この羅平編では,2016/2/22(月)石林見物の跡,羅平に至るとき,そして翌23日(火)朝,金鶏峰を訪れ,次いで九龍瀑布を見物し,布衣村を訪ねて,ここで郷土料理の昼食,さらに午後再度金鶏峰を見て,次いで牛街を訪れ,等高線を描く段々畑を眺めたときの写真を載せました.
右のGoogleマップスクリーンショットで,右端の赤と青重なりマーカーが羅平のロケーション.
別窓で大きなGoogleマップを開く右のGoogleマップスクリーンショットで,右の青いマーカーが訪れたところ.
追記:右図で”布衣村の位置は不明”としましたが,サイトを見て下されたNさんより下記アドバイス頂きました.
紫竹園や共同水場があるブイ族の村は,九龍瀑布群風景区の近くにある「坡脚村」(ポージャオ村)です.
Google Mapは以下のとおりです.
坡脚村(ポージャオ村)や紫竹園周辺マップ
石林から高速道G324で東に進んだ.大分走る間には普通の畑も多いし,写真のようなビニールハウスもかなり目立つ.各種野菜を作っているようだ.
羅平に近づく辺りで高架鉄道線路と交差した.昆明と雲南省南端,ベトナムに隣接する河口ヤオ族自治県河口駅を結ぶ昆河線の支線,南昆鉄路のようだ.
ガイドMさんのお話では,昆河線は大変歴史ある狭軌鉄道で,1903年から,フランスが雲南省の鉱物資源を植民地ベトナムまで運ぶため,清朝政府と協定し(いや強要か)着工したという.なおベトナム側でも同時に工事が進められ,1910年に昆明ーハノイ間通しで開通したようだ.
この線路は1000mmのナローゲージだが,他の中国国鉄はすべて標準軌1,435mmで,ここだけ異例だそうだ.なお日本の新幹線,東京メトロ銀座線等は標準軌1,435mmだが,JR在来線や東急は1067mmの狭軌で,昆河線に近いようだ.
菜の花畑が多くなった.見物対象菜の花が目立ってきたので羅平はすぐそこのようだ.
バスを停めて,菜の花畑を歩いた.歩いた範囲で,写真のような墓石が3,4基見えた.羅平はブイ(布依)族の人が多いのだそうだが,お墓は家族単位ではなく一人ひとり単位で作られるということだ.墓地の面積はかなり要るであろうが,広い畑があるので問題ないのであろう.
墓石はすべて漢字で刻まれている.ブイ族は漢字の他にラテン文字をベースとするブイ族文字もあったそうだが.....ただこのお墓がブイ族の人かどうかは確かではない.
バスは羅平の街を抜けて,少し外れの多依河賓館に着いた.長い距離ドライバSさんご苦労さまでした.
この日一日は天気が悪かった.明日の朝早く金鶏峰に行き,朝日に輝く菜の花畑観賞予定になっているが,天気予報では,とても日は出そうもない.全員中止希望であれば,止めてゆっくりホテルで朝食....とするが,と添乗Iさんがバス内でアンケートをとる.その結果朝日観賞は中止(1回目の涙)まあ,天気には勝てません.
羅平にはちゃんとしたホテルがあまりないのだそうで,多依河賓館は数少ない中の一つだそうだ.そしてIさんも初めてという7階の部屋を取ってくれた.7階の部屋だけがバスタブを備え,他の階はシャワーだけという.
それと7階は熱交換器のエアコンだが,他の階は電熱式ヒーターで,次の日に泊まった団体客が一斉に暖房を入れたら,電源が落ち,真っ暗になり大変だったようだ(電力系統は階別になっており,7階は無事だった)
夜になって窓の外では爆竹や花火がバンバン上がる.この日2/22(月)は春節期間終わりの日だそうだ.そこでまた暫くできなくなるので,納の爆竹,花火ということだ.
私は間もなく眠ってしまったが,夜中の12時過ぎてもまだやかましくて眠れず,困った,と翌朝こぼしていた同行者もおられた.
23日(火)朝,日の出の金鶏峰見物を投げて,ゆっくりホテルで普通の朝食(日の出見物のときはお弁当)を頂いた後,バスで金鶏峰にやって来た.私たちの読み通り日は出なかったし,今も霧雨模様だ.
バスを降りると菜の花の花輪(リース)はいかが,と売り子さん(多分ブイ族でしょうか)が寄ってきた.ここ羅平や,次の元陽の観光期間は精々一ヶ月ということで,その僅かな期間の商売だから大変だ.そしてこのような天気で客は疎らで気の毒だ.
駐車場から近くの丘(小山)に歩いた.丘に上ると一面の菜の花畑が望める.エリアによって差があるが,5部咲きから~ほぼ満開,といったところであろうか.陽射しがないため眺めもそれなりであるが,まあきれいであろう.
ここの菜の花はアブラナで,穂は日本ではおひたしなど,中国では油炒めなどに調理されるであろうし,切り花は前述の生リースや生花用にも出荷されるであろう.ただ圧倒的な用途は実を絞って得る菜種油であろう.
羅平の菜の花畑は東京都の面積よりも広いそうで,世界一広いとか.そして菜種の収穫が終わると,タバコ,コーリャン,生姜などが植えられ,二毛作栽培となるそうだ.タバコは中国でまだ多く吸われ,コーリャンは蒸留酒白酒(パイチュウ)の原料などに,生姜は日本にも輸出されているそうだ.
私たちが上っている丘も含め,金鶏峰周辺はカルスト地形で,侵食が早かった部分が畑に,遅い部分が丘(小山)になっているそうだ.石林で見てきたシャープで硬そうな石柱と違って,丘はなだらかで,表面も軟らかな土で,実際樹木が生えている.桂林などのカルスト地形によく似ていると思う.
重なりあう小山が距離に比例して霞んでいく様子がなかなかいい.多分日の出頃横から射し込む光線状態だと最高のシーンになろう.
駐車場から歩いてきた泥だらけのトレイルと,その脇に立ち並ぶ露店が見える.露店は軽食を調理して出すお店や蜂蜜屋さんだ.
トレイルの向こう側に小山があるが,午後に日の照ることに一縷の望みをかけ,上ってみることになる(相変わらず午後も霧雨模様のままだったが上った).
時間がいっぱいあり,小山の先に歩いてみた.だいぶ先まで行ったが,行っても行っても菜の花畑で,少なくともその広大さは実感できた.そしてこの二人の子たちに出会った.時間からして小学校の通学途中であろうか.駐車場のある街道から結構奥にも民家が在るのだろう.
ところでこの子たちの足元の装いは正解だ.私は靴外側のズボン裾が,泥だらけになってしまった.
道はレンガを敷き詰めた歩道だが,何しろ周りは畑で,この天気だから路面は泥だらけだ.そんな訳で牛車や水牛車で小山の麓まで行く人もいる.牛車や水牛車そのものも楽しいであろう.日本人はあまり関心を示さないようだが.....
牛車や水牛車に加え電動カートや二人乗り自転車もたくさん用意されている.二人乗り自転車は縦に二人のタンデムではなく,横に二人のパラレルタイプだ.ハンドル軸がリンクで連結され,二輪が同じ方向を向くようになっている,な~るほど納得だ.ただ天気が芳しくないので,客そのものも疎らで利用者はあまり見かけない.
金鶏峰で菜の花畑を眺めた後,更に北の九龍瀑布を目指し,向かった.途中写真のような特段変わりない小さな集落を複数越えた.羅平同様畑などを生業としていると思われるが,比較的山間の地で傾斜地が多いので,仕事は一段と大変であろう.
斜面の菜の花畑の一部,中程に黒いビニールハウスが見える.ガイドMさんによると黒いハウスは三七人参栽培の場合が多いそうだ.三七人参は朝鮮人参に似て,強い薬効があるそうだ.ただ朝鮮人参は健康な人が用いると,逆に強い副作用が現れがちだが,三七人参はその心配がないのだそうだ.
三七人参は最低5年から7年くらいの栽培期間を要するが,長いほど単位重量辺りの価値があるそうだ.また,土地は朝鮮人参同様,その栽培後他の植物は育たず,また他植物栽培跡地は適さず,開墾され初めてのやせ地に適しているそうだ.生育期間が長く,市場の価格変動が激しいため,価格高騰時に多額投資して失敗するケースも多いそうだ.
バスは九龍瀑布群の入り口に来た.羅平エリアは滝王国で,中でもこの九龍瀑布は4kmの間に10段の滝が連なり,中国六大名滝の一つ,しかもその上位に位置付けされているそうだ.
10段の滝なのに九龍とは何故なのでしょう?実は川の名称『九龍川』が先にあって,そこにある滝だからということだ.
ゲート脇には案内図があった.これを見ると,本公園内にはどうやら10段のうち,合わせて5段があるようだ.
ゲートから入ると早速右手に落差は小さいが,幅のある滝があった.5段のうちの一つで,上の案内図を参照すると迎賓(簡体字でウ冠に兵)瀑であろう.
トレイル脇には金鶏峰より少ないが,やはりリースや軽食の露店が並んでいる.芋や大根などごく一般的な野菜を,一部はそのまま生でかじる(大根など)ため,一部は調理して出す店が多いようだ.まあ家庭の味をウリとしているのでしょうか.食品衛生法などの観点からは....とかの横槍は止そう.
たった一基だが駕籠かきさんが客を待っていた.二人で担ぐので,もう一人待機している筈だ.も少し足腰弱ったら乗せてもらおう.
以前訪れた黄龍ではもっとたくさんの駕籠かきが客を運んでいたが,その後ロープウエイが完成し,駕籠はなくなったと聞く.ここもケーブルカーがあるし,需要は多くないであろう.
いや~寒いし,雨も降ってきた.橋で対岸に渡り,月牙湖と名付けられた九龍川逆Uの字状部分脇を歩いた.
そしてケーブルカー下の駅に着いた.ケーブルカーは単線で上下駅中間に互いに逆方向に向かう2両の平行四辺形車両がすれ違うようになっている.
私たちが乗り込むとゆっくり上に向かった.平行四辺形縦の稜線が鉛直方向になっているのは高尾山のケーブルカーと同じだが,勾配はやや緩やかかもしれない.
ケーブルカーは観景台駅に到着した.一部屋根で覆われているが,縁は雨が当たる.
さてこの観景台から見下ろすと手前に九龍川(それと写ってないが上流に滝),川向うにカルスト地形の小山群に菜の花の段々畑が見える.晴れていれば....
大分降ってきたな~とにかく観景台から神竜瀑前に下った.
濡れているがトレイルはしっかりした造りで,歩き易い.
九龍川左岸,九龍瀑布最大の神竜瀑布脇に到着し眺めた.なかなか大した滝だ.
神竜瀑布は幅120m,落差70m,落ちる水の背後は10mの空洞があるそうだ.夏であればそこを潜る人がいるかもしれない.
神竜瀑布から九龍川左岸トレイルを下った.そこには広場があり,また売店やお手洗いも備えられていた.
この広場から九龍瀑布を見上げるとこんな風に写る.一番上の神竜瀑からこの広場の間には3段の滝と,4つの水面がある筈だが,2段の滝しか見えない.ちょっと一気に下り過ぎたようだ.まあそれでもなかなか見応えがある.
3段滝一番下の滝の脇に行ってみた.白く流れる様が轟音と相まってとても迫力がある.
広場前の飛び石にはカメラマンがいっぱいだ.本格的に三脚を据えたり,自撮り棒で撮る人など様々だ.ここもそうだが,中国では大きな長玉を抱えた人が目立つ.まあ,天気が芳しくないだけに明るいレンズはいいであろう.
私はこの辺りで足の湿りを感じて,見たらハイキングシューズのソール前方が剥がれていた.ノースフェースのゴアテックスタイプだが,長い間履いておらず接着剤がダメになったようだ.
こりゃ大変,と添乗Iさんに靴屋さんとか,応急補修剤とか訊いてみたら,なんと自分の着ていたパーカーのフードドローコードを取り外して分けて下さった.ありがとうございます.この時点ではまだ先端剥がれは左だけであったが,右も危なそうでドローコードは2つに切断し,両方の靴に巻きつけた.これで何とか帰るまで持って欲しい.
九龍瀑布の後,私たちはバスでブイ族の布衣村にやって来た.ローカルガイドLさんと同じ,羅平での主民族だ.
そしてここに到着すると,写真の菜の花畑の広がるレストランで『ブイ族民族料理』を頂戴した.ただ写真もなかったし,はてどんなだったかな....?でも中華料理の範疇であるから,私には美味しかった筈だ.
食事を終えて,菜の花畑を眺めていると,細い用水路になぜか鯉が泳いでいて,ガイドMさんがお店の人に知らせると,網を持ってきて掬い上げた.どうしてこんなところに鯉が泳いでいたのか,それとレストランなのになぜ魚網を所有しているのか....?謎だった.
食後布衣村散策に出た.布衣村は今後農業経営だけでは立ち行かないとして,村を挙げて,農村体験民宿に取り組んでいるそうだ.日本の民宿のように自家の一室を提供する形態から,小規模なホテルとして専用の建物を建てるケースまで営業形態は種々あるそうだ.そして都会の客が訪れ,野菜の農作業体験など楽しんでいくという.
民宿の看板はこんな感じで記されている.
内有wifi:家にwifiあります(多依河賓館より良さそうだ)
←P:駐車場はこちら
依泉園:宿の名前
農家楽:農家の民宿です
歓迎您就餐:お宿と食事でお客様を歓迎します
住宿:住まい,或いはホテルとして
営業中:営業中です
朕系電話133.....:当方の電話は133.....(朕とあるから畏れ多い人か?)
联系電話133.....:連絡は電話133.....まで.(联は「聯」(國際聯盟の聯)の簡体字)
と,お読み下さったNさんにお教えいただきました.
布衣村の道路脇,塀壁や建物壁にはやたらめったら絵や言葉が記されている.昔多かった共産党のプロパガンダほどではないが,標語や偉い人の教えとか,ちょっとお説教めいたものが目立つ.つまり私にはちょっとウザい感じも受けるな~
昔,同名の農園(日本で)を営んでいる知り合いがいたので,写真に納めた.
この家の造りを見ると,トウモロコシのたくさん下がる一階は家族の住まいで,二階の複数の部屋がホテルとして使われているのだろう.
ところで改めて『紫竹』とはなんぞや,と辞書(広辞苑)をみると,タケの一種.原産地は中国....高さ15m程度.往々内部が充実.二年目から黒紫色になる.防風用として人家の周囲に植え,稈は担い棒・家具・棟梁などに用いる,とあった.なるほど.
家の軒先に男前の顔立ちの子がいて撮らせてもらった.最近解除された一人っ子政策は漢族だけで,少数民族には元より適用外だったのと,脇には子供自転車がるので,この子にはお兄さん(またはお姉さん)がいると思う.どうもモデルありがとう.
左右対称造りの家はなかなか歴史がありそうだが,屋根は少し傷んできたようだ.
入り口には春節の飾りが張られている.このような武者絵の場合は張飛や関羽といった昔の武将がよく用いられるそうだ.
村の中に龍のレリーフなどやけに立派な壁の共同水場があった.農家楽推進の一環としてリニューアルしたのであろう.でもブイ族風ではなく,漢族的デザインに見えるな~やはり.
上流から3段くらいに分かれ,飲料は最上流,次は野菜洗い....とかに使われるのではなかろうか.
道端で鍋に熱湯が煮えたぎっている.傍らにはニワトリが転がっている.ここに入れて羽根をむしり取るのであろう.
布衣村は本来温かい筈であるが,昨年末からの異常気象でたくさんの実を付けたバナナの木はこのように葉先から枯れかかっている.バナナだけでなくかなりの植物がダメージを受けているようだ.
布衣村見物の後,再び金鶏峰にやって来た.朝のときより若干東にずれた場所だ.
畑のトレイルを歩き始めると蜂蜜を並べた露店が幾つもある.並んだ瓶を眺めてみると白,黄色,茶色,こげ茶色....と色々ある.同じような場所で,同じ種類の蜂であっても違う蜂蜜ができるのは以前から見たことがあるが,やはり不思議だ.
蜂の巣箱には近寄らないように予め注意を受けた.この日は寒いので蜂の動きが活発でないが,かなり危険で,特に黒や黄色の洋服は狙われ易いそうだ.以前Mさんが案内した客で,20箇所くらい刺されて(針が残るそうだ)病院に行ったケースもあるそうだ.場合によってはショック死の危険もあるのではなかろうか.
なお蜂には中国原産の土蜂とイタリアから来た蜂がいて,イタリア蜂が大きくて,たくさんの蜜が採れるが味は土蜂に叶わないという.後で市内の専門店で試食させてもらったが,確かに違いがあった.ただ運ぶのは厄介なので,代わりに生姜のお菓子(辛いが)を買った.
さらに岩蜜という大層貴重なものもあるそうだ.野生の蜂が作った蜂蜜で,蜂自身が食べるのを忘れてしまい,水分が抜けて岩の様に硬くなったものらしい.美味しいが大変高価だそうだ.
朝とは別の丘に上った.写真左,露店上の茂み先辺りが朝上った丘で,現在の丘はそれより若干高いようだ.
朝よりいくらかクリアに見えているようで,来たかいがあった.
耐侵食に強いところが点々と小山として残ったそうだが,元々はもっと高い山で,さらに大昔は山がなく大まかにはフラットだったのであろう.
カルスト地形では主成分は石灰岩であるそうだから,畑も石灰質ということでいいのだろうか.するとそうした土質にはアブラナやタバコ,コーリャンなどが適するということか.
少なくとも茶色い作物はアブラナ以外だし,緑の畑はアブラナ以外,もしくは遅咲きのアブラナであろうか.別々の色がモザイク状に配置されるのもなかなかきれいだ.もっと派手に別々の色があってもいいな~
羅平の専任ガイドLさんは,寒いので上に羽織っていたオーバーをとり,ブイ族の伝統衣装を披露してくれた.なかなか華やかだ.
ブイ族の衣装に関しては,今Lさんが身に着けているわけではないが,特にろうけつ染めに長じており,『布依錦』の名で国内外によく知られているのだそうだ.
なお羅平の人口約60万人のうち,ブイ族が70%を占め,他にミャオ族,イ族等少しづつ暮らしているそうだ.
丘から降りて,駐車場に向かうとき,焚き火と水タバコの皆さんをしげしげと眺めていたら,ブイ語または中国語で『焚き火に当たっていけ』(多分)と声を掛けてくれた.平年なら多分必要ない焚き火であろうが,寒い今年は特別なのであろう.当たると温かい.色々話しかけてくれるが,皆目解らないので笑ってごまかした.すみませんでした.
これが最大興味で吸う手順を見てみたかったのだ.金属の円筒パイプには,下の方の小枝状チューブが付けてあり,その先に刻まれたタバコの葉を詰める.なおその前に太パイプ小枝チューブ接続部の少し上まで注水しておく.そしてそれに火を着けて,太パイプに口を丸ごと入れて吸う.
中東の水パイプの賑々しさと比べると至ってシンプル,実用一点張りのデザインだが,多分タバコの味や煙の低温化に対する効果は同じようなものではなかろうか.
金鶏峰見物が終わると私たちは,一旦羅平中心街に戻り,そしてそこを抜けて牛街に向かった.
羅平中心街を抜け,北に進むに連れ山間に入り,写真の牛街村に入り,そして村を通過し,牛街の畑を見下ろす丘に向かった.
牛街村の少し上に位置する螺糸田と呼ばれる段々畑に到着した.螺糸とは田んぼのタニシだそうだが,ここに棲んでいるのでしょうか.螺糸田の辺りは羅平中心部より300mほど標高が高いので,菜の花の時期が若干遅れることがあるそうだが,こうして見たところあまり差はないようだ.結構きれいだ.
丸や瓢箪形の段々畑は等高線に沿って形作られている.きっと長い年月掛けて,斜面を削り,埋めて平面を形成し,耕してきたのであろう.大変な労力が費やされたであろう.
それと,雨が続くと,一番深いところの畑は水浸しになって,作物がやられてしまわないのだろうか?それともそんなに雨が多くないのでしょうか.或いは水が地下に抜けるような土質なのでしょうか.Mさんに聞き漏らしてしまった.
牛街螺糸田にも露店が出て,やはりリースや軽食が販売されている.天気が悪いが私たちを含めてそれなりの観光客もやって来ている.三脚を立てている人も結構見える.
ここは夕陽のシーンが最高だそうで,本来ならこのまま夕方まで待って,それを鑑賞する予定なのだが.....この小雨模様は全く回復しそうな気配を見せない.私たちは早々にホテルに引き上げて,食事を楽しむことに決定した(2回目の涙).
普通天気のいいときは,観光客でいっぱい,三脚はビッシリ並び,道路は混み合って夜遅くまで帰れない.そんな大変なことなく,さっさと帰って食事やお風呂が十分に楽しめていいのでは....との慰めを貰ったが.
いろいろなアングルで撮ってみた.
牛街から羅平中心部に戻る手前で煙と水蒸気を上げる工場があった.亜鉛(Zn)の製錬工場だそうだ.近くに亜鉛鉱が採れ,ここに運んで精錬するという.
夕陽の牛街螺糸田見物がなくなったので早い時間に羅平中心部に戻った.
多依河賓館二泊目の夕食は『三白料理』と呼ばれる郷土料理が含まれていた.右下のユリ根料理,右上の銀杏の入った料理(だったか),左上のレンコン料理など,白い野菜の料理を指すそうだ.なお料理はこの写真以外の種類も出され,美味しかった.
ただお皿やお碗は,大都会のレストランと違って原則一人一つの純中国式で,不評であった.
さて今日夕方予定だった夕陽の牛街螺糸田見物は取り止めとしたのは上述のとおりであるが,明日朝の金鶏峰朝日観賞はどうするか皆の意見が集められた.なお天気予報はXXである.その結果やはりだれ一人行きたいとは言わず,取り止めとなった(3回目の涙).翌朝目覚めると,やはり陽は全く望めない空模様だった.正解だったというか....