この元陽編では,2016/2/24(水)朝羅平のホテルをバスで出発し,開遠で昼食後再び走り,元陽に至り,猛品で虎の口(老虎嘴)棚田見物し,次の2/25(木)多依樹棚田,新街鎮市場を眺め,昼食後ハニ族チンコウ村を訪ね,バダ棚田を一応チラリと眺めたときの写真を載せました.
右のGoogleマップスクリーンショットで,右端の赤と青重なりマーカーが元陽のロケーション.
移動の2/24(水)は,赤いトラックで示され,右上の羅平を出発し,師宗,弥勒,開遠,北回帰線近くの果物市場,元陽新市街(南沙)を通り,元陽(の旧市街,新街鎮)に至る.
別窓で大きなGoogleマップを開く2016/2/24(水)朝になった.早い時間の金鶏峰朝日観賞は前日既にキャンセル決定されているので,羅平のホテルで朝食後ゆっくりの出発だ.
羅平からは暫く菜の花畑が続いて見えるが,金鶏峰辺りと比べて規模は小さい.
暫く走り,師宗辺りに来て,ガソリンスタンドで休憩した.ここのように,大抵はコンビニが併設され,『便利店』と記されている.日本ではコンビニエンスストアとし,長いのでコンビニと呼ぶことが多いが,便利店であれば短くて済む.尤も中国語で発音通り漢字で書くと長くなるので,意訳の呼称としたのであろう.なおマクドナルドは麦当劳,ケンタッキーは肯德基,などと発音式もよく見かける.いまバーガーキングをググってみたら汉堡王だそうで,汉堡=ハンブルグ(音声がベース),+意訳の王,だそうだ.かなり苦しい感じで,やはり中国語は大変そうだ.
かなりの戸数の住宅が集まった集落だ.主に農家であろう.雲南の集落はこのように密集しているのがまま見える.
暫く走ると弥勒市になった.この街には大きな弥勒菩薩像を祀ったお寺があるのだそうだ.
弥勒市はハニ族とイ族の街だそうであるが,ハニ族は多くの神と祖先崇拝を信奉するそうで,弥勒菩薩もその中の一つということか.....?
イ族は自然崇拝と祖先崇拝が特徴で,特段仏教に関わり深いように思えぬが,実際のところよく解らない.
弥勒市サービスエリア売店では大きな水タバコパイプが販売されていた.地元特産品コーナーなので,ここの名物のようだ.
開遠出口に近くなり,脇に火と煙を上げるこんな工場があった.ガイドMさんの話によると,開遠は錫(Sn)の都,錫王国などと呼ばれる大生産地だそうだ.なのでこれは錫の精錬工場かな.
以前この精錬会社幹部が賄賂で逮捕される事件があり,その直後ロンドンの商品市場で錫取引価格が急騰したことがあったそうだ.ここの錫地金は世界中に供給されており,幹部逮捕で生産が抑えられるのでは,との懸念からだったそうだ.
雲南の高速道で,一般車は120km/h,バスは100km/hと差がある.バスが20km/h遅いように制限されているのは珍しいことのような気がする.
昼食のため開遠のトールゲートから出て開遠の街に出る.
ゲートに掲げられた『開』の簡体字は,門構えの内側だけ,と思いきり簡略化されている.いや,『遠』の簡体字もそれ以上に簡略化されていようか.
開遠の高速を降り,開遠の街に出た.建物屋根には『歓迎,錫の都』が掲げられている.なお,錫以外の非鉄金属幾種類かも副産物として生産されているそうだ.多分レアアース,レアメタルなどもあるのでは.
私たちはこの近くのレストランに入り,『開遠の田舎料理』とされる食べ物を頂戴した.具体的に何だったか......思い出せないが,何れにしても中華料理だ,もちろん.
昼食が終わるとバスは開遠から再発進した.確か高速道でなく,一般道であったか,一旦標高を上げるように進んだ.そして途中,写真のような濃霧気味の山村を幾つか過ぎた.
栽培される果樹は幾種類もあるようだが,少なくともブドウ栽培は多くなる.雲南ワインとして醸造され,よく知られているそうだ.
さらに行くと今度は急にバナナ畑が多くなる.一山丸ごと斜面がバナナ畑というものまであって圧倒的だ.実の房は青いビニール袋が被せられている.
ところでスマホGPSのトラックを見ると,この辺りからは急激に標高を下げ始め,次の果物市場や元陽新市街付近は200mくらいと非常に低地を記録した.ただこの天気であまり暖かくはない.
次に果物市場があった.相当の露店数があり,観光客や通行人相手だけでなく,卸売市場でもあるのだろう.
並んでいる果物はバナナ,マンゴー,ジャックフルーツ,ランブータン....と云った亜熱帯性フルーツも多い.さらに時期によるが,日本でもよく育つビワ,りんご,梨,桃,ブドウなど,皆この辺りで収穫できるのだそうだ.
亜熱帯と言えば,ちょうどこの辺りを北緯23°27′の北回帰線が通っているようで,本来なら暖かい筈と納得する.ただ台湾の北回帰線辺りでは賑々しくモニュメントを立てているが,雲南のこの通りには何の標識もなくそっけない.別の通りにはあるかもしれないが....
少し進むと紅河(若しくは元江)の流れがあった.日本語ガイドMさんが『コウガの流れです』と言うので,黄河?おかしいな~黄河ならもっと北じゃないの....と思い,字を見たら紅河だった.源は大理の辺りで,下流はベトナムに流れ,やがてトンキン湾に注ぐそうだ.
私たちが向かうのは,古くからある元陽の旧市街(ただしそれが新街鎮の呼称で,混乱し易い)だが,この写真は元陽新市街(南沙の別名あり).標高は2,300mクラスで,旧市街の1800mとはエライ差で,また距離も相当ある.新旧市街距離,標高がこれほど隔たれていることに驚いてしまう.
新市街(南沙)は川(紅河とは異なると思う)に沿って,ものすごい数の集合住宅が建っており,今も新たに建設中だ.
南沙からは急な上りの山道で,暫くは南沙脇の川(谷)に平行して進んだ.そして少し行くと谷にはダムが設けられていた.深緑色の水が湛えられ,治水と発電に利用されているのであろうか.少なくとも今も大きく,膨張しつつある南沙の電力確保はきっと課題であろう.
大分高度が上がると,脇に棚田が見えてきた.元陽のエリアに入ってきたようだ.ここは朝発った羅平の段々畑と違って,米作の水田だ.既に水が張られている田んぼも見える.代掻きの準備か,あるいはそれを終えた段階であろうか.
元陽に入ると霧濃くなる.視界が数mといった酷いところもあり,ドライバSさんは安全確保しながら進む.大変だ.
この案内図『哈尼(ハニ)梯田景区導遊図』は翌日2/25(木)多依樹棚田管理事務所脇にあったのを写したものだが,元陽全体が記されており便利だ.梯田は中国語で棚田のことを指すそうだ.
さて2/24(水)夕刻元陽地域に入ったバスは,写真導遊図で左下赤丸『老虎嘴景観』と記された虎の口棚田を見下ろす猛品(モウピン)に到着した.私たちは階段で棚田展望デッキに下りる手はずになっている.
そして,この虎の口棚田を見た後は,図で左上赤丸『遊客中心』の方角にあるホテルに落ち着く予定だ.
さらに明日2/25(木)は,図の右下丸『多依樹景観』と記される多依樹棚田を(できれば朝日の時間に)見物し,左上赤丸『遊客中心』の方角にある市場を見て,午後,上の通り中ほど青丸『全福庄小寨』と記されるハニ族チンコウ村を散策し,次に右上赤丸『覇達景観』(覇達(バダ)棚田)を見物する予定になっている.できれば日暮れまで待って夕景を.....実際は天気が悪く....
バスを降り,虎の口棚田展望テラスへの階段を下りた.結構な段数だが,この日は長時間のバス移動で,手頃な足の運動だ.
普段混み合うというこの階段や,テラスは天気が天気だけに人が少なく,せめてもの救いか.
展望テラスに着いた.細かく区画された数十段,いやそれ以上の田んぼが延々と連なっている.すごい,見事だ!
ここら一帯で半数余りを占めるハニ族(他にイ族,漢族,タイ族,ミャオ族,ヤオ族,チュアン族)は1,500m~2,000mの標高に多く暮らし,ここ元陽を中心に総面積54,000ha,最高標高差1,800m,最高斜度75度(殆ど落ちそうだ),3,000段の棚田を,8世紀(つまり中国は唐,日本は奈良時代,平安時代で,先進国唐に遣唐使が派遣された頃だ)から1,300年間を費やして作り上げてきたそうだ.
ここで話は飛ぶが,ガイドMさんによると,日本の畑で見つかった金印(漢委奴国王印のことでしょう)と同じ(ような)金印は,ここ雲南省大理(当時大理国),および朝鮮半島でも見つかっており,当時の圧倒的国家,中国は広く雲南,日本,朝鮮半島まで権力を及ぼしていたということだ.さらに当時から始まった日本から中国への留学生,遣唐使などは,都ではなくここ大理国などに来た人が多かったそうだ.
同行のSさんに訊くと,当時の航海術では,狙いの中国の港に辿り着くのは至難の技で,何回もの失敗後,出航するも流れ流れて雲南や,ベトナムに着岸,そして陸路で都を目指すも,遠すぎ,また資金も尽き,手前の雲南辺りに落ち着くケースが多かったという.また逆に日本に来た鑑真和上も幾度となく失敗した末,ようやく日本に着いたということだ.まあ今のようにボーイングもエアバスも,またGPSも,いや多分六分儀さえなかった訳だから,それは大変だった訳だ.
虎の口棚田は急斜面にあり,また狭いのでトラクタやコンバインといった機械で作業できず,一部牛や水牛を用い,殆ど人力で農作業が行われるという.白いのは米の苗床ハウス,他は代掻き前か,終えて田植えを待つ段階であろう.田植えは生育の遅い上の方の田から,刈り入れは,それでも早く実る下の畑から行われるという.またこうした作業は短期間に集中するので,家族も近隣も総出で一斉共同で行われるそうだ.
Mさんの説明では,棚田は山の上まであり,上方では林の保水とかに頼れず,また雨も多くはないという.水稲栽培では水が勝負になるが.....実は今日も私たちには困る濃霧や霧雨は地形の影響で頻繁に起こり,その微小な雨滴を砂地状土質の田に蓄え,他と利水しあうという.また秋には,逆に排水しないとならないのだが,春の灌漑と併せて排水するための長大な水路システムを築いてきたという.
こんな棚田の景色を眺めた.見事だ.
虎の口棚田展望テラスから同じ階段で戻った.ここにはハニ族の人たちが手作りの刺繍など並べたショップが数店あった.ちょっと寒いので白や赤のショールやダウンジャケットで覆っているが,ほぼ真っ黒な装いだ.
Mさんによれば,ハニ族ファッションは大体黒のジミ系衣装と相場は決まっているそうだ.でも,袖口,裾口,エプロンを前後逆に着けたような尻当て(と言うのかどうか?)は普通にカラフルだ.派手な色使いの女性はペー族で,またペー族の尻当ては『犬の尻尾』と称するそうで,多分細長いのでしょうか.
なおハニ族ファッションはこうしたショップアテンダントやお祭り専用でなく,日常生活や農作業でも結構着られているそうだ.また男性用は他民族を含めてあまり特徴的なものは多くないということだ.
さてここでは最高と言われる夕陽の光景まで待ってみるか,否か,意見が集められた.もちろんこんな天気では奇跡でも起こらない限り,陽は出ようがない.全員一致で,止めてホテルに行こう,となった(4回目の涙).
そんな訳で虎の口棚田から戻り,元陽新街鎮に向かった.そして途中この棚田でバスを停め,眺めた.弱々しい光線下ながら水面が反射面となって輝き,きれいだ.
林は濃霧で覆われている.こうした濃霧や霧雨が棚田を潤していると聞いた後だけに,早く晴れ上がってくれとは思いながらも,些かプレッシャーも感じるような.....
バスは元陽新街鎮,雲梯大酒店に到着し,Mさんがまとめてチェックインしてくれた.
カードキーをもらって部屋に入った.バスタブも普通にあるし,熱い湯も十分出るし,wifiも繋がるし.....問題ない.テレビはリモコンが2つあってややこしかったかな.何れにしても中国語番組以外映らないのは前と同じだが.
今日の料理はハニ族料理という触れ込みだ.写真の通りだが,個々のお皿の料理名は覚えてない.まあ,雲南料理,さらに中華料理の範疇を逸脱しないので,私にとっては美味しかった筈だ.
以前,四川料理より辛いのが雲南料理と聞き,実際北部のシャングリラや徳欽のチベット族エリアでは辛いものもあった気がする.でも今回昆明,羅平,元陽で出してもらっている料理は然程辛いものはなく,安心して美味しく食べることができる.
と云うことで,一日は終わった.ホテルに到着前の車中で,明日2/25(木)早朝,多依樹棚田で朝日観賞を実行するか,否かのアンケートがとられた.やはり皆一致して『止めよう』.天気予報はこれまで以上にXだ(5回目の涙).
さて雲梯大酒店で一夜が明けて,2/25(木)朝になった.霧どころか,音がするほど雨が降っている.早朝の多依樹棚田見物は行かなくて正解だった.実はこのホテルに泊まっていて,早朝出掛けたグループがあるそうだ.根性があるが,ちょっとがっくりきたことでしょう.
ということで,美しい朝日の光景は端から投げていたのだが,せめて昼間の並の眺めは見てみたいと云うことで,ホテルで朝食(早朝見物の場合はお弁当だった筈)をとり,バスに乗り込んで出発した.
濃霧か霧雨か,とにかく著しい視界不良で,運転は大変だ.直ぐ近くに対向車や歩行者が現れたりする.Sさんのバスは内外4つの監視カメラを備え,写真のように脇のモニターに分割表示されるが,やはりぼや~と霧のシーンで大変だ.Sさんどうぞよろしく.
バスは多依樹棚田の入り口に到着した.事務所前には上に載せた哈尼(ハニ)族棚田の案内板が掲げられている.同図では右下丸『多依樹景観』で記されるところが多依樹棚田の位置になる.
多依樹棚田も昨日の虎の口棚田と同じように,より間近に見るための展望テラスが下に設けてある.しかしそこに続くジグザクの階段を覗き込むと,階段は霧で途中で途切れ,棚田までの視界は得られない,残念.
こんな日のためにとちゃんと,有名という地元フォトグラファーの方が,バンに絵葉書や写真集を載せて待ってくれている.朝夕を含めたいろいろなビューポイントからの作品は確かに素晴らしい.
ところで,この方の前に,雲南の棚田を世界的に知らしめたのはフランスのフォトグラファーで,最初は1980年代終わり頃に出版されたらしい.その後1990年代からはこちら地元の方も加わり,世界的に棚田が知られるようになっていったという.
さらに2000年代初め頃になると,日本からも主に撮影目的のツアー客が来るようになり,最近は私たち一般観光客が多くなったそうだ.ただし今も天気が確かであれば,特に中国人カメラマンの立派なカメラの三脚が並び,場所確保が容易ではないそうだ.
なお棚田群は,2013年にはユネスコ世界遺産『紅河哈尼棚田群の文化的景観(Cultural Landscape of Honghe Hani Rice Terraces)』(文化遺産)として,登録されている.
それでも何とか見えないものかな~と思っていると,『少し見えますよ~』との声が届き,下を覗き込む.心眼も併せて効かせ,微かにだが棚田が見える.ここはとても広く,晴れていればこの10倍とか広さの棚田が望めるという.
微かに見える多依樹棚田脇には村があった.村の住居もまた斜面に密集して建てられている.ちょっと見づらいが三階建てが多いようだ.壁の色が土色だが,この後訪れるハニ族チンコウ村の住居のように日干し煉瓦に藁屋根構造なのであろうか?興味は尽きないが,それとは裏腹に視界はあっと言う間にフェードアウトしていった.
旅程に組み込まれている全福荘の棚田に一応立ち寄った.だがご覧の通り,全く見るものはなかった.困ったものだ.
多依樹棚田も,また全福荘の棚田も殆ど見えず,私たちは一旦すごすごと雲梯大酒店に引き上げた.
ところで雲梯大酒店のレセプションだが,背後のレリーフもなかなかとして,巨木の受付カウンターがすごい.客側と業務担当者間の距離が長すぎて実用的にはどうかと思いながらも,聞いた話がすごい.
つまりMさんの知るここのオーナー社長は,この楠の木の倒木をミャンマー国境近くで10万元で買い入れ,大型トレーラーで運び出すのに一部道路建設で18万元支出し,表面やカウンタ面の加工や装飾費は...失念,自慢の品だそうだ.あるとき,別の人物から680万元(2億3000万円くらいか)で,ぜひ買い取りたいとのオファーがあったが,お断りしたのだそうだ.いや~やはり中国お金持ちの爆買い度は普通ではないですね.何れにしても中国人はこうした自然のもの,二つとして同じものがないことに重きを置く価値観,ということだ.ふむふむ.
雲梯大酒店で休憩後,同ホテルからはすぐそこの『新街鎮市場』に,計画通り冷やかしに出掛けた.
普通ぽい野菜が多く,安心して見ていられる.つまり,この辺のレストランで出されるのにはあまり変な野菜料理は無いはずで,先々まで安心できそうだ.
でも稀に初めて目にするものもある.手前のちょっとワサビの親戚みたいなものは何だっけ?Mさんが教えてくれたのだが.....思い出せない.
この肉屋さんは豚肉専門店.パック詰めは全くなく,かなり大きな塊が並べてある.少なくていいときは切り分けてくれる.
豚肉店数店並んだ先は牛肉店が集まっている.看板として牛の首がそのまま台に載っていたりするので怖いよ~
魚屋さんの店頭に活ナマズが一匹だけタライにいる.活鯉はたくさんいるのに,ナマズは一匹だけ.きっと先日羅平布衣村の一匹の鯉のように,偶然どこか小川で捕まえられたのであろう,と想像する.ナマズにとっては不運だった.
豆類や煮干し,玉子,調味料などが売られている.
右側玉子パックの黄色ぽい向こう半分はピータン,手前茶色は生玉子のようだ.なぜ同じパックで売られるのか不思議だ.
虎の口棚田で見かけたハニ女性の尻当ては確か一枚のエプロンのような形態だった.しかしこの女性の場合,上着はハニ女性同様黒っぽく地味だが,尻当ては二枚に分かれ,華やかな模様で飾られている.Mさんにはイ族と聞いたように思うし,それにこれは尻当てではなく,座るときは左右に退けて,尻の下にならないようにするそうだ.とすると,ハニ族の一枚タイプは左右に退けられないから,やはり尻のしたになるのか....いろいろ詮索してしまった.ハラスメントになるといけないのでこの辺で.
大小瓶の中の酒を量り売りするようだ.液体なので,乾物や肉類と違ってちょっと厄介かな,いやそうでもないかな.
左は蒸留酒のコーリャン酒で5元/500g,右はやはり蒸留酒のトウモロコシ酒(多分)で3元/500g,およそ500ml入りで1000円~600円くらいになろうか.コーリャン酒と言ってもアルコール度数は様々で,強い白酒 (パイチュウ) は60%もあり,一般に高価だそうだ.なおトウモロコシ酒の白酒もあるそうだ.
新街鎮市場は雲梯大酒店とは目と鼻の先であり,またも一旦雲梯大酒店に戻り小休止した.
上でレセプションカウンターについて記したが,ロビーの椅子なども大木を繰り抜いて仕上げた凝ったものが置かれている.まあ,社長の趣味であるのでしょう.
バスでハニ族チンコウ村にやって来た.チンコウ村もまた棚田で水稲栽培を主とする農業のようである.また民族文化陳列館を備え,いくらかのお土産店を並べ観光にも力を入れているようだ.
註:チンコウ村のチンは「竹カンムリに青」の漢字(文字コード見つからず)で,竹林や樹木が生い茂る谷の意味で,雲南省の地名に多いとNさんにお聞きしました.なおコウは口の文字です.
生憎の霧雨だが,私達を含めいくらかの観光客が訪れている.常春の雲南と言われるが,ちょっと寒いので着込んで見物だ.
濃霧で見難いが,この写真中央の家のように,基本的には日干し煉瓦に藁屋根で覆った構造だそうだ.階数は平屋から三階建てが多いようだ.また一家総出で農作業に出掛けたのであろうか,閉めきった窓や扉はすべて木製で,きっと強度のためであろうが,開口部は少ない.
日干し煉瓦作りはウイグルとかイランとか,或いはボリビアなど,一般に乾燥地帯の建物で,こんな霧雨の多いところで,日干し煉瓦が泥と化すことがないのかな....と思い,訊いてみた.すると,まあこの程度の小雨で大雨はないので全く問題ない,ということだ.大雨が無くとも水稲栽培をこなし,また日干しレンガ建築も可能にする技の妙,大したもんだ.
小雨模様の通りで出会った.表情からすると単独の子には不信感を与えたようだ,ごめんね.グループの子は大きなリーダーの子に引き連れられており,カメラも意識していないようで普段の表情だ.
チンコウ村で遊ぶ,いや餌を漁っているニワトリ一家だ.放し飼い,地鶏だ.美味しくなりそうだ.
ところで白のひよこと茶色のひよこ,各々三羽ずついるが,同じ親からこうして異なるタイプのひよこが生まれるものなのでしょうか.....?
広場前の民族文化陳列館,正しくは表札の『元陽県民族文化陳列館(Folk culture exhibition hall of Yuan Yang)』になった.民家と同じ日干し煉瓦に藁屋根の2階建てで,結構大きい.
民族文化陳列館を間近で見ると日干し煉瓦構造がよく解る.煉瓦は,土に刻んだ藁が混ぜてあると思う.
ドア脇に農具が展示されている.この写真の場合,牛や水牛用の鋤,鍬が掛けられている.鍬は現在も日本で使われ,鋤はちょっと昔まで使われていたのと同型だ.
展示室には調理用具,食器,農作業用携帯食器,工具,農具.....や,お祭りや各種行事の説明パネル,伝統衣装のマネキンなどが展示されている.
田植え前に村総出のお祭りが行われるそうだ.手前横一列は,各家庭から持ち寄ったたくさんの料理を並べた長いテーブルで,テーブルの両側に村の全員が座り,持ち寄られた味を楽しむという.
よくギネスブック狙いの世界一長い海苔巻き作りとか,と違ってこちらは伝統ある真面目行事だ.
また上は棚田の畦道で楽器を携え,歌って舞う行事だという.前記食事会と同じ日に行うのか,或いは別の日なのかは聞き漏らした.
いずれも結束して行わないとならない農作業に取り掛かる前の決起集会であろうが,所謂ムラ社会的しばりも強かろうから,なかなか大変な面も.....よそ者の杞憂かもしれないが.
別室の衣装展示室には数多くの衣装が展示されており,この4体はその一部だ.この例は男女とも黒っぽく地味と云う典型的ハニ族ファッションだ.でもちゃんと他にも少しカラフルな例も展示されている.
シルバー製品や,刺繍バッグ,人形など並んでいる.特異な人形はおかしくまた面白い.
シルバーのアクセサリーは買われていた方がいたが,形態に関係なく重さで価格が決まることを初めて知った.どのように複雑に,美しく加工しても地金と同じ値段ということは,加工担当者の工賃は限りなく安い,ということでしょうか?
チンコウ村の後は,バダ棚田だ.上で載せた哈尼(ハニ)族棚田の案内板では,チンコウ村の少し先,右上赤丸『覇達景観』と記されたところになる.
やがてバスはバダ棚田入り口に到着した.そしてバダ棚田の詳細案内図が掲げられていた.この広い範囲が眺められれば素晴らしそうだ.
ところがこれまで以上に深い濃霧で,バダ棚田の景観は完全に阻まれていた.
仕方ないのでバダ資料館を覗き,ビデオを見た.霧や雨がなければこんな光景が望めるらしい.さらに別のアングルからや,陽の位置による変わっていく色あいのシーン,など見える.見るに連れ残念さが募る.修行が足りないようだ.
バダ村の風景で,籠を背負い,棚田の農作業に出かけるシーンだ.チンコウ村と同じように日干し煉瓦に藁屋根の居宅だ.それと農作業のときも地味ではあるが,伝統衣装を纏っている様子がよく判る.
まあこんな訳でバダ棚田くんだりまで来てビデオとはいささか情けないが,まあやむを得まい.そして計画では夕陽までここに居て,大変美しいと言われる『バダ棚田の夕陽鑑賞』にはもちろん一縷の望みも持てず,全員一致でホテルに引き上げることになった(6回目の涙).
そしてホテルに戻るバス車中で,明日2/26(金)朝予定されている『バダ棚田の朝日鑑賞』のアンケートがとられた.天気予報の情報から,やはり全員一致で中止になった(7回目の涙).
と云うことで朝夕の段々畑見物,棚田見物は全敗となることが決定した.ほぼ主目的が全滅なのであるが,まあ山道で雪に阻まれ引き上げるとか,さらには引き返せないといった事態に比べれば大したことではなかろうか.
見えなかったバダ棚田からすごすご雲梯大酒店に引き上げた私たちは,部屋で落ち着いた後,別館のレストランでハニ族料理の夕食を頂いた.詳細は思い出せないが以前と似たもので,ビールは薄め(アルコール分少ない)だったと思う.なおビールはどこも20~30元くらいだった.
食事を終えて,本館に戻ろうとすると雨ザーザー音を立てている.どうしようかと出口に立っていると,ウエイトレスが,こちらからどうぞと,と本館連絡廊下を案内してくれた.そしてその手前に写真のような資料館というか売店というか,ハニ族の衣装や陶器,工芸品,美術品....などを集めて展示した部屋があった.例えば陶器はかなり多く,立派なものが並ぶ.
こんな刺繍作品があった.遠目では刺繍に見えないが,近くからは糸目が見える.一般には地味衣装のハニ族であるが,これは華やかだ.お祝いの特別衣装か,それとも他民族の衣装でしょうか.
さてこれで2/25(木)は終わった.明日の『バダ棚田の朝日鑑賞』はなくなったので,ゆっくり建水に向けて出発だ.