このクアラルンプール編ではクアラルンプールへ行くときと着いたとき,国立博物館,国立モスク,独立広場,クアラルンプール市内,バツー洞窟の写真にキャプションを添えて載せた.
風船がマレーシアのクアラルンプールの場所.
京成で第2ターミナルに着き,出国審査を行いJL便のゲートへと向かった.マレーシアはイスラム国なので酒類は不自由,ただ持ち込み禁止ではないので売店でプラスチックボトルのシーバスリーガルを買い求めた.財布を開けて支払うとき,覗き込んでいた店員が「JALカードをお持ちですね,ならば10%割引きになります」と教えてくれた.財布のカードポケットからほんの少し見えたカードの判別ができる店員さんに感心し,成田空港は値引きしないものと思っていたが,安くしてくれて嬉しい.
写真のショップであったか定かでないが,よく見るとゲート近くでもJALカード提示で10%割引き,と掲げた店舗がいくつかあった.ふ~んそうなんだ.これまでJALカードはJAL若しくはワンワールド系エアラインでマイレージ登録できるときのみ持っていったが,これからはいつでも持ち歩こう.
さてこうして成田発11:30JL723便クアラルンプール行きゲートに至り,B767-300機へと乗り込み,定刻に出発した.搭乗率は30%程度か?以前と比べて機体は小型になっていると思うが,それでもこの程度の席の埋まりようでは再建も容易ではなさそうだ.乗るとき,新聞ありますか?と訊ねたら,「後でお持ちします」と応え,運んできてくれた.エコノミークラスでは新聞サービスがなくなったのだが,とっさの質問に「お持ちします」と言ってしまった手前,と説明してくれた.すみません.また再建中ながらオンデマンドの映画も備え,客にとってはありがたい.『武士の家計簿』やら,『ウォール街2』やら楽しめた.
機は順調に飛び,定刻18:30クアラルンプールに到着した.入国審査を済ませ,出るとガイドWさんが待っており,三々五々降り立つツアーメンバー20数人を束ね,バスに乗せパールインターナショナルホテルへと向かった.皆さんどうぞよろしく.
バスはホテルに到着し部屋のキーをもらう.この日1月18日は普通正月は済んでいるが,マレーシアで多く住まう中国系住民は中国本土同様旧暦で祝うため,そこかしこに赤い提灯などめでたい飾り付けが目立つ.今年の元旦は2月3日と華人(福建)系ガイドWさんが説明してくれた.
なお最多数を占めるイスラム系住民の新年(イスラム暦)は2011年11月27日からであるようだ.
パッケージツアーには到着した日の夕食は付いていなかった.パールインターナショナルホテル横はパールの名を冠したモールとなっていた.広いモールで専門店,レストラン,大きなスーパーマーケットなどが入っている.その一画に台湾料理のレストランがあり,ここで食べることにした.麺(うどん系)とビーフシチューなどのセットメニューで,安価ながらなかなか美味しかった.デザートから先に出されたのには少し戸惑ったが.
翌日の朝目覚め部屋(19階)の窓から眺めるとクアラルンプールの街が広がっていた.通勤時間帯のためか車やバイクの交通量が結構多いようだ.濁った川の脇を通過する2両編成の電車は本数は多くないようで,たまに通過するように見受けられる.
右手にはパシフィコ横浜のような建物や写真でよく見るツインタワービルがモヤが掛かりながらも望めた.集合住宅は日本のそれと比べて階数が高く,棟は相当多いように思われる.
下は,クアラルンプールへ行くまでと,そこでの写真いろいろ
ちょっと暑苦しい内装のバスでクアラルンプールの観光が始まった.先ず国立博物館を見物することになった.駐車場脇の入り口には数種の蒸気機関車が展示され,D51などと比較すると随分小さく見えるものもある.かつて英国支配下にあっただけに鉄道の歴史は長いようだ.
門をくぐるとマレーシア伝統様式のデザインとされる博物館や付属建築物が目に入った.屋根はタイの建物と似ている印象を受けた.庭には赤い竹の皮の竹,いやヤシの種類か?や,きれいな花がいっぱいだ.ほんの僅かな滞在でマレーシアはどこも緑と花が豊かと感じる.建物入り口階段脇の壁には大きな壁画が掲げられている.同国の歴史を描いたものであるようだ.
展示室にはマレーシアの歴史や文化,自然,地理....などを展示されている.古代のもの,マレーシアを含む東南アジアは胡椒など香料やハーブを産出し,それを求めてポルトガル,オランダ,英国が覇権を競い支配した歴史があるが,その香料や日本を含めた被支配の歴史関連品,近代や現代の生活用品,美術工芸,宝飾品などが多数展示されていた.香料はポルトガル当時黄金より高価であったこともあるそうで,驚くばかりだ.
屋外には上述のSLの他,藁屋根付き馬車や古い車が展示され,特に馬車はユニークで興味深い.
下は,クアラルンプール国立博物館の写真あれこれ
国立博物館敷地内庭では車椅子のガラス細工屋さん,ヘビ使い,鳥笛売りやセグウェイ体験コーナー....など,博物館とは必ずしも深い相関はないながら寛容に営業を認めているのはなかなかいいかも知れない.見ていたらセグウエイは簡単に乗れそうだし,私もできれば試してみたい.
少し閉じた青い傘のような斬新なデザインが現代のモスクと感じさせる.1965年に完成したそうであるが,もっと新しいようにも見える,中に入ると暑い地方のモスクにふさわしく完全開放の広い廊下が礼拝堂に連なり美しい.脇には広い清めの水場も備えられている.
ミフラーブをメッカの方向に向けた大きな礼拝堂もなかなか美しい.アラベスクのタイルやステンドグラスも実に精緻なもので見事だ.
訪れたとき,たった一人礼拝する姿(写真中央左側)が見えた.この主礼拝室の収容人数は8,000人だそうでとても大きい.礼拝堂入り口にはいろいろな観光客向けに日本語を含めた各国語のイスラム解説リーフレットが並べてあり,控えめながら布教活動も行っている様子が伺えた.
入り口で靴を脱ぎ(靴下はOK),女性は髪を覆うスカーフを,男女とも脚など露出した人には,そのままでは入場できないためローブを貸し出してくれる.こうしたオバQスタイルはモズレム女性の理想的ファッションで,中東では日常普通に着用されているが,ここマレーシアでは市中であまり見かけることはないように思った.
この入口上部には普通の時計に並んで1日5回の礼拝時刻を示す礼拝時計(写真右上)が掲げてあった.6個あるのはどこかで見かけたことがあったように,金曜の集団礼拝の時刻を示しているのかも知れないが未確認.
下は,クアラルンプール国立モスクの写真
国立モスクも緑豊かで,木立の合間に見えた古いドームのある建物は鉄道の駅舎だったそうだ(現在については不明).ドームの形はインド様式に近いか?
ムルデカ(Merdeka)は独立の意で,初代首相となったトゥンクアブドゥルラーマン氏(Tuanku Abdul Rahman)が1957年8月31日,当時のマラヤ連邦のイギリスからの独立を宣言した場所だそうだ.なので独立記念日のパレードは当然として色々な催しの会場となるようだ.
広場周辺はイギリス植民地時代の行政中心地だったそうで,当時の建物が多く残っている.左上の写真,道路を挟んだ向こう側はかつて植民地行政府の事務局ビルだったそうだが,現在はマレーシア最高裁判所として機能しているそうだ.デザインはインド風が色濃いようだ.
左下の写真に写る白いポールは国旗掲揚台で,100m近い高さがあり,何でも世界一高いとか?それならちゃんと上まで入るように撮らなければいけないね.
私たちのところには来てくれなかったが,他の観光バスが着くと駆け寄ってビラを広げて何かアピールする人たちの姿があった.何かな~と思ってこちらから行ってみると写真のビラを広げていた.どうやら中国共産党一党支配の暴政に対して批判しているようである.中国の人たちが,仮に自国でやるとすぐお縄頂戴となるためここで訴えているのであろうか....?訊いてみたが,「英語はあまり話さないので....」と語ってくれなかった.
インドネシアで盛んなろうけつ染め(バティック)は多分移民の人と一緒にであろう,マレーシアに入ってきたようだ.溶けたろうを白い布に付着させてマスキングし,その上に染色し,絵柄を描いていた.出来上がった品々はなかなか美しい.
クアラルンプールの街はアジアの都市としてはかなりきれいで,安全という印象を受けた.写真の道路先はモノレールであるが,運転本数は多くなく,また地下鉄はないそうで,朝夕はかなりのラッシュで,公共交通の整備はこれから課題であろうか.
マレーシアはマレー系(約65%/主にイスラム),中国系(約25%/主に仏教),インド系(約7%/主にヒンドゥ)が主な人口構成で,他に例えば僅かな数の原住民(マレー系とは別)などで構成されるそうだ.イスラム教が国教で人口構成も2/3くらいはモズレムではないかと思える.でも街を歩いているスカーフの女性(写真左下の人など)は構成比に対してちょっと少ないのでは.....?という感じを受けた.ただ20年くらい昔であるが南端のジョホールバルに行ったときはスカーフはあまり目立たず,それと比べるとかなり多いようには感ずる.また6年前のコタキナバル(ボルネオ)と比べると同じくらいであろうか.時代の変化ではなく,都市による差であろうか?
Beryl'sという人気のチョコレート店に案内してもらった.庭にはチョコレートの実を結ぶカカオの木があり,幹に直接白い花を付けていた.傍らにあったカカオの実はアボガドを大きくしたくらいのサイズなのに,花は随分小さく可憐だ.
マレーシアは季節がなく,原則いつでも花が咲き,実が成るが果実によってはやはり旬の月があるそうだ.カカオはどうか聞き漏らしたが,例えばドリアンの多くは現在オフシーズンであるが,一部の品種は今採れて,しかもこれがまた美味しいという.
そのドリアンが露店で並んでいた.Rs25~30/kgくらい,日本円換算で1,000円/kgくらいだ.ちょっと日本での相場は判らないが,輸入だからかなり高くなろう.
ドリアンは匂いがあるのでバスやホテルへの持ち込みは厳禁で,例えば私たちのバスに持ち込んだ場合,1週間匂いが抜けないためその間のバスが使用不能となり,それに対する補償金が罰金として課されるそうである.そうなっては大変だ!
なお手前,赤い毛むじゃらはランブータン(Rambutan )で,ライチ(レイシ)の仲間に属し,味も似ているのであろう.
直方体でなく,円筒状建物であることがかなりユニークだ.小さければ銀座4丁目角の三愛などあるが,こちらツインタワーは桁違いに大きい.それと2棟を繋ぐ橋にも目が行く.こうした橋は渋谷西武,玉川高島屋...などしばしば見られるが,架かる高さが圧倒的に高い.あそこから下を見下ろすと脚が竦みそうだ.でもちょって渡ってみたい.
1998年マレーシアの国営石油会社ペトロナスによって建設された452m/88階建てで,建設時は世界一の高さだったそうだ.2003年になって台北101によって記録は塗り替えられたそうだ.
建設はハザマ(昔の間組)が1棟,韓国のサムスン系企業が1棟をそれぞれ建設したそうである.ハザマはダムやトンネルなど土木系では特に名門として知られるそうだが,建築もなかなかすごそうだ.ただバブル以降の建設業界は他業界以上に大変で,ハザマもいろいろあるようだ.
ビルは主にオフィスとして使われ,地下に大きなショッピングゾーンが形成されており,紀伊国屋や伊勢丹もテナントになっているそうだ.
ツインタワー以外にもクアラルンプールは高い建物が目立ち,また建設中のものも多いように見える.経済は日本ほど滞っていないのであろうか?
ガイドWさんは,10年余り前クアラルンプール都心近くに3LDKのマンションを400万円くらいで買ったそうだが,今は600万円程度に値上がりしているということだ.所得水準は高くないが地価や物価が安いので,まあ暮らし易いそうである.
下は,クアラルンプール市内の写真いろいろ
ここにはパンコール島の観光を終え,再びクアラルンプールに戻る日(1月23日)の夕方やって来た.写真中央272段の階段を登った先にムルガン神(並びに他のヒンドゥの神々)を祀るバツー洞窟があった.階段脇の巨像はシヴァ神の次男,ここの主人公ムルガン神だそうだ.
シヴァ神の長男,ガネッシュは象の頭と云う特異性やヒマラヤの山名にもあってしばしば思い浮かぶが,ムルガンはあまり馴染みがなかった.ガイドWさんの解説では,つねに乗り物として孔雀(ヒンドゥーの聖なる動物の一つ)を伴い,軍の神様ということだ.またムルガン神は別名スブラマニアンと称し,寺の名をスブラマニアン寺とすることもあるようだ.ヒンドゥー教は化身とか別名とかいっぱいあってややこしいのだ.
ところでこの寺は,クアラルンプールの法律事務所で働いていたある人が,神のお告げを聞き,ムルガン神の武器,槍を洞窟内に刺したのが始まりだそうだ.その後多くの浄財を集めて徐々に整備し,今日に至ったそうである.
階段を登ると大きな洞窟に入った.ただ天井には開いた空間があって,大気の循環には都合良かろう.
洞窟内には鍾乳石の自然の祠や建造した社があって,あちこちにヒンドゥーのカラフルな像が置かれている.ヒンドゥー(や仏教)はイスラムの対極で,多神教で偶像崇拝,おまけに無数の化身を有するので神々の像には事欠かない.
ところでこの日の3日前,1月20日ペナンに行った日はヒンドゥーの祭りで,国の祝日であった.この日はタイプーサム(タミル歴満月/Thaipusam)と呼ばれ,ヒンドゥー教徒が苦行をしてムルガン神に祈りを捧げる日なのだそうだ.そしてその聖地でバツー洞窟に大集結するそうである.TVニュースでは1月20日には30万人が集まり,口や舌に鉄の棒を突き刺す者,体中に何十本もの釘を刺す苦行者が多数いたそうである.ピークはもちろん1月20日であるが,訪れた23日も1週間以内ということでまだ参拝者やゴミが相当多かった.
社では神職と思しき方が何か神事を執り行い,信者が集まっているのだが,何なのかは....?判らない.
マレーシアのヒンドゥー人口は10%程度,南インドはタミル地方から移ってきた人たちが先祖だそうだ.タミル人はヒンドゥーのカーストでは最下位近くに位置付けられるそうで,当事者にとっては甚だ嬉しくないこと,それが移住の大きな理由の一つだったとも想像される.でもマレーシアに渡ってなおヒンドゥーから改宗せず,しかも釘刺しの苦行まで行うのかは傍観者の私の理解を遙かに超えるところだ.
聖地バツー洞窟にはインドからの巡礼者も多く来るそうだ.ここでは許容される釘刺し苦行は本国インドでは非常に危険なため既に禁止されているそうで,多分それを避けて苦行するのが目的の人も少なくなかろう.
スブラマニアン寺門前市でココナツミルクを売るお兄さん.ご存知ヤシの実は固い.お兄さんは大きな包丁を4,5回勢い付けて振り下ろし,先端を開け,ストローを入れる.何しろ凄い勢いなので,手元が狂って指に当たることがないのか心配になる.当たれば指は確実に落ちると思われる.気を付けて下さいね!
オートで撮った写真はたまたままぐれで丁度いい動感のシャッター速度で切れたようだ.
下は,バツー洞窟スブラマニアン寺の写真
1月24日朝マレー鉄道に乗るためクアラルンプール中央駅へとバスで向かった.朝のクアラルンプール市街はそれなりに混んでいるが大渋滞とはまで言えず,まあこんなもんであろう,程度だ.最近旅行した国では圧倒的に立派な道路と車両だ.比べる相手がネパールとかパキスタンなので当然か?
駅に着いた.構内表示がマレー語(マレーシアの国語),英語(マレーシアの共通語)に加えなぜか日本語が併記されており,不思議だ.日本人が特に多いように見えないし....一方国民のかなりを占める中国語(広東語)とタミル語では標記されていないのも不思議だ.カウンタ下のStesen Sentral Kuala LumpurのStesenは駅,SentralはCentralであろう.マレー語はアルファベット標記であるが,英語とかと違ってこのSentralのように発音通り綴るのが特徴だそうだ.もう一例,タクシーはtaxiではなく,teksiの看板を屋根に乗せている.(taxiでも同じ発音か?例がイマイチだったかも)
これがマレー鉄道シンガポール行きの列車.1日2~3本しかないらしい.運行スピードはあまり速くないようだ.目的地マラッカに行くにはバスが早いそうであるが,そこはやはり『鉄道の楽しみ』が味わえるかどうかだ.私たちのバスは空で降車駅のタンピンに向かっているようだ.
私たちの乗った2等車.全席座席指定なので安心.車内販売のワゴンが通り,検札の車掌(写真中央背後)が切符にハサミを入れていく光景は昔から馴染みのJRのそれ同様でほっとできる.
車両は新しいものではないが,LCD表示が備えられ,路線案内やマレー鉄道125周年といったメッセージが流されていた.JRは140年くらいの歴史を有するそうなのでそれよりいくらか遅く開通したようだ.
マレー鉄道の旅,この先はマラッカのページへ.
下は,マレー鉄道の写真