礎の上に17世紀の末にバロックの装飾が加えられたようで,正面ファサードで赤いレンガ色が初期バロック様式の典型的な外観だということだ.
1579年にできた長屋で,当時はこの辺りには城内の召使いなどが住んでいたそうだ.後に,その一角に錬金術師たちが住むようになり,黄金の小路と呼ばれるようになったそうな.この一群の長屋の中に,作家フランツカフカが住んでいたという写真左側の青い壁のアパートがある.それにしてもどのアパートもきわめて狭く,玄関を入るとすぐに眺めの良い裏側が覗ける窓に突き当たる.日本でも足軽長屋というのを見学したことがあったがこれほど狭くはなかったような......なお現在はすべてみやげ物屋さんになっている.
下は,プラハ城各所の写真
石畳,古いレンガ....どう見ても中世の趣だ.
カレル4世の命によって1357年に建設が開始され,60年近くかけて完成したといわれるヴルタヴァ川に架かるプラハ最古の橋がこの「カレル橋」.全長520m,幅10mの大きな石橋で,橋の両端には14世紀のゴシック様式の橋塔が立ち,30体の聖人像が並んでいる.聖人像は概して黒くすすけており決して美しいとは言えないであろう.日本人にもなじみの深い聖フランシスコザビエルの像があると説明を受けていたのだが見逃してしまった.旧市街側(東側)から見て左5番目の聖人がそうだったらしい.
ひときわ人だかりのあるところが一箇所ある.聖ネポムツキーの像だそうで,その下にある絵に触れると幸せになるという言い伝えから,これを皆が触っていく.自分も只でそのご利益にあずかろうと触ってきた,まあそんなんでこのようにピカピカに光っている.ところで写真のこの人の腕の彫物何の動物かな~?
橋の上では,絵を売る人,似顔絵を描く人,音楽を奏でる人,民芸品やガラクタ調のアクセサリーを売る人....等など大勢いて,これまた多い観光客,多くは冷やかし客であるが,眺め,ときに買っていく.
写真はちょっといまいちであるが,ここからの眺めは,対岸やプラハ城が見えて,なかなかである.
下は,カレル橋の写真あれこれ
火刑に処されたチェコ人宗教改革者ヤンフスの銅像が建っているという旧市庁舎前広場は,このときたまたまアイスホッケー対カナダ戦がどこかで行われていると云うことで,巨大スクリーンにその模様が映し出され,チアガールも舞台に上り,大観衆が大声援で観戦していた.ホッケーではカナダやロシアが強いのは承知していたので,勝ち目があるのですか?と訊ねたら,「チェコもワールド杯を制したことがある」そうで,強いようだ.尤もこの日は皆おとなしく引けていったのでどうやら負けたようであった.
上の文字盤の右に居るガイコツが紐を引っ張ると,文字盤上部の小窓に人形が現れる(循環する).1338年,ヤン王が初めて市民に建築を許可し,市民により建造されたという市庁舎の南側にこの時計がある.仕掛けがどうのこうのじゃなくて1338年建造,天文というところがすごい!この年日本では足利尊氏が室町幕府を開設したようだ.
多分プラハは人形劇にゆかりが深いのであろう.街角にはこのようにパペットが多く並べられている.王様,お姫様はもちろん,魔女,海賊,聖職者風,労働者風....といっぱい取り揃えてあるのでストーリー展開には困らないであろう.
下は,旧市庁舎の写真あれこれ