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千枚田めぐり

この千枚田めぐり編では,2020年12月14日那智勝浦温泉で二日目の朝を迎え,朝食後バスで丸山千枚田に行き,歩く.次に赤木城跡を訪ね,勝浦に戻り町を歩いてみる.そしてホテルに帰り,山頂の狼煙山遊園を歩き,お風呂と夕食でこの日を終えたときの写真を載せました.

千枚田付近のGoogleマップ

 

この日は丸山千枚田14,赤木城跡15を訪ねる.

那智勝浦温泉の朝

ホテル浦島で朝食

ホテル浦島で朝食

12月14日ホテル浦島に朝が来た.7階の部屋から2階のレストランに降りる.この日は月曜日とあってか,前日より大分空いている.

写真を見ると,バナナヨーグルト,トマト,丸パン,野菜サラダ,コーヒー...のようだ.前日朝の蕎麦より無難だったと思う.


カメ号で対岸に渡る

カメ号で対岸に渡る

さて今日は丸山千枚田に行く日だ.本館玄関口はそのまま送迎船乗り場になっており,次の出航は2艘のうちの一つカメ号だ(も一つはクジラ号).浦島とカメは元より縁が深い,クジラとも何かあったかな....?


ホテル浦島玄関の神社

ホテル浦島玄関の神社

送迎船乗り場の列で,右を向くと神社が見える.どの神様を祀っているのかとか,全く不明だが,いかにも熊野那智エリアのホテルならでは,といった印象だ.

なお,今日ホテルに戻ったら,この半島の頂上にある遊園を回ってみるつもりだが,そこにはもっと大きな神社があり驚くことになる.


漁網を補修中の漁師さん

漁網を補修中の漁師さん

カメ号は短時間で対岸の桟橋に着いた.そこからバスパーキングに向かい歩くと,途中漁師さんが漁網を補修中だった.

和歌山県で漁獲量の多いのは鯖,いわし,マグロなどで,全国平均比で多いのは,たちうお,ちだい/きだい,むろあじ類,いさき,いせえびなどだそうだ.もちろんそれと,何かと話題になるクジラの太地町は那智勝浦町の隣町で,このホテルのすぐ南に位置している.別の日,橋杭岩に行く際,寄りはしなかったが太地町を通過した,


丸山千枚田

山道に入る

山道に入る

丸山千枚田に向け,バスは当初42号線を北上し,途中左に折れ,山道に入った.しばらく緑の多い眺めのいい通りが続いた.


細いイロハ道になる

細いイロハ道になる

しばらく走ると,道は細くなり,カーブの多いイロハ道になった.バスのすれ違いはもちろんできないだろう(バスは来なかった)が,軽自動車でもすれ違いができない.ドライバKさんはかなり大変そうだ.

幸い交通量はそれ程多くない.しかし何度か対向車が現れ,その度にどちらかの車が少し幅のある場所までバックして切り抜けた.Kさん朝からご苦労さまでした(実際後で大変だったと言っておられた).


丸山千枚田に到着

丸山千枚田に到着

無事丸山千枚田に到着した.熊野市の丸山地区になるようだ.眺めると確かに傾斜地に無数の田んぼ(棚田)が形成されている.実際数えたら1000枚どころか,1340枚あるそうだ.

棚田の開発は古くから進められたそうで,1601年(慶長6年)には既に2240枚の田があった記録が残るそうだ.ただ昭和40年代半ばから始まった稲作転換対策で杉の植林や,過疎,高齢化による耕作放棄地の増加で平成初期には530枚までに減少したという.

しかし平成5年,丸山地区住民による丸山千枚田保存会が結成され,丸山千枚田の復元と保全活動が始められた.そして保存会結成後4年間で810枚の田の復元に成功し,合わせて1340枚まで回復したということだ.


イノシシや鹿対策

イノシシや鹿対策

丸山千枚田保存会の努力で大幅に回復されたが,近年は他県同様イノシシや鹿が多く出現し,大きな被害を被っているそうだ.

写真をクリックで拡大し.些細に眺めると5本のワイヤが横に通っている.電圧は不明だが通電されており,イノシシと鹿を退却させるそうだ.人は触れないよう注意しなくては.


耕された棚田

耕された棚田

棚田は全て水田で,作物は稲のようだ.収穫はとっくに終え,来春の作付けに備え,耕されている.ある程度広い田んぼは小型耕運機で耕せるようだ.

右上に大岩が見えるので,これをご神体とする神社があるかな~と側に行ってみたが,神社はなかった.その代わり(かどうかは別にして)棚田の上部に小さめの社はあった.やはり和歌山だと思う.


ローマ劇場のような棚田

ローマ劇場のような棚田

すり鉢状の地形に円弧状の棚田が作られている.ちょうど古代ローマの劇場のようだ.棚田が観客席で,電柱向こうの一軒家がステージ若しくはオーケストラの場所になろう,

刈り入れを済ませた頃,ここで野外コンサートを開催すれば受けるかも.


畦より狭い田んぼ

畦より狭い田んぼ

普通田んぼの畦は狭いが,ここは畦より田んぼが狭い.土地が急峻なので,畦を狭めると上方からの土圧に耐えられないのであろう.でもそのような地形においても諦めないで,造り上げた皆さんには頭が下がる.


も一度見渡す

も一度見渡す

私達は棚田に降りて歩き,北へ進んだ.そして抜けるときまた振り返ってみた.ほんと地形に合わせて田んぼの区切り方や大きさを変えている.この中には日本一小さな田んぼというのもあって,その脇に立っても,足元にちょっとあるだけで見逃すほど見事に狭い.

なお水田なので給水が大切だが,基本的には斜面上部農家の住宅がある辺りから供給されるようだ.


赤木城跡

赤木城跡に至る

赤木城跡に至る

丸山千枚田を後に,バスで赤木城跡に進んだ.駐車広場には赤木城跡について記されていた,ただ写真では文字が小さくて読めないので,他から探してみよう.

赤木城は1588年頃,付近の北山一揆を取締るために豊臣秀長の家臣で,また築城の名手と評価された藤堂高虎(1556~1603年)が建てたという山城だ.城跡は良好な姿で残されており,近代城郭のモデルとされるようだ.


赤木城の構造

赤木城の構造

赤木城は高さ約30mの丘陵に築かれた総石垣造りの城で,最高所にある主郭(写真で上部)を中心に東西南北に石垣で仕切られtた曲輪が設けられている.主郭の背後(北,写真で上部石垣の背後の北郭など,である.

また主郭の南東隅に出枡形と内枡形を組み合わせた二重枡形虎口(狭い出入り口)が設けられている.曲りくねり,狭い場所を通る敵方が攻め入る際,石垣上部から矢を射るためだ.


赤木城主郭跡

赤木城主郭跡

今は待ち構える兵が居ないので,高さ約30mの丘にはあっという間に到達する.まあ,城の規模としては小さいと思う.地侍を中心とした一揆対策であるので,それほど多くの兵力を必要としなかったのであろうか.

なお北山一揆は,太閤検地や厳しい年貢の取り立てに対し,地元の豪族や農民,地侍達が二度に渡り起こした一揆という.一回目の一揆に失敗した363人もの一揆勢は田平子峠(北山の刑場跡で,県道765号線沿いにあるそうだ)で斬首された記録もあるようだ.

なお桜の木が多く植えられており,春先には花見客で賑わうそうだ.ちょっと見,木はさして大きくないが,花は見事ということだ.


赤木城から眺めた景観

赤木城から眺めた景観

赤木城は山城で,周囲を監視しやすいロケーションに建てられているので,見晴らしが利く.棚田(若しくは段々畑)も見えるが,丸山千枚田と比べて区画の区切りが直線的で,また一枚の面積も広いようだ.


勝浦の町

海岸沿い街道を下る

海岸沿い街道を下る

赤木城跡を見て山道,ただし丸山千枚田と異なる西側の道を通り,海岸沿い街道に出た.街道からは太平洋を望む砂浜に,ヤシの木が映えるエリアが見える.南の国のリゾートビーチのようだ.


勝浦のアーケード商店街

勝浦のアーケード商店街

アーケードもあるし,車道も幅があるこの辺りが勝浦の主要商店街であろう.各種商店に飲食店が並んでいる.ただシャッターを閉じたお店も目立ち,人通りは少なく寂しい.外出自粛の現れもあろうし,感染対策には好ましい.


勝浦の横丁商店街

勝浦の横丁商店街

横丁に入ると道幅は狭くなる.ここもまた閉じた店舗が多い.

ちょうど昼時で,お蕎麦屋さんがないかな~と眺めながら歩いたが,見つからず,代わりにラーメン屋さんがあった.まあ,同じように細長いものだしラーメンを食べた(味は全く異なるに拘らず).


JR紀伊勝浦駅

JR紀伊勝浦駅

アーケード街を抜けるとJR紀伊勝浦駅があった.JR西日本紀勢本線(きせい本線)の駅だ.1日の平均乗車人員はどんどん減り,最近は400人に満たないそうで,結構寂しい駅のようだ.

紀勢本線は,三重県亀山駅から和歌山県新宮駅を経て,和歌山市駅に至る幹線という.亀山駅と新宮駅間はJR東海,新宮駅と和歌山市駅間はJR西日本の管轄だそうだ.この紀伊勝浦駅を含む後者JR西日本区間には「きのくに線」という愛称が付いており,DC電化されているそうだ.またこの辺りは単線だが,少し先の紀伊田辺以降は複線化されているという.


狼煙山遊園

送迎車でホテルに送ってもらう

送迎車でホテルに送ってもらう

勝浦の町を散歩し,さてホテルに戻ろうかと送迎船(カメかクジラ)の桟橋に行った.桟橋からはホテル浦島がきれいに望めた.戻ったら右側の山(狼煙山半島)の頂上にあるという「狼煙山遊園」を歩くつもりだ.

そして桟橋でホテル浦島の乗船担当員に訊くと,次の便は3時ということだ.アジャーしばらく待つしかあるまい....と思ったが,「車を呼びましょうか」と言ってくれた.そしてそれを待つ間に二人の人も加わって,一緒にホテルに帰った.着いた場所は地下駐車場だった.


狼煙山遊園に上り対岸を見る

狼煙山遊園に上り対岸を見る

ホテル浦島に戻り,早速エレベータで山上館32階に上り,屋外に出る.出るとそこは狼煙山遊園の始まりで,展望テラスから湾の対岸,先程送迎車に乗せてもらった辺りを見る.対岸は狭い平地に建物が集中し,混み合っている.典型的な海岸沿いの町や村の様相だと思う.


浦島稲成神社

浦島稲成神社

遊歩道を進むと浦島稲成神社があった.上述のように本館入り口にも神社があるし,さらに他にあるそうだが,この浦島稲成神社は一企業の神社にしては随分大きい.やはり熊野那智地方ならではですね.


禰豆子風きつね

禰豆子風きつね

浦島稲成神社拝殿前には鬼滅の刃禰豆子風のきつねが鎮座していた.禰豆子が咥えているのは竹だが,このきつねの口にあるのは何だろう?

ググってみたら,お稲荷さん一般でいうと,玉(宝珠)=霊の力,鍵=霊力を引出すカギ,巻物=神様からのお言葉や知恵,稲穂=富....などいろいろあるようだ.

ここでは細い円筒状なので,巻物であろうか.


狼煙山遊園の遊歩道は続く

遊歩道は続く

遊歩道は南に向かって続いた.色々な木々が茂り,また歩いている人は殆ど皆無なので爽やかな園だ.花の季節はほぼ終えたのであまり見ないが,それでもリンドウが少し咲いていた.

そして作詞家西條八十氏がホテルに泊まった縁に因むというカナリアの碑が立てられていた.

また途中通行止めになっていたが,明治19年,勝浦沖で英国貨物船ノルマントン号沈没の碑もあった.このときイギリス人は助かったが,日本人乗客(クルー?)は全員溺死したそうで,日本に不平等条約改正の必要性を強く感じさせた歴史的大事件だったという.


先は鶴島であろうか

先は鶴島であろうか

狼煙山遊園の突端まで行ってみた.突端は断崖の上で,柵が巡らされ,真下は見えない(柵がなくても怖くて覗けない).そして写真のように遊園のある半島が高さを減じながらもそのまま続いているように見える.マップを見てもそうかも知れない.或いは鶴島であろうか?


山上館の長~いエスカレータ

山上館の長~いエスカレータ

遊歩道を引き返し,山上館に戻った.行きはエレベータを使ったが,帰りは154m「スペースウォーカー」と名付けられたエスカレータにしてみよう.全行程一本ではなく,確か4つくらいに分割されている.

永田町駅など地下鉄には長いエスカレータが多いが,ここはそれらを遥かに凌ぐようだ.わたしの体験では湖南省天門山のエスカレータに次ぐくらいだと思う.


お風呂と夕食

この日の夕食

この日の夕食

スペースウォークを楽しんだ後,日昇館7階の部屋に戻り落ち着く.そしてまたもや洞窟温泉,初日と同じ玄武洞に行ってみる.空いているし結構だ.

お風呂の後は夕食だ.にぎりにマグロ刺し身,シウマイ,うなぎと焼き鯖少々,それに寄せ鍋かなにか....結構食べました.