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紀伊半島東海岸

この紀伊半島東海岸編では,2020年12月12日名古屋からバスで南下し,鬼ヶ城(おにがじょう)を歩き,花の窟神社(はなのいわやじんじゃ),熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)それぞれ参拝し,那智勝浦温泉ホテル浦島に至りチェックインしたときの写真を載せました.

名古屋~那智勝浦温泉付近のGoogleマップ

 

名古屋駅2から,鬼ヶ城3,花の窟神社4,熊野速玉大社5を経て,那智勝浦温泉6に向かう.

名古屋から南下

木曽川を越え三重県に入る

木曽川を越え三重県に入る

バスで名古屋をスタートし,高速に入る.そして少し行くとグリーンの鉄橋を通過する.橋には三重県の標識が見えるのでここから同県のようだ.

上のgoogleマップを拡大して見ると,川は木曽川のようであるが,すぐ先には長良川が流れているようだ.この2つの川は,少し上流で交わっているようでもあり,微妙に離れているように見えて,言わば付かず離れずの仲にある川たちか.


SAでラーメン

SAでラーメン

そのうちSAがあり,ランチで停車.すぐできそうな亀山ラーメン店に入る.亀山と聞くと,かつてシャープ亀山工場特製,と誇った液晶テレビくらいしか知らなかったが,ラーメンもあったのか.またのぼり旗にはご当地ラーメングランプリ受賞と誇らしげな一文も添えられている.

台湾のグローバル企業に買収された亀山液晶に比べたら細やかに見えるが,ラーメン業界でグランプリはやはりすごい....かな.そしてお味のほどは,ま普通に美味しいのでは.


バスが消防車のように真っ赤ですぐ判る

バスが消防車のように真っ赤ですぐ判る

私達の乗るKさんのバスは,まるで消防車のように真っ赤で,遠くからでもすぐ判り,大変よろしい.真っ赤は消防車以外あまり見ないが,別に規制や意匠登録とかはないのでしょうね.

ついでに真っ白な大型バイクとかはどうなんだ.....


内部はシート前後間にシールドあり

コロナ対策シールドあり

外観は真っ赤だが,内装はごく一般的な配色だ.ただコロナ対策で,シート前後間に透明シールドが設けられている.そして座るのは窓側のシートのみで,通路側は空けてある.

また日毎のシートローテーションはやらず,最初(今座っているとこ)から最終日まで同じ場所に座るそうだ.今回添乗Yさんの方針か,旅行会社の方針か?多分後者でしょうか.


山間の住宅が見える

山間の住宅が見える

大分走った.全般にトンネルが多く,従って山間部を多く通過する.こうした山間部は樹木の茂る山が美しく,山々の間の谷部に農地が形成され,住宅が建てられている.農地は段々畑や棚田も多そうだ.


志摩半島を抜け紀伊半島東海岸沿いに

志摩半島を抜け紀伊半島東海岸沿いに

バスは志摩半島を抜け,街道脇に大洋を望むようになった.紀伊半島東海岸沿いになったようだ.

実にきれいな太平洋の間際まで山が迫り,その僅かな平地に住宅群が展開されている.


鬼ヶ城(おにがじょう)

那智黒石製伝説の鬼「多娥丸」像

那智黒石製伝説の鬼「多娥丸」像

さて最初の目的地鬼ヶ城に到着した.駐車場脇には那智黒石製という伝説の鬼「多娥丸(たがまる)」像が据えられていた.

桓武天皇(737~806年)の時代,この地の岩窟をベースに周辺を荒らし回る「多娥丸」と称される海賊がおったそうな.そして坂上田村麻呂(751~811年)が桓武天皇の命を受け,征伐したという.多娥丸の写真や肖像画が残っているわけではないので,最近のアーチストが色々考えてクリエイトした作品でしょう.

全く偶然だが,この年始めにアジスアベバのカフェで見かけたトモカコーヒー店のロゴに似ているようでちょっと驚いた.

また那智黒石は熊野市の一部で産する粘板岩の一種で,この後私達も訪れる熊野古道エリアで,その原石や碁石(黒)や硯,花器.....など見ることになる.


鬼ヶ城歩道

鬼ヶ城歩道

鬼ヶ城は熊野灘に面した凹凸の激しい連続した岸壁だ.隆起と,風化,波の侵食でこのような形になったそうだ.とても迫力がある.

岸壁には階段と手摺の付いたトレイルが設けられ,およそ1km続くようだ.自然のトンネルも通過する.

最初「千畳敷」という広い台地状平面からスタートし,添乗Yさんの進んだ「鬼の見張り場」まで行き,折り返した.終わりの神社まで行き戻った人もいた.


熊野灘

熊野灘

熊野灘は和歌山県の潮岬から三重県大王崎にかけての海域を指すのだそうで,改めて眺めるときれいな海だ.海面下の岩も侵食されやすさに差があるようで,大きく抉られたところと,残るところの差は大きい.魚の棲み家には良さそうだ.

ところで「灘」の漢字は「難」にさんずいなので,文字通り「風浪が激しく航行が困難な海域」ということだ.その風浪の激しさがこの景観を作ったということでしょうね.


舞茸のような岩

舞茸のような岩

カールした岩が舞茸のようにオーバーラップしながら連なっている.手前側岩の背後に,風化や侵食に弱い層が噴出堆積していたためなのでしょうか....

岩は一見泥のような色なので,柔らかいのかな~と触ってみると,そうではなかった.


鬼ヶ城崖下で釣りの人

崖下で釣りの人

手すり付きトレイルの崖下(写真中央部)には二人の釣り人が見える.この釣り場までどのようにして行ったのでしょうか? 多分,このトレイルから急峻な岩を下ったのではなかろうかと,云うのが大方の見方だった.多分そうでしょうね.いや~釣り師はすごいですね~

なお鬼ヶ城はユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(文化遺産)の一部として登録されているそうだ.


花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)

花の窟神社に到着

花の窟神社に到着

花の窟神社に到着した.大鳥居があるというのではないが,日本最古の神社として知られるという.脇には大きな名の彫られた石柱が立てられている.なお前記鬼ヶ城同様『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部でもあるそうだ.

『日本書紀』によれば,神々の母である伊弉冊尊(いざなみのみこと)が火の神軻遇突智尊(かぐつちのみこと)を出産時,焼かれて死亡した(故意ではないが火の神故に).また神軻遇突智尊は,これに怒った父神伊弉諾尊(いざなぎのみこと)に斬り殺されたという.亡くなった二人の神の御陵として祀ったのがこの花の窟神社ということだ.しかして日本最古の神社とされるそうだ.

それにしても伊弉冊尊は,端から親殺しをするような理不尽な子供を産んだのでしょうね.....尤も伊弉冊尊は生前船の神,農作や養蚕の女神を産み,軻遇突智尊を分娩後も死してなお金属の神,粘土の神,水の女神を産んだということだ.時空を超越し....やはり神様ですね.


花の窟神社参道

花の窟神社参道

花の窟神社参道にはのぼり旗が立てられ,多くはない参拝者が往来する.地方の有名ではない大きめの鎮守様の趣に似ている.


花の窟神社は稲荷大明神も祀る

稲荷大明神も祀る

途中稲荷大明神を祀る社への分岐があった.日本最古を誇りながらも他の大神社同様,稲荷大明神も受け入れているわけだ.こうした神社や,日本仏教寺院の懐の深さというか腹太さというか....難しいが考えてみよう.


花の窟神社祭壇

花の窟神社祭壇

花の窟神社一番奥に到着した.ここに祭壇(言わば本殿および拝殿に相当しよう)があった.背後に深くなくミフラーブのような岩窟があり,作りは至って質素で,柵で囲った内側に石を敷き詰め,数本の杭に渡した綱から幾つかのあやとりはしご状のもの(名称不明)を垂らしている.

また花の窟神社の名の如く,細やかながらしっかりと花が生けられている.

ただ背後に白っぽい巨大岩が聳え,これこそがご神体であるそうだ.

また祭壇の手前には社務所が建てられている.


これが花の窟神社御神体

これが花の窟神社御神体

祭壇から引いて撮ったこれが花の窟神社御神体.巨大だ.

年2回の例大祭では,神々に舞を奉納し,長さ170mの大綱を岩窟上45mの高さの御神体岩から境内南隅の松の御神木(写真で左上の木だったか)に渡すそうだ.こうした綱掛けは「御綱掛け神事」と呼ばれ,全国津々浦々,例えば夫婦岩,夫婦杉....といったところに綱を掛ける習わしの走りとなったようだ.


熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)

熊野灘の防砂林

熊野灘の防砂林

花の窟神社の後,熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)に向かった.殆ど太平洋沿いを通るのだが,上述の熊野灘沿いと言っても語弊はないかも知れない....かな.でも「灘」と言うには今このときに限ればあまりにも穏やかだ.でも「灘」らしいときもきっとあるのであろう,道脇には防風林らしきが育てられている.関東などでは防風林,防砂林には松などが多い気がするが,ここではも少し樹高は低いが葉の多い木々が密に植えられているようだ.なかなかきれいだ.


中洲のある浜辺

中洲のある浜辺

しばらく進むと中洲のある湖というか,湖先の浜辺というか....まあ,そういった砂浜が見えた.今の季節でこそ閑散としているが夏はきっと混み合うであろうかと思われる美しさだ.


熊野速玉大社御神木「ナギ(梛)の木」

熊野速玉大社御神木「ナギ(梛)の木」

バスは熊野速玉大社(はやたまたいしゃ)に着いた.私達は横の駐車場から先ず樹齢1000年といわれる御神木「ナギ(梛)の木」に案内された.御神木の常として大木であるが,ナギ(梛)の木という名を初めて耳にし,はて??と思った(今もここ以外聞いたことがない)

梛は常緑高木で,針葉樹でありながら広葉樹のような幅の広い葉(素人目には100%広葉樹だ)で,その葉は横には簡単に裂けるが,縦に千切ることが難しいそうだ.また葉の裏と表が同じように見えるようだ(青い葉が落ちてないため確認できず)そしてそのことにあやかり縁が切れないように,とか裏表のない夫婦生活が送れるように,とか願いが込められるようになったようだ.

また梛の発音がナギで,凪と同じことから,単純に平穏無事,漁の安全を願うシンボルでもあるそうだ.判りやすいですね.


熊野速玉大社の神門

熊野速玉大社の神門

熊野速玉大社は熊野本宮大社(12/16参拝予定),熊野那智大社(12/13参拝予定)とともに熊野三山を成す大社で,神倉神社のゴトビキ岩(12/13参拝予定)に降臨した熊野権現(=熊野三山に祀られる神)を勧進するため,景行天皇(71~130年)の時代に社殿を造営したとされるそうだ.

写真はその熊野速玉大社の神門で,大きなしめ縄が架けられている.朱塗りの柱や梁の骨組み,多分銅板の屋根葺,白い壁など,他の建物と共通にデザインされている.


熊野速玉大社上三殿

熊野速玉大社上三殿

神門をくぐった正面に見えるのがこの社で,家津御子大神(けつみこのおおかみ)を祀る証誠殿,天照大神(あまてらすおおかみ)を祀る若宮,高倉下命(たかくらじのみこと)を祀る神倉宮の相殿から成るようだ.


熊野速玉大社拝殿

熊野速玉大社拝殿

構造が複雑だが,第一殿(結宮)と第二殿(速玉宮)があり,主祭神の速玉大神(はやたまのおおかみ)と夫須美大神(むすびのおおかみ)の夫婦神が祀られている.この2神と上記家津御子大神(けつみこのおおかみ)がゴトビキ岩に降臨した熊野権現に相当するのでしょうか?.....理解できてない.

また神仏習合の時代以降,速玉大神は薬師如来,夫須美大神は千手観音に権現(≒化身)され,平安時代に祀る神々が追加され,12神となったそうだ.これまたとても難しくて理解できていないのだが.....

なお熊野神社の名の社は全国に数千もあるそうで,ここはその総本宮として崇敬を集めているという.


那智勝浦温泉

那智勝浦に到着

那智勝浦に到着

夕刻になり那智勝浦に到着した.今夜から3連泊する那智勝浦温泉ホテル浦島に行くため,そこに渡る専用送迎船の出る港だ.

ホテルは4棟あり,写真中央山の上および裾野に位置している.


ホテル浦島の専用送迎船

ホテル浦島の専用送迎船

ホテル浦島への専用送迎船2艘(この亀と,もひとつ別のデザイン)は専用桟橋に係留され,ここで乗り込み運んでくれる.運行時間外では車で社用駐車場まで送ってくれる(客だけの徒歩や車では通れない).


ホテル浦島日昇館の部屋

ホテル浦島日昇館の部屋

送迎船でホテル浦島に着き,チェックイン.私の部屋は日昇館にある12畳くらいの広い和室だった.窓際の部屋,前室も付いている.

3日間ここで過ごすので,移動がなく楽だ.


ホテル浦島の窓景色

ホテル浦島の窓景色

部屋の窓から眺めた景色だ.見えてる建物は隣の本館で,波の打ち寄せる海岸に建てられている.波の音も良く聞こえる.部屋のある日昇館や,多分なぎさ館でも同様で,建て増しされたのであろうか.その点,山上館は岩山の上に建ち,エレベータで32階,若しくは長いエスカレーターの先にレセプションがあり,少し異質だ.多分高級な部屋が揃っているのだと思われる.

さて波の打ち寄せる岸壁にはいくつか洞窟が見えるが,これらの中の2つは,温泉洞窟で,海を眺め,波音を聞きながら温泉に浸かることができる.

2つの洞窟温泉以外に普通の大浴場も3つほどあり,とにかく温泉が豊富なホテルだ.部屋にもバスタブがあったが,この機会を逃すと入れないと,洞窟や大浴場を試してみた.結構楽しい.


ホテル浦島のレストラン

ホテル浦島のレストラン

夜も朝も幾度かこの海の見えるレストランで食べた.大きなレストランだが,最初の日の晩は土曜日であったためかなり混み合っていた.週末は地元和歌山のお客さんが多いそうだ.


装った夕食

装った夕食

夜もバイキングで,装ったのがこれだ.味に関しては,まあ並みであろうか.

2,3日目は旅行社の配慮か,或いはレストランのサービスか,テーブルをリザーブし鍋物など特別料理を付加してくれた.


食事を終えるとこの日は玄武洞と名付けられた洞窟温泉に行ってみた.かなり大きな洞窟だ.あとで桟橋の担当者が話すに,洞窟は一部突起を削るなど手を加えたが自然のものだそうだ.お湯はそこに湧き出ているのか,他から引いているのか訊かなかったが,多分後者かな.

洞窟の海側開口部浴槽に入ると,海が間近に見えて,顔に潮風を受け,ザブーンザブーン聞こえるので趣がある.湯温の若干低いのが惜しまれる.