ペルセポリスPersepolis

アクメネス朝時代に造られたペルセポリスは,以前ロンドンの大英博物館で見たレリーフなどの出土地で,長年現地を見てみたいとあこがれていたところだ.

ペルセポリスPersepolis

ペルセポリス

ペルセポリス

丘に登ると全容が見渡せる.とても広い.たくさんの円柱の根元が残る百柱の間の跡などがよく見える.これは往時はちゃんと長い百本の柱が立ち,屋根はレバノン杉で葺かれていたというペルセポリス最大の広間.ペルセポリスはアケメネス朝ペルシア帝国の都,ダレイオス1世が紀元前520年着手し,建設した宮殿群であったそうだ.紀元前331年,アレキサンダー大王の攻撃によって破壊され,廃墟となったのだそうである.そうすると,200年の存続で,意外と短い期間であったわけだ.


ペルセポリスのレリーフ

レリーフ

石のレリーフはペルセポリス最大の見どころ.このレリーフは,2枚下の写真「百人のレリーフ」の一部.玉座に座る王を担ぐ帝国属州民族の様子.


クセルクセスの門

クセルクセスの門

入場ゲートの大階段を登るとペルセポリスのシンボルであるクセルクセスの門がある.最初に牝牛像が,門をくぐった裏側に人面有翼獣神像が現れる.


百人のレリーフ

百人のレリーフ

百柱の間南側入口辺りにあるレリーフには,100人の人物が彫られているそうだ.皆が日陰を求めて集まっているだけあって,写真の光線としてはコントラストが弱められ,はっきりしない.一番上の玉座に座る王を帝国の属州から集められた臣民たちが担いでいる場面を表現しているそうである.


下は,ペルセポリスの大きな円柱列,長いあごひげと半人半獣の像,イラン航空のマークにもなっているホマ鳥(幸福の鳥)の像,石積みの合いマークなど.

ペルセポリス
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アフラマズダのレリーフ

アフラマズダのレリーフ

ゾロアスター教の善神アフラマズダのレリーフがあった.イスラム以前,相当早い時期に信仰されていたことがよく判る.大きな翼を広げ,おなかのあたりに円が描かれているが,太陽を表しているとのことだ.


朝貢のレリーフ

朝貢のレリーフ

また謁見の間に続く階段に彫られたレリーフには,当時のペルシア帝国の圧倒的な力を示すべく,西はパキスタンから,南のエチオピアまで,民族衣装に身を包み,それぞれの特産品を貢ぐ様子が描かれている.詳しくは,朝貢使たちの行列は国別になっていて,行列の数は全部で23ある.1つの行列は4~5人の朝貢使と1~2頭の動物から構成されており,行列の長さは3mくらいである.国別行列朝貢使の顔立ちやヘアスタイル,ファッション,運んでいる貢ぎもの,伴っているものの違いがお国の特徴をよく捉えていて面白い.


王を担ぐレリーフ

王を担ぐレリーフ

一番上の段には玉座に座る王,下にはそれを担ぐ臣下,だったと思う.実に具象的な作品だ.


牛の腹に短刀で刺すレリーフ

牛の腹に短刀で刺すレリーフ

これも何箇所かに見られるレリーフ.う~ん,ムハマドさんの説明をはっきり思い出せなくなったが,強い王がライオンをも打ち負かす....そんなストーリーだったか.


下は,さらにペルセポリスの写真.各種レリーフの中に,馬の尻にかぶりつくライオンなど.

ペルセポリス
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暑いペルセポリスを見物した後,池と豊かな木立のオープンレストランで食事をとった.いつものように缶のデザインと色だけはビールそっくりで,まったくアルコールを含まない飲料なのはイスラム戒律の厳しいイランでは仕方のないこと.

池と豊かな木立のオープンレストランイラン料理

ナグシェロスタムNaqsh-e-Rostam

アクメネス朝時代の王墓ナグシェロスタムはペルセポリスから近い場所にある.岩山の側面に掘り込まれた構造で,ちょっとぺトラ遺跡と似た面がある.アクメネス朝の方がより古いか?この近くは人口灌漑であろうか,広い畑があり,とうもろこしなどが緑に輝いていた.

ナグシェロスタム
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