長春Changchun

この長春編では,2018年5月17日高鉄で長春へ行き,途中学食で夕食を頂き,中日友好会館ホテルへ行き宿泊.次の朝,ホテル近くの長春新市街を歩き,八大部や,駐偽満州大使館を眺め,偽満州皇宮博物館を見物し,長春駅へと向かったときの写真を載せました.


長春付近のGoogleマップ

中国東北の長春の中心部はこのようになっている.拡大すると緑地の多いのが目立つ.中国2番目の緑化率だそうだ.

高鉄で長春へto Changchun by the High-speed train

ハルビン西駅で高鉄G896号に乗る

ハルビン西駅で高鉄G896号に乗る

私達はハルビン西駅で高鉄G896号に乗った.2等車のシート配列は2-3で東海道新幹線普通車と同じだ.シート間隔なども同じような感じだ.

全席指定であるが,指定席がなくとも,立ったまま乗車することが可能なようで,車両端部トランクスペースに立っている人も見える.そこに置いたスーツケースが勝手に横倒しされ,腰掛けられたと嘆く同行者もおられた.


脳裏に刻まれていた満州の風景

脳裏に刻まれていた満州の風景

ハルビン西駅を離れると,列車はどんどん加速し,300km/hを超えるようになった.そして窓には地平線果まで続く広大な平原が展開されてきた.全く初めて訪れた土地ながら,暗黙のうちに脳裏に刻まれれていた満州の風景と重なる,所謂デジャヴのような感覚だ.畑は耕された後であるがまだ芽が出ていない.麦などであれば間もなく芽吹くらしい.

またこれも名を聞いた程度なのだが,満蒙開拓団の皆さんは,元の荒れ地を開拓し,こうした耕作地に変えたのでしょうか.開拓ももちろん大変であっただろうが,敗戦後の引き上げはさらに困難で,落命した人も多数,また現地残留を余儀なくされた人も数知れないようだ.近年帰国した孤児もあるが,留まっている人も多い筈で,平安に過ごされていることを祈りたい.


水田も現れる

水田も現れる

畑が主であるがときどき水田も現れる.あまり大きな川を渡った覚えがないのだが,はて水源はどこにあるのだろう.尤もハルビンには大きな松花江も流れていたことだし,その支流もある筈で,単なる見落としであろう.

真っ平らな土地の水田であるが,区画は整理されず,思い思いの形になっている.

また写真では小さいが,所々現れる集落の農家は平屋建てが多く,多分レンガ造りではなかろうか.


共同墓地

共同墓地

木立に囲まれた共同墓地が見えた.盛り土の上に石塔を立てた形式だ.満州族の墓地か,それとも漢族の墓地か....

列車は2,3箇所くらい停車し,またどこかで黒竜江省から吉林省に入った筈だ.


列車は長春に到着

列車は長春に到着

乗車から1時間10分,17:15に列車は長春に到着した.かなりの乗降客があり,高速鉄道の繁盛ぶりが窺える.

長春は吉林省の省都で,(偽)満洲国(1932-1945年)の首都で,新京と呼ばれていた歴史がある.


長春駅前からバスに乗る

長春駅前からバスに乗る

私達はエスカレータで上り,長春駅前広場に出た.ここからバスに乗り,長春市内を眺めながらホテルに向かう予定だ.


中日友好会館ホテルへgo to the International hotel

長春はKさんの案内で

長春はKさんの案内で

長春駅前からバスに乗った.中国は省毎にガイドライセンスがあり,吉林省に入ったためガンドはKさんになった.どうぞよろしく願います.

先ずは現在の長春であるが,市区人口358万人(総人口750万人)で,吉林省省都で,(1)自動車,特にトラック生産(2)緑化率46%で中国第2位(3)映画,の3つの特徴が代表的だそうだ.


駅から都心部に入っていく

駅から都心部に入っていく

バスは都心に入って来た.確かに道路脇には手入れされた並木が多いようだ.

この時間帯は帰宅時間帯で,一部渋滞区間もある.中国はどこの街も所得が増えたため車を買う人が爆発的に増え,渋滞はさらに悪化するであろうとのことだ.長春市だけで1日500台増加しているということで,恐ろしい.それに走っている車は皆新車で,しかもBMWなど高級車も多い.日本車ではトヨタは高価で,乗っているのは大体共産党の偉い人,一般の人には合弁現地企業生産のホンダあたりが人気だそうだ.


関東軍司令部跡

関東軍司令部跡

日本のお城のような建物が見えてきた.(偽)満洲国(1932-1945年)時代,関東軍司令部が置かれたところだそうだ.現在は中国共産党吉林省委員会が置かれ,入り口門は厳重に警護されている様子だ.

日露戦争,満州事変,(偽)満州国建国で重大な役割を担った関東軍,そしてその司令部は旅順に置かれてきたが,(偽)満州国建国後の1934年この地に移転したということだ.


東北師範大学レストランで夕食

東北師範大学レストランで夕食

バスは『東北師範大学飲食服務中心』前に停まった.まあ学食のようなものであろうか.

確かに入ったところには広いカフェテリア形式のレストランがあり,多くの若人が食事していた.

私達は2階に幾つか備えた個室の一つに案内された.もともと一般人向けレストランとしても営業しているようだ.師範大学であるが,これも経営強化の一環なのであろう.


コーリャン酒を味わう

コーリャン酒を味わう

出してもらったのは中華料理で,餃子などが美味しかったと思う.ただビールは薄い.

もっと強い酒をということで,隣の同行男性がコーリャン酒をオーダーし,少し味わわせてもらった.幾つものブランドの中で,ガイドSさんのおじいさんがこれに限定して飲むという推奨品だ.ものすごく強く,多分アルコール度はウオッカとかテキーラクラスで,かなり独特の味と香りだ.


学食チケット売り場

学食チケット売り場

一階に降り,学食チケット売り場を覗いてみた.上のメニューを見ると,Sさんのお話では普通のお店の半額以下ということだ.国立大学なので政府からの補助があるのでしょうか.


中日友好会館ホテルに到着

中日友好会館ホテルに到着

食後再びバスに乗り,中日友好会館ホテルに到着した.大分前になるが中日友好条約が結ばれたことに由来するそうだ.なお漢字では中日友好会館であるが英語名はChangchun International Conference Centerで,どこにも中日友好は含まれていない.ガイドKさんはこの設立時から関わってきたが,その頃の代表者はいま牢獄にいるとのことだ.やはり賄賂とかでしょうか.


中日友好会館ホテルの部屋

中日友好会館ホテルの部屋

中日友好会館ホテルにチェックインし,キーをもらう.部屋に入ると,広くて,設備も抜かり無く,若干古めだがいいホテルだと思う.


朝の長春新市街in the morning at Changchun

中日友好会館ホテルで朝食

中日友好会館ホテルで朝食

中日友好会館ホテルで5/18朝が明け,朝食で一階のレストランに行く.一つ一つは覚えてないが,一般的な朝食料理が並んでいたと思う.

此の日の朝,食事している人は殆ど中国の人たちのようだ.


自由大路を散歩する

自由大路を散歩する

この日は出かけるまでバカに間があり,表を散歩してみた.ホテルの前の道は『自由大路』といかにも革命後の国家的名称だ.他にも例えば解放大路,人民大街....と云った名にはよく出合う.

さてその自由大路に出てホテルを振り返るとこのように見える.右側の松の木は創建時記念樹としてガイドKさんも加わって植えたものだそうだ.

背後は高層集合住宅が多い.大まかにはこのホテル辺りから東は長春新市街となるそうで,新しい住宅建設が盛んなようだ.


西には伊通河

西には伊通河

自由大路を西に少し行くと『伊通河(いつうが)』に掛かる橋となる.この川の向こう側(西側)が旧市街ということになる.ちょうど朝の通勤時間帯なので向こうに行く人,こちらに来る人双方人通りがある.

伊通河は伊通満族自治県の青頂嶺に源を発し,ここ長春市内を流れ,飲馬河に合流し,さらにハルビン市で眺めたあの松花江に注ぐということだ.


自由大路を東に進む

自由大路を東に進む

自由大路を伊通河を反対の東に歩いてみた.歩道や中央分離帯に樹木が植えられ,緑化率が高いことが実感される.


水平方向ドリリング機

水平方向ドリリング機

歩道を歩いているとこんな機械に出合った.『水平定向鉆机 Horizontal Directional Drill』との銘版が貼られている.中国メーカー製だ.つまり水平方向(少なくとも最初は傾斜しているであろうが)にドリリングする機械だ.私はこのような装置を見るのは初めてだが,水道管の埋設や補修に使うのでしょうか.とても興味深い.


高架鉄道が走る

高架鉄道が走る

東に少し進むと,自由大路と直交し高架鉄道が走っていた.その下は普通の車道となっていいる.交わったところの駅名は『自由大路駅』で,分かりやすい.


レンタサイクルあるもあまり使われず

レンタサイクルあるもあまり使われず

駅にはレンタサイクルの駐輪場があった.ただ自転車はあまり好まれないのか(実際乗っている人はあまり見ない),出払っているのはあまりなく,殆ど待機中の様子だ.

その昔兌換券の頃,中国を初めて訪れたとき,まだ薄暗い朝方,大量の自転車が進む様を見て,びっくりしたものだが....今日中国の人は,日本などと比べて自転車を漕ぐ人はぐっと少なくなったようだ.


高架鉄道下の歩道を歩いてみる

高架鉄道下の歩道を歩いてみる

自由大路駅から,高架鉄道下の歩道を次の『蒲東路駅』まで歩いてみた.歩道は概ね広く,街路樹も整備されていい道である.この頃の関東地方と同じように陽射しの下を歩くと暑いが,湿度は高くないようだ.

ただ中国の交通法規が分からないのだが,歩道の所々に車が駐車していたりするのだが....違法ではないようだ.


八大部Eight Departments

満州国国務院跡

満州国国務院跡

散歩から戻り,バスで出かけた.そして先ずは(偽)満州国八大部と呼ばれ,現存する8つの国家機関の幾つかを訪れた.一つは写真の満州国最高行政機関国務院の旧址で,日本の国会議事堂デザインを採り入れているようだ.地下道で関東軍司令部と繋がっていたらしい.

現在は吉林大学キャンパスとなっているそうで,庭にはカナダ人の外科医にしてカナダ共産党員,後に中国に来て中国共産党の活動を支援したというノーマンベチューン(Henry Norman Bethune)像が据えられている.Bethuneは漢字で白求恩で,最初は白求恩医科大学して設立され,今は吉林大学医学部となっているようだ.


満州国交通部跡

満州国交通部跡

上記国務院とは道路を挟んで反対側に位置している.白求恩(ベチューン)医科大学予防医学院を経て,現在は吉林大学公共衛生防疫医学院として使われているそうだ.

中央分離帯の松は見事に茂り,美しい.以前は柳などが主であったが,枝が横に出るか落ちるかして厄介だったので松に変えたということだ.


中国共産党吉林省委員会入り口

中国共産党吉林省委員会入り口

八大部ではないが,(偽)満洲国時代,関東軍司令部が置かれ,現在中国共産党吉林省委員会施設の入り口門.

関東軍司令部は元は旅順にあったが,(偽)満州国成立でここ新京に移ったということだ.


満州国迎賓館跡

満州国迎賓館跡

ここも八大部ではないが,(偽)満洲国時代,関東軍司令部付属用房で,迎賓館などとして使われていた建物だそうだ.現在は民間会社の建物として使われている.


駐偽満州大使館Manchuria Embassy

ポプラ並木道を進む

ポプラ並木道を進む

駐偽満州大使館に行くまで色々道草や昼食を食べながら進む.先ずバスはポプラ並木道を進んた.松もいいがポプラもまた,並木の向こう側がよく望めるのでなかなかいい.


牡丹園に寄る

牡丹園に寄る

途中牡丹園に立ち寄った.かなり広大な園で,大量の牡丹が咲いていた.また公共施設にはステージも設けられ,年配のおばさんたちがお揃いの衣装でダンスを舞っていた.


五星紅旗の掛かる政府機関

五星紅旗の掛かる政府機関

道向こうに五星紅旗が掲げらている.吉林省の政府機関のようである.


レストランに歩く

レストランに歩く

お昼近くになり,バスを降りレストランに向かった.広い立派な歩道なのだが,一方車が歩道に乗り入れたり,駐車するルールがなかなか不可解だ.


レストランは美味しいがやかましかった

レストランは美味しいがやかましかった

昼時であるし,人気のレストランなのでとても混み合っていた.そして料理はとても美味しかった.ただ(主におばさんたちが)とにかくやかましかった.

Sさんのお話では,中国では定年後のおばさんたちは年金で豊か,ダンスや食事に遊び歩き一番元気.年配男性は麻雀やお酒であまり出歩くことは多くないのだそうだ.


駐(偽)満州国大使館跡

駐(偽)満州国大使館跡

これが(偽)満州国に置いた日本大使館の建物だそうだ.レンガが主建材と思われるが,直線主体のスッキリデザインが和風趣きを感じさせる.ただし,この建物は壊れていたものを中国政府が歴史的建造物として復元したものであるようだ.


偽満州皇宮博物館False Manchurian Imperial Palace Museum

清の皇帝宝璽

清の皇帝宝璽

満州国大使館を後に,私達は偽満州皇宮博物館に向かった.先ず入場手続きのため旅客センターに立ち寄った.

そしてそこの待合室には展示会の案内であろうか清の皇帝宝璽ポスターが貼られていた.皇帝宝璽(宝玺)朱文の場合太い枠線のルールがあるが,実際上の4つ,左下はその典型だ.また朱文,白文ともに篆書体で金文など他の漢字フォントは用いられてない.

ただし右上の太宗崇徳帝(ホンタイジ:清(後金)の第2代皇帝で在位1626年-1643年)の宝璽(玉璽)は篆書の他に満州文字が併記されている.とてもおもしろい.

私は全く読めないのだが,視覚的には縦に長くゴニョゴニョとした筆運びはモンゴル文字そっくりに見える.実際,明代に建州女真国を統一していたヌルハチの命で1599年モンゴル文字の表記を応用して満州語表記を制定したということだ.

ただ満州語はモンゴル語と発音が異なり,いろいろ不具合があり,1632年ヌルハチの子ホンタイジ(上記右上宝璽の清朝2代目皇帝)が命じて,満州語の一音が一文字で表記できるよう改良し,それが満州文字となったようだ.

満州文字は清朝の公用文字(他に漢字とモンゴル文字)であったが,清朝滅亡後は廃れ,現在はほとんど使われなくなっているそうだ.なお文字だけでなく満州語自体も話す人はごく稀になっているそうだ.民族攻防で負け側の常なのではあろうが.....


偽満州皇宮博物館緝熙楼

偽満州皇宮博物館緝熙楼

偽満州皇宮博物館は幾つかの建物や庭から成るが,私達が見たのはこの緝熙楼(しょうきろう)だ.清朝ラストエンペラーで,後に(偽)満州国初代(でかつラスト)皇帝に担ぎ出された愛新覚羅溥儀の住居や執務室のあった建物だ.抗日戦争の歴史を伝える『愛国主義教育基地』の役割強化と,観光促進を狙いに,2006年全面的復元が行われたということだ.

ここには初代皇帝溥儀の寝室,執務室,居間,漢方薬保管室(溥儀はかなり常用していたそうだ),理容室,皇后の婉容(えんよう)の寝室,アヘンの吸飲室(婉容は中毒になり,死す)....など,蝋人形や調度品を備えた諸部屋が並んでいる.

以前の資料を見るとこの建物前には江沢民元主席揮毫の『勿忘九・一八』(9月18日を忘れることなかれ)と記した大きな石碑があると記されていたが,無くてひとまずほっとし,安心した.ガイドKさんに訊くと,今年2018年は日中平和友好条約締結40周年を迎えるので(とりあえず)撤去したということだ.ただし後に訪れる瀋陽の満州事変記念館(九・一八歴史博物館)では同様な文が刻まれた巨体な石碑を見ることになる.

なお九・一八は満州事変の発端となった柳条湖事件の起こった1931年9月18日の日付であり,中国では普通九・一八事変と呼ばれているそうだ.


皇帝溥儀の執務室

皇帝溥儀の執務室

なかなか落ち着いたいい部屋だ.溥儀は皇帝としてここで執務したのであろう.実質傀儡であったであろうから,所謂めくら判押しもあったかな.....


皇帝溥儀の居間

皇帝溥儀の仏間

ここは仏間だったか,或いは居間であったか....

いずれにしてもブッダの絵を掛けた仏壇を備えていたことに驚いた.現在中国東北地方の皆さんはあまり仏教に関心がないようだが,清朝ラストエンペラーであった頃,それに(偽)満州国初代皇帝であった頃の溥儀はある程度仏教を信仰していたと,ガイドKさんに伺った.


偽満州皇宮博物館

皇帝溥儀の奥方たち

皇帝溥儀は生涯5人の女性と結婚したが,そうした奥方の写真が多く掲げられている.

例えば清皇帝時代の若いとき,愛新覚羅溥儀に皇后として17歳で迎えられた婉容 (えんよう)夫人.ただホモとの噂もあったという溥儀との生活はうまく行かず,革命で紫禁城を追われ,やがてアヘン中毒になり,次は満州国皇后という反革命分子として共産軍に捉えられ,獄中で哀れな最後を遂げる.この緝熙楼別の部屋にはアヘンの吸飲の蝋人形が見える.なお婉容にアヘンを勧めたのは日本名川島芳子(本名愛新覺羅顯㺭で,日本敗戦後国民党に捕まり,銃殺刑に処される)で,愛新覚羅溥儀とは遠縁に当たるという.

婉容と同じ頃,一夫多妻制の第2夫人的立場で文繡 (ぶんしゅう)夫人とも結婚するが,こちらも反りが合わず,前代未聞皇帝に対して離婚訴訟を起こし,5億円ほどのお金で離婚成立したという.

3番目の譚玉齢 (たんぎょくれい)夫人,4番目の李玉琴 (りぎょくきん)夫人,5番目の李淑賢 (りしゅくけん)夫人のエピソードもいろいろ聞いたが,よく思い出せない.


偽満州皇宮の庭

偽満州皇宮の庭

博物館には庭があり,花や樹木が植えられきれいだ.また池もあり,その下に防空壕が掘られていると聞いて驚く.


偽満州皇宮の防空壕入り口階段

偽満州皇宮の防空壕入り口階段

その偽満州皇宮防空へは岩壁に入り口があり,入ると写真の長い階段の下へと続いているようだ.とっても長そうなので下までは行かなかった.


偽満州国時代のSL

偽満州国時代のSL

庭には偽満州国時代のSLが展示してあった.もちろん有名な満鉄あじあ号ではないが,満鉄のSLかどうかも不明だ.説明書きがないのだ.


偽満州皇宮から長春市街を望む

偽満州皇宮から長春市街を望む

偽満州皇宮は少し小高い丘になっているようで長春市街をよく望むことができる.青空の広がる長春は気候も爽やかで快適だ.


偽満州皇宮のお土産店街

偽満州皇宮のお土産店街

偽満州皇宮広場から出口に至る辺りにはお土産店が並んでいる.博物館の庭であるから公営ショップなのであろう.博物館見物後ここに立ち寄る人も多かろう.並んでいる品々は必ずしも偽満州国縁のものと限らず,いや殆ど関係ない,例えば此の辺り特産朝鮮人参やコーリャン酒,普通のお菓子類などだ.


長春駅へto the Changchun Railway Station

長春駅に向かう

長春駅に向かう

長春見物を終え,バスは長春駅に向かった.見たのはほんの一部だが,なかなか興味深かった.

今高速道の下を通っているが橋脚は1本で,結構長い間隔で建てられている.多分この辺りではあまり地震の心配がないのであろう.


長春駅に到着

長春駅に到着

さてバスは長春駅に到着した.ガイドKさんありがとうございました.Kさんは反日どころか,かなり偽満州国時代の建物を称賛したりするので,何かおかしいのではないか?との声も聞かれた.まあいろいろな意見はあると思う.


セキュリティチェックを過ぎ待合室に

セキュリティチェックを過ぎ待合室に

さて私達は長春16:00発D22号瀋陽(沈阳)行きの切符を手にセキュリティチェックを受け,待合室に入った.待合室は広いが客も結構多く,シートのかなりが埋まっている.


ホームで待ち,和諧号が入ってくる

ホームで待ち,和諧号が入ってくる

時間になりホームに降り,待っていると,和諧号が入ってきた.和諧号はJRののぞみなどど同じように列車の愛称である.なお和諧とは日本語で調和の意で,中国共産党の各階層間で調和の取れた社会を目指すというスローガンだそうだ.

なお乗ったのは15号車で,全16両編成であるが,これはJRの編成と同程度であろうか.



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