アジアハイウェイと呼ばれる街道の1つは少なくともラワルピンディー辺りを通り,ペシャワールからアフガニスタン方面に続いているようである.アジアハイウェイの名が似つかわしいと思えるような街道沿いの風景である.日本はかつてパキスタンに対する主要援助国であり,1995年頃はパキスタンに対する大きな二国間ODA供与国とで,支出純額累計でみると,パキスタンは第7位の受け取り国であったようだ.しかし,パキスタンがインドに対抗して1998年に地下核実験を実施したことにより,新規無償資金協力及び円借款の停止を行ったそうである.我々のバスはラワルピンディーを抜けると早々に川(インダス川の支流か?)の辺りでアジアハイウェイと別れ,カラコルムハイウェイに入る.
この石畳の道は昔の幹線だったようだ.看板によれば1500年代に建設されたようである.この辺りの人々はとても人懐こい,東アジア人は珍しいのかバスが止まると子どものみならず大人も微笑みかけてくれる.
下は,アジアハイウェイ辺りの写真.途中積荷が多すぎたためか横転し,死者が出たという交通事故に遭遇.
カラコルムハイウェイに入って北上するとアボッタバード辺りに至る.パキスタン名物デコトラを見かけ,羊に遭遇する.この辺りは高原のようであるがまだ比較的木立ちは多いようである.
マンセールという小さな街に到着した.ここではバザールで活気ある露店が多く並んでいた.イスラム圏らしく売り手も買い手も男性が多いが,ここではまだ女性も皆無ではない.
マンセールを越えさらに北上する.