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伊勢神宮

この伊勢神宮編では,2020年12月18日川湯温泉で朝を迎え,バスで二見浦(ふたみがうら)に行き二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)を参拝,次に伊勢神宮外宮(げくう)に到着しお参り.伊勢神宮の街で食事し,食後内宮(ないくう)をお参りし,名古屋経由でJRで帰宅するときの写真を載せました.

伊勢神宮付近のGoogleマップ

 

川湯温泉みどりや22から,バスで二見浦(ふたみがうら)・夫婦岩38,伊勢神宮・外宮39,伊勢神宮・内宮40.JR名古屋駅2と巡り,JR新横浜駅に戻った.

川湯温泉の朝

川湯温泉山水館みどりやで朝食

川湯温泉山水館みどりやで朝食

山水館みどりやで3度めの朝になった.レストランに行き,料理を装う.

用意されているものは毎日同じようなもので,同じようなものを選んでいる.美味しかったと思う.


熊野川沿いを南下

熊野川沿いを南下

これまでも通ったことのある熊野川沿い街道(168号線)を南下した.今日も悠々とした静かな流れだ.

筏師の人々もこの辺りまで下れば一段落だったことでしょうね.


新宮市を通過

新宮市を通過

例のゴトビキ岩に降臨した熊野権現を,新しい社に祀るためにできた新宮市を通過した.

これからは太平洋岸に沿って北上する.


花の窟神社をもう一度お参り

花の窟神社をもう一度お参り

背後の大岩をご神体とする花の窟神社をもう一度お参りすることになった.日本最古の神社といわれ,神道が自然物を祀ることに始まったことに改めて納得させられた.

また装飾的要素が甚だ希薄で,日本古来宗教のプリミティブな様相を維持している.後年神道一般が仏教の要素をどんどん採り入れて複雑になっていくのだが,ここだけは動じなかったのだ.


二見浦(ふたみがうら)

三重県の山間になる

三重県の山間になる

三重県に入りしばらく太平洋沿いを走り,山間の地になった.この大きな川は何でしょう.山間なので曲がりに曲がってますね.こういった地形では大雨時に一気に水嵩が上がるのを和らげるため,山の樹木が大切なのでしょうね.


二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)に到着

二見興玉神社に到着

バスは海岸沿いの二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)に到着した.この神社は伊勢神宮の別表神社(支社的なものと解釈した)

写真はその参道で,浜辺に沿っている.鳥居は上部が直線(カーブしてない)で,その下の横棒(梁)は縦柱の内側に収まっている.これはこの後訪れる伊勢神宮の鳥居と同じ様式と後で理解した.


二見浦(ふたみがうら)の夫婦岩

夫婦岩

参道を歩くと夫婦岩あり,しめ縄で結ばれていた.夫婦岩は日の大神(天照大神)と興玉神石(夫婦岩の沖合にある岩で,猿田彦大神に縁あるという)を拝むための鳥居の役目を果たしているという.

他の地方でも夫婦岩を見ることがあるが,一般に夫婦円満,家内安全,海上保安,大漁追福などの象徴で,古神道における磐座信仰(いわくらしんこう:自然,特に巨石,岩,山に神が宿るという信仰)といわれるそうだ.たった今しがたお参りしてきた花の窟神社の背後大岩(山)もそうですね.


二見興玉神社拝殿

二見興玉神社拝殿

浜の脇に多分コンクリート造りであろうか,二見興玉神社拝殿が建てられていた.

当興玉神社は猿田彦大神と宇迦御魂大神(とようけびめ)を祭神として祀っているという.御神体が上述の夫婦岩の沖合700mにある興玉神石(おきたましんせき)ということだ.


二見浦天の岩屋

天の岩屋

古来より日の出を拝む夫婦岩とともに,日の大神(天照大神)がお隠れになった天の岩屋と伝えられているそうだ.本来圧倒的にすごい場所だと思うが.....

ただこれは不確定性原理のようなもので,岩屋の場所を例えば本州とか,近畿地方とか,九州辺りとか広くすれば,まあそうであろうという賛意は高まり,それが真であるとする可否の分散は極めて小さくなる.一方この岩屋のようにピンポイントレベルまで位置を狭く特定しようとすると,中には,そうだ異議なし,の声も上がる一方,ホントかな~,そんなアホな,嘘だろう,まさか~,あり得ない,バカバカしい.....といった疑いの声が大きくなり,(自分のことです),それ(位置)を真であるとする可否の分散が大きくなる.ハイゼンベルクも認めてくれると思う.←暇に任せ無理やりこじつけようとしている(^^;


二見浦のお土産店モール

二見浦のお土産店モール

いや~提灯がきれいですね.ここは二見興玉神社と道路を挟んで陸側にある,駐車場付きお土産店モール.お伊勢さん名物赤福などが販売されている.

ここも結構参拝客が多いのですね.


伊勢神宮について

頂いたお伊勢参りのパンフレットによれば,伊勢神宮の正式名は「神宮」で伊勢は付かないのだそうだ.ただ神宮だけだと,巷にxx神宮というのは数知れず,一般の人に判り難いので通称として使われているのだそうだ.天皇家祖先直系の神宮だからという.驚きました.中国で単に「河」と言えば黄河,「江」は揚子江のことを指し,その他いっぱいある河や江はxx河,xx江と必ずフルネームで呼ぶのと同じですね.

伊勢神宮は天照大御神(天照坐皇大御神)を祀る内宮(ないくう,皇大神宮)と,衣食住の守り神である豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀る外宮(げくう,豊受大神宮)の二つの正宮がある.

内宮,外宮それぞれのエリアには別宮(べつぐう),摂社(せっしゃ),末社(まっしゃ),所管社と称されるいろいろな社も設けられている.

また参拝の作法としては,外宮,内宮の順で巡るのが正しいそうだ.私達もそれに従った.

伊勢神宮外宮(げくう)

伊勢神宮外宮の表参道火除橋

外宮の表参道火除橋

作法に従い外宮表参道から入り,火除橋(ひよけばし)を渡った.外宮では左側通行ということで,内宮とは反対側である.何でも次に通る手水舎が左側に位置しているからだとか....なお,外宮の火除橋はもう一箇所奥に架けられている.

江戸時代までは民家が境内まで迫っており,また場合によっては境内にも小さな露店が開店し,もし火災が起こった時,社への延焼を食い止めるための防火橋の役目も担っていたそうだ.

橋の先には一の鳥居が見えている.やはり上のバー2本は直線で,シンプルなデザインだ.


伊勢神宮外宮の清盛楠

清盛楠

平清盛(1118~1181年)が勅使としてここを通ったとき,この楠の枝が冠に触れたため,いえ~っ邪魔だ,と言って切らせたという言い伝えがあるそうだ.なお清盛は勅使として3度神宮を訪れているそうだ.

現在は老木となり,幹が割れ枝は垂れているが,ミレニアムの昔も既に垂れていたのですね.


伊勢神宮外宮の神楽殿

外宮の神楽殿

パンフレットのマップに神楽殿と記されている.ただこの建物は複雑で,真ん中の凹んだ部分が神楽殿で,左右の建物は,お祓いの受付やお守りの授与など行っているので一般的には社務所のような感じだが.....伊勢神宮ではこうした業務全てを含めて行う社が神楽殿ということのようだ.

神宮のオフィシャルサイトを見ると,外宮の御祈祷は「御饌」も「御神楽」も同じ御殿で取り扱う,と載ってました.

また神宮には昔から「おみくじ」はないそうだ.おみくじは日ごろからお参りできる身近な神社で引くもので,天下の神宮で扱う代物ではないということのようだ.


伊勢神宮外宮の三ツ石

三ツ石

通りにある三個の石を重ねた石積み.この前では御装束神宝や奉仕員を祓い清める式年遷宮の川原大祓が行われるそうだ.パワースポット云々とか言って手をかざしたりするのは,祭典に用いる場所だけに甚だまずいそうだ.


伊勢神宮外宮正宮(しょうぐう)前の通り

外宮正宮(しょうぐう)前の通り

外宮正宮前に来た.檜の大木が茂り,社の周囲は木板で囲まれている.とてもすが清々しい場所に感じられる.


外宮の正宮(しょうぐう)

外宮の正宮(しょうぐう)

鳥居前になった.あまり近寄ってはならないのでこの辺りで撮影する.

外宮の正宮は上述したが,豊受大神宮(とようけだいじんぐう)とも称し,豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祀りしているという.豊受大御神は天照大神と同じように女神で,内宮の天照大御神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)であり,衣食住,産業の守り神としても崇敬されているそうだ.豊受大神宮の「受」は穀物など食物のことだそうだ.

外宮の正宮の建築様式は神明造と呼ばれ,切妻,平入(妻と直角で棟と並行する側に入り口あり)の高床式の穀倉の形式から宮殿形式に発展したものとされるそうだ.構造材は檜で,茅葺き屋根,掘っ立て柱で,殆ど直線で構成され,シンプルイズベストの伝統が貫かれているようだ.よく弥生遺跡の住居など(想像)復元されるが,神明造をぐっと簡素にしたもののように感じられる.

なお正宮は20年毎に建て替えられる(式年遷宮というようだ).既に1300年繰り返され,常に瑞々しいご社殿が維持されるとのことだ


伊勢神宮外宮正宮の屋根

正宮の屋根

板塀の上に出た屋根を見てみる.一般の建築にはなく,社特有の部材,一つは両破風の上にあるX形の突起,千木(ちぎ)であろう.それと屋根頂きの棟木(むなぎ)に直交し,八木宇田アンテナ導波器のように並んだ水平部材だ.鰹木(かつおぎ)と呼ばれるそうだ.

この2要素が神社らしさを物語っているように見える.もしなかったら昔話の民家や弥生遺跡想像復元家屋と変わりなかろう.

ちなみにここ外宮正殿の鰹木は9本(奇数),内宮正殿の鰹木は10本(偶数)ということだ.なぜでしょうか?


伊勢神宮外宮の土宮(つちのみや)

土宮(つちのみや)

大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)を祀り,古くから地方の鎮守の神だったが,外宮ができて以来宮域の地主神,宮川堤防の守護神とされ,平安末期に別宮に昇格したそうだ.

なお唯一正面が東向きの別宮という.またこうした別宮も本宮に引き続いて20年毎の式年遷宮が行われるという.


伊勢神宮外宮多賀宮(たかのみや)

多賀宮(たかのみや)

階段の上にある外宮第⼀の別宮で,豊受⼤御神の「荒御魂」(または荒魂)をお祀りする,ということだ.

では荒御魂とは?神の荒々しい側面,荒ぶる魂で,勇猛果断な局面に関して用いられるようだ.逆に神の優しく平和的な側面では和魂と称され,仁愛謙遜などを表すそうだ.


伊勢神宮外宮亀石

亀石

正宮前の池にかかる一枚岩の橋.岩の端面から上面広くにかけて亀の形に見える.少し見方を練習しないと亀には見えてこない.下手な写真ではさらに難しい.この写真,端面の顔がいくらかそれらしいかな....

この橋の先に土宮や多賀宮が位置している.


伊勢神宮外宮の御厩(みうまや)

外宮の御厩(みうまや)

御厩は皇室から献上された神馬が2頭いる馬小屋という.ただ毎月3回ほど,所定時間ここに来て,正宮にお参りするようだ.ということで,普段は外で飼育されているのだ.なお内宮にも神馬2頭の御厩があるという.


外宮の火除橋(駐車場口)

外宮の火除橋(駐車場口)

外宮にある上とは異なるもう一つの火除橋.ここではやはり左側通行との立て札が架かっていた.なお真ん中は神様の道なので絶対通ってはいけないのは他所と同様だ.

この辺りは人も疎らで黄葉が綺麗だ.


伊勢神宮の街

伊勢神宮の内宮前広場

内宮前広場

内宮前には広場があり,大通りが繋がり,路線バスや観光バスの乗り場/駐車場などが整備されている.

参拝者,観光客が多いので,どんどんバスが発着しとても活気がある.ただ渋谷のスクランブル交差点とかに比べれば全然疎らで,殆ど心配ないレベルだ.


勢乃國屋さん

勢乃國屋さん

このお店でランチを頂くことになった(なっていた).一階がお土産ショップで,二階(それと三階もかな)がレストランになっている.いかにも大観光地レストランの造りだ.

一階通りに面して伊勢うどんの見本がディスプレイされている.私はほんの僅かにも知らなかったが勢乃國屋さんに限らず,伊勢うどんは伊勢神宮名物なのだそうですね.


伊勢うどんのランチ

伊勢うどんのランチ

汁の少ない伊勢うどんに,マグロの漬けのちらし寿司,いや丼かな,のランチ.言わばラーメンライスと同じ範疇の食べ物に分類されよう.お腹いっぱいになり普通に美味しかったと思う.

そう言えば以前讃岐国で讃岐うどん+ご飯(さらに天ぷら等もあり)というランチを食べたことがあったな~


おはらい町おかげ横丁

おはらい町おかげ横丁

内宮前広場から引くとおかげ横丁に入る.レストランからお土産店が所狭しと並んでいる.路地にもびっしりだ.時代風造りなどなかなか工夫を凝らしている.赤福本店とかもあったと思う.


伊勢神宮内宮(ないくう)

宇治橋を渡る

宇治橋を渡る

午前は外宮を参拝したので,食後は内宮(ないくう)を巡る.最初この宇治橋を渡る.宇治橋は檜造りで長さ101.8m,巾8.42mで,五十鈴川に掛かっている.

俗界と聖界との掛け橋で,この橋を渡るとそこは神域ということだ.

手前の大鳥居は7.44mの高さがあり,上の横棒(笠石)は真っ直ぐで反りがない.また笠石下の横棒(貫)は柱から外に出ず,さらに額などなく至ってシンプルなデザインだ.こうしたデザインは神明鳥居と呼ばれるようだ.一方,一般的によく見られる横棒(笠石や笠木)が反ったタイプは明神鳥居と呼ばれるようだ.それにしてもよく似た,つまり紛らわしい名にしたものですね.

2016年伊勢志摩サミットでは,各国首脳もこの橋を渡ったそうだ.


五十鈴川と木除杭(きよけぐい)

五十鈴川と木除杭(きよけぐい)

柱は木除杭というそうだ.五十鈴川の増水や氾濫の際に,上流から流れてくる流木が宇治橋の橋脚に当たりダメージを与えるのを防ぎ,橋を守る機能という.木除杭の間隔は結構あるので,仮にぶつかれば被害の大きいでかい流木を止めるのであろう.つまりハイパスフィルターというわけだ.

天辺木端面の小さな切妻屋根雨避けが可愛らしい.


五十鈴川御手洗場(みたらしば)

五十鈴川御手洗場(みたらしば)

五十鈴川の畔にある御手洗場だ.古くから参拝者がお清めを行っていた場所で,今ももちろんその目的に使われている.私達はちょいと手を浸した程度だが.

こうした参拝に先立ち清めるのは,イスラムの礼拝などでもお馴染みで,祈る前の普遍的な考え方なのでしょうか.


内宮神楽殿と社務所?

神楽殿と社務所?

ここも外宮神楽殿と同じで,外側は一見社務所的趣だ.造りは正宮などの直線的シンプルな神明造ではなく,他所でよく見る,反った銅板屋根葺き,金や黒の装飾が施された世の中一般の神社建築だ.

通りに面した回廊では祈祷受付や,御札配布を行っている.


内宮の神楽殿

内宮の神楽殿

こちらは上記大きな建物の庭の中に配置されている神楽殿.神宮の祈祷には「御饌(みけ)」と「御神楽(おかぐら)」という2つの形があり,「御饌」はお祓い後,御神前に神饌(しんせん)をお供えし,祝詞を奏上し,参拝者の真心とお願いごとを大御神にお届けするということだ.

この「御饌」に加えて、雅楽の調べと共に雅な舞を奉納するご祈祷が「御神楽」で,より本格的になるわけだ.

この社は神楽殿の表札がかかっているので,御神楽まで奉納できるのでしょう.


伊勢神宮内宮正宮まで100m

正宮まで100m

正宮まで100mの道標があった.広い通りに樹木が茂り,気持ちのいい参道だ.


伊勢神宮内宮(ないくう)正宮(しょうぐう)

内宮正宮(しょうぐう)

正宮(正式には皇大神宮こうたいじんぐう)に到着した.皇室の祖先神である「天照大御神」をお祀りする神宮だ.

今から2000年前,皇位のしるしとして受け継がれる三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)をご神体として伊勢の地にお祀りし,国家の守護神として崇められたという.そして平安末期より全国に広がるに至ったという.

内宮正宮の造りは上述の外宮正宮の造りとほぼ同一で,鰹木の数が内宮10本,外宮9本の違い程度でよく似ているそうだ.


伊勢神宮内宮の外幣殿(げへいでん)

外幣殿(げへいでん)

かつて天皇以外の人から奉られた幣帛(へいはく:神前の供物で神饌(みけ)以外のものの総称)を納めた建物.神饌は神様に献上するお食事のことだというから,食べ物以外全部ということになろう.

高床式でいかにも穀物倉庫のような雰囲気だが,これは食べ物の素材なので,ここに収納されたのでしょうか.


伊勢神宮内宮荒祭宮(あらまつりのみや)

荒祭宮(あらまつりのみや)

内宮別宮の一つで,主祭神が天照大神荒魂ということだ.照大御神の荒々しく格別に顕著なご神威を表される御魂の働きを「荒御魂」と称えるという.

別宮の中でも一番高い格にあり,大祭,式年遷宮も古くから正宮に準じて執り行われているそうだ.

主祭神天照大神が荒御魂(あらみたま),和御魂(にぎみたま)両面持ち合わせていることが興味深い.ヒンドゥー最高神シヴァが破壊と創造両極端な二面を持ち合わせているのと少し似ていようか.


伊勢神宮内宮御饌殿

御饌殿

御饌殿の表札がかかっている.ここでは上述のように,お祓い後,御神前に神饌(みけ)をお供えし,祝詞を捧げ,参拝者のお願いごとを大御神にお届けするということだ.

軒先に薦被りの酒樽がいっぱい積まれている.これも当然神饌(みけ)なのでしょうね.


内宮の風日祈宮

風日祈宮(かざひのみのみや)

内宮の別宮で,伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の御子神で,風を司る神である級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと)を祀るそうだ.

1274年と1281年の元寇襲来時,神風を起こしたという功績で別宮に加わったという.そうなんだ~,よく神風と聞いていたが,級長津彦命と級長戸辺命のニ神だったのですね.


三重県産清酒奉納

三重県産清酒奉納

出口近くに薦被りが並んでいた.三重県にもたくさんの清酒ブランドがあるのですね.

これも神饌なのかな?


名古屋経由帰宅

三重路を北上

三重路を北上

お伊瀬参りを済ませ,バスで名古屋に向かった.冬なのに畑は青々としている.雪が少ない土地柄なのでしょうか.


雪山が見える

雪山が見える

そのうち雪山が見えてきた.三重県と滋賀県の県境辺りになるのでしょうか.


名古屋駅に到着

名古屋駅に到着

バスは順調に進み名古屋駅に到着した.順調過ぎて待ち時間が長くなりそうだ.

7日間通して運転していただいたKさん,ありがとうございました.


名古屋駅からJRで帰宅

名古屋駅からJRで帰宅

名古屋駅からはJRのぞみ242号に乗り,新横浜で降りた.添乗Yさん,みなさんどうもお世話になりました.楽しかった,おしまい.