ペナン島Penang

このペナン島編ではペナンの風物,夜店街,タイ寺院,ビルマ寺院,ジョージタウン,ペナン博物館などの写真を掲載した.


ペナン島付近のGoogleマップ

風船がペナン島の位置.

ペナンへget to Penang

ペナン島に着く

ペナン島に着く

クアラカンサーを出て2時間くらい走ったか,本土からペナン島に渡る橋に至った.橋は13.5㎞とかなり長い.橋を渡りペナン島に到着すると,その辺りは水上生活者の多い区域だった.面白いことに同姓の人だけが集まったエリアが複数連なっているそうだ.貧しかった同族の人々が絆を維持するコミュニティを形成し生活していたのが始まりのようである.

海岸線近くを走る道路をそのまま東へと進み,リゾートホテルやコンドミニアムなど多い地帯になった.海は必ずしもきれいではないようだが緑豊か,ゴミも目立たずいい所だと思う.


パラダイスサンディビーチホテル

パラダイスサンディビーチホテル

という長い名のホテルに着いた.ここでは2泊する.サンディはsandyなので砂浜が在るはずだ.部屋は広くて,小さなキチネットも付いておりなかなかいい.一階ホール脇のカフェに日経新聞が置いてあるのも気が利いている.

同行者の方に聞いたのだが,料金は泊まったツインの部屋,バフェの朝食付き2人で12,000円くらいと話していたような気がした.今ネットで改めて引いてみると通常料金は概ねその程度,限定のあるスペシャル料金ではその半分程度で予約できる場合もありそうだ.3~4週間の滞在もいいかも知れない.


マラッカ海峡といっても広い

マラッカ海峡といっても広いね

これはホテルの部屋から眺めた海.マレー半島側であるがマラッカ海峡の一部ということになろうし,狭い筈だが結構広く見える.マラッカ海峡と言えば海賊を思い浮かべるか,大きな船がわざわざ半島とペナン島の間を航行することはないだろうから海賊も出没しないであろう~とあれこれ想像してみる.

Wさんの説明ではこちら半島西海岸は工業化が進み,排水の影響で水質は悪くなっているという.マレーシアでは半島の東海岸,ボルネオ島沿岸がきれいだということだ.


ペナン陸側は緑豊か

ペナン陸側は緑豊か

陸側といっても海岸の少し内側という意味であるが,緑が多くいい住宅街が形成されているようだ.ペナン島は中国系住民,水上生活者もかなりいるとは言っても多くは所得水準が高く,それに反して土地が狭いため不動産価格は首都クアラルンプールより高いそうだ.最近作られ,販売中のホテル近くの高層コンドの最高価格は1億3000万円だそうである.尤もその部屋は車に乗ったままエレベータで最上階のその部屋に行けるという凄いものであるそうだが.でも多くの部屋はやはり1億円程度するそうだ.

まあそうした超ゴージャスなものでなければ700万円くらいで,それでもやはりクアラルンプールより高いそうだ.また政府は水上生活者など低所得者向けに150万円程度で集合住宅を提供しているという.あれらがそうですと指差してもらった高層住宅の窓には洗濯物が架かっていた(←我が家と同じ).なおこれには政府の援助が含まれているので外国人は購入できないそうだ.


プールは楽しい

プールは楽しい

久しぶりにプールに入った.少し水温が低過ぎるようであるがまあ気持ちいい.仮に長期滞在するとすれば,私の場合プールは最大の楽しみになると思う.

同行のある方が,ペナン到着の翌日のフリータイムに,ここペナンのコンドに住まうご友人を訪ねたときのことを話してくれた.220m2というとても広い部屋(←これに先ず驚く)で,共有設備のプールとテニスコートがあるそうだ.なので暑い昼間はプール,夕方からテニスが楽しめるそうで,いや~羨ましい限りだ.


下は,ペナンでの写真いろいろ

ペナンでの眺め
ペナンでの眺め ペナンでの眺め ペナンでの眺め ペナンでの眺め ペナンでの眺め ペナンでの眺め ペナンでの眺め
ペナンでの眺め ペナンでの眺め ペナンでの眺め ペナンでの眺め ペナンでの眺め ペナンでの眺め ペナンでの眺め

街は中国系住民のお正月気分

街は中国系住民のお正月気分

今年2011年の正月(中国の旧正月)は2月3日(木)が元旦になるそうだ.マレーシアに限らず華僑の多い国は皆この暦でお祝いするようだ.写真のように街には「兎」や「喜迎新春」などお正月の言葉が溢れている.「兎」は日本で一般的な「卯」より分り易いかも知れない.日本で「亥」が本家中国では「豚」であることにもちょっと驚いたことを思い出した.


中華ファストフード

中華ファストフード

中国系住民が多いので中華レストランやファストフード店も多そうだ.メニューを見ると肉骨茶(よく判らないが)セットが240円,肉粥が120円程度であるようだ.日本より所得水準は低いが食費などは相当少なく済みそうに感じる.


ペナンの夜店街night Market

ペナンの夜店街

夜店はほぼ100%偽物

と,予めガイドWさんのアドバイスを聞いて夜店街(と言っても多分昼間も営業していると思うが)に出掛けた.歩道に沿って,いや跨って結構な距離お店が連なっていた.一番感じたことは,売り子がとても控えめで,強引な売り込み等一切ないことだ.恐怖のインド,そこには負けるが他のアジア諸国の売り子もそれなりの売る気満々といった気迫に押されるものだが,ここでは全然無いので安心して歩ける.ある店で一枚の小さな水彩画Rm35と表示されていたが,Rm15に負けてくれた.ありがとう.


ペナンの夜店街で夜食

屋台で夜食

夜店の後は屋台街に寄り,夜食を頂戴した.屋台店はかなり集積しており,中華系,マレー系,インド系と専門に分かれている.中華系といっても例えば焼きそばがメーン,など更に専門化されているのは他国の屋台と一緒だ.

台湾とかタイとか,概して暑い国では,自宅で炊事するより外食が多いと聞く.マレーシアも多分そうなのであろう,なので屋台も繁盛するのだと思われる.


下は,ペナンの夜店街の光景

ペナンの夜店街の光景
ペナンの夜店街の光景 ペナンの夜店街の光景 ペナンの夜店街の光景 ペナンの夜店街の光景 ペナンの夜店街の光景 ペナンの夜店街の光景 ペナンの夜店街の光景 ペナンの夜店街の光景

タイ寺院Wat Chaiyamangalaram/Thai Temple

ペナンのタイ寺院

タイ寺院

金ピカである点を含めて全体のデザインが確かにタイ様式だ.龍とかガルーダ(?)など日本の寺には見られないモチーフの像が豊富で,概して大変やさしい顔立ちが多い.


タイ寺院の大きな横たわるお釈迦様

大きな横たわるお釈迦様

横たわるお釈迦様の像も日本ではあまり見かけない.スリランカなどでは多い,一方チベットなどではあまり見かけない.つまり大乗仏教系ではあまりなく,小乗仏教ではよく祀られるということだろうか?ちょっと見ではペンキを塗ったように安っぽい印象を受けるのだが,実際は大きな衣全体に金箔が貼られているらしい.まあ何れにしてもエライ人の威厳ではなく,ごく普通の人が「さて昼寝でもするか」と云った雰囲気がいいと思う.

寝お釈迦様の手前に座位のお釈迦様(だったと思う)像があって,病など治して欲しいと願う部位に金箔を貼ると治癒すると説明があった.私はここ暫く右肩がかなり痛いのでそこに貼ってお願いしてきた.でも依然痛み続けている.願いを人に話すと効き目が現れないと言われていたに拘らず現にこんな風に書いているせいかな~

お釈迦様の裏の回廊には縦横に細かく仕切られた棚が設けられ,骨壷と思しき器がたくさん納められていた.大きな寺だけに多くの檀家を抱えているのだな~と思った.


下は,タイ寺院での写真

ペナンのタイ寺院での写真
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ビルマ寺院Dharmikarama/Burmese Temple

ペナンのビルマ寺院の大仏様

ビルマ寺院の大仏様

ビルマ(ミャンマー)寺院は道路を挟んで丁度反対側に建てられていた.こちらは立位の大仏様で金ピカ,優しい顔立ちという点では似ていようか.それと手が不釣合に大きいように思うが,きっと何かの意味合いがあるのだろう.


ペナンのビルマ寺院の廻るお賽銭入れ

廻るお賽銭入れ

本堂裏手の池にメリーゴーランドのように器が廻っている.願いを掛けコインを投げ入れる.入れば叶うというから極めて分り易い.トレビの泉と違ってゲーム的要素を入れてある点が目新しい.

池には大きなカエルの置物があるが,単に飾りというのではなく宗教的意味合いがあった....かな?


下は,ペナンのビルマ寺院の写真

ペナンのビルマ寺院での眺め
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ジョージタウンGeorge Town

ジョージタウンのコーンウォリス要塞跡

ジョージタウンのコーンウォリス要塞跡

今はマレーシア第2の都市ペナンも,つい200年前まで無人のジャングルであったそうだ.そこで当時の大英帝国がマレーシア植民地支配の拠点として開発を始め,その中心地を君主ジョージ4世に因みジョージタウンと名付けたのがここの始まりという.ジョージタウンはワシントンDCなどにもあるし,当時の大英帝国の覇権が広範囲に及んでいたことを改めて偲ばせる.

無人島に入植したのは華人(特に広東,福建など)が多く,次いでマレー系(インドネシア辺りから),インド系(特にタミル系)が多かったようだ.後で訪れたペナン博物館で見ると,多くはないが日本人もいたようで,セピアの写真が解説付きで展示されていた.

覇権を維持するためには強固な守りが必要,築かれたのが写真の砲台や弾薬庫など備え,周囲を堅固な城壁で囲った要塞,このコーンウォリス要塞が築かれたそうだ.星型の形状と言われたがこの高さでは全体が見渡せず,判別できなかった.


ジョージタウンのタウンホール(左)とシティホール(右)

タウンホール(左)とシティホール(右)だったか?

ジョージタウンエリアには世界遺産の歴史的建築物が立ち並んでいる.それらの中の一部が写真のようなタウンホールやシティホール,で,それって市議会と市役所か?後者は元々植民地支配の要,東インド会社の本部があった建物という.今も白くきれいだ.ただ世界遺産に指定されると改修とかが困難になるので,今後の維持はそれなりに大変ではあろう.

タウンホールの前にはビンロウジュが植えてあり,たわわに実を付けていた.そもそもペナンとは当地の言葉でビンロウを意味し,200年前まではこのビンロウが島を覆っていたのが地名の由来だそうだ.ビンロウは台湾などでよく運転手さんが口を真っ赤にして噛んでいる光景を見かけるが,あれである.覚醒作用があるようだ.でもここマレーシアでは禁止されているので噛むことはできないそうだ.マレーシアは麻薬類に関する制限や処罰は中国やシンガポールのように相当厳しいようである.


下は,ジョージタウンの写真あれこれ

ジョージタウンでの眺め
ペナンのジョージタウンでの眺め ペナンのジョージタウンでの眺め ペナンのジョージタウンでの眺め ペナンのジョージタウンでの眺め ペナンのジョージタウンでの眺め ペナンのジョージタウンでの眺め
ペナンのジョージタウンでの眺め ペナンのジョージタウンでの眺め ペナンのジョージタウンでの眺め ペナンのジョージタウンでの眺め ペナンのジョージタウンでの眺め ペナンのジョージタウンでの眺め

ジョージタウンでは他にブルーマンションといった大層立派な歴史遺産が多くあった.ゆっくり眺められれば更にいいであろう.客席が先にある人力車(トライショー)は珍しい.通りが比較的安全な証であろうか.

なおジョージタウンは,ユネスコ世界遺産(文化遺産)世界遺産ロゴムラカとジョージタウン,マラッカ海峡の歴史都市群(Melaka and George Town, Historic Cities of the Straits of Malacca)として2008年に登録されている.

ペナン博物館Penang State Museum

ペナン200年の歴史,時術工芸品が展示されている.Wさんがしばしば説明してくれたペナンに渡った華人男性と現地女性が一緒になった人やその子孫ババニョニャに関する展示など豊富だ.

断片的に覗いたに過ぎないが例えば右上のアヘンを吸う人たちの写真と,そのとき使うベンチについては,大英帝国/東インド会社はここまでやった,つまり積極的に勧めたのか!と強烈な印象を受けた.

ペナン博物館外観アヘンを吸う人たちの光景
ペナン博物館展示室ペナン博物館前の通り

ペナン橋を渡り半島に戻る

ペナン橋を渡り半島に戻る

先日夕一旦半島に戻り蛍見物したのだが,カメラのバッテリー切れで写真がなかった.ゲンジボタルとかと違って木に止まった状態で光を点滅する.オスは3Hz,メスは1Hz(それと1秒で2回点滅するのは?とのWさん流ギャグも加え)事前にレクチャーを受けていたのだが,いっぱい点滅しており雌雄の判別はなかなか困難だった.

さてこうしてペナンの観光を終え,再び長いペナン橋を渡り半島へと割った.渡るとき同行の方が「ほらあの建物よ!」とご友人の220m2コンドを(マレーシア式親指でなく人差し指で)指差してくれた.いや~すばらしい.なお半島と島を結ぶ更に長い橋を東側に建設中ということで,遠くに工事の様子が窺えた.



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