筏師の道ハイク
この筏師の道ハイク編では,2020年12月17日川湯温泉で朝を迎え,バスで和歌山,奈良,三重3県境界(田戸)へ行き,ここからハイク開始し,石畳の道,東野集落跡,立会川吊橋,小松茶屋跡を経由し,小松に着きハイク終了.以後紀和鉱山跡を訪ね,入鹿温泉瀞流荘でランチを頂き,トロッコ電車で湯ノ口温泉に行き,再びトロッコに乗り,バスで川湯温泉に戻り夕食を頂いたときの写真を載せました.
筏師の道ハイクのGoogleマップ
川湯温泉みどりや22,バスで田戸29,ここより歩き石畳の道30,東野集落跡31.立会川の吊り橋32,小松屋茶屋跡33,小松34(ハイク終わり),紀和鉱山選鉱場跡35,瀞流荘36,湯ノ口温泉37,川湯温泉みどりや22と巡った.
川湯温泉の朝
川湯温泉で朝食
12月17日川湯温泉に朝が来た.山水館みどりや(長い名だな~)レストランで朝食を頂く.
ロール2つに,ソーセージ,ミニトマトたくさん,ヨーグルトもたくさん,それにシラスも,まだあるが何かな....ごちそうさま.
ホールに集合
食後ホールに集合し,検温.もちOKだ.
さて今日は筏師の道を歩く.先ずはKさんのバスで,和歌山,奈良,三重3県境界点ある田戸まで行く.
3県境界(田戸)
バスは東へと進む
バスは途中曲がりながらも東へ東へと進んだ.やがて深い密林に包まれた山や流れは見えないながら深い谷のある地帯に入った.一旦山の密林に間違えて入ったらヘリやドローンでの捜索は困難であろう.
谷の上には長い橋も架かっている.長いスパンの橋梁だが2本の橋脚で支え美しい.
3県境界に到着
そのうち3県境界に到着した.見えてる峡谷が北山川(瀞峡)で,その上流側に位置するので上瀞と呼ばれるようだ.岸壁の間を氷河湖のようなエメラルド色の流れがうねる様子は素晴らしい.
上瀞の中心が県境で向こう側が三重県,こちら側が和歌山県と奈良県で,写真には写ってないがここで上瀞に流れ込み合流する蔦川が和歌山県と奈良県を分けているようだ.
3県境界の標識
バスの陰で(ということにしておこう)上手く写せなかったが,ちゃんとした案内標識があった.なおこの辺りの奈良県若しくは三重県は飛び地になっているそうだ.
3国国境ではブラジル,アルゼンチン,パラグアイ3国国境やベネズエラ,ブラジル,ガイアナ3国国境を訪ねたことがあるが,それなりに観光資源として活用している.三重県,和歌山県,奈良県境界は友好的境界であろうからもっと積極的に打ち出してもいいのでは.....
今日は村役場のオブザーバーも加わる
今日もガイドAさんの案内で歩く.その前に注意事項などレクチャーを受ける.それと村役場職員の女性が観光事業改善の参考にとオブザーバーとして加わるそうだ.関東育ちで大学も東京だったが,1,2年前(だったか)村の募集に応じ,採用されたそうだ.
ハイク開始
田部から歩き始める
この辺りは奈良県十津川村田部地区になるようで,私達はその田部から歩き始めた.ただ田部の名は添乗Yさんに頂いた行程表には載っているが,検索できないので俗称なのかも知れないですね(なお同県天理市にはあり)
最初は階段
階段から始まった.ハイカーは多くないのであろう,ステップには苔が付いている.でも手摺があるし歩きやすい.
石畳の道
石畳の道
石畳の道両側に鉄レールが敷設されている.この辺りで切り出された木材は近くの道までトロッコで運び降ろされたようだ.その後は陸路で或いは筏で北山川(瀞峡)を下ったのであろう.
この山一帯の林業は600年に渡り盛んで,明治の最盛期には,筏師の数は500人に上ったそうだ.筏師の多くの皆さんは筏で木材を下流に運び終えた後,しばらく平らな道を車や徒歩で遡り,終盤これから歩く「筏師の道」を辿り,帰宅したということだ.
一部雪が残る
トレイルの一部には雪が残っていた.今日新たに降らなければ無問題であろう.なおトレイルは斜面のトラバースが多いので,たくさん積もればもちろん大変だ.
東野集落跡
秋葉神社参道
トレイル脇に秋葉神社の道標があった.石階段の参道上に位置しているようだ.
秋葉神社
小型だが,しっかりと神社の形態で造られた社殿が建ち,その社全体を保護する建物で覆われていた.猿田彦命を祀る猿田彦神社ということだ.
猿田彦命は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に際し道案内をした,鼻が非常に高く,長身,だが恐ろしい顔つきの神という.日本書紀では衢(ちまた)の神とされ,中世には庚申信仰や道祖神と結びついたという.ハイキングトレイル上にあるので道案内をお願いするにぴったりであろう.
また社左側には刻まれた文字がはっきりしないが,鎮守大神と山之神のご神体のようだ.ちゃんとお賽銭入れも置かれている.
東野峠
勾配が少ないので峠らしくは見えないが,ここが東野峠との標識が出ていた.その場を示す標識はあまりないのでありがたい.
杉林を下る
東野峠からはしばし下りとなる.トレイルは杉林の斜面をトラバースする.杉は下枝が払われよく手入れされている.
東野集落の石碑か
何らかの石碑か,墓碑か....この近くに東野集落が存在したようだ.そして東野集落は主に林業や炭焼を生業としていたそうだ.
東野集落の畑跡
左側の少し平坦な土地は東野集落の畑跡ではなかったかということだ.あまり広さはないので作付け可能な野菜は限定されたであろう.
東野集落の住居跡
開けており,またドラム缶など生活用品が転がっているので,ここも東野集落の住居跡と見られるようだ.土地が限定されているので,住宅も分散されていたのでしょう.
住居構造の一部か
石垣は斜面にあり,擁壁として住居構造の一部を成していたのではなかろうかということだったかな?なかなかシビアな環境だったと思われる.
立会川吊橋
陽当りのいいトレイル
東野集落跡を過ぎるとしばし陽当りのいいトレイルとなる.気持ちがいい.
石垣で保護された道になる
トレイルが急な斜面にあり,崩れやすいので石垣で保護されている.かなり大掛かりな工事であったであろう.
木馬道(きんまみち)
石垣で保護された崖道は続く.勾配やカーブの厳しいこうした道は,硬い樫の木で作った梯子状の木馬(きんま)に,この辺りで切り出した木材を載せ,路面に敷設した盤木(丸太)の上を転がし,または滑らせて運んだそうだ.一般に木馬は牛や馬,あるいは人力で運ばれたそうだが,この地方は主に何によったか....何れにしても木材の扱いには高度な熟練を要し,非常に危険度の高い仕事だそうだ.
なお平地でも築城などで大きな石を運ぶときにも,これに類した技が使われたように聞いたことがある.山道に比べれば危険度は多少少ないかも知れないが.
崖の道は続く
崖の道は続いた.やはり崖側に擁壁が築かれ,路面も石が敷かれている.
立会川(たちあごがわ)の谷
水面は見えないが,上瀞(北山峡)に流れ込む立会川(たちあごがわ)の深い谷脇を通った.谷脇なので植林された杉ではない雑木が多く,陽光に照らされ美しい.
立会川の吊橋
断崖の道を下ると程なく立会川が間近に見えた.ここも上瀞と同じように水清く,幅は狭いが両岸は奇岩の壁が立ち上がり,実に素晴らしい眺めだ.
立会川吊橋
そしてここに架かる吊橋になった.しっかりした造りで安心して渡れる.ただ一斉に渡ると揺れるからと,順繰りに渡った.
昔木材を木馬で運んでいた時代は,多分ここの吊橋はなく,斜面を木馬で下り,立会川あるいは直接上瀞(北山峡)に降ろしたのかな~と思った.
小松茶屋跡
トレイル近くの現代の建物
吊橋から進むとトレイル左上に大きな普通の建物が見えた.向こうに国道169号線が走っており,この関連施設(橋桁か?)かということだ.
ただトレイル脇の石擁壁は古くに築かれたように見えた.
有蔵(あんぞう)集落跡
またしばらく行くと,石の祠に収まったお地蔵さんに出合った.この辺りには有蔵(あんぞう)という集落があったそうだ.
近畿自然歩道の道標
再び杉がメインの林を行くと近畿自然歩道の道標があった.
ここで右向き矢印に,瀞八丁(田戸,東野峠)とあるので,やはりマップになくとも田戸の地名はあるのだ.
小松茶屋跡(多分)
石ゴロゴロのこの辺り,小松茶屋跡と聞いたような,いや炭焼き小屋跡だったかな....?
もし小松茶屋跡であれば,木材で筏を組み,北山川,そして熊野川を下り,やがて遥か遠く新宮市に届けた筏師さんが帰路,この茶屋に立ち寄り一時休んだことでしょう.
ところで筏師の仕事は技の要る大変危険な重労働であったので,収入は普通の職人さんの2倍程度の稼ぎがあったそうだ.現代だと高層建築の鳶職のような感じでしょうか.
小松
緩やかな下り
石ゴロゴロからどんどん下った.陽も当たり緩やかな勾配の快適な通りだ.
岩壁の道
直角に立ち上がる岩壁の脇を通過した.路面も随分幅広くなった.間もなく終点小松かな.
眼下に北山川(上瀞)が流れる
これまでも所々チラリチラリと川が見えていたが,この辺りはすぐ近く眼下に北山川(上瀞)が流れている.エメラルド色の流れは変わらず清らかだ.
この辺りは既に小松のエリアに入ったのかも知れないが,よく判らない.
ハイク完了し観光筏置き場へ
北山川(上瀞)畔に到着した.多分小松であろう.いや過ぎ去ったのか?
何れにしてもこの日のハイクは完了した.楽しかった.
そしてバス駐車場に来た.駐車場の一画には観光筏置き場があった.夏に運行するという.写真で一塊の木材が一組の筏になるそうで,予め横に8本ほどの木を鋼ワイヤで連結してある.そしてこれが7段重ねてあるが,運行時はタンデムに連結され,下流に向け運行されるという.その様子を写真で見たが正にド迫力だ.
そして3日間ガイドして頂いた語り部Aさんはここでお別れだ,ありがとうございました.また村役場の方もお疲れさまでした.お気をつけてお戻りください.
紀和鉱山跡
紀和鉱山跡
バスで紀和鉱山跡,正しくは紀州鉱山選鉱場にやってきた.
立て札を見ると,坑道で採掘した銅などを選別する施設で,24時間操業で一日で1000トンの選鉱処理した旨記されている.
「銅など」とあるので,他に何が採れたか興味がある.ネットで見ると紀州鉱山は金,銀,銅,石炭,古くは鉛や,蛍石など採れたと載っていた.ただ銅が主であったのであろうか.
鉱山トンネル坑口
トロッコの軌道が敷設されたトンネルだ.鉱山から上記選鉱場に採掘された鉱石を運んだり,選鉱場で選鉱処理された鉱石や,はねられた土砂がここまで運び出されたのであろう.
現在残された一部のトンネルではキノコ栽培に使われているそうだ.また別のトンネルは観光用に用いられ,私達も少し後で乗る予定だ.
入鹿温泉瀞流荘でランチ
入鹿温泉瀞流荘
紀和鉱山跡を眺めてから,バスで入鹿温泉瀞流荘に向かった.ここで温泉に入るのではなく,単にランチを頂くためだ.
入鹿温泉は現在,この後行く湯ノ口温泉を源泉とし,その引湯となっているそうだ.
今日のランチはすき焼き
跳ね避けか,アルミホイルで囲まれているが,下に玉子があるのですき焼きのようだ.お刺身も付いている.ただ昼なのでビールやワインは止めておく.でも美味しかったと思う,多分.
湯ノ口温泉
トロッコ電車で湯ノ口温泉へ
食事が済むと写真のトロッコ電車で,ここ入鹿温泉駅から湯ノ口温泉駅へと向かう.
トロッコ電車客車は異常に狭く,しかもサスペンションとか皆無のようで,音や振動を伴い正にトロッコにふさわしい趣が楽しめる.
小型列車と言えばインドのダージリントイトレインや,更に小型のアルゼンチンパタゴニアの世界の果て号に乗った経験があるが,ここのトロッコ電車には圧倒的に負ける.ただ単に「トロッコ電車」では味気ないので尤もらしい名を付けたらどうだろう(←コピーライターやります).
牽引車は電動モーター
写真は牽引車の運連席で,ディーゼルエンジンかなと思っていたが,バッテリー搭載の電動モーターということだ.2035年までに車両は全て電動化,と政府が掲げているが,先取りしている訳だ.頑張ってます.
丸い輪っぱは何だ?ステアリングの筈はなかろうし.....パーキングブレーキか....
湯ノ口温泉駅に到着した
トロッコ電車は10分(註)の乗車で湯ノ口温泉駅に到着した.そしてここから温泉に歩く.園内には川が流れ,バンガローと呼ばれるコテージ風ホテルも散在している.
(註)10分と書いてあった.でも東急や小田急などで10分も乗ったら,幾駅も通過するな....実際はもっと短時間だったかな.
湯ノ口温泉に入る
湯元山荘湯ノ口温泉に着いた.普通の大浴場の他,露天風呂が3つくらいあった.それぞれ湯質が異なるようだが,ちょっと私の感度では見分け付かず.ただ湯温高めが一つあり,気に入った.
ということで十分湯を楽しみ,トロッコ湯ノ口温泉駅に向かう.
トロッコは再びトンネルを潜り入鹿温泉駅へ
再びトロッコに乗り,トンネルを抜け,入鹿温泉駅に到着した.
駅ではKさんの赤いバスが待っていてくれたので,入り口の消毒液を手に掛け直ぐに乗り込む.
川湯温泉に戻り夕食
北山川(瀞峡)の遊覧船係留場
バスは北山川沿いを下り始めた.そして川にはたくさんの遊覧船が係留されていた.元々の旅程ではこの遊覧船で北山川(瀞峡)を遡上する計画だったのだが,船会社側の都合(増水で航路が壊れ,補修していたが遅れている)で,取り止めになり,前述の温泉で時間つぶしになったのだ.
熊野川沿いを下る
北山川はやがて熊野川に注ぎ,街道もこれに沿って下った.そしてしばらく走り川湯温泉山水館みどりやに到着した.
山水館みどりやで夕食
山水館レストランに行き,309号室でリザーブされたテーブルに座る.既に寄せ鍋にお刺身など用意されており,ウエイターにビールとワインをオーダーする.これらの銘柄は毎回同じなのでウエイターが覚えていて,こちらが言う前にxxxですね,と言ってくれた.バカの一つ覚えも便利なもんだ.
そしてフードパンに行き,ミニトマトに鮎,チーズ揚げ,デザートのフルーツなど装う.
今夜も牛飲馬食で満足した.ごちそうさまでした.