上フンザUpper Hunza

フンザからさらに北の地方は上フンザと称され,カラコルムハイウェイで進むことができる.我々はパスー氷河まで行って戻ってきた.

ガニッシュ村Ganish

上フンザへ向かう途中ガニッシュという村を訪ねた.看板によれば,ガニッシュは1000年程前,フンザにおいて初めて人が定住した場所のようである.村の入り口に生活用水を確保するためのため池があり,村は建物でぐるりと囲まれた構造で,要所要所にゲートを設け,キャラバンサライとしての機能があったようである.当時一時低調であった観光が久々に再開基調であったためか村人も興味深げに我々一行を観察してくれていた.

ガニッシュ村ガニッシュ村
ガニッシュ村ガニッシュ村

下は,ガニッシュ村の写真あれこれ.下段左から3枚目の山はディスタギールサール(Distaghil Sar:7,785m)かな?

ガニッシュ村
ガニッシュ村の写真 ガニッシュ村の写真 ガニッシュ村の写真 ガニッシュ村の写真 ガニッシュ村の写真 ガニッシュ村の写真 ガニッシュ村の写真
ガニッシュ村の写真 ガニッシュ村の写真 ガニッシュ村の写真 ガニッシュ村の写真 ガニッシュ村の写真 ガニッシュ村の写真 ガニッシュ村の写真

岩絵Rock art

カラコルムハイウェイ沿いには多くの岩絵が残っており,古いものは紀元前5,000年~同1,000年に描かれたという.実際眺めた絵では動物と両手を広げた人の絵が多かった.素朴なところが古さを偲ばせる.

古い岩絵古い岩絵
古い岩絵古い岩絵

グルミットGulmit

カラコルムハイウェイはある意味,今でも難所だ.ガイド,ガイド助手,ドライバ,後続車のドライバ,対向車のドライバ....等々落石で道をふさいだ岩をどけて進む.この翌年日本人ツアーバスが運悪く直撃を受け,客に死者が出た事故があった.グルミットまで来ると,先方にギザギザの山が見えてくる,パスーカテドラル(Passu cathedral)と称されるそうだ.グルミットでは昼食を食べた.レストランの庭にはりんごが実っていた.収穫時期は青森とかと同じということかな?パスーカテドラルは,これから行くパスーにあるので,見通しが利く限りバスからずーっと見えることになる.パスー近くになると,主に酪農を生業としているであろう集落があり,子どもたちが寄ってきてくれた.

落石パスーカテドラル
グルミットパスーカテドラル
グルミットグルミットの子

パスー氷河Passu Glacier

我々の最北点パスー氷河の末端に着いた.末端辺りの傾斜は緩やかで,緩やかな部分は概して巻き込んだ土砂で黒ずんでいることが多いが,ここも例外ではない.また運んだ土砂はモレーンを形成しているようだ.氷河の流れの速度は如何ほどであろうか?パスー氷河の左に見える山はシスパル(Shispare :7,611m)のようで,カラコルム山脈の一部を形成している.1974年ポーランドとドイツの遠征隊により初登頂されているようだ.

パスー氷河パスー氷河
パスー氷河パスー氷河

グルミットの家族Families at Gulmit

パスー氷河からの帰り,もう一度グルミットに寄った.背後にはグルミット氷河が見える.山はたしかグルミットクラウン(Gulmit crown)と呼ばれていたような.....ちょっと自信がない....畑では収穫の時期なのであろうあちこちで家族総出で忙しそうに働いている.この家族の場合,収穫物はサツマイモのように見える.

グルミットの農作業グルミット氷河
グルミットの農作業グルミットの畑

さてこちらの家族の収穫物は何か?既に大きな袋にいっぱい収穫されているが,畑に転がったものを見るとやはりサツマイモのように見える.

サツマイモの収穫サツマイモの収穫

次に家の中を見せてもらうためにある一家を訪問した.家はバルティット城と同様に木と土を組み合わせた伝統的平屋フンザ様式だ.家族のメンバーを紹介してもらったが随分大勢だ.おばあさんと,息子(ご主人)夫婦とその子どもたち,息子の姉妹....等々であった.ご主人は確か役所勤めで,我々の訪問に備えて休暇を取ったと言われていた.屋上には大きなパラボラアンテナや野菜,燃料の木切れが置いてあった.

グルミットの家族グルミットの家族
グルミットの家族グルミットの家族

下は,さらにグルミットの写真

グルミットの家族
グルミットの家族の写真 グルミットの家族の写真 グルミットの家族の写真 グルミットの家族の写真 グルミットの家族の写真 グルミットの家族の写真 グルミットの家族の写真
グルミットの家族の写真 グルミットの家族の写真 グルミットの家族の写真 グルミットの家族の写真 グルミットの家族の写真 グルミットの家族の写真 グルミットの家族の写真


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