バゴー

このバゴー編(Bago)ではインレー湖からへーホーとヤンゴン経由でバゴーに行くとき,チャカワイン僧院,シュエモードパゴダ,シュエタリャウン寝釈迦仏,チャイプーン四面仏像の写真を載せました.

バゴーはミャンマー南方面モン族王朝の都が置かれたことがある地だそうだ.モン族も他民族同様戦争は多かったようで,途中途切れたり,また遷都で,バゴーが連続的に首都だった訳ではないが,時々都として栄えたようだ.

モン王朝の歴史年表

モン王朝の歴史年表

ヤンゴン経由でバゴー

早朝インレー湖の水上コテージを出る

早朝インレー湖の水上コテージを出る

11/30(木)朝へーホーからのフライトに乗るため,インレー湖の水上コテージをボートで出発した.まだ明け切らぬ朝の湖は気温が低く用意されていたブランケットを掛けて凌ぐ.

朝早くであるがインダー族の人々は既にボートで湖上を往来する様子が見られる.小一時間走ったであろうか,前日出港した船着場のあるニャウンシュエに到着した.そしてここでバスに乗り換えて,へーホー空港へと向かった.


先ずはヤンゴンに飛ぶ

先ずはヤンゴン(Yangon)に飛ぶ

へーホー空港では9:15発エアバガンW9-122に乗り込んだ.最初ヤンゴン→バガンのフライトと同じターボプロップ機と同型機のようであった.

ヤンゴンまでは1時間弱であるが,簡単な朝食を出してもらった気がする(ちょっと曖昧).


マンダレーからヤンゴン経由バゴーへの航路と道路略図

マンダレーからヤンゴン経由バゴーへの航路と道路略図


ヤンゴンからバスでバゴーに向かう

ヤンゴンからバスでバゴーに向かう

フライトは順調でヤンゴンに到着した.この日はここからバスでバゴー往復の観光だ.空港から乗ったバスは行政的区分けは不明ながら比較的住宅などの多いヤンゴン郊外を通り,やがて畑や林,荒地の多い写真のようなエリアを走る.途中手洗いとちょっとしたショップを備えた街道脇休憩処で休む.再びバスで進み,鉄道と交差した.マンダレーで出合った列車もそうであったが,ここでもまたゆっくり走っている.年季の入った車両であるが,ゆっくり列車の旅も楽しいかも知れない.


バゴーの街に入る

バゴーの街に入る

ヤンゴンを出て2時間半くらい経ったであろうか,バゴーに到着した.バゴーは13世紀~16世紀頃モン族バゴー王朝の都が置かれたことがあるそうだ.ビルマ族や隣タイとの戦争も多く,遷都も何回かあったようだ.現在の人口は22万人とヤンゴンやマンダレーと比べると圧倒的に小ぢんまりしている.

バゴーはモン族(Mon)の街だが,モン族は他部族と比べて排他的ではなく,融和的,開放的で例えば部族間結婚はかなり一般的だそうだ.なので,現在の純モン族は人口の半分くらい,混血も半分くらいとのことだ.


下は,ヤンゴン経由でバゴーに入るまでの写真

ヤンゴン経由でバゴーに入るまでの眺め
ヤンゴン経由でバゴーに入るまでの眺め ヤンゴン経由でバゴーに入るまでの眺め ヤンゴン経由でバゴーに入るまでの眺め ヤンゴン経由でバゴーに入るまでの眺め ヤンゴン経由でバゴーに入るまでの眺め ヤンゴン経由でバゴーに入るまでの眺め
ヤンゴン経由でバゴーに入るまでの眺め ヤンゴン経由でバゴーに入るまでの眺め ヤンゴン経由でバゴーに入るまでの眺め ヤンゴン経由でバゴーに入るまでの眺め ヤンゴン経由でバゴーに入るまでの眺め ヤンゴン経由でバゴーに入るまでの眺め

チャカワイン僧院

チャカワイン僧院の回廊

チャカワイン僧院の回廊

チャカワイン僧院(Chakawwain Monastery)参道に続く僧院回廊では近所の子供たちが遊び,お坊さんがベンチでリラックスしている.私たちは入り口で裸足になったのに,このお坊さんたちは草履を履いている,という疑問が出されたが,理由はよく分らなかった.(他では見ない光景だった)

さて,そのチャカワイン僧院であるが,1,000人ものお坊さんが修行しているそうだから,マンダレーで見てきたマハーガンダーヨン僧院のように大規模な僧院のようだ.色々な建物があるが,大きなキッチンや,ここで修行した歴代の高位僧のポートレートが掲げられた大講堂や,また回廊脇には珍しくブッダ像ではなく普通のお坊さんの托鉢姿像が並んでいた.

総じてチャカワイン僧院は比較的狭い敷地に目いっぱいいろいろな施設が配されており,大勢の修行僧のためにやり繰りしているのかな~と思ったりした.


チャカワイン僧院庭のサラソウジュ(沙羅双樹)の花

サラソウジュ(沙羅双樹)の花

チャカワイン僧院の庭で,大きな樹に咲いていたのはサラソウジュ(沙羅双樹)の花だそうだ.この時節に しか咲かないそうだが美しい.赤い花の上方にある玉は花の実ではなく,最初からこのように実るらしい.植物に詳しい人が,雌花,雄花の....と説明してくれたが,よく理解できてない.

お釈迦さまが亡くなったとき,四方囲むように植えられていたサラソウジュが赤い花を咲かせ,そしてそれが直ちに枯れてしまい,鶴の羽根のように白くなったという言い伝えがあるそうだ.そうしたことから,お釈迦さまがその下で生まれたというムユウジュ(無憂樹),悟りを開いたという ボダイジュ(菩提樹)と共に仏教3聖木の一つとされるそうだ.

なお沙羅双樹の沙羅はヒンディー語の原名サールに由来し,双樹は根元が2本の樹として生えているからだそうだ.


チャカワイン僧院庭のアウンサン将軍像

チャカワイン僧院庭のアウンサン将軍像

僧院庭にはアウンサンスーチーさんの父親「ビルマ建国の父」アウンサン将軍像があった.これも上のお坊さんの托鉢像同様珍しかろう.将軍の跨る馬は左前脚を上げている.左前脚を上げた像は暗殺された人の象徴,右脚の場合は戦死したことを意味する暗黙の決まりがあるとガイドTさんが話してくれたが.....世界的ルールかどうかは不明.

アウンサン将軍は若い頃から反英,独立運動に注力しており,太平洋戦争開戦後の1941年ビルマ独立義勇軍を創設し,進出した日本軍と共闘し1942年3月にラングーンを陥落,英軍を駆逐.1943年には来日し,旭日章受章もあったそうだ.だがその後インパール作戦失敗など日本の敗色濃しと見て英軍に寝返り抗日運動を開始し,連合国軍の指揮下で対日勝利.日本に勝利したもののやはり英はビルマの完全独立を許さず,再び英植民地となる.アウンサンは完全独立を目指して活動を続けるが,終戦後間もない1947年独立を見ないうちに,国内政敵の一味の凶弾に倒れる.アウンサン将軍には3人子供がいたが,スーチーさんは末娘ということだ.


下は,チャカワイン僧院のいろいろな写真

チャカワイン僧院での眺め
チャカワイン僧院での眺め チャカワイン僧院での眺め チャカワイン僧院での眺め チャカワイン僧院での眺め チャカワイン僧院での眺め

バゴー中心部での葬儀の様子

チャカワイン僧院はバゴーの中心部に位置している.左写真はその中心部辺りの眺めで,長閑だ.

右はその近くで行われていた葬儀風景の一こまで,参列者がバスでこれから墓地とかに向かう場面だそうだ.手にしている団扇は遺族が参列者に配ったもので,次に法要の日(日本で言えば初七日,四十九日...など)が記されているそうだ.つまり団扇は案内状を兼ねている訳で,ビルマで広く行われている案内の仕方だそうだ.また参列者は一般にお金を差し出すのが普通だそうだ.

バゴーの中心街バゴー中心部での葬儀の様子

バゴーのレストラン

チャカワイン僧院見物の後バゴー料理のレストランに行った.パゴダでもないのに物売りがいて驚く.観光客専用レストランなのであろう.またTさんから「これまでのマンダレーとかバガンとか違いますから,気を付けて」とのアドバイス.

バゴー料理が何だったかはっきり思い出せないが,壁に『最後の晩餐』の絵が架かっているのが目を引く.お店のオーナーがカトリック教徒なのだそうだ.

バゴーのレストランバゴーのレストラン

シュエモードパゴダ

ビルマ一高いシュエモードパゴダ

ビルマ一高いシュエモードパゴダ

シュエモードパゴダ(Shwemawdaw Pagoda)は114mの高さがあってビルマで一番高いそうだ.ちなみにヤンゴンで見物したシュエダゴンパゴダ(99.4m),見たことがないがピイのシュエサンドーパゴダ(100.4mくらい?)と並んでビルマ3大パゴダの一つに数えられるそうだ.いずれもシュエ(Shwe)が冠せられているので金ピカの筈だ.(なお行くことはないのだがピイのシュエサンドーパゴダの名は,バガンでここに登り,夕陽を眺めたパゴダと同名だ)

千年以上昔,インドでお釈迦さまの髪の毛2本を貰った人が,これを収めるために建立したのがこのシュエモードパゴダの始まりだそうだ.幾度か変遷があるが,最近1900年代前半では三度も地震に見舞われ,倒壊.1954年に再建したのが114mの高さ,現在の姿であるそうだ.

なおお釈迦さまの聖髪を収めるために建立されたのはこれまた有名な上記ヤンゴンのシュエダゴンパゴダも同じであるが,そちらは8本の聖髪とされ,少し本数が多いようだ.


シュエモードパゴダで大仏さまにお参りの人々

大仏さまにお参りの人々

お釈迦さまの遺髪はやはり大勢の参拝者を招くようである.入り口近くの金ピカの大仏さまの前では次々と参拝者が来てお祈りしている.数はやはり女性優位であることに変りない.

大仏さまの下地は青銅など金属を磨いたものであろう,貼られた金の光沢度が非常に良い.

また目的別賽銭箱が並んでいるのは他所と同様だ.


シュエモードパゴダ門前の焼き鳥

門前の焼き鳥

シュエモードパゴダの門前に焼き鳥の露店があった.見るとスズメの姿焼きではないか,何たることだ!他日マンダレーのシュエナンドー僧院の前で,籠に入れた小鳥を功徳を積むために放つ放鳥屋さんを見かけただけに,え~っ,これでいいの!大仏さまのすぐ近くで!と思ったが,ひょっとして焼き鳥屋さんはときどき放鳥屋さんを訪ねて,小鳥を逃し,蛮行をキャンセルしているのかな?

でもこれを見て,まあビルマの人もそんなに変りなく普通にヤキトリにし,食べるのだな~と安心した.


下は,シュエモードパゴダの写真

シュエモードパゴダでの眺め
シュエモードパゴダでの眺め シュエモードパゴダでの眺め シュエモードパゴダでの眺め

シュエタリャウン寝釈迦仏

シュエタリャウン寝釈迦仏前景

シュエタリャウン寝釈迦仏前景

長さ(身長)55mもあるというシュエタリャウン寝釈迦仏(Shwethalyaung Boddha).994年にモン族のミガディパ王によって建立されたというとても古い歴史を持つ.ただモン族王朝の滅亡でバゴーも衰え,そのうち密林に覆われていたが,近年鉄道工事のとき偶然発見された経緯があるそうだ.眺めるととても優しい顔立ちでほっとできる.


シュエタリャウン寝釈迦仏

足の文様

足裏にはこのような文様が記されている.足裏文様は涅槃したとき消えたので,これが涅槃仏ではなく,寝釈迦仏の証拠だそうだ.寝釈迦仏は普通人々に説法する姿を表しているそうだ.お釈迦様がリラックスした姿だと,説法される方も肩の力を抜いてよく解るのかもしれない.

文様はどこでも同じではなく,例えば後に訪れるヤンゴンの寝釈迦仏足裏はかなり違っていた,文様は108つの煩悩とか,とレクチャーを受けたがまだ解っていない.

なお背中の方には仏教に帰依する王様の物語,そして枕にはこの世の万物全てを表現したものが描かれていた.こちらも良く解っていないが.


シュエタリャウン寝釈迦仏門前町の典型的モン族美女

典型的モン族美人

参道の門前町には色々なお店が並んでいる.このきれいな女性は食卓用具など商っているようだ.そして見るからに典型的モン族の顔立ちだそうである.ただ上でも記したが,モン族は排他性が少なく,他部族との混血は進んでいるそうである.


下は,シュエタリャウン寝釈迦仏での写真

シュエタリャウン寝釈迦仏での写真
シュエタリャウン寝釈迦仏での写真 シュエタリャウン寝釈迦仏での写真 シュエタリャウン寝釈迦仏での写真 シュエタリャウン寝釈迦仏での写真

なおこのシュエタリャウン寝釈迦仏の近くに別の寝釈迦仏も建立中であるらしいが,見なかった.

チャイプーン四面仏像

チャイプーン四面仏像

チャイプーン四面仏像

チャイプーン四面仏像(Kyaik Pun Pagoda)は高さ30m仏坐像4体が背中合わせで,それぞれ東西南北を向いて座っている.1476年モン族ペグー王朝によって建立されたそうだ.4体組み合わせは昔カンボジアはアンコールトムで眺めた仏塔を思い出させる.ただそちらは総石造りで見た印象はかなり違っていた,

東西南北は仏像で,どれも柔和な顔立ちだ.先ず北向き(入り口の方に向いている)の一体は2600年前くらいの私たちに馴染み深いゴータマブッダで,西南北の像はそれ以前に悟りを開き,人々に教えを説いた別のブッダだという.名前も聞いたのだがとても覚えられない.ガイドTさんがタイなどで参考のために当地のガイドに説明を聞いても,4体は皆同じブッダで,4体が別々の人物であることを理解されていないことが多いそうだ.


下は,チャイプーン四面仏像の写真

チャイプーン四面仏像での眺め
チャイプーン四面仏像での眺め チャイプーン四面仏像での眺め チャイプーン四面仏像での眺め チャイプーン四面仏像での眺め

ヤンゴンに戻る街道沿い

ヤンゴンに戻る街道沿い

バゴーの観光を終えたのでまたバスに乗ってヤンゴンへと向かった.街道沿いには湿地帯もあって,ミニインレー湖のような家屋が沼の上に建っている.インレー湖より標高が低く気温が高いので,家屋は一層開放的なようにも見える.

ヤンゴンに着いたら,その日夕方と翌日ヤンゴン観光に廻る予定だ.



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