カラパタールへ(1/2)Kalapattar

天気にも恵まれゴーキョリまで順調に進んだ.当初計画より1日早い.一旦ポルツェまで下って次はカラパタールを目指す.

第10日目:2005年10月28日(金)

今日は第10日目,ゴーキョからポルツェに下る.

ゴーキョ  Gokyo

朝のゴーキョ湖

朝のゴーキョ湖

朝ロッジ(Gokyo Namaste Lodge & Restaurant with Shop)の部屋は3℃,6:30AM食堂に行きトーストにオムレツの朝食をとる.7:15AM,薄日が射す天気のなか出発しゴーキョ湖に差し掛かった.静かな湖面に逆さゴーキョピーク(の1つ)が映えていた.朝のゴーキョは冷たい,凍てつくタルチョーも風になびかず,陽射しを待っている.


チョオユーの左(西)の肩部

チョオユーの左(西)の肩部

後ろ,北の方向を振り向くとチョオユーに右の東方向から日が当たり輝いていた.上部のなだらから切れた断崖部分を眺めると少し青みがかって見える.氷河の先端辺りではなかろうか.


朝のカンテガとタムセルクを眺め川原に降りる

朝のカンテガとタムセルクを眺め川原に降りる

やがて東から流れ来るドゥードコシ本流にトレッキング路がぶつかる近くにくる.その辺りでそれまでの道から逸れ,ドゥードコシの川原まで降りることになる.薄曇の天気で少し白っぽい朝のカンテガ(左)とタムセルク(右)を眺めながらどんどん下る.


下山路にも登りあり

下山路にも登りあり

時どき上り坂もある.こんな高いところでもトレッキング路は皆家畜の通る道でもある(と言うかそちらがメイン)ので大丈夫だ.つまり基本的には道幅は家畜の幅相当はあり,家畜がスリップしたり転げたりしないで済むステップの段差となっている.なお家畜とすれ違うときは山側に身を寄せて待機するのが鉄則.稀に谷に落とされることがあるそうだ.まあ本能的に山側に避けるからまず問題ないが.

ナー  Na

ドゥードコシを渡り,ナーに向かう

ドゥードコシを渡り,ナーに向かう

ここはパンガ辺りのようである.川原に下るところまでは登ったときと全く同じ道を降りてきたが,ここからは異なる道に入ることになる.つまりここでドゥードコシを渡り,ナーに向かうことになった.この小さな橋で渡るドゥードコシの流れはここではまだ狭い.ただ傾斜があるので流れは急峻で,色は既にミルク色だ.


ナーの茶屋の辺り

ナーの茶屋の辺り

ドゥードコシを渡り川原の斜面を登ると結構広い家畜囲いと,その周囲に数軒の建物が現れる.ここがナー(4,440m)だ.今は晩秋,家畜の姿はなく閑散としているのは他の高地カルカと同じだ.写真の建物は主に夏の放牧時に使われる別荘か?或いは伝統的な宿(バッティ)か?背面にチョラツェが美しく聳える.ここから見上げたチョラツェはやはり襞が豊かで見入ってしまう.


ナーの茶屋とマッツェルモ方面の山々

ナーの茶屋とマッツェルモ方面の山々

今渡って来たドゥードコシの方向を振り返ると,日を浴びた茶色い対岸の土手が高く連なっている.背後はマッツェルモ方面のいくつかの峰みねで,キャジョリ,マッツェルモピークなどかも知れないがよく判らない.

ここにはトレッカー向けロッジも2,3あるようで,写真のロッジも部屋と食事を提供している.


ナーの茶屋の子

ナーの茶屋の子

このロッジの男の子だ.陽だまりの地べたで,いかにも山の子といった顔を覗かせながら遊んでいた.この子より少し年上であろう女の子ともどもよく日に焼けて元気そうだ.この辺りはきわめて人口が少ないし,ましてや同年代の子供は殆ど居ないであろうから,自ずと土に親しむことになろう.


トーレ  Thore

ドゥードコシ東岸を下る

ドゥードコシ東岸を下る

ナーからはドゥードコシ東岸に沿ってトラバースしながらどんどん下る.道はドゥードコシのかなり高いところに位置し,眺めがいい.対岸の山々は地図を参照するとクムチェヒマール(Khumuche Himal)のようである.登る時の西側ルートより若干高い位置にあるような気がする.所々に広がるカルカが雄大な風景に趣を添えている.


集落とカルカ

集落とカルカ

下る先にターレ(の筈)の集落が見え,周りにはたくさんのカルカが広がっている.決して平らに近くはないが,いくらかでも傾斜が緩やかな土地があれば,カルカが造られ,広ければ集落が形成されるようである.集落がない場合でも夏に家畜追いの人たちが過ごす別荘が所々に設けられている.
向こうに見えるはカンテガ(左)とタムセルク(右)だ.薄雲が少なくなり,山もクリアになってきた.

カルカと対岸の山,クーンビラ

カルカと対岸の山,クーンビラ

こうして上から眺めるとカルカが地形に合わせて形成され,その周囲が石で囲まれているのがよく見える.これら鋭い山々は何だ?歩いている場所はトーレの少し川上,ルザの正面くらいであろうか.とするとクムチェヒマール山群か,さらに南のクーンビラ辺りということになろうか?クーンビラは少なくとも反対の南側から眺めるとこんなに鋭く尖った感じがしない.とするとやはりクムチェヒマールの山となるかな~?でも,やっぱり位置関係と,南側が谷に接している眺めからするとクーンビラと云うことになる,これを結論としよう!

このルートから眺める光景,白い山を背景にした谷と牧場の組み合わせはスイスなどの風景と似た雰囲気だ.どちらも甲乙付け難くすばらしい.


トーレのロッジ

トーレのロッジ

ナーから全く人と遭うことなくトーレ(3,490m)まで下った.西岸ルートに比べトレッカーも住民も少ないのであろう.到着して最寄のロッジを覗くと意外にもヨーロッパ系か,5,6人グループのトレッカーが食事をしていた.忙しそうなので次のロッジに腰を下ろした.写真はそこの食堂.ここではガーリックスープが美味しかった.見ての通りインテリアは原色の多い輸入チベット製品が多用されている.

ターレ  Thare

トーレの次(下流側)はターレの筈であるが,地図によってはこの2つの地名が逆になっている場合もあるようだ.現に下流側のターレの筈の集落で”トーレ”の住所を看板に表示したロッジがあった.ガイドが言うには,住民に訊いても人によって答えが違うのだそうである.

対岸から眺めたドーレ

対岸から眺めたドーレ

下山途中,ターレを過ぎた辺りで上から眺めたドゥードコシ対岸のドーレの集落.ゴーキョに登るときに通り,2泊した場所だ.左が南で,そちらから登ってドーレの最初の地区の到着し,牧場を越えて小川を渡りドーレ第2の地区,宿泊したところが見える.右は丘になっており,ここから見ると結構急峻に見える.ここは到着した5日目,滞在した6日目,出発の7日目と3回登った丘だ.
地図で調べると,こちら側ターレは対岸のドーレに比べて200mくらい高い位置にあるようだ.

坂の上のチョルテン

坂の上のチョルテン

お~急な登りだ,頂上を見上げると道の中央にチョルテンが見えている.この辺は人口が疎らだがチョルテンは多く見られる.道を少し外れて苔のむした古いチョルテンが山間の道にひっそり立っていたりする.

ポルツェ  Phortse

ヒマラヤタール(Himalayan Tahr)

ヒマラヤタール(Himalayan Tahr) に遭遇

急な岩山の斜面に10数頭が群れを成していた.筆者が相手を観察していると,相手もこちらの動きにジーっと目を注いでいる.本やネットで確かめると,どうやらヒマラヤタール(Himalayan Tahr)のようである.偶蹄目ウシ科(学名:Hemitragus jemlahicus),もっとも原始的なヤギ族といわれているようだ.ヒマラヤ山脈ネパール,パンジャブ,シッキム,カシミールなどの山地の岩場に生息.朝早くと夕方にエサを食べる.数が少なく国際保護動物に指定されている,と記されていた.

霧のポルツェに到着

霧のポルツェに到着

夕刻ポルツェ(3,800m)の宿(Forche Guest House)に着く.周りは今は収穫が終わって茶色一色であるが,ジェルジェンの話ではジャガイモ畑が多いようである.間もなく辺りはすっかり霧に包まれ,ロッジの間近に迫ってきた.ロッジの名称がPhortseではなくForcheと綴られているので,発音はやはりポルツェよりフォルツェ若しくはフォルチェが近いのかもしれない.


下は,第10日目に通過したところあれこれ

第10日目の写真
ゴーキョ~ポルツェの眺め
ラジューもドーレ以上の標高は始めての経験,で筆者と一応同じ土俵だった.しかし彼の足取りは軽やか. 再び石の原を通って第2ゴーキョ湖へ 第2ゴーキョ湖から眺めた朝のカンテガ(左)とタムセルク(右) ゴーキョから流れ出る小川に沿い,タムセルクを眺めて下る タムセルクとドゥードコシ支流 ラジュが下る プロのポーターが上って行く
ドゥードコシを越えて対岸に渡った ドゥードコシ対岸を上がるとチョラツェがきれいに見えていた ナーの茶屋とチョラツェ クーンビラの方向 トーレ近くで眺めたタムセルク カルカが広がる トーレ近くで眺めたカンテガとタムセルク

第10日目のメモ

今朝ゴーキョのロッジ(Gokyo Namaste Lodge & Restaurant with Shop)ではフランクフルトから来たという単独中年の男性と隣り合わせで朝食をとった.昨日ゴーキョリに登り,今日はチョーラパスを越え,カラパタール方面に向かうそうだ.こうして見ていると,筆者のように一旦下るのではなくチョーラパスを越えてカラパタールに入る人が多いように思える.尤もこのコースは登山の心得がないとちょっと難しいそうで,筆者にはちょっと無理だが.

ドゥードコシを渡る少し手前,登ってくる60歳超えくらいの日本人(に見える)男性に,「こんにちはー」と声をかけると,「こんにちはー」の返答で一安心.少し言葉を交わし,進む.間をおいてシェルパと一緒にゆっくり歩く日本人男性,先ほどの男性から,「連れが後ろに遅れて来る」旨聞いていたので今度は安心して「こんにちはー」と声を掛ける.向こうが「ウォ~,日本人!こんにちは!」と(こっちはいかにも日本人って出で立ちなんだけど,結構ドラマチックに)応えてくれる.で,この方がすごい!のです.脚の病気か怪我で右ひざの手術をし,リハビリのため先ずゴーキョに登り,続いてカラパタールを目指すのだそうだ.言われて足元を見るとどうやらズボンの内側は歩行補助の器具を装着しているようである.ペースが違い過ぎ,先に歩いて行ったのは滋賀在住の親友,ご自身は東京在住,今は普通の人の半分の速度でしか歩けないが,10年前カラパタール登頂経験があり,それがあまりにすばらしかったので,手術後日本の山でトレーニングし,先ほどの友人を誘ってまた来た,というストーリーだ.リハビリテーションでゴーキョリとカラパタールなんて!すごい!「お大事に!」は変だし,「お気をつけて!」でお別れした.

当初計画ではこの日はターレまでで,ここに宿泊の予定であった.しかし終点が低所だから高山病に対する心配は無さそうだし,下りだから多少長くても大丈夫そうなので,前日ガイドのジェルジェンに相談してポルツェまで下ることにしたのだった.対岸のマッツェルモを通るコースに比べてアップダウンが少し多いようであるが,全体としては下りが多いので4:10PMにポルツェに到着した.カルカに石造りの小屋,大きな谷,その先に雪を被った山々を眺めながら下るこのコースはなかなかすばらしい.加えて圧倒的に行き交うトレッカーが少ないし,歩いている住民や家畜も疎らで,まあ両者合わせてもいくらでもなかったし,こうしたひっそり感も時にまた良しと思った.

こうして無事到着したポルツェの大きなロッジ(Forche Guest House)に客は筆者一人.行き交うトレッカーはあまり居ないのにロッジはいっぱいある.まあ選り採り見どりといったところか.広いダイニングルームの乾燥ヤク糞ストーブの前で一人ガーリックスープにチャーハンの夕食を食べた.昼食に引き続いて連続ガーリックスープにしたのは,昼食のそれが美味しかったので2匹目のどぜうを狙ったからだ.まあ,結構イケたと思う.で,これを作って運んでくれたシェルパ女性は実は山岳ガイド,とジェルジェンが話してくれた.ネパールでも女性の登山ガイドは極めて少ないどころか登山する人も稀であるそうだ.また女性のトレッキングガイドもいると聞くが,多分山岳ガイドに比べればずーっと多いのではなかろうか.なお彼女の兄も本格的な山岳ガイドで,食堂の壁に,韓国隊と共に行動したときのエベレスト登頂写真が貼られていた.

かくして夜になった.ここのロッジは発電所が近くにあるようで部屋に灯りがついており,行動がとっても楽だった.しかしトイレに関しては全く不可解であった.トイレの鍵は内側に無く外側に付いている.牢獄か?この辺では珍しい洋式便器だ,がしかし便座が無いのだ!これを使うことの大変さは容易に見当が付こう.しかし実際使用してみると想像を遥かに超える難儀さだ.どうしてこんな拷問のような......ローマの公衆トイレでよく見かける便座なしの便器は,盗まれたためと聞くが....ここでもまさか(尤もローマの話もまさかと?とは思えるが)....かくしてポルツェの夜はふけていくのであった.

第11日目:2005年10月29日(土)

今日は第11日目,パンボチェまでほんの少し歩く日だ.

ポルツェ  Phortse

ポルツェの早朝

ポルツェの早朝

朝ポルツェのロッジ(Forche Guest House)の窓から眺めると,向こうの山がきれいな朝焼けに染まっている.クワンデ連峰の南端であろうか?前日は全般に雲も多めで,夕刻のポルツェには濃い霧が立ち込めていたが,今朝はすっかり晴れ上がっていい天気になったようだ.


ポルツェを出て上から眺める

ポルツェを出て上から眺める

朝食後早い時間に歩き始めると間もなくポルツェを眺め下ろす高台に至る.こうして眺めると山の中腹に広々した土地にポルツェ集落が展開されている様子が判る.やはりトレッカーがそれほど多いようには見えないロケーションに拘わらずロッジがばかに多いように見えてしまうが.......


ポルツェの東へさらに進む

東へさらに進む

ポルツェからさらに進むと,太陽はすっかり昇り,ポルツェの集落をくまなく陽が照らすようになる.そしてドゥードコシの向こうにクワンデ(コンデリ)が見える高度になる.クワンデは三角錐の右隣の刺の付いた円が甚だ特徴的で,一旦見たら先ず記憶に残ること請け合いだ.

チャングメ  Changme

イムジャコーラとドゥードコシが交わる辺り

川の合流点を見下ろす辺り

やがてイムジャコーラとドゥードコシが交わる辺りを見下ろす地域に差し掛かる.地図を広げると,どうやらチャングメ辺りに相当するようである.クワンデがいくらか右(北)側まで見渡せるようになってきた.


タンボチェゴンパ(僧院)

タンボチェゴンパ(僧院)

やがてイムジャコーラの対岸に大きなタンボチェのゴンパが見えてくる.大きなロッジも見えている.何日か先のカラパタール,チュクンからの帰路ではこの脇を通っている筈だ.タンボチェゴンパはこの辺で最大の寺で,50人以上の僧侶を抱えているそうだ.また教育機関としても重要で,大学が併設されているそうだ.以前はチベットの僧院まで出向いて学んだものだが,今はここで哲学,医学,芸術を学ぶことが可能だそうである.さらに7歳からの少年僧のための学校も用意され,チベット語とネパール語の読み書きから,文献管理,伝統工芸に至るまで将来の僧院管理の実践手法まで教わるようである.

エベレスト,ヌプツェ,ローツェを含めて4つの大きな山が揃って見える場所になる

展望開け一休み

アマダブラムはかなり南にあるので早くから見えていたが,やがて北のエベレスト,ヌプツェ,ローツェを含めて4つの大きな山が揃って見える場所になる.もちろん東に目を転じれば,逆光ながらカンテガ,タムセルク,西にクワンデが展開されている.天気もよく完璧な眺めだ.ここで暫し休憩だ.ゴーキョで一緒になったオランダのグループともここで再開した.


エベレスト

エベレスト効果

背にいくらかの雲をたなびかせ,全面にヌプツェを置いてエベレストがくっきり浮かびあがっている.いい天気だ.登る訳でもないのにエベレストが現れるとなぜか感慨無量といった気分になったりする.やはりネームバリューが効いているのか?


パンボチェ  Pangboche

イムジャコーラに沿って進む

イムジャコーラに沿って進む

チャングメ辺りからイムジャコーラに沿い,起伏のあるルートを進む.先にあるアマダブラムやエベレストが見え隠れするように左右への廻り込みもある.このカーブでは一旦陰になっていたアマダブラムがまた見えてきたことろだ.さ~て,またハァハァしながら登るとするか!


パンボチェの集落

パンボチェの集落

やがてイムジャコーラに沿うパンボチェ(3,960m)の集落が見えてくる.段々畑か家畜囲いか比較的広い土地だ.白いチョルテンが畑の中にあるのが印象的だ.


パンボチェのタシロッジの経典

タシロッジの経典

ほどなくタシロッジ(Tashi Lodge)という当日宿泊するロッジに到着した.ポルツェからの距離がいくらでもなかったので午前中,11:00AMには着いてしまった.

写真は同ロッジのダイニングルームで,商品陳列棚の上に無造作に積まれた朱で包まれたものはチベット仏教の経典だそうである.タンボチェには前述の大きなゴンパがあり,そこの蔵書の一部がここに置かれているようである.ここでカトマンドゥから経典を読むために滞在して2人の長老のお坊さんと,学生僧であろうか,キッチンで食事の用意などしていた若いお坊さんと一緒に昼食をとることになった.

パンボチェで肩車の親子

肩車の親子の散歩

タシロッジの裏の丘に登ると,ここにも白いチョルテンが置かれ,肩車の親子が登ってきた.天気がいいし散歩であろう.背景はカンテガで,これまで眺めていた方向より東に寄って眺めるので形がいくらか変わって見える.


下は,第11日目の写真あれこれ

第11日目の写真
ポルツェ~パンボチェの眺め
ポルツェの上から眺めたクワンデ チャングメから眺めたクワンデ チャングメから眺めたアマダブラム チャングメから眺めたアマダブラム チャングメ辺りをゾッキョが行く イムジャコーラの先にエベレスト,ヌプツェ,ローツェ,アマダブラム
ムジャコーラとドゥードコシが交わる エベレストを眺めトレッカーが行く チャングメから展望するエベレスト,ヌプツェ,ローツェ クワンデが背後に見えるチャングメ チャングメから展望するアマダブラム パンボチェへ越える最後の一山 パンボチェが見えてきた
水場で仕事に励むシェルパニ イムジャコーラの先にカンテガとタムセルク パンボチェ裏の丘のチョルテン 大きなヒマラヤ杉がパンボチェで育つ.この辺りが森林限界か? 形を変えたカンテガ 沢山のマニ石が立てかけられたチョルテン 子ヤクを追う少年

第11日目のメモ

お昼ころロッジ(Tashi Lodge)に到着し,部屋に荷物を置き,食堂に下りると,先着の赤い袈裟のお坊さん二人が,どうぞうどうぞと手招きしてくれ隣り合わせになった.「どこから来たか?歳は幾つか?これからどこへ向かうか?.....」などなど訊かれ,逆にお坊さんはそれぞれ73歳と60歳で,ここダイニングルームの商品ケース上に置かれた仏教経典とパンボチェゴンパに収められた経典を読むためにカトマンドゥから来て滞在していると話してくれた.これらの経典はカトマンドゥには無く,ここに来なければ読めないものだそうである.少し遅れて若いお坊さんも現れたが,日常キッチンで食事の支度など仕事が任されているようである.大学生くらいの年齢か少し上に見える.これらの経典はチベット語/文字で記されており,全部読むのに6ヶ月ほどかかるのだそうだ.しかしカトマンドゥの寺をそんなに長く離れる訳にはいかないので,何回かに分けて訪れ読むのだそうだ.今回は2週間滞在し,次は4ヵ月後の翌年3月の再訪を予定しているという.

暫くしてお坊さんたちには野菜炒め添えライスとスープが,筆者には焼きソバとガーリックスープが運ばれ,おいしく頂戴した.筆者の場合,数日前これが高山病対策に有効と聞いたばかりに,ガーリックスープが著しく多くなった.何分にも単細胞だから.お坊さんたちは食事が終わるとお経を唱え始めた.お経は日本のお坊さんの読経と比べると随分リラックスした感じを受ける.なぜなら,読経の最中に身体を揺すったり,脇の筆者のカメラをあちこちの角度から身体をひねって覗いたり,お茶をすすったり....と,こうして食後の読経は7~8分であろうか,で終わった.お二人とも筆者と話すときも,読経の際もいつもニコニコしており,かなりの域に到達したお坊さんという印象を受けた.それでも更にこうして遠くまで出向いて新たな経典を読み続け修行を怠らないのだ.ふ~む!

夕食時6人のドイツ人グループとストーブの周りで一緒になる.カラパタールとエベレストベースキャンプからの帰りで,ルクラに戻る途中だそうだ.ここのガイド,ポーターも交えて話す.先ずこのグループのポーターが,ラジュがあまりに子どもに見えるので,歳を尋ねていた.14歳だという.確かにこんな若いのは,いくら何でも児童労働で違法ではないのか?と訊いてみたら,ドイツグループガイドが,この国では決して違法ではない,今はダサイン(ヒンドゥーの重要なお祭り)の休みでこの期間に働いて自分の学費を稼ぐのはいい事だ,と言ってくれた.因みにネパールでは16歳になると市民IDカードが発行され完全な大人,14歳はもちろんそれには満たないが,かけ離れている訳ではない,とも.ポーターの一人が実際のIDカードを見せて説明してくれたが,祖父母,父母に関する記載といったかなりプライバシーに踏み込んだ記述から,指名手配写真並み4面の顔写真もが貼られたもので,カースト制度にも関わる社会体制の一面を垣間見る思いだ.で,児童労働にはならないと,一応ホッとするが,やはり少し引っかかる......

このドイツグループガイドは親切でいろいろ教えてくれる.少し前に何かと反対/批判も多い現国王が議会を急に解散した事件があった.これに対して,議会の数多くの政党のボスが政治よりカネ集めに終始し,これに業を煮やした国王が解散を図った面もあり,現国王は決して支持できないが,この点に関してだけは少し認めたい,と言っていた.なにしろ,つい昨日までサンダル履きで,その辺の山村にいたのが,暫くするとカトマンドゥでベンツを乗り回すようになる政党ボスの例は枚挙に暇ないそうで,汚職,贈収賄が政治より優先される,と話してくれた.外国の援助資金の多くは当初の目的,例えば発電所建設など,には使われず,政党ボスのポケットでプライベートに消費されているのは大半が事実だそうだ.これを聞いて,ドイツ人の何人かは援助する側の国民としてやはり憤りを感じている様子だった.日本の対ネパール支援額は援助諸国の中でも1,2を争うくらい多いとも聞くので,やはりがっかりしてしまう.

ところでマオイストに対する政府軍であるが,兵士は懲役制ではなく志願制で24歳で入隊し,10数年後には早や退役するという.かのイギリス軍の勇敢な傭兵として知られるグルン族のグルカ兵など,ネパールには優秀な兵士が居ろうが,国内でマオイストとなど国民同士で戦うのはつらいものがあろう.現にマオイストは山岳部の住民には一定の支持を得ているというし,勢力を伸ばしているようだからなおさらだ.ストーブのヤク糞燃料もそろそろ尽きてきた,ここらで床に入るとするか.

ここのトイレは古式ヒマラヤスタイル,片隅に枯葉が積んであり,用足しの後は上からそれを落としておく.自動的に堆肥ができるのだと聞いている.そうこうしているうちに夜が来て,寝袋に包まってうとうとしかかると隣のパンボチェゴンパから大きな太鼓の音が響いてきた.きっと夜の読経の時間なのであろう,これを聞きつつそのうち寝入ってしまったようだ.

第12日目:2005年10月30日(日)

今日は第12日目,フェリチェまで進む日だ.

パンボチェ  Pangboche

朝のパンボチェ

朝のパンボチェ

明け方にロッジ(Tashi Lodge)室内は2℃と寒くなってきた.7:25AM出発し,少し登り,振り向くとパンボチェの集落の上の方には陽が射し始めていた.パンボチェは上下の地区に分かれており,宿泊していたのは大きい地区,通称上パンボチェ(Upper Pangboche),イムジャコーラのほとりにあるのが下パンボチェ(Lower Pangboche)と呼ばれるそうだ.下パンボチェは未だ深いイムジャコーラの谷で夜明けを待っている.

エベレスト,ヌプツェ,ローツェを眺めて進む

エベレスト,ヌプツェ,ローツェを眺めて進む

正面にローツェ,左にエベレストとヌプツェを眺めながら進む.路傍でチョルテン仏画の岩絵が見えるのはやはりネパール山中だ.この辺りの畑ではジャガイモ,大根などが採れるそうである.


ショマレ  Shomare

ショマレを通る

ショマレを通る

程なくショマレ(Shomare)の集落を通過する.このロッジのテラスでは朝早いためかまだお茶を飲むため休んでいる客はいない.ところで街道で最もポピュラーな飲み物はミルク入りの紅茶,ミルクティーだ.黙って注文すると砂糖がたっぷり入っているので注意されたい.ミルクが牛のものか,ヤクのものか,はたまたゾッキョの産するものか?については知らないのであるが.....


足取り軽やかに下るトレッカー

足取り軽やかに下るトレッカー

カラパタール方面のトレッキングを終えたトレッカーが続々と下ってくる.ショマレ界隈の畑や石垣で囲まれたヤクの放牧場カルカ(Kharka) の多くはパンボチェ住民の所有地で,ジャガイモ栽培にも供されているようである.ジャガイモとヤクの餌は別の時期なのかな~?それともジャガイモの葉などがヤクの餌となるのかな~?


横一列で登るヤク

横一列で登るヤク

ショマレを過ぎたこの辺りはまるで広場のようだ.ヤクが横に広がって登ってくる.心成しかヤクにもヤク追いにもゆとりが生じたように感じられる.脇の石に座って,カウベルの調べに聴き入りながら眺める光景には飽きることがない.多分夏になれば草が一面に生えて彼らの格好の餌場になるのであろう.


ツラタンガ  Tshura Tyanga

ツラタンガ(Tshura Tyanga)に差し掛かる

ツラタンガに差し掛かる

やがてツラタンガ(Tshura Tyanga)付近に差し掛かる.この辺りでは東(右)のイムジャコーラと,北(上)のクーンブコーラが交わり,イムジャコーラの名が残り下流のパンボチェ方面に流れていく.ここらではヌプツェとローツェの山並みがいい.


カウベル(ヤクベル)

カウベル

ヤクが首に下げているのでカウベルではなくヤクベルが正しいかも知れないが,きれいな音色を谷にこだまさせながら歩いていく.サイズは色々あって,当然小さいものは高音,大きいものは低音だ.個体識別のため色々なサイズを使い分けているのであろう.たまに逆らって道を逸れたヤクを探すためには必須のものと思われる.また熟練したヤク追いは後ろを振り向くことなく,背後のヤクの気配を察知し,歩みを監視している風に見える.流石プロだ!

ローツェとローツェシャー

ローツェとローツェシャー

左のローツェ主峰に対して右の白いのがローツェシャー.ローツェの稜線に続く属峰のためこのような名称であるようだ.

ローツェは高いために雪が風で吹き飛ばされ岩肌が剥き出しであるが,ローツェシャーは低いがために雪を被っている,と聞いたが,真偽のほどはいかに?低いといっても地図で確かめると8,386mもあるのでやはり別の理由がありそうな.......


フェリチェ  Pheriche

フェリチェの谷が見えてきた

フェリチェの谷が見えてきた

やがてクーンブコーラが下に見え,右側の山の麓にフェリチェ(若しくはペリチェ:4,240m)の集落を見下ろし,ヤクが出迎えてくれる場所に至る.ほどなく宿泊予定のロッジ(Snow Land Lodge & Restaurant)に到着し,そのまま晴れた空の下でお昼を食べた.部屋に荷物を放り込み,天気のいいうちに裏山に登ることにした.


裏山からフェリチェを俯瞰する

裏山からフェリチェを俯瞰する

裏山に登ると,フェリチェの集落と,前を流れるクーンブコーラ,その前に立ちはだかるタワチェ(左)とチョラツェ(右)がパノラマのように広がっている.実に見応えのある眺めだ.雲の切れ間にシャッターを切る.タワチェチョラツェともに,数日前ゴーキョへの道すがら眺めた西面からの姿とはすっかり変わっている.ちょっと想像もつかない変わりようだ.

ロッジから裏山に向かう途中には,ヒマラヤ救護協会のフェリチェクリニックが設けられ,高山病の指導や治療にあたっているようだ.

アマダブラムもすっかり変わってしまった

アマダブラムもすっかり変わってしまった

フェリチェの裏山からはアマダブラムもよく見える.ただしあの丸みのある頂を持つアマダブラムとは似ても似つかぬ姿,いや革命的とも言える変わりように戸惑う.

麓の方向には白いチョルテンが小さく見えている.あの辺りは,数日の後訪れる予定のディンボチェのテリトリであろう.チョルテンの先の谷を下がればディンボチェの集落が広がっている筈だ.この時の散歩はこの辺りまでに留め,チョルテン近くまでは行かなかったのだが.


フェリチェ裏山から東を眺める

裏山から東を眺める

こちらもパノラマだ.通りかかったシェルパの人に訊いてみたところ左からローツェ(Lhotse),白いローツェシャー(Lhotse Shar),中央にアイランドピーク(IslandPeak),きれいな三角形のチョブルー(Chomblu),台地上のブルンツェ(Baruntse),遥か遠く雲がかかる茶色のマカルー(Makalu),ヒマラヤ襞のカンレアム(Kang Leyamu)のようである.指差してあれは何とか,これは何とか....と聞きながらメモしたのでチョブルー,ブルンツェなど多少確信が持てないが.


下は,第12日目の写真あれこれ

第12日目の写真
パンボチェ~フェリチェの眺め
パンボチェの上辺り パンボチェの上辺り ショマレの辺り ショマレの辺り ツラタンガの手前 ツラタンガの辺り ツラタンガの辺りで眺めた不詳の山
ツラタンガの辺りで振り返って見るカンテガとタムセルク ェリチェに近づく フェリチェのロッジでタワチェを背後に語らうラジュ フェリチェクリニックの前 フェリチェで眺めたアマダブラム フェリチェで眺めたアマダブラム フェリチェで眺めたチョラツェ

第12日目のメモ

フェリチェへ向かう途中上述のように広くて快適なところがある.この界隈では沢山の下るトレッカーに出会った.すれ違った時間からしてきっとそれまでフェリチェに宿泊していたのであろう.この辺りでは年配の女性3人グループと,10人くらいのヒマラヤ観光ツアー一行に次々出合った.皆一様に,”がんばって下さ~い!”と筆者に声を掛けて,足早に下って行った.既に全行程完了し,しかも下り坂でルンルンの皆さんから見て,筆者はやはり相当ハァハァしていたに違いない.

フェリチェのロッジ(Snow Land Lodge & Restaurant)に着き,風はあるが陽射しが強く暖かだったので前庭のテーブルで昼食を頂戴することにした.ここに座っていると,筆者と同じくらい年配の婦人が庭先の道路を挟んだ先に川原を越えてイムジャコーラまで何回か往復している.戻るたびに洗濯物を庭先の紐に吊るしている.ず~っとしゃがんで洗濯だと腰が痛くなるので少しずつ洗って運んでいるのであろう.

聞けばチェコからで,グループツアーで来たのだが数日前に旦那さんが高山病になり,この先のロブチェでリタイアし,そこで2日間待機,それでも思わしくないので前日ここまで下り一泊したという.あと少しで皆が多分カラパタール,ベースキャンプの後,戻りでここを通過するのでそれまで待つ予定だという.高度を下げたので少し和らいだがまだ頭痛などの症状があるのでベッドで横になっているそうだ.「家にいれば洗濯物を洗濯機に放り込んで,スイッチポンで出来上がるのを待つだけであるが,ここでは一仕事です,でもたまにはワインもビールも無し,このような経験もまたいいでしょう」と落ち着いた様子だ.「まあ以前は夫と一緒にドロミテやスイスアルプスにもよく登ったけど....あなたも日本の山にはよく登りますか?」と言いながら,「そうだ!昨日ここからヘリでレスキューされた人が居たけど,日本人女性みたいでしたよ」と教えてくれた.フムフムやはりこの高さだと高山病になる人は西洋人にも日本人にもいるのだ.

風が強いがここではいつものことのようだ.前後に山が走り広い谷のようになっているためチムニー効果を生じるようである.室内に入ると陽射しがないので寒い,9℃くらいだ.パンボチェでは無かったが,ここの部屋にはかなり暗いながらも蛍光灯が付いている.蛍光灯があるところはソーラーセルでバッテリーを充電している.夕方になると一層冷える.ここのトイレは和風便器様の手動水洗式であるが,ひしゃくを浮かべた水洗用水桶は氷が張っている,ブルルッ!

夜が来た.ここの奥さんはいつも手に数珠を持ち,仕事中もお経を唱えている.一回唱える度に数珠玉を1つ指で送る.生まれてまだ数ヶ月であろうか,お孫さんを背負っているときは子守唄なのかお経なのか判然としないときもある.小さい子は確かもう一人いたのでこの子は多分2番目の孫であろう.英語は結構上手だ.ヤク御者がいつも数珠を持ちお経を唱えながらヤクを追う光景にもしばしば出会う.敬虔な信者が多いようである.その奥さんがストーブに乾燥ヤク糞をいっぱい入れ,灯油を掛けて点火してくれた.ストーブは見る見るうちに暖かくなる.

そのうちに,筆者以外唯一の宿泊客である例のチェコの奥さんが旦那さんを伴って現れた.やはりちょっと元気が出ないようで,メニューを眺め,小声で奥さんに相談していた.あまり食べられないのであろう,運ばれた食事を奥さんとシェアしながら少しだけ食べている様子だった.

一方筆者は全く食欲が落ちない.ここらでまたメニューにあったのでヤクステーキのポテト添い(270Rs)にミルクティー(30Rs)を頼んだ.美味しかったし,力が付いた....気がした.にも拘わらず夜になってセキとくしゃみが出るようになった.どうやらまたしても風邪をひいてしまったようである.


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