このハルビン編では,2018年5月16日成田を出発し,ハルビンに着き,バスで金谷大厦ホテルへ行き,スターリン公園,中央大街を歩き,同街レストランで夕食後金谷大厦ホテルに戻り休む.そして翌17日ソフィア教堂,ユダヤ教会(建築芸術館),黒竜江省博物館を見物し,ハルビン西駅から次の場所に向かうときの写真を載せました.
中国東北のハルビンには大きな川,松花江が流れ,その南側は旧市街,北に新市街を形成している.
普通押上(スカイツリー前)から京成アクセス特急に乗ることが多いが,今回はラッシュとぶつかりそうなので都営浅草線中延駅から乗った.しばらくは混んでいるがそれほどひどくはなく,三田くらいになると空席が出て座ることができた.
押上を越えて,京成線区間に入り暫く行くと,がらがらになり,車窓には初夏の緑が次々に展開されていった.
成田空港第一ターミナルにに着き,指定場所に行き,添乗Hさん(m)に会う.eチケット控えをもらい,諸案内を聞く.よろしく願います.今回参加者は14人(m9,f5)だそうだ.後に知るが関東の人が多く,北は山形から南は山口の方まで広く集まっている.よろしく願います.
そしてCZ6086便チェックインのため中国南方航空カウンターに並ぶ.哈爾濱の簡体字『哈尔滨』表記がはや中国情緒を醸している.ところで東北地方なのに中国南方航空とはこれ如何に?元々東北地方は中国北方航空の縄張りであったのだが,より強大な中国南方航空に吸収合併され,南方航空の名になったそうだ.なおスカイチーム(SkyTeam)メンバーで,手持ちのデルタマイレージカードでマイレージを加えてくれた.
定刻に24番ゲートからCZ6086便A321機に乗り込んだ.ナローボディA321のエコノミークラスシートマップは3-3で,満席のようであった.話し声を聞く限り,客の大半は中国人のようである.
さて乗り込むと,タキシングに入る.これが結構長いのだ,成田空港が大きいためかな~
CZ6086便はほぼ定刻12:50に離陸した.昼過ぎなので水平飛行に入るとすぐ昼食を出してくれた.まあ並であろう.
そして2時間半くらいのフライトで黒竜江省省都ハルビン上空に至り,降下体制に入る.地上を眺めると所々に緑があるが,全般に茶色で覆われているように見える.まだ麦などが芽を出す前なのであろうか.
CZ6086便は予定通り14:45(中国時間)頃ハルビン太平国際空港に到着した.本空港は3,200m滑走路一本で省都空港としては規模は小さいようだ.機外に出ると気温は成田と同じ程度だった.緯度は日本最北端稚内より若干北に位置するようだが,とりあえず寒くはなく安心する.
機を降り,バスで空港ビルに入り,入国審査を受ける.昨秋武漢空港ではパキスタン入国記録で一揉めしたが,今回は全く問題なく通過した.
ターンテーブルで荷を受け取り,税関をくぐると,当地黒竜江省ガイドCさん(Mr)と遼寧省ガイドで,また通しで案内をして下さるSさん(Ms)のお二人が待っていてくれた.よろしく願います.
ハルビン市西の郊外に位置する太平国際空港からバスに乗り,東の都心,金谷大厦ホテルへ向かった.高速道路脇には街路樹が整備され,美しい.バイク禁止はともかく,トラクタ禁止の標識が珍しい.
さてハルビン市であるが,Cさんの案内によると,総人口1000万人余,うち市区部に580万人,面積は見当つき難いが5.3万km2だそうだ.なお黒竜江省の面積は日本全土より広いそうで,また鉱物資源も豊富で,かつて日本が(欺)満州国(1932-1945)を打ち立てたり,満蒙開拓団(1931-1945)を送る魅力となったであろう.
バスはハルビン都心に近づいてきた.そして近郊外には超高層ビルが林立してくる.同じ程度の人口を抱える東京ではこうした超高層ビルは新宿や湾岸部など限定的だが,中国の都市はどこもやたらめったら高いビルが建ち,また新築工事中だ.
Sさんによれば,多くは集合住宅だが,作ればどんどん売れるのだそうだ.男はこうした住宅を買い揃えておかないと結婚できないそうだ.ただ上海ほどではないにしても相当高額であり,若くして自己資金で賄える人は少なく,多くは両親の資金援助を仰ぐそうだ.
なお女性側は車や家具など負担するのが普通だそうだ.結婚にはもちろん職業や収入も重要要件で,それでも残り男,残り女として未婚の人も多く,また離婚する人も多いそうだ.まあこの辺は日本でも同じような面はあろう.
バスは中央大街の金谷大厦ホテル前に着いた.斜向かいは中国郵政の建物だ.一番上のドームなど欧風(ロシア風)デザインだ.ハルビン市はこうした欧風,ロシア風建築が多く残されているのだそうだ.
ハルビンは1896年,清朝と帝政ロシア間で結ばれた条約で帝政ロシアの支配下となった.そして満洲横断の東清鉄道建設が始まり,ハルビンは要衝としてロシア人人口が急増加し,経済発展する.今日残る欧風建築はそうした時代の名残ということだ.
一方清朝はロシア統治に対抗し,ハルビンを対外交易拠点とすることを決め,吉林将軍及び黒竜江将軍の奏准を容れ行政権を強化.そして1912年辛亥革命で中華民国が成立し,やがて1925年民国政府がハルビンの市政政権を奪回,ロシア人による統治が終焉したという.
金谷大厦ホテルにチェックインした.上述の如く中央大街に面し,下記スターリン公園などにも近い好立地だ.
金谷大厦ホテルの客室はとても広く,きれいだ.中国のホテルでよくあるようにバスルームの壁はガラス仕切りだが,全部透明でなく,一部透明なところが新基軸かな?
wifiを備えているのはありがたいが,Google関係,mapsやgmailが完全に遮断され,Google以外も著しく時間を要し,タイムアウトするのが残念だ.Googleマップの代わりに予めマップデータをストレージして使うアプリを同行者にお聞きしたのだが,playストアがアクセスできないのでそのアプリがダウンロードできない.残念だ.日本に戻って試すともちろんダウンロードできたし,Googleマップで詳細なハルビンの街も見える.
も一つ,フリーのミネラルウォーターを備えているし,パック入りインスタントコーヒーを飲んだのだが,チェックアウトのとき,請求されて驚いた.これまで中国以外の他国も含めてインスタントコーヒーやティーバッグは当然フリー,有料とはびっくりした,しかも立派なホテルなのに....まあ安いが.
金谷大厦ホテルで一休み後,ホテル前の中央大街を北に歩き,スターリン公園に向かった.この辺りは並木はあまりないが,花などきれいに並べてある.また平日であるが歩く人は結構多い.観光客ではなく,地元市民の皆さんが多いようだ.
さてスターリン公園に着くと,中央に塔が立っている.『哈爾濱市人民防洪勝利記念塔』と記され,その下部に1988.8.22洪水水位120.09m,洪水流量16600m3/sの文字と水位のバーがが刻まれている.またこれより低いが1957.9.6と1932.8.12の洪水水位も刻まれている.
洪水水位120.09mはその先に見える松花江の川底から測った水位を指すのでしょうか.....はっきりしないが,とにかく時々氾濫し,ハルビン市を水浸しにするようだ.
塔を取り巻くアーチには『共産党万歳』や『毛沢東万歳』の文字が見える.後者は最近珍しくなったのではなかろうか.
さて暴れ川の松花江であるが,アムール川最大の支流で,朝鮮の白頭山に源を発し,吉林省を流れ,ここ黒竜江省ハルビンを通り,アムール川に注ぐということだ.
さて今の気温は関東と同じくらいと述べたが,冬の寒さはものすごく,松花江は1m厚の氷で覆われ,トラックが対岸の太陽島まで往来できるという.
太陽島は避暑地,5A級の観光地として有名で,富裕層(や以前はロシア人)の別荘地やリゾート地として賑わっているという.なお上記洪水のときは島が丸ごと水浸しになったそうだ.
写真真ん中に見えるのは観光用ロープウエイで,もちろん普通の橋も何本も架かっている.またフェリーなども見えている.
なお太陽島の更に向こうの対岸はハルビン市新市街で,市庁舎など行政機関など集まる官庁街,それに新しい住宅街が立ち並ぶそうである.
スターリン公園は松花江に沿って細長く形成されている.そして立派な樹木が茂っていて,市民の散歩やジョギングに活用されているそうだ.
ところでスターリンと聞くと,一般に独裁,大粛清,大飢饉....といったネガティブな感じを受けるが,中国では同じ共産主義国家を造った先人として尊敬されているのでしょうか....多分そうなんでしょうね.
スターリン公園手前には似顔絵描き屋さんが大勢絵筆をとっていた.さすがプロで,とても上手です.
スマホ充電のタイプC端子USBケーブルを持ってくるのを忘れてしまった.ケータイのお店がないかな~とチョロチョロしたが見つからない.添乗Hさんに訊くと知っておられ,案内してもらう.幸いタイプCケーブルが見つかりほっとする.
多分ダイソー辺りでは100円であろうが,ここでは148元(2800円くらい)とバカ高い.それより単なるケーブルなのに,手持ちスマホの番号を登録しないと売ってくれないという.背に腹は代えられないので仕方なく番号を登録.1,2日後に何通か中国語のショートメッセージ’が入る.ガイドSさんに見てもらうと『迷惑メールですから,気にすることないですよ』とのことだった.でも気持ち悪いな~やはり.
中央大街は緑豊かで,また石畳の路面が素晴らしい.木の種類はプラタナスが多いと聞いたように思うが.....この写真を見る限り,日本のプラタナスのように葉っぱが大きくないし,木も細い.....聞き違えたかな....ところどころ白い綿が飛んでいるので柳の仲間かな.....
ロシア時代の建物だそうだ.手前はすっかり変わり果てKFCになっているが,奥側には露西亞の看板が掛かり,確かコーヒー店であったか.....往時を偲ばせる.
中央大街は1900年代初頭帝政ロシアがこの地を支配下に入れてから開発が推められ,当時『中国人街(露語でキタイスカヤ)』と呼ばれたそうだ.そして後に日本資本,ユダヤ資本企業も進出し,その頃の建物が多く残されている.今も石畳歩行者天国の両サイドにはファッショナブルなお店が並んでいる.
中央大街の道標に直交し,中医街の標識が見えている.漢方医学のクリニック,鍼灸院などが集中した通りなのであろう.中国ならではの専門街だ.
屋上にドームを載せたこの欧風ビルも歴史建築の一つだ.ハルビン旅客センターの看板が掛かり,旅行用品ショップなどが営業している.
ハルビン市はこうした歴史建造物を保存すべく管理しているそうだ.
これは上建物に関するもので,ハルビン市人民政府交付プレートが嵌め込まれ,1918竣工の元日本商社松浦洋行のレンガと鉄筋コンクリート複合構造でバロック風味を採り入れてあると記されている.
その昔,中央大街には路線馬車が運行されていたそうだ.そしてその実物大模型が道脇に展示されている.馬は場所からして力の強いモンゴル馬の系統だったでしょうか.
1913年創業と記されているソーセージ専門店.いかにも遊牧民,或いはそうした民族と共存してきた人々のお店かな~と思われた.
暗くなってきて,中央大街から入って直ぐのロシアレストランに入った.メニューは定番のボルシチとキュウリの酢漬けと....思い出せないが,まあ普通に美味しかったかな.
ただビールは,中国産ビールの常として,薄くて決して美味しいとは言えないと思う.ガイドSさんによれば,中国人は脂っこい中華料理を食べながら,薄く(アルコール少ない),さっぱりした味のビールを大量に飲むのが好みなのだそうだ.そんなもんですかね~
さて金谷大厦ホテルで5/17(木)朝が来た.朝食を食べにレストランに降りる.
先ず驚いたことに,マグロ刺身があり,早速これを盛る(写真左上).他に串焼き,スペアリブ....など,朝食というよりビールのおつまみだ.美味しかった.
美味しい朝食後レセプションに行き,チェックアウトする.そしてここで上に述べた有料インスタントコーヒーが発覚しており,支払う.
そしてバスが来るのを待つ.窓から中央大街を眺めると,いい天気で木の葉が清々しい.
日露戦争(1904-1905年)2年後の1907年,帝政ロシア兵士の軍用教会として創建され,以降拡張工事が行われ1932年に現在のこの姿になったそうだ.日露戦争時日本人も1000人以上住んでおり,勝利したのだが,ハルビンのロシア統治は継続されたのであろう.
ドームの形や,その上の斜め棒の加わった十字架の形で正教会だと判る.
ただ現在ロシア人はおらず,また当地中国市民の正教徒も殆ど居ないようで,教会は廃止され,ハルビン開拓期からの写真や模型を展示する博物館になっている.
教堂に入ると,十字型フロア上部に,重厚な部屋柱に支えられた高い主ドームが築かれている.主ドーム下のシャンデリアや本来聖所(内陣)があったであろう奥の壁にはダヴインチの最後の晩餐レプリカが僅かに置かれている.
本来壁にはフレスコ画などがあったのであろうが,殆ど剥がされたようである.近くにはロシア正教独特の木造教会ニコライ大聖堂もあったのだが,文化大革命時完全に破壊され,跡形も無くなったということだ.
現在は写真や資料が揃えられ,平日なのに見学者が非常に多く,驚かされた.当然抗日や反日の素材になりそうな資料も揃っている.
ガイドCさんが,ここが1909年,伊藤博文が安重根(アンジュングン)の3発の銃弾で射殺されたハルビン駅です.撃たれた場所はこの駅舎背後のホームです,と説明された.
日本の韓国統監府初代統監だった伊藤博文は満州経営の可能性を探るため満州の中心辺りに位置するここハルビンを訪れた.そしてその計画を知った安重根が待ち伏せて実行したということだ.ロシア官憲に捕縛された安重根は翌年死刑になるが,よく知られるように日本ではテロリスト,韓国では英雄で,この近くには韓国政府設立の記念館も建てられているそうだ(私達は行っていない)
当時のハルビン駅周辺模型も展示されていた.当時は路面電車が走り,周辺は広いお屋敷の最高級住宅街で,例えば日本領事館などもあったという.
なおハルビン駅は私はバスで通過しただけだが,駅舎は昔とは違うものの,その背後に数本のレールが敷設されている状況は当時と同じということだった.
ソフィア教堂は広い庭に建てられ,公園のようになっている.ここで寛ぐ家族連れの姿も多い.
それとハルビンには児童公園がとても多い.でもそこに居るのは児童ではなく,お年寄りが圧倒的に多いそうだ.
帝政ロシア統治時代,ハルビンにはユダヤ人も多く住み,1921年竣工のユダヤ教会(シナゴーグ/synagogue)もあったそうだ.この建物がそれで,現在は『建築芸術館』になっている.
建築芸術とは何か?実際館内を見せてもらうと,ユダヤ人関連の写真や資料,模型などが多く,建築芸術などと謳わないでくれた方が分かりやすいような....でも事情があるんでしょうね.
ユダヤ人の象徴ダビデの星に続いて,松花江洪水の写真が展示してある.市内は水で覆われ,市民が団結して臨んだ様子がよく判る.
なお写真は多量に展示され,確かにユダヤ人関連に限定されず,ハルビン全体の記録が見えるようになっている.
当時のユダヤ人家庭生活の様子を模型や家具で展示してある.分かりやすい.
結婚証明書,電報などそのまま展示されている.
ハルビン市長発行の結婚証明戸籍登票は漢字の他にアルファベット,カタカナが併記され,日本の満州統治の様子が窺える.
こちらもユダヤ教の象徴7本のメノラー(menorah)模型が展示されていた.いや模型ではなく本物かな?
代表的ユダヤ人の資料も展示されている.こちらはアインシュタインで,全部漢字だけで説明されている(当然か).とりあえず愛因斯担と綴ることが判った,なるほど.
建築芸術館の次は黒竜江省博物館に向かった.道にはおばさんがとうもろこしや玉子,水を販売していた.ハルビンでは多くはないが時々こうしたお店に出合う.
歩道を進むと交差点の広場に来た.広場中央の押しつぶされたような大きなオブジェの場所にはニコライ大聖堂があったそうで,文化大革命で破壊されてしまったということだ.文化大革命では,普通の仏教寺院も,チベットではゴンパも,ウイグルでは古い仏教遺跡も,何もかも破壊されたのだ.
黒竜江省博物館入り口に来た.建物自体は1906年,ロシアがデパート用にバロック様式で建てたそうである.
本博物館は黒竜江省の歴史に関わる展示,化石など黒竜江省の自然に関わる展示,鄧散木芸術展覧区に大別されている.
歴史部門では『黒龍江の原始文化』,『唐代渤海期の黒龍江』,『遼,金代の黒龍江』,『元,明,清朝期の黒龍江』の四つの部分に分けられ,写真のマップは遼,金代の黒龍江時代における金の範囲を記している.金は結構広かったのですね.
清朝になると完全に中華帝国主役の座になるので,これより遥かに広いであろうが,写真撮ってなかった.
時代の関連は覚えてないが馬方さんの引く馬の絵だったと思う.馬方さんの服装はモンゴルや満州系デザインに見える.それと馬はやはりモンゴル馬の系統ではないでしょうか.
色々な動物の化石が展示されていたが,このマンモスは巨大で驚いてしまった.まあこの辺りでは今は絶滅したマンモスが棲息していたのですね.
鄧散木先生はこの黒竜江省出身なのでしょうか.絵と篆刻作品を載せた解説が記されている.私は篆書では名前だけは知っていたが,これを見ると絵画や詩,書...などでも天才的芸術家であると書いてあるのでしょうか?
なお篆刻は『江山如此多嬌』のようであるが,ぐぐってみると,江山(山と川,即ち国家)の如きは此(か)も多いに嬌(あで)やかにして,の意であると毛沢東が自らの偉大さを表現したとか.....いや,ちょっと難解過ぎる,いいことにしよう.
黒竜江省博物館近いレストランで中華料理の昼食を頂いた.通りには街路樹から舞い降りる白い綿毛が散らばっており,お店の人が掃き寄せている.柳の仲間ではないでしょうか.
長春駅行き高速鉄道(高鉄,新幹線)に乗るため,バスはハルビン西駅へと向かった.途中高層マンションがガンガン建設中だ.
ハルビンはほんの一部観たに過ぎない.例えば敗戦で撤退時破壊し,後に中国政府が復元したという生物兵器の生体実験があったとされる731部隊跡などには触れていない,尤も躊躇われるが....
ガイドCさんもそこには触れず,改めてハルビンの特徴を整理してくれた.(1)工業の街(2)3大避暑地の一つ(3)国際都市(4)音楽の街(5)氷祭りあり,ということで,ぜひまたお出で下さいとのことだ.なおCさんは『歩きかた』最新刊で写真入りで紹介されており,ガイドSさんがそのページを開けて見せてくれた.
途中ロシア産物店に立ち寄った.双眼鏡とか,マヨルカとかそれらしきものがあったと思う.知識不十分で良し悪しについては判らず.
高鉄のハルビン西駅に着いた.予めセキュリティチェックの厳しさは聞いているので,念入りに再確認しゲートをくぐる.ただ他の駅もそうなのだが水ボトルは問題にしない.
最近JR東海新幹線小田原付近で殺傷事件が起きたが,確かに中国高鉄のX線スキャナのようなのを導入すれば防げるかも知れない.ただし別の諸課題があり,現実的ではないようだ.なお中国は高鉄だけでなく,以前から在来線でもX線が使われている.
セキュリティチェックを終え,待合室で待つ.東京駅とかと比べて圧倒的に広々した待合室で感心する.これは他の高鉄駅でも同じように広々感じる.尤も東京駅の圧倒的高密度の乗降客数や運行列車数と比べるのはフェアではないであろうが.
さて長春行き2等車の切符を見てみる.16:05発G896号で,6号車08F席2等車,料金は109.5元(2100円くらい).距離は....覚えてないが,JRより安目であろう.(なおパスポート#,名前は消した)
エスカレータで長春行きG896号乗り場ホームに降りた.既に車両は待機していた.ここが始発なのであろうか.
ホームは混んでおらず,何やかんやうるさい案内や音楽放送がなく静かなのは好ましい.日本の駅の放送はやはり過剰だとこんなところで思い出してしまう.