建水Jianshui

この建水編では,2016/2/26(金)朝バスで元陽を出て,南沙や果物市場辺りを通過し,建水へ来て昼食を摂り,建水古城を歩き,建水朱家花園を見物し,再びバスで通海辺りを通過し,昆明に到着し,お茶屋さんに寄った後に市内レストランで過橋米線 の夕食を食べ,昆明飯店に落ち着いたときの写真を載せました.

建水周辺のマップmap of Jianshui

建水周辺のGoogleマップスクリーンショット

建水周辺のGoogleマップ

右のGoogleマップスクリーンショットで,元陽から石林行く途中に建水の街がある.

この日のルートは下(南)の元陽を出て,南沙,果物市場を経て建水に至り,昼食と古城と朱家花園見物.その後通海,玉渓を経て,花の温室エリアを越え,昆明市に入る.


元陽を出るleave Yuanyang

やはり濃霧の元陽新街鎮の朝

やはり濃霧の元陽新街鎮の朝

2/26(金)雲梯大酒店で二回目の朝が明けた.予報通り深い霧だ.ホテルで朝食後私たちはバスに乗り,濃霧の山道を下り始めた.


南沙を通過

南沙を通過

新街鎮(旧市街)を離れ,急激に山道を下ると,南沙(新市街)が見えてきた.こうして少し上方から改めて眺めると南沙の規模は相当大きい.


標高の低いエリアになる

標高の低いエリアになる

来るときと同じ道だが,南国的雰囲気の街路樹の小さな街を通過する.この辺りはGPSで見ると標高200mくらいの低地にある.


ハニ族おばさんがお店番

ハニ族おばさんがお店番

アイスクリーム屋さんか,これまでの学習で直ぐにハニ族衣装と判る.上衣は黒いがアンダーなどは随分ときらびやかですね.


果物市場辺りpass by the fruit market

果物市場辺り

再び果物市場に来て休憩

往きとは多少異なる場所だが,そう離れてない果物市場前給油所に停車した.あいにく少し雨が降ってきたが,近くまで行き覗いてみる.

ところでマーケットの前に,大きめの赤い花の木が見えるが,Mさんに訊ねると,『木綿花』で,日本語では『ゆうはな』と呼ばれるらしい.漢字だけだと『もめんか』と間違えそうだ.花の後,綿が実ることから,綿の木(cotton tree)が語源だそうだ.


こちらも並ぶ果実品目は往きの市場と同じ

こちらも並ぶ果実品目は往きの市場と同じ

こちらの市場に並ぶ果実品目も,ジャックフルーツやマンゴー,バナナ....等々,往きの市場と概ね同じように見える.おいしそうだ.ただ買ってきてバスに持ち込んだら,臭うからとドライバSさんに注意された人もいたようだ(Sさんも空の車内でたまにタバコを吸っていたが....)


山間の農村を進む

山間の農村を進む

果物市場の先はまた急激に高度を上げていく.そして村々を通過する.写真のここはかなり密集して住宅が建っている.種類は解らないが野菜畑が多い.一部はビニールで覆われている.


箇旧の街辺り

箇旧の街辺り

大きな集合住宅が並ぶ街になった.箇(簡体字はひとやね冠に縦棒)旧の街だそうだ.人口39万人というからかなり大きな街だ.主な産業は何でしょう.

箇旧の街を抜け,郊外になるとまた農業地帯になった.やはり混み合う家々の周囲に段々畑やビニールハウスが広がっている.


ソール剥がれ何とか持つかな~

ソール剥がれ何とか持つかな~

羅平の九龍瀑布でソール先端が剥がれ,添乗Iさんから頂いた紐で縛った私の靴は今こんな状態だ.実はこの後,後ろ側も剥がれ始め,昆明のホテルに着いてから,シャツを破いて中程にも縛り加えた.何とか帰宅まで持って欲しいとず~っと心配だったが,結果としては,辛うじて持ってくれたのだった.


建水へarrive at Jianshui

鉄道線路見える

鉄道線路見える

箇旧を過ぎ,暫く進むと右手に高架の鉄道線路が走っていた.残念ながら列車そのものはまだ目撃できていない.かなり疎らな運行なのかもしれない.

家の構造は元陽辺りとは随分異なって,色からすると焼成レンガに瓦屋根のように見える.元陽辺りより雨量は多いのであろうかと想像する.


建水に入った

建水に入った

高速を降り,建水の街に入ってきた.人口50万人という大きな街だ.ハニ族とイ族の人が多いようだが,昔,最初に漢族が軍事拠点として築き,元の時代から雲南南部地方の政治,経済,文化の中心を果たしてきたそうだ.

それと,私たちは訪れないのだが中国全土で二番目に大きい孔子廟(文廟)があるそうである.


建水の中心に向かう

建水の中心に向かう

バスは大通りを進み,永貞門に向かった.目指すホテルのレストランはその永貞門の直ぐ近くにあった.

なお永貞門は修復工事中で,大きな足場が組まれ,囲われていた.


建水のホテルに到着

建水のホテルに到着

ホテル名を思い出せない(←後で建水酒店と教わりました)が,レセプションに巨木カウンターが設置されているのは元陽の雲梯大酒店と同じ趣向だ.このホテル経営者は元陽雲梯大酒店経営者とは仲の良いご兄弟なのだそうだ.ところでこの巨木カウンターであるが,巨大だし,彫り物は立派で,一見同じ程度の価値があるように見えるが,元陽雲梯大酒店のそれとは雲泥の差で,全く安い(例の680万元と較べて)なのだそうだ.材質(失念したが)や古さが全然違うからだという.は~また驚かされました.


建水で薬膳鍋:鍋汽鍋鶏の昼食

薬膳鍋:鍋汽鍋鶏の昼食

建水のホテルレストランでは,建水名物薬膳鍋で『鍋汽鍋鶏』という料理を出してもらった.建水特有の中央に中空穴の開いた陶製鍋を予め水に浸し,ただし水は入れず,鶏肉に生姜や長ネギなどの調味料を盛り入れ,蓋をし,これ一式を普通の鍋の上に置き,火にかけると中空部から加熱された水蒸気が回り込み,調理される.....とまあ,こんな感じらしい.

で撮った写真であるが,その肝腎な汽鍋は立てられた紙片の背後で右側だけ少し見える茶色の容器ではなかろうか.ほんと馬鹿げた写真を撮ったものだ.ヤキが廻ったとしか言いようがない.

で,味はどうだったか?いつものように私には美味しかった筈だ.


建水古城old city of Jianshui

建水古城を散策する

建水古城を散策する

ホテルから直ぐそこの建水古城,つまり旧市街を散策した.横浜中華街の門のように立派(いや若干落ちるか?)な門の先に,伝統様式或いはそれ風の建物が続いている.なお,お店は一般の商店街のように色々だ.靴屋さんもあり,私のソール剥がれ靴の代わりを探そうかな~と迷ったが,もうこの先歩くのは少なさそうだし....面倒だし....何とか持つのでは...との甘い考えで立ち寄らなかった.

まあそんな訳で,皆さんの後にくっついて歩いた.古い建物に街路樹もあるし,いい通りだと思った.


建水古城の通り風景

建水古城で色々な場所を撮ってみた.

建水古城での写真
建水古城での写真 建水古城での写真 建水古城での写真 建水古城での写真 建水古城での写真 建水古城での写真 建水古城での写真 建水古城での写真

建水朱家花園Zhu's Family Garden

朱家花園入り口門

朱家花園入り口門

建水古城の一角に接してこの朱家花園入り口門があった.商品取引で財を成し,富豪となった朱渭卿兄弟が,清朝時代1905年より30年間かけて建設したという超豪邸だ.ただしこの入口門は,『外に対しては慎ましやかに』と云う家訓に従い,意図的に小さな設計としたのだそうだ.


朱家花園鳥瞰図

朱家花園鳥瞰図

写真は園内に掲げられた朱家花園の鳥瞰図だ.20,000m2余の敷地に,横3行✕縦3列マトリックス状に建物が配置され,9つ大きな庭園,大小様々な東屋があり,全部で412部屋あるという.

入り口門近くには未婚女性家族の部屋というのがあって,ガイドMさんの話では,女性は二階の窓から屋敷に出入りし,下を通る青年の品定めをしたという.真面目に話していたからほんとであろう.

建物内には家族の祠堂を設けられ,その前に池と舞台があった.舞台ではお抱えの芸人さんが芸を披露したそうだ.

建物そのものや,柱や壁の彫刻,植木や盆栽,池の大理石欄干の彫刻,掛けられた書画....挙げればきりがないほど立派なもので満たされている.


建水朱家花園

建水朱家花園で色々な場所を撮ってみた.

建水朱家花園での写真
建水朱家花園での写真 建水朱家花園での写真 建水朱家花園での写真 建水朱家花園での写真 建水朱家花園での写真 建水朱家花園での写真 建水朱家花園での写真 建水朱家花園での写真

朱家花園は戦後共産党政権樹立後,政府に接収され,国民党支持者(または党員)だった朱家一家は一旦台湾に逃れ,その後米国に渡ったという.そして,近年朱家末裔がここを訪れ,感慨深そうによく見ていったそうである.

通海辺りTonghai

通海辺りのモスク

通海辺りのモスク

建水の見物を終え,またバスに乗り北を目指した.暫くして通海辺りを通過すると金色ドームに2本ミナレットのモスクが見えた.通海にはイスラムの回族が多く住んでいるという.Mさんもガイドであるイスラムの友人が一人いるそうだ.


今度は仏教寺院か

今度は仏教寺院か

さらに進むと,今度は仏教寺院のような建物が見えた.チベット族だけでなく,漢族やほかにも仏教徒はいるということだから不思議ではなかろう.


通海辺りの畑

通海辺りの畑

少しして休憩した.周りにはきちんと綺麗に並んだ野菜畑が広がっている.この辺は平地でトラクタなどで作業できるので,他所より,楽で効率的であろう.


通海の白酒街

通海の白酒街

通海北端のこの辺りは白酒(パイチュウ)の名産地だそうだ.街道沿いには白酒の看板を掲げたショップが数十店集中的に軒を並べている.

コーリャンやトウモロコシがとれ,醸造や蒸留に適した気候なのでしょうか.


菜の花畑に鉄道

菜の花畑に鉄道

玉渓辺りであったと思う.菜の花畑と,先に高架鉄道が見える.久々見る陽の光で輝いて見える.できればも少し早く,一日だけでも早く晴れて欲しかったな~


昆明へtoKunming

昆明近くになる

昆明近くになる

大分昆明に近くなり畑の中に高層住宅が見えるようになる.高層住宅群はあちこちに幾つも新たに建設されているのが中国の特徴だ.若干落ちたとは言いながらも年7%とかの経済成長を続ける中国経済ならではであろう.


昆明近く,一面花の温室になる

昆明近く,一面花の温室になる

さらに昆明に近くなる.するとビニールハウス地帯となり,それが途切れることなく高速道の両側を覆い尽くす.野菜は一切栽培されず(自家用はあるかも),一面花(切り花出荷用)の温室なのだそうだ.とにかくその規模の膨大さにたまげた.

出荷される切り花は年間30億本で,中国国内だけでなく,日本を含め各国に輸出されるという.花はバラ,カーネーション,菊,勿忘草....など多様だそうだ.『常春の雲南』と云う気象条件,空港間近といった地の利を活かしたビッグビジネスであろう.


昆明郊外新住宅街

昆明郊外新住宅街

昆明郊外には当然の如く新住宅街がガンガン新設されている.住宅だけでなく,オフィスも来ており,例えば拡張する東南アジア圏貿易で昆明は要で,手狭になった旧市街の貿易センターを三倍規模に拡張するため,郊外のこの辺りに移転したばかりだそうだ.

オフィスが移転したり,また新設されればさらに住宅需要は増し,もっと建つことになろう.


昆明の高速出口

昆明の高速出口

昆明の高速出口になり,抜けた.ただこの出口と抜けた後暫くはラッシュ時のためか結構渋滞していた.


昆明中心街に入る

昆明中心街に入る

ようやく渋滞区間を抜け,バスは昆明中心街に入って来た.ほんの微かながら久しぶりに味わう夕焼け色に懐かしさを覚える.


昆明の茶博士家で雲南茶

茶博士家で雲南茶

日の落ちる頃,都心の『茶博士家』に行き,お茶の故郷,雲南のお茶を飲んだ.もちろんセールス活動の一環として入れてくれるのだが.

お茶は大まかに4種類試飲した.非発酵の苦味ある緑茶系,半発酵のウーロン茶(名前は異なる)系,発酵し,香りを加えた紅茶系,それとよく知られるカチカチに固められたプーアール茶だ.プーアール茶は遠方のチベットなどに効率よく運ぶために工夫された形態で,しかも長く放おって置くと味が良くなるのも利点のようだ.そして例えば南のシーサンパンナ(西双版納)辺りの大木茶の木から葉っぱが採取され,加工された茶は,馬で茶馬古道を通り,遥かチベット辺りに行く訳だ.この辺の旅も面白そうだな~とふと夢を見る.

閑話休題,で4種試飲した結果,私には圧倒的に非発酵緑茶系が美味しかった.苦味の後に,ほんのり甘みが残る感じで,1パック買い求めた.他の人には紅茶系がなかなか人気だったようだ.


昆明は夜になった

昆明は夜になった

茶博士家を出ると,外はすっかり暗くなっていた.そしてまたバスに乗り,レストランに向かった.

7時半くらいであるが,通りは比較的疎らになってきたように見える.写真は地下鉄駅入口前で,ガラス張りエレベータ室で上り降り客が見える.

なお,昆明市はラッシュ緩和に向け,新規路線を増設工事中だそうだ.


雲和祥レストランで過橋米線の夕食

雲和祥レストランで過橋米線の夕食

バスは『雲和祥』レストランに到着した.ここでは雲南省名物『過橋米線』を頂戴することになっている.

さてその『過橋米線』とは,雲南省南湖にある小さな島は周囲に全く何もなく,科挙受験生が一心不乱で勉強するに最適で,一人の書生も勉強に励んでいた.その妻は食事を作って運ぶのだが,夫は勉強に集中し,すぐには食べず,いつも冷めてしまう.そしてある日,鶏を土鍋で煮込み夫に届けたところ,鶏油が浮き,その油膜で長時間熱さを保っていた.そこで米線(米粉の麺)を入れたところ,十分熱く,夫は喜んで食べた.そして妻は度々この料理を作り,小島への橋を渡り(つまり過橋),夫に届け,後に夫は見事科挙試験に合格し,そのストーリーと共に『過橋米線』の名が広く知られるようになったということだ.


雲和祥レストランのホールと周辺個室

雲和祥レストランのホールと周辺個室

雲和祥レストランは中央に吹き抜けホールとその周囲に幾つかの個室が並んでいる.ホールには既に幾組かのお客さんが座り,食している.ホール正面にはお酒の見本が並び,さらに奥はキッチンのようだ.


雲和祥レストランの食卓

雲和祥レストランの食卓

私たちは個室ダイニングルームに入った.そしてテーブルには先ず『過橋米線』のトッピング材を並べてくれた.さらにこの後,上に鶏油膜が張られた熱いスープに,予め加熱済み米線(米の生麺)を加えた丼を運んでもらった.何しろ熱湯のように熱いスープだけに,客が麺を入れる際の危険を避けるための配慮だ.書生のように若くはないが,それでもなかなか美味しく頂戴した.

なおこちらのビールは薄く,もう観光も終えたので2本飲んで,腹は存分にくちくなった.


初日と同じ昆明飯店にチェックイン

初日と同じ昆明飯店にチェックイン

腹いっぱいで,初日と同じ昆明飯店にチェックインした.同じアングルで撮った初日のロビーは春節飾りでいっぱいだったが,今回はそれらが取り除かれ,きれいさっぱりしている.


昆明飯店の部屋に入る

昆明飯店の部屋に入る

カードキーをもらって,部屋に入った.初日の部屋の反転タイプだ.ホテルの部屋は概して灯りのスイッチに規則性がなく,とかくウロウロする(当人比)のだが,今回は勝手知ったる....で無問題だ.

さて明日朝は早い,早くお風呂に入って寝よう.



Cannergy'sホームへ