イスファハンには13のアルメニア正教教会があるそうである.ここは観光客に開かれているバンク教会.この周囲にはアルメニア人街が広がっているようである.内部は金色を多用したフレスコがたくさん掲げられている(ただし撮影禁止).アッバース一世が,16世紀初頭に優れたアルメニア職人や商人をイスファハンに呼び寄せたのがこの地区の始まりだそうである.ところで,アルメニアはAD301年に世界ではじめてキリスト教を国教と定めた国だそうで,これがアルメニア正教という独自の流れとなっているようだ.
イマーム広場正面に位置するアリカプ宮殿.アッバース一世の宮殿で,6階建て構造で,18世紀に建てられたそうだ.何でも,イラン初の高層建築だとか?張り出した3階部分は広場を見下ろすテラスとして作られている.ここから王(シャー)が広場で繰り広げられる行事を眺めた訳だ.6階には音楽ホールがあり,音響効果を良くするという楽器や壷模様の付いた壁構造など興味深い.これが余分な反響音を吸収し,音をちょうど良く響かせるのだそうだ.
イスラム圏では珍しい肖像画は興味深い.この宮殿で見かけるということは,イランの細密画の伝統は少なくともアッバース一世の頃までは遡るようだ.
下は,アリカプ宮殿の写真.テラスに出るとイマーム広場や街の様子を望むことができる.
正式にはミナールジョンバンと呼ばれるそうだ.1326年に亡くなったアムーアブドラという方の墓だそうである.だから相当古いのだ.本堂両側のミナレットの片側に登って揺らすと,他方のミナレットも揺れる構造になっている.
このつながり眉の屈強な男がこれから登って揺らすのだ.塔に登る前に見得を切って観衆の期待に応える.いよ~日本一~,いや,イラン一!
下は,シェーキングミナレットの写真あれこれ.人気があるようで多くの人が列を成している.東アジア人が珍しいのか,現地の観光客から「一緒に写ってくれ」と写真を撮られたりした.
イマーム広場を挟んでアリカプ宮殿の真正面にあるモスク.1602年から17年かけて建設されたそうだ.旧王室専用のモスクで,イマーム広場下に専用地下道があって,王族は表に出ることなく行くことができたそうである.特にイスラムの教えで人目を避ける4人の夫人たちなどが活用したのであろう.
イランのモスクドーム屋根は青緑系タイルが多い,ここシェイクロトフォラモスクのドームは珍しく黄色系だ.王室専用だけあって,規模こそ大きくないが,微細なタイルが,これでもか,というくらい精緻に貼り付けられている.
下は,シェイクロトフォラモスクの写真.精緻なタイルが見事だ.
こちらは宮殿のテラスから眺めたイマームモスク.4本のミナレットが見える.前述のように2対,4本のミナレットは並行ではなく45度くらいの角度がある.イスラム革命前は「マスジェデシャー(王のモスク)」と呼ばれていたという大きなモスク.でも王家専用モスクは先述のシェイクロトフォラモスクがあるので,こちらは一般市民のモスクだと思う.アッバース大帝の命により1612年に着工し,完成したのは大帝の死後1638年だということだ.広場に面した正面入り口天井の鍾乳石様の飾りはなかなか見事である.
直径28m,高さ50mという大きなドームのタイルは定期的に補修する必要があるそうで,このときちょうどその時期となり修復作業が行われていた.タイルそのものの耐用年数は焼き物であるので相当長いように思うが,本体に貼り込む漆くいが劣化するのであろうか?
広場に面した正面入り口(イーワン)から入ったところ.少なくともこの辺までは写真で写っているように女性も,我々異教徒も入ることができる.モスク内部はとても広く,中庭や,補修工事のための広い部屋や,大きな礼拝堂...など,いろいろあり.これなら地方から集まった信徒も含めて,同時に大勢が金曜礼拝に望むことができよう.
全く読めないが,ガイドのムハマドさんに訊くと,大抵,「コーランの一節です」と言っている.まあ,モスクの中の壁であるのでそれ以外考えられないのも確かだ.アラビア文字も書道(カリグラフィ)の発達した文字の一つだと思うが,このように草書風書体は街の看板等ではあまり見かけず,多分このようなモスクで多用されるのであろう.草書の漢字が容易には読めないのと同様,このようなアラビア文字もそれなりの心得がないと読めないのかな~などと思ってしまう.
イマームモスクはとても広く,中庭や大きな礼拝堂には一度に多くの参拝者が集うことができるようである.前述のタイル補修には専任の職人さんがあたり,終わり写真の方はその一人でNHKの取材で登場されていたようである.