このページはエベレスト方面で見える山写真のダイジェスト版です.Googleマップにトレイルと山マーカーを付し,既存ページから転載し,クスムカングル,コンデリ(クワンデ),クーンビラ,タムセルク,カンテガ,アマダブラム,カンレヤム,タワチェ,チョラツェ,キャジョリ,マッツェルモピーク,アイランドピーク,マカルー,ローツェ,ヌプツェ,エベレスト(サガルマータ,チョモランマ ),プモリ,ギャチュンカン,チョオユー,ロブチェピーク,リントレン,クーンブツェ,チャンツェ各山の写真を検索できるようにしました.
ナムチェから眺めた夕映えのクスムカングル(Kusum Kanguru:6,367m)
クスムカングルは6,367m,晴れていればルクラ出発してナムチェバザールへ向う時に最初に目にする大きな山.チベット語で三つの雪の峰の意だそうである.1979年に国際隊と日本隊が臨み,先ず国際隊が東峰に達したが主峰には至らず,日本隊は主峰に登頂し,一般的にはこれをクスム・カングルの初登頂とされているようである.現在トレッキングピークの一つに指定されているそうだが,相当高度な登山レベルが必要だそうである.
以上エベレスト街道トレッキング2005/ターメへのページから. 上へ↑
フルテ辺りで対岸のコンデリ(Kongde Ri:6187m)
コンデリ(Kongde Ri),別名がクワンデ(Kwangde)(コンデリが新しい名前らしい)は6,187m.遠くチュクンからも良く見える.ロールワリン山群の東端にあり,ナムチェバザールからはすぐ近くに見える.西峰(Nup6035m),南峰(Lho6187m),東峰(Shar6093m),西峰南峰間の無名峰(5957m)の四つのピークを持つ,と記されている.周囲がギザギザの半円形稜線で識別し易いと思う.
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チョモア辺りで振り返り眺めたクーンビラ(Khumbila:5,761m)
クーンビラは5,761m.この地方のシエルパ族が聖山として崇めている山で,何人も登ることは許されないそうである.日本語の金毘羅(四国の金毘羅様のそれ)はこのクーンビラ(サンスクリット語だそうだ)のことだそうだ.さらに遡ればクーンビラはワニを意味し,ワニを祀る風習は仏教に由来する,ということだ.な~るほど!
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ドーレ手前から振り返って見るタムセルク(Thamserku:6,623m)
ナムチェから眺めた夕映えのタムセルク(Thamserku:6,623m)
タムセルク(6,623m)はゴーキョからもカラパタールからも,さらにチュクン方面からもエベレスト街道トレッキング2005で通った殆どトレイルから見ることができる.どの場所からも西面を望むので判り易い.
以上エベレスト街道トレッキング2005 ゴーキョリへ(2/3),ターメへのページから. 上へ↑
ドーレ手前から振り返って見るカンテガ(Kangtega:6,685m)
カンテガは6,685m,馬の鞍状に白く輝く.6,783mとか6,799mと書かれている場合もあるようだ.前述のタムセルクと隣同士なので大方一緒に見えること多し.馬の鞍状の特徴とタムセルク同様どの場所からも西面を望むので判別し易い.
以上エベレスト街道トレッキング2005/ゴーキョリへ(2/3)のページから. 上へ↑
パンボチェから眺めたアマダブラム(Ama Dablam:6,812m)
フェリチェから眺めたアマダブラム(Ama Dablam:6,812m)
アマダブラム(6,812m)とは母の首飾りの意味だそうである.どうして母の首飾りなのかは判らないが......少なくともタンボチェの方向から眺めるときの形は個性的で最も判別容易,ゴリラそっくりと見るむきもあるようだ.しかし見る方向で革命的に形が変わってしまうので判断に迷うこと多くなる.ある公募登山の案内を見ると以下のように述べられている.シェルパの故郷であるクンプー谷にひときわそびえ立つこの山は,世界で最も美しい山の一つに数えられる名峰でもある.アマダブラムは1961年,英/米/ニュージーランドの混成隊によって南西稜から初登頂された.現在では何本かの登山ルートが開かれているが,どのルートから登るにしても非常に急峻で,それなりにかなりの登山技術が要求される.モンスーンの後の天候は安定するがポストモンスーン特有の厳しい寒気に加え,標高6,000mを超える希薄な空気という条件の中での登山となるそうである.
以上エベレスト街道トレッキング2005/カラパタールへ(1/2)のページから. 上へ↑
チュクンから眺めたカンレヤム(Kang Leyamu:6,430m)
カンレヤムはアマダブラムの東に位置し,美しいヒマラヤ襞が強烈だ.チュクンリはカラパタールやゴーキョリに比べて行く人がぐっと少ないようであるが,このカンレヤムや大きなマカルーを望めるのでお薦めだと思う.
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モンラ少し先のタワチェ(Tawachee:6,542m)
フェリチェの朝眺めたタワチェ(Tawachee:6,542m)
タワチェ(Tawachee)は6,542m,タワツェ(Tawoche),タボチェ(Taboche)と称されることもあるようだ.シャンボチェ辺りから見ると,頂部がヒマラヤ襞の模様を付けて面取りしたような形が特徴的だが,チュクンリ辺りから眺めると全く予想できないほど違う形に見える..
以上エベレスト街道トレッキング2005 ゴーキョリへ(2/3),カラパタールへ(2/2)のページから. 上へ↑
マッツェルモから見えるチョラツェ(Cholatse:6,440m)
トクラから眺めたチョラツェ(Cholatse:6,440m)
タワチェの北にあるのがチョラツェ,6,440mの高さだ.マッツェルモ辺りから見るのが特に美しいと思った......が,反対のトクラ辺りからの眺めもすばらしい.
以上エベレスト街道トレッキング2005 ゴーキョリへ(2/3),カラパタールへ(2/2)のページから. 上へ↑
マッツェルモ見るキャジョリ(Kyajo Ri:6,151m)
キャジョリは6,151m,脇を氷河が走りなかなか鋭い感じの山だ.
以上エベレスト街道トレッキング2005/ゴーキョリへ(3/3)のページから. 上へ↑
マッツェルモから見るマッツェルモピーク(右/Machhermo Peak:6,017m)
マッツェルモピーク6,017m,実はよく判らないうちに上に行ってしまった.たった1枚だけ,マッツェルモにてキャジョリ(左)とマッツェルモピーク(右),だと思う.
以上エベレスト街道トレッキング2005/ゴーキョリへ(2/3)のページから. 上へ↑
ビブレを越えた辺りから見るアイランドピーク(Island Peak:6,189m)
アイランドピーク,本来イムジャツェ(Imja Tse)と呼ぶようである.6,189mの高さで,ここに登る予定の人たち何人かに出会った.ローツェシャールから南下する尾根上のピーク.1952年シプトンが氷河に島状に突き出た山容からアイランドピークと命名した.最高峰の北東峰の初登は1956年のスイスのエベレスト隊である.南西峰 (6100m)はそれより以前1953年にイギリスのエベレスト隊によって登られた,ということだ.
以上エベレスト街道トレッキング2005/チュクンリへのページから. 上へ↑
チュクンリから眺めたマカルー(Makalu:8,462 m)
マカルーは8,462 m.ゴーキョリ,チュクンリから見える.ウィキペディア(Wikipedia)を参照すれば,マカルーはエベレストから約22km東にある世界で5番目に高い山である.その山頂は四角錐状になっており,狭い鞍部を挟んだ北側には別の頂であるチョモロンゾ(7,818m)がある.マカルー登頂への最初の試みは1954年春にアメリカの登山隊によって行われた.彼らは南東からのルートを選択したが,7100m地点で嵐に会い失敗に終わっている.同じ年にジーン・フランコ率いるフランスの登山隊が北東側からのルートで挑戦している.このときには失敗しているが翌1955年の5月15日に Lionel TerrayとJean Couzyが,翌16日にフランコら3人が頂上に立っている.アメリカ隊が失敗した南東からの登頂は,1970年に2人の日本人が最初に成功している.マカルーは急な斜面や切り立った峰などから,世界でも屈指の登りづらい山として知られている,と述べられている.
以上エベレスト街道トレッキング2005/チュクンリへのページから. 上へ↑
チュクンリから眺めたローツェ(Lhotse:8,516m)
ローツェ8,516mについてウィキペディア(Wikipedia)から転載する.ローツェはヒマラヤ山脈のエベレストの南に連なる世界で4番目に高い山で,主峰の他に8,414mの東峰と8,383mのShar峰がある.ローツェの登頂は1956年5月18日にエルンスト・ライスとフリッツ・ルフジンガーが率いるスイスの登山隊によって成し遂げられた.1979年5月12日にはオーストリア隊のZepp MaierlとRolf WalterがShar峰への登頂に成功し,2001年5月23日にロシアのEugeny Vinogradsky・Serguei Timofeev・Alexei Bolotov・Petr Kuznetsovの4人が東峰に登頂している.1988年12月31日にポーランドの登山家Krzysztof Wielickiが登頂した.これが最初の冬場の8000メートル峰登頂になった.2003年10月までに243人が登頂に成功し,11人が命を落としている,と記されている.
以上エベレスト街道トレッキング2005/チュクンリへのページから. 上へ↑
チュクンリ中腹から眺めたヌプツェ(Nuptse:7,864m)
ヌプツェは7,864m,エベレストの前に立ちはだかる.7つの峰から成る.主峰のヌプツェ第1峰(7,864m)の初登頂は1961年5月16日英国遠征隊デニスデービス(Dennis Davis)とタシシェルパ(Sherpa Tashi)によって北尾根(通称スコットルート)から成されたそうである.
以上エベレスト街道トレッキング2005/チュクンリへのページから. 上へ↑
カラパタールから眺めたエベレスト(Everest:8,850m)
デブチェから眺めたエベレストとヌプツェ(手前)
以上エベレスト街道トレッキング2005 カラパタールへ(2/2),ターメへのページから.
ロンボクから眺めたチョモランマ(エベレスト)北面(Chomolangma:8,850m)
以上チベットの旅2007/ヒマラヤのページから.
エベレスト8,850mについてウィキペディア(Wikipedia)からそのまま転載.エベレスト(ネパール名サガルマータ,チベット名チョモランマ)はヒマラヤ山脈にある世界最高峰の山である.標高については諸説あり,1954年にインド測量局が周辺12ヶ所で測定し,その結果を平均して得られた 8848mが長年一般に認められてきた.1975年には中国政府が雪面を含む標高を8849.05m(8848.13m + 積雪0.92m)と測定した.1999年全米地理学協会はGPSによる測定値が8850mであったと発表した.2005年10月9日,中国国家測量局が 2005年5月時点での標高は8844.43m(3.5mの氷雪は標高に含まず)と発表した.ただしネパール政府は現在もこれらの測定結果を認定せず,公式には8848mとしている.地殻変動,地球温暖化による影響などもあり,標高は年々変動していると考えられる.(インドは今も北に1年に数cm進んでいる為,年々高くなっていると考えられる.)英名エベレストはヒマラヤ山脈を測量した時にインド測量局長官であったイギリス人のジョージ・エベレスト (George Everest) にちなむ.なお近代的車いすの発明者のエベレストとは別人である.
英国山岳会が1921 年に第一次遠征を派遣.エベレスト登山史の幕開けである.1924年6月8日イギリス第三次遠征で,第二次アタック隊のジョージ・マロリーとアーヴィンがチベット側から頂上に向かった.途中第2ステップと呼ばれる切り立った岩壁の難所を登るところまでは目撃されていたが,その後行方不明となる.第三次アタック隊がマロリーの登頂に懐疑的な立場を取ったため,マロリーらが初登頂を果たしたとは認められなかった.1951年イギリス隊(隊長:エリック・シプトン)がネパール側よりアタック.難所アイスフォールを突破し,現在のノーマルルートの南東稜ルートを発見する.1953年5月29日にイギリス登山隊のエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイが登頂に成功した.現時点ではこれが歴史上初のエベレスト登頂成功とされている.1999年5月1 日,アメリカのマロリー&アーヴィン捜索隊が標高8,230m付近でジョージ・マロリーの遺体を発見する.マロリー達はコダック社のカメラを持参していた.このカメラが発見されたならばエベレスト登山史上最大の謎が解けることになるが,未だ発見するに至っていない,と記されている.
なおエベレストのチベット名チョモランマ(Chomo Langma) は「大地の母」の意味,ネパール名サガルマーター(Sagarmatha)は「世界の頂上」の意味であるそうだ.
カラパタールから眺める朝のプモリ(Pumo Ri:7,161m)
プモリは7,161m.プモリの稜線はネパールと中国との国境だそうだ.少女峰の意味だそうで,アルプスのユングフラウと同意か.ヨーロッパの人たちから世界一美しい山と評されている,とも聞く.
以上エベレスト街道トレッキング2005/カラパタールへ(2/2)のページから. 上へ↑
ゴーキョリから望むギャチュンカン(Gyachung Kang:7,922m)
ギャチュンカン,7,922m.ゴーキョリに立つと目と鼻の先に聳え,その豪快な山容と相まって強烈なインプレッションを受ける.マッツェルモのロッジでギャチュンカン登頂に成功し,下山途中の福岡のパーティに出会い,いろいろお聞きできたことで一層興味深い山となった.
以上エベレスト街道トレッキング2005/ゴーキョリへ(3/3)のページから. 上へ↑
ドーレの丘から眺めたチョオユー(Cho Oyu:8,201m)
チョオユー8,201m.ウィキペディア(Wikipedia)から転載すれば,チョ・オユーは標高8,201mで世界第6位の山.シェルパ語でトルコ石の女神の意味.8,000m峰の中では比較的登りやすく,また危険度の低い山といわれている.1954年10月 19日 - (初登頂) - J.ヨヒラー,パサン・ダワ・ラマ,H.ティッヒー,と記されている.ゴーキョに向かうとき,ドーレ辺りから先方にず~っと眺めながら歩くことができる.
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ゴーキョリから眺めたロブチェピーク(左)(Lobuche Peak:6,119m)
ロブチェピークは6,119m(東峰).登山をやる人はここによく登るようだ.例えば野口健さんのサイトなどでも「ロブチェピーク登頂記」が美しい写真と共に公開されております.
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ゴラクシェプで眺めたリントレンリントレン(左)(Lingtren:6,749m)
ネパール,チベット国境のリントレンは6,749m.ナイフで切断されたような南西面の真っ白な眺めが印象的.クーンブ氷河の先にあるので,ゴラクシェプを目指し歩くときこれを眺めながら進む.
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ロブチェ上クーンブ氷河先のクーンブツェ(左)(Khumbutse:6,665m)
ネパール,チベット国境のクーンブツェは6,665m.稜線がナイフエッジのように切立って見える.クーンブ(Khumbu)はこの辺一帯のエリア名.さほど高くないこの峰にクーンブの名を冠しているところが興味深い.なおツェ(tse)は峰/岳の意.
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カラパタールから眺めたチャンツェ(Chantse:7,556m).
チベット領内に位置するチャンツェは7,556m.チベット語でチャンツェは北峰/北岳を意味し,ローツェは南峰/南岳の意だという.つまりエベレストを中心に据えた呼称と言えようか.ちなみに日本の有名な「北岳」は,北岳/間ノ岳/農鳥岳一帯は白峰山と呼ばれ,その一番北にあることから北岳と呼ばれるようになった,と云うことだ.
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