この昆明見物編では,2016年2月22日昆明飯店で目覚め,同ホテルで朝食を食べ,バスで昆明市内風景を眺めながら雲南民族村に来て見物.次いで昆明郊外東へと向かったときの写真を載せました.
右のGoogleマップスクリーンショットで,中程の○印が昆明飯店,左下の青いマーカーが雲南民族村のロケーション.雲南民族村見物の後は一旦市中心に戻り,G78路で東に向かった.
別窓で大きなGoogleマップを開く昆明飯店で目覚め,テレビの映し方もよく分からないし....で,直ぐにバフェレストランに行く.主に中華料理だが,たしかトマトなどの生野菜も揃えてあった.
まだ客が少ないのでスマホのお兄さんのここは麺類のコーナー.米粉の細麺,そのきし麺タイプ,小麦粉の麺(ラーメン)など並んでおり,指定するとざるに入れて,湯がいて,スープと共に丼に装ってくれる.東急駅の生蕎麦屋(最近あまりないか?)と同じように直ぐにできる.そしてその前に並べたネギやちょっと辛い挽肉のトッピングを載せて頂いた.朝からラーメン,美味しかった.
部屋に戻り窓を覗くとカラッとはしていない,いやモヤッとした昆明旧市街の朝が見えた.
昆明の区部だけで300万人余り,郊外も含めると600万人余となるそうで,相当大きな市だ.横浜より多そうだ.
昆明飯店の庭に出てみる.庭の一部の植木が黒いビニール袋で覆われている(写真右から1/3).前年(2015年)12月それまでに経験したことのない大寒波に襲われ,寒さに強くない樹木がかなりやられたそうだ.何でも平年最低気温は+3℃くらいなのだが,今回はー3℃まで下がり,その傾向はいまだ続いているそうだ.ビニールカバーはその保護のためだが,既に枯れてしまったものも多いそうだ.
ガイドMさん説明のこの異常気象現象は,この後訪れる羅平や元陽にも及んでいるそうで,気掛かりだ.
少ししてSさんがバスを昆明飯店玄関前に横付けし,私たちは乗り込んだ.
春節の赤い提灯は,色だけでなく日本の縦長と違って,短く,扁平なところがやはり中華風味ですな~
バスはスタートした.通りに出る先には中国伝統的カールした瓦屋根が載ったビル,さて何のビルでしょうか?レストランとか,ショップとか.....客寄せ建物でしょうか.
その先は大きな集合住宅.やはり雲南省の省都,大都市なので大きな建物が林立している,しかも広範囲に.
昆明は朝の通勤時間帯だ.交差点では歩行者,エンジンバイクと電動バイク,車が行き交う.通勤者はバスと地下鉄,電動バイク,自家用車で,それぞれ1/3くらいずつを占めるという.昔多かった自転車はめっきり少なくなったようだ.
電動バイクはエンジンタイプと形が同じなので,区別が付かないが,一回の充電で50kmくらい走り,運転免許不要,大気汚染防止の観点から多用され,また推奨されているようだ.なお,ここはまだ禁止ではないようだが,都市によってはエンジン付きバイクは禁止のところもあるようだ.
高架高速道の下を通った.橋脚は細く長い.きっと地震の心配がない地帯なのであろう.
高速道下の一般道も街路樹が豊かに手入れされている.ただこれらの中で寒さに強くない種は昨12月来の異常低温でやられ,ビニールシートで保護されている.ただシートから覗く葉っぱを見ると茶色で枯れかかっている様子だ.
屋根の上に金色の尖塔,屋根の縁にも小さな金色の突起,タイとかミャンマーなど上座部仏教のパゴダの建築様式に倣っているようだ.また本体は漢風ではなく欧風に近いか.おもしろい.雲南25民族の一つに,主に熱帯,亜熱帯盆地に住むというタイ族がオーナーの建物だろうか?
春節の休暇はとっくに終わっているが,お祝い行事としてはこの日2月22日くらいまで続くようだ.そんな訳で道端では花火爆竹の露店が出ている.まだタバコを吸う人の多い中国だが,『タバコ厳禁』の標識も記されている.それと可愛らしい警察のミニパトロールカーが張り付いているのが大変愉快だ.
ところで北京などではPM2.5など大気汚染のため今年春節の花火爆竹類は制限されたそうだが,ここ昆明はまだ大丈夫なのでしょう.
赤い下地に天安門と5星の中華人民共和国国章を掲げた建物は,路肩に掲げられた『雲南省高級人民法院』の標識から,日本では高裁に相当する裁判所であろう.その下部に基層人民法院,中級人民法院があり,上には最高人民法院があるそうだ.
雲南は賄賂など一般的事件に加え,場所柄(ミャンマーなどに隣接)麻薬事件も多いようだ.
『焼鵝美食』の看板を掲げたお店,レストランでしょう,が見えた.鵝は鵞と同じガチョウの意で,パーツの配置違いはしばしば見られる.壁のレリーフはギリシャ風,イオニア式(まがい)の円柱など,きっと超高級レストランなのでしょう.
雲南民族村は,雲南省25少数民族の家や文物を集め,展示する有料のテーマパークだ.そしてその前には各種おみやげ屋さんや食べ物屋さんが軒を並べたテーマパークの門前町が形成されている.
そしてこの完全漢様式の門は『雲南民族村』の看板を掲げるが,先ずは門前町への入口門で,無料の筈だ.
門には『歓度春節』の文字が記されている.春節を楽しく過ごしましょう,といった意味合いであろうか.
さて雲南省25民族とはアチャン族,イ族,回族,ジノー族,チンポー族,スイ族,タイ族,チベット族,チワン族,デアン族,独龍族,ナシ族,怒族,ハニ族,白族,プーラン族,プイ族,プミ族,満州族,苗族,モンゴル族,ヤオ族,ラフ族,リス族,ワ族ということだ.私は,西安やチベットで回族,雲南北部やチベットでチベット族,麗江でナシ族,大相撲のモンゴル族....程度にしか出会ったことがない.さて今日はどんな人に出会えるか.
ガイドMさんによるとモンゴル族(蒙古族)は昔から住んでいるのではなく,元が大陸を制覇した頃,騎馬戦には向かない起伏の多いこの地に,兵士ではなく食料生産者として比較的頑丈ではない人々を送り込んだのが,定住者の祖先になっているとのことだ.
雲南民族村は西に大きなてん(氵に真)池,東に小さな湖で.囲まれている.写真は東の小さな湖の方だ.
湖に架かる橋やの畔の建物は少数民族風ではなく,漢風だ.
全般にモヤっているが無風で波はなく,上下像大差なく映っている.
なかなか立派な建物に狛犬(というのか?)など唐風仕立てのデザインが施されている.
花も本物が多く並べてある.ただ鉢植えの花を地面に植え替えず,そのまま並べてある.ちょっとイマイチだな~との評価も聞かれた.
色々な民族衣装の皆さんが集まっている.ショップの売り子さんたちであろう.ちょっと平年より寒いのでダウンジャケットなどで覆っており,全身の衣装が見えないのは残念だ.
皆で寄ってチャットの最中だが,互いに異民族でも若い方たちは共通語の中国語も話すようだ.Mさんの解説では,年配の方の中には民族独自言語のみで,またその民族の棲むエリアから一歩も出ないで生涯を過ごす人も稀ではないそうだ.なお雲南省の面積は日本より広く,各民族のエリアも結構広いそうではある.
雲南民族村門前町で色々な場所を撮ってみた.
トールゲートを備えた雲南民族村東門.ここをくぐった後,民族衣装の女性が過ぎて行ったので振り返り撮った.
帽子や,黒い上着,青いスカートなどに特徴がありますが.....何族か?見当付かないですね.
村内には川が流れ,なかなか趣きある.木立も茂っているので枯れ葉も流れる.清掃担当員が網で掬って清潔を維持しているようだ.
アチャン族(achang)は雲南省で一番古い土着民族,2世紀既に怒江(サルウィン川)流域に居住し,5~6世紀に一部分が南西部へ移転し,定住したそうだ.現在雲南省に3.4万人ほど住み,他にミャンマーにも僅か居るという.アチャン語を話すが,独自文字はなく,タイ族の文字(あのタイ国の文字なのか?)を使うそうだ.
宗教は上座部仏教にアニミズムをミックスしたようなものだそうで,主に農業を生業としているそうだ.
概してアチャン族は音楽が得意で,写真の青年のように三叶簫(笛の一種)という楽器を常に携帯し,道を歩いているとき,農作業の合間,また好きな女性に出会った時これを吹くそうである.いや~風流ですな~
こちらは上の写真左側,アチャン族の若い女性.キラキラ光り物を着けているのでお祭りなど特別の日の装束ではなかろうか.
三叶簫を吹いてもらったときは,どのように応じるのでしょうか?
基本的には高床式木造建築だ.比較的気温や湿度の高い地帯に住むのであろうか.家の内部には居室や作業場の他に,『佛龕(の簡体字)』と記された仏壇があった.お花や果物が備えられているが,仏像や位牌らしきものはなく,日本の仏壇とは少し異なるようだ.
多分トーアン(徳昂/deang)族の青年だったと思うが.....
全般に黒っぽい装束だが,カラフルなネックレスやポシェットで飾っている.
トーアン族は刺青の習慣があり,一般に腕,太股,すねと胸に,虎や鹿,鳥,花や草などのデザインが多いそうだ.この文化はミャンマーの人と似ていると思う.
トーアン族は南西部辺境で最も長い歴史をもつ少数民族の1つで,写真のような寺院を建てる上座部仏教だそうだ.雲南のトーアン族は僅か2万人足らずだが,ミャンマーには30万人ほど住まうそうだ.独自言語を持つが,タイ族の言葉や中国語に精通する人も多いそうだ.独自文字は持たないが,写真の寺入り口の赤い表札の文字はあの視力検査のような丸いミャンマー文字であるので,これを使うのではなかろうか.
トーアン族は各地に分散して住むが,何処でも昔からお茶を栽培し,飲んでいるということだ.
トーアン族村(徳昂族寨)の入り口門
木造,瓦屋根建築のデザインは東南アジア的雰囲気でいっぱいだ.やはりトーアン族は中国よりミャンマーなどに近い文化なのであろう.
ハニ族は雲南省,ミャンマー,ベトナム,ラオスという広範囲に棲み,その総人口は150万人に達するそうだ.これらはかなり離れているので語彙や発音が大きく異る3方言が話されるそうで,相互の会話は難しいということだ.しかし文法的には差は少ないそうだ.元々文字は持たなかったが,1957年,中国政府の援助でラテン文字をベースとする民族文字が作られたということだ.中国語のピンイン表記のようなものか.
ハニ族の多くは山の中腹に住み,私たちが後日棚田見物に行く元陽もそのような高地である.写真の哈尼族寨の高床式家はちょっと低地で暑いところの雰囲気だが.....実際どうなんだろう,元陽で見てきたい.(→後で見る元陽の住宅は,日干しレンガに藁屋根構造で,全く違っていた)
雲南省北部,チベット,インドやネパールの高地....などでお目に掛かるチベット仏教寺院だ.ここの寺院もかなり大きく,実際に使われており,内部は撮影禁止だ.前述のアチャン族やトーアン族は上座部仏教だが,こちらは大乗仏教である点が大きな違いで,お堂内には仏像やラマ像など種々祀られている.
以上,結局25民族中,僅か4民族に関わる写真だけだった.ちょっと残念かな.
部族名は見逃してしまったが,温かい地方の部族であろう.大きなアジア象が飼われている.
雲南省最南端,お茶で有名なシーサンパンナ(西双版納)には野生の象が棲息しているというし,そこのタイ族(傣族)の人たちでしょうか?
一部だが見終えて出口に向かった.色々な部族(多分)の若い娘さんが集まって休憩,いやこれも仕事か.左のお嬢さんのパラボラアンテナ風帽子が目立つ.麦わら傘にITOなどの透明導電性皮膜を施した本物のアンテナかも.
ところで雲南省は多民族ではあるが,やはり漢族が2/3と圧倒的多数を占めるそうである.そして多分政治やビジネスの中枢は漢族が多く握っているのではなかろうか.
雲南民族村の見物を終え,バスは石林に向かった.一旦昆明中心部に戻った後,高速道に入った.この時間帯は混み合っておらず,快適に進む.
昆明郊外に出ても,高層集合住宅があちこちに林立する.
昆明に限らず中国では地方から都会への移動が激しいようだ.まあこうした移動は,中国に限らず世界的な傾向でもあるとは思うが.
GPSの高度を見ていると,昆明から石林間は1500m~1800mの丘陵を走ったようだ.比較的緩やかな傾斜地が多く,雑木林も目立つ.
昆明郊外赤土の畑はかなり赤い.ガイドMさんの説明では酸化鉄が多く含まれるからだそうで,いかにもベンガラ色であることからしてFe2O3が主であろうか.
こうした土地だと生育できる作物は限られるであろうが,それでも各種野菜,花,果実などいろいろできるようだ.