チュクンリへChhukung Ri

カラパタールを後にチュクンリに向かう.

第15日目:2005年11月2日(水)午後

今日は第15日目,朝カラパタールに登り,食事のあとチュクンリに向け出発だ

ゴラクシェプ  Gorakshep

ゴラクシェプで見かけた野鳥

ゴラクシェプで見かけた野鳥

ゴラクシェプ(5,160m)のロッジ屋外で食事の際,ロッジの傍で結構たくさん群れを成していた.かなり大きい,鴨くらいの大きさがあろうか?ごみ置き場辺りにもいたので雑食性で警戒心も希薄なのであろうか.


ゴラクシェプから下る

ゴラクシェプから下る

こうしてゴラクシェプの予定を終え,ロブチェに向け下ることになった.来たときと同じ,クーンブ氷河脇の石ころだらけの道を先ずは下る.


はるか先にカンテガとタムセルク,手前右側にタワチェが広がる光景

南の山が見える

さらに下る.はるか先にカンテガとタムセルク,手前右側にタワチェが広がる光景が見えるようになる.

ロブチェ  Lobuche

ロブチェに至る

ロブチェに至る

暫く行くとタワチェを背に,クーンブコーラの上流であろうか小川を前にロブチェ(4,930m)のロッジ集落が見えてくる.川原の両岸にはテントも見える.先方に見えるはタワチェだ.ところでロブチェはLobucheのほかにLobujeとも綴るみたいだ.

ロブチェはここの集落の名前であると同時に同じ名の山でもある.山はロブチェピーク東(Lobuche East/6,415m)と,西(Lobuche West/6,4415m )の2つのピークから成り,所々切り込みのある尾根で結ばれているようである.ここから見えたのかも知れないが筆者には判別できなかった.ゴーキョピークではあれがロブチェピークと教えてもらったのだが......

氷結する川

氷結する川

この辺りから上は気温が低いので川もところどころ氷結している.しかし今回は少なくともこれまでは殆ど雪が降らなかったので楽だったと思う.

トクラ  Tukla

ロブチェを過ぎる

ロブチェを過ぎる

ロブチェを過ぎ暫く行くとやがてアマダブラムとカンテガ,この写真では欠けているが,タムセルクを含めてきれいに見渡せる場所に至る.下りで見通しも良いので快適にどんどん足を進める.


トクラのシェルパ慰霊碑

シェルパの慰霊碑

程なく山の事故で命を落としたシェルパの慰霊碑に至る.登り行程でも通ったところだ.沢山のケルンとチョルテンが築かれ,タルチョーが風に舞う.アマダブラムが見守っているようだ.


トクラの茶屋

トクラの茶屋

トクラ(4,620m)には僅か数軒のロッジ,茶屋があるに過ぎないようである.トクラでは若干遅めのランチを食べることにした.登るときとは異なるひっそりした場所に佇む小さな茶屋(Tukla Guest House)で,暖かな陽射しを浴びてオープンカフェ風の前庭で食べた.人通りも殆どなくなかなか良かった.改めて看板をまじまじと眺めると,行きの行程でお茶にした茶屋と同じ名前である.どうやらこの店は支店のようである.

トクラから東のルートでカンテガを望む

トクラから東のルートでカンテガを望む

トクラから登るときに通った西のルートとディンボチェに抜ける東のルートに分岐する.今回はチュクンに行くためディンボチェを通るコースを採る.このルートは西側が斜面で大きく開放された実に見晴らしのいいルートだった.先ずは写真のようにカンテガがとてもよく見えた.

ディンボチェ  Dingboche

トクラから下る

トクラから下る

トクラから暫く歩くと,潅木と枯草が目立つようになる.高度に応じて植生が変わるが,この辺りで,ジェルジェンが何という名前か思い出せないが香りの良い潅木を少し折ってラジュのドコに詰めていた.多分夏は一面の緑に変わるであろう広い草地からアマダブラムとカンテガ,雲が切れればタムセルクが前面に見えて実に気持ちよく下れるコースだ.


デゥーサ(Dusa)辺りのタワチェ

デゥーサ(Dusa)辺りのタワチェ

トクラから下り,ディンボチェまであと半分くらいになった辺りは地図で見るとデゥーサ(Dusa)と呼ばれるようである.真西がタワチェ,チョラツェの方向である.雲が切れたとき,この丘のコースの下に位置するフェリチェの谷からタワチェが大きく立ち上がっているのが見えた.


カンテガを背にヤクが食む

カンテガを背にヤクが食む

デゥーサ辺りでは何軒かの酪農農家を見ることができる.ただ真冬はここに留まらないでもっと低い,例えばパンボチェ辺りまで引き上げるのかも知れない.いくらも残っていない枯れ草を食む大きなヤク数頭が夕陽を浴びている.向こうに見えるはカンテガだ.丘の上の丸く積み上げられたものは干草であろうか.


ディンボチェの集落

ディンボチェの集落

この丘の快適なコースも終わりに近づくと丘の終わりに建つチョルテンに至り,ここから谷が始まる.谷を見下ろすとディンボチェ(4,360m)の集落が広がっている.この辺では一番広いのではなかろうかと思われるくらい広い農地だ.ジャガイモ畑か?今日はここで一泊することになる.宿泊したロッジ(Zhamba-La Guest House & Restaurant)は筆者一人の貸切り状態だった.


下は,第15日目午後通ったところあれこれ

第15日目午後の写真
ゴラクシェプ~ディンボチェの眺め
このゴラクシェプのロッジを離れる ロブチェに近くなる ロブチェが見えてきた ロブチェの川原でテントを張るトレッカー ロブチェの辺り,大きな荷のポーターが登る ロブチェの辺り,川が氷結している トクラの慰霊碑でアマダブラム,カンテガ,タムセルクを見上げる
トクラの慰霊碑 トクラで眺めるアマダブラム,カンテガ トクラの茶屋 トクラを過ぎ,デゥーサ辺りでカンテガを見る デゥーサ辺りのカンテガ デゥーサを行く ディンボチェを見下ろす丘に建つチョルテン

第15日目午後のメモ

カラパタールから戻りゴラクシェプでの遅めの朝食の後下山をスタートした.ディンボチェのロッジ(Zhamba-La Guest House & Restaurant)には4:15PM到着,足が痛かった.ここのロッジの客は筆者一人でちと寂しい.

夕食後,食堂でストーブにあたっていると,外ではピ~シャラ,ドンドンの音色と共に盛り上がっている雰囲気だ.ジェルジェンに訊くと,ヒンドゥーの祭りで,ここディンボチェはシェルパ族の村,仏教徒であるが,トレッカーに付いて来ているポーターにはヒンドゥーがそれなりに多くいて(そう言えばラジュもヒンドゥーと少し関係あるライ族の宗教のようである)その連中で盛り上がっているのだそうだ.

ネットでこの頃の祭りを調べてみると,どうやらネパール全土の祭りで11月1~3日に催されるティハールのようである.妹が兄を地獄から救い出すという美しい物語に基づき,カラスや牛にごちそうする日などもあるようだ.牛は当然としてカラスとはまた珍しい風習もあるものだ.光りの祭ティハールとしても知られ,街ではあちこちでライトアップされるよううだ.子供たちはこの期間中,近所の家々を回り,踊りや歌を披露しいながらお小遣いをねだる習慣もあるようだ.そうか,ポーターたちは童心に帰ってディンボチェの子らを引き連れて「踊りや歌を披露」しながらロッジを廻っていたのだ.

第16日目:2005年11月3日(木)

今日は第16日目,寒い朝で一日が明けた.

ディンボチェ  Dingboche

ディンボチェの朝

ディンボチェの朝

ディンボチェのロッジ(Zhamba-La Guest House & Restaurant)の部屋で目を覚ます.室温-3℃と寒いが窓に目をやるとよく晴れており,タワチェの頂部が見えているようだ.家畜囲いには厳寒の屋外で夜を明かしたトレッキング荷役用ゾッキョが待機している.ゾッキョもトレッカーも,朝食後,皆この写真のイムジャコーラ(Imja Khola)の谷に沿って上流方向(東の方向)に歩き始めた.

ディンボチェを振り返る

ディンボチェを振り返る

ディンボチェから歩き始め,程なくロブチェとチュクンンの分岐点にに差し掛かる.前者は昨日下ってきた丘を歩くコースだ.この辺りで振り向くと,ディンボチェの集落に日が差し始め,背後にはカンテガ(左)とタムセルクが雲一つなく青空に突き出ていた.ぽつんと一張りの小さなテントが道際に見える.きっと静かな旅を愛する人であろう.


北に傾くタワチェ

北に傾くタワチェ

暫く歩くと丘の上にタワチェがかなり大きな姿を現す.前日と異なって今日はすっかり晴れ渡り,大きな山塊が青空に映える.この辺りでは右(北)に大きく傾いだ形になった.


イムジャコーラ(Imja Khola)の谷を進む

イムジャコーラ(Imja Khola)の谷を進む

谷の底は結構広々としている.ただフェリチェの谷ほど広くはないが.地面には枯草の跡が広がっている.夏になれば青々と繁り,ゾッキョとヤクが群がるであろう.トレッカーとポーターが白い山を見ながらどんどん登っていく.苦しいが快適だ.

ビブレ  Bibre

ビブレを通る

ビブレを通る

程なく僅かな茶屋が軒を並べるビブレ(Bibre)の村に通りかかる.何人かのトレッカーが朝日を浴びモーニングティーを楽しんでいる.

地図で見ると,写真奥の丘から北に入り,トレッキングピークでよく聞く名のメラピーク(5,817m)へのルートがここから始まるようだ.またメラピークへ行かずに,途中で西に逸れ,コングラ峠(Knogama La:5,535m)を越え,前日通過したロブチェに抜けるトレッキングトレイルもあるようだ.

アイランドピーク(イムジャツェ/Imja Tse)が見えてくる

アイランドピークが見えてくる

ビブレを越え,少し歩くと先方にアイランドピーク,チョブルー,カンレヤムがきれいに揃って見えてくる.

アイランドピークは本来イムジャツェ(Imja Tse)と呼ぶようである.6,189mの高さで,ネパール政府がトレッキングピークの1つに指定している山だ.ここに登る予定の人たち何人かに出会った.ローツェシャールから南下する尾根上のピークであって.1952年シプトンという人が,氷河に島状に突き出た山容からアイランドピークと命名したそうな.

最高峰の北東峰(6,189m)の初登は1956年のスイスのエベレスト隊であるそうだ.南西峰(6,100m)はそれより以前1953年にイギリスのエベレスト隊,エバンスとテンジンの一行により,エベレスト遠征の高度順化トレーニングの一環として登られた,ということだ.

凍ったイムジャコーラとタワチェ

凍ったイムジャコーラとタワチェ

ビブレ辺りではイムジャコーラはとても狭い,まあ小川程度の大きさだ.ただ一本ではなく小さな流れが複数あり,所々湿地を形成している.初夏の雪解けの頃は川幅が増すのであろうか?ここビブレではイムジャコーラはカチンカチンに凍っていた.後ろにはタワチェが聳える.


クワンデがまた見えてくる

クワンデがまた見えてくる

ビブレを越え上に行き,西を振り向くと,クワンデ(コンデリ)が久しぶりに見えてくる.遠いが,この日はもやが少ないためか,近くのタワチェと同じくらいにくっきりしている.写真左端,入りきらない山の一部は,西側に大きく聳えるアマダブラムの裾野だ.

チュクン  Chhukung

チュクンのロッジ(Ama Dablam View Lodge & Restaurant)に到着

チュクンのロッジに到着

やがてチュクン(Chhukung:4,730m)に到着し,このロッジ(Ama Dablam View Lodge & Restaurant)に腰を下ろすことになった.

写真の部屋はサンルームになっている食堂,暖かくて見晴らしも良かった.実はここで2泊する予定であったが,大口の団体客が入ることになったので1泊しただけで追い出される羽目になったのであるが....南側にはすぐそこにアマダブラムが聳えている.

イムジャコーラとローツェ

イムジャコーラとローツェ

チュクンから北東の方角,カチンカチンに凍ったイムジャコーラの向こうにローツェが見える.やはり風で吹き飛ばされるのであろうか低いところは雪(若しくは氷)で白く,高いところは岩が剥き出しだ.

ローツェ8,516mについてウィキペディア(Wikipedia)から転載する.ローツェはヒマラヤ山脈のエベレストの南に連なる世界で4番目に高い山で,主峰の他に8,414mの東峰と8,383mのShar峰がある.ローツェの登頂は1956年5月18日にエルンスト・ライスとフリッツ・ルフジンガーが率いるスイスの登山隊によって成し遂げられた.1979年5月12日にはオーストリア隊のZepp MaierlとRolf WalterがShar峰への登頂に成功し,2001年5月23日にロシアのEugeny Vinogradsky・Serguei Timofeev・Alexei Bolotov・Petr Kuznetsovの4人が東峰に登頂している.1988年12月31日にポーランドの登山家Krzysztof Wielickiが登頂した.これが最初の冬場の8,000メートル峰登頂になった.2003年10月までに243人が登頂に成功し,11人が命を落としている,と記されている.

7つの峰のヌプツェ

7つの峰のヌプツェ

ローツェの西側,チュクンからはローツェの左側にヌプツェが連なって見える.ここから望む峰には特徴的なのこぎり状稜線がくっきり青空に浮かび上がっていた.ヌプツェには7つの峰があると言うが,ここから眺めるとたしかに7つくらいに見える.


下は,第16日目の写真あれこれ

第16日目の写真
ディンボチェ~チュクンの眺め
ディンボチェで振り返りタワチェを眺める ビブレで振り返り ビブレ辺りを進む ビブレで眺めるローツェ,ローツェシャー,アイランドピーク 氷結したイムジャコーラ ビブレ上でアマダブラムを眺める ヤクキャラバンが行く
チュクンから眺めたローツェ チュクンから眺めたアイランドピーク チュクンから眺めたチョブルーとブルンジェー チュクンから眺めたタワチェとチョラツェ チュクンから眺めたローツェとローツェとアイランドピーク チュクンから眺めたヌプツェとローツェ チュクンから眺めたカンレヤムとアマダブラム

カンレヤム  Kang Leyamu

チュクンに到着し,アイランドピーク方面に向かう丘に登る.眼前にはヒマラヤ襞の圧倒的な迫力でカンレヤム(Kang Leyamu:6,430m)が壁のように立ちはだかる.カンレヤムはアマダブラムの東に連なり,チュクンで見て左側になる.カンレヤムの麓は氷河が形成されており,地図で見るとアマダブラム氷河であるようだ.大きな流れの先ではないので削られた岩があまりなく,真っ白できれいだ.

ヒマラヤ襞の圧倒的なカンレヤムヒマラヤ襞の圧倒的なカンレヤム

下は,第16日目チュクンで眺めたカンレヤムの写真あれこれ

ヒマラヤ襞の圧倒的なカンレヤム
チュクンから眺めたカンレヤム チュクンから眺めたカンレヤム チュクンから眺めたカンレヤム チュクンから眺めたカンレヤム チュクンから眺めたカンレヤム チュクンから眺めたカンレヤム
チュクンから眺めたカンレヤム チュクンから眺めたカンレヤム チュクンから眺めたカンレヤム チュクンから眺めたカンレヤム チュクンから眺めたカンレヤム チュクンから眺めたカンレヤム チュクンから眺めたカンレヤム

第16日目のメモ

ディンボチェの朝は寒かった.ロッジ(Zhamba-La Guest House & Restaurant)の部屋は氷点下3℃であったが外はどれくらいだったのであろうか?そんな寒いディンボチェでもテントを張っているトレッカーがとても目立つ.前年経験したが,テント泊はロッジ泊に比べて大変,お手洗いに行くのも楽ではないのだ.そんな朝の朝食後8:00AMディンボチェを発った.足の指先がしびれるように冷える.

このルートではたまたま同じ頃ディンボチェを出て,チュクン方面に向かう日本人グループと一緒になった.10人程度いるであろうか.筆者も歩みが遅いがこのグループも遅い.筆者が数十m後方を歩いていると,中の一人が遅れて筆者と一緒になってしまい,暫し四方山話を交わした.聞けばこの方は75歳,グループの最高齢者は78歳,リーダーは元日本山岳連盟副会長経験者で,ダウラギリ登頂など豊富な経歴を有するベテランだという.さてこのグループ,平均年齢はかなり高そうであるがアイランドピーク登頂がターゲットだそうで,当日はアイランドピークベースキャンプまで進む計画だそうである.ベースキャンプには4日間滞在予定で,この中で登頂可能であろう天気のいい1日を選んでアタックするそうである.すごいですね~!ただ歩くのが遅れてしまったこの方自身は,「ちょっと自分には大変そうなのでベースキャンプで待機かな~」と弱気になっておられた.まあ無理をしないで....とお別れした.

ビブレの先辺りだったか,20台半ばくらいの女性二人連れと行き会った.顔立ちから,てっきり日本人と思って,こんにちは~と声を掛けたら,きょとんとして英語で応えてくれた.二人で話している言葉を聞いたら朝鮮語で,多分韓国の人であろう.それまで日本人とはよく出会ったが,他の東洋人とかはあまり会ったことがなかったような......ガイドに聞いたら,特に韓国や台湾の人は結構多く来るそうである.これからは中国本土からのトレッカーも多くなるであろう.ディンボチェからチュクンはいくらの距離もなく,すぐそこだ,そうこうしているうちに到着した.10:30AMだった.

宿泊のアマダブラムビューロッジ(Ama Dablam View Lodge & Restaurant)のご主人は日本語が話せる.庭先で背後のチュクンリを眺めながら登り口までの道や,ルートや歩行時間を教えてくれた.また食堂で昼食を一緒に食べたとき,筆者も含めて何人かポーターやガイドたちに若干しけ気味であったが焼き海苔を振舞ってくれた.比較的最近,日本に土木技術の研修で1年ばかり滞在したそうで,そのとき海苔が気に入ってお土産として持ち帰ったそうである.ジェルジェンの話では,彼はクムジュンの高校を終え,多分カトマンドゥの大学の後,少しして日本に出かけたそうである.この辺でクムジュンハイスクールはエリート校で,ここの出身者は日本に留学する者が数多いということだ.

夕食時隣り合わせた人も一人旅でしばし話を交わす.NYから来たダグラスさん,ステレオタイプの陽気なアメリカ人とは対照的な物静かな語り口の人だ.先ず自己紹介で,「ダグラス」と言うので,「じゃ~マイケルダグラスと同じですね」と応える.「いやダグラスマッカーサーと同じでファーストネームです」と日本人に最も浸透している名前を挙げてくれるのが心憎い.な~るほど,ダグラスがファミリーネームとファーストネーム両方にあることにようやく気付いた.ついでに「マクダネルダグラス社はどうなったか?」など一通り名前談義を重ね,話題を移す.

15年程前NECの米国法人に勤務したことがあるそうで,東京出張の折,都心の事業所から渋谷まで30分,渋谷から郊外にさらに30分くらい,地名は思い出さないがそこの寮に泊められたそうである.相当インパクトが強かった模様でどうやらそのことだけが忘れられないようだ.米国人にとって寮は軍隊かムショのような響きがあるのであろう.

現在は政府の仕事に就いており,今のところアフガニスタンの担当,今は決してナイスカントリーではないが,日本もJAICAなどで協力しているように手助けを必要としている国だ.山歩きは好きで,国内でもアパラチア山脈などによく行くし,南米だと山が若くまだ尖ったままのパタゴニア方面も楽しんだ.パキスタンに勤務したときは,ナンガパルパッド辺りのトレッキングも良かった,と話す.

今回は休暇で訪れており,明日チュクンリに登り,明後日チュクンを少し降りたビブレから山に入り,コングマパスを越えてロブチェに向かう,と地図を広げて説明してくれた.この峠越えは日本のガイドブックなどではあまり載っていないルートだ.地図でコングマパスは5,535mとチョーラパスより高そうなので登山の心得が必要なのではなかろうか.筆者も翌日チュクンリに登る計画で,「一緒になるかも知れませんね~」と互いに言葉を交わして床に向かった.

第17日目:2005年11月4日(金)

今日は第17日目,チュクンリに行く日だ.

チュクン  Chhukung

チュクンの朝,赤く輝くクワンデ

チュクンの朝

今朝はまだアマダブラムビューロッジ(Ama Dablam View Lodge & Restaurant)にいる.室温氷点下1℃なので昨日のディンボチェほどは寒くない.食堂の窓から見ると朝焼けが見える.早速カメラを持って外に出てみる.外はさすがに冷たい.先ず南の谷方向に目をやると,クワンデが赤く輝いていた.遠いに拘わらずクリアだ.

ただ開放絞りのレンズMTFが低いためであろうか,それともピントが甘いか,はたまたブレか,写りはイマイチのようだ.クワンデの左(東側),お碗を伏せたようななだらかな山は何だろう?位置的にはクスムカングルの辺りに見えるが.....

チュクンの朝ローツェを望む

こちらはローツェ

少し出遅れたかな?それでもまあなかなかきれいだ.


チュクンの朝,赤く輝くタワチェ

そしてタワチェ

タワチェにも雲がない.アマダブラム方向にも雲が無かった.と云うことは今朝ののチュクンは快晴のようだ.チュクンリに登るにはとてもいい日であろう.先ずは朝飯だ!

チュクンリ  Chhukung Ri

チュクン峰とヌプツェ

チュクン峰とヌプツェ

どこで渡るのか迷いながらもようやく橋を見つけイムジャコーラを越えて登り始めた.間もなく背後の見慣れたヌプツェの手前にやけに黒い塊が目立つ風景になる.これがチュクンの主峰,手持ちの地図ではロッジのある集落と全く同じ名称Chhukung(5,883m),その手前の峰が(5,550m)となっている.筆者が目指すのはその手前にあって手軽なチュクンリ(Chhukung Ri:5,412m)だ.

チュクンリ頂上に至る

チュクンリ頂上に至る

手軽とは言っても相当ハァハァしながら登りようやくチュクンリ頂上(Chhukung Ri:5,412m)に至る.ゴーキョリ,カラパタールと比較して,疲労が溜まったためかここが一番苦しかった.

頂上は,他のネパールの丘と同じようにチベット語で認められた五色のタルチョーがはためいている.馬の絵の付いたタルチョーはルンタとも称されるようである.

同じ頃の登り始めたのであろう,頂上はドイツから来たという若いカップル,ガイドと一緒に登ってきた昨夜一緒に話したNYのダグラスさんと,合計5人になった.同じくらいの時刻のゴーキョリとか比べると甚だ静かなものである.ここでは三角形のプモリを背景にダグラスさんと一緒に写真に収まった.

チュクンリから眺めたアイランドピークとマカルー

チュクンリから眺めたアイランドピークとマカルー

チュクンリから眺めたアイランドピーク(Island Peak:6,189m)とマカルー(Makalu:8,462 m).道は巻いているが暫くこの方向に向かって下るのでこれらの山々の眺めを堪能できる.アイランドピークは真っ黒い岩を雪が覆っているが,ここから見える西面だけは急斜面過ぎ,雪が付着できないといった印象だ.マカルーは他の8,000m級と同様上部に雪がなく岩肌が剥き出し,岩の色が黒でなく茶色のように見える.

チュクンリから眺めたアマダブラム,タムセルク,クワンデ

アマダブラム,タムセルク,クワンデ

アマダブラムはすぐそこなのでよく見えるのは当然として,パンボチェ辺りで見るあの個性的な形とは著しく異なるし,比較的近いチュクンで見た形ともかなり違うのが不思議と言えば不思議,当然と言えば当然であろうか.

パンボチェとはほぼ180°反対の方向から見ていることになるのだから.タムセルクとクワンデ(コンデリ)は遠くに在るのにくっきり姿を見せている.健気な山だ.クワンデは三角の横の刺付き半円で確実に見分けられるのがありがたい.

チュクンリから眺めたタワチェ(左)とチョラツェ(右)

タワチェ(左)とチョラツェ(右)

チュクンリから眺めたタワチェとチョラツェの外形は何かよく似ている.見えている大きさこそ違うものの,左側に白い斜面で削り取られたような斜面を有する三角形の外形はほぼ相似形で,単独でぱっと見たときとっさの判断には迷いそうだ.

前日ディンボチェかららあれほど北に傾いでいたタワチェは,ここからは真っ直ぐに見える.


下は,第17日目の写真あれこれ

第17日目の写真
チュクンリからの眺め
チュクンリから眺めた朝焼けのアマダブラム チュクンリから眺めたアマダブラムとクワンデ チュクンリ中腹から眺めたヌプツェ チュクンリ中腹から眺めたアマダブラム氷河とカンレヤム チュクンリ中腹から眺めたローツェ チュクンリから眺めたヌプツェ チュクンリ直前から眺めチュクンリ
チュクンリから眺めたプモリ チュクンリ頂上 チュクンリから眺めたヌプツェとローツェ チュクンリから眺めたアイランドピークとマカルー チュクンリから眺めたヌプツェ氷河 チュクンリ頂上 チュクンリから眺めたローツェ
チュクンリから眺めたブルンジェー チュクンリから眺めたマカルー チュクンリから眺めたタムセルク チュクンリから眺めたカンレヤムとアイランドピーク チュクンリから眺めたカンレヤム チュクンリから眺めたマカルー チュクンリ中腹から眺めたチュクンの集落

第17日目のメモ

この日は大口顧客が入るからと何とも理不尽な理由でアマダブラムビューロッジ(Ama Dablam View Lodge & Restaurant)の部屋を明渡すように言われている.ジェルジェンに別のロッジを探すように頼んで一人チュクンリに登ることにした.

何度も立ち止まりながら登るチュクンリへのルートはトレッカーの姿が少ない.でも快晴で見通しがいいため,最後にチュクン主峰側と左に折れてチュクンリに向かうところでちょっと思案した以外は問題ない.頂上では前夜ロッジで夕食時話を交わしたダグラスさん,および若いドイツ人カップルと一緒になり,互いにカメラを渡してシャッターを押し合った.帰りは楽チンだ,チュクン間近になって,チュクンの集落も直ぐそこに見えることだしと思いちょっと別の道,下流側の道を下った.そうしたらイムジャコーラの渡り場がなかなか見つからない.結局川に沿って遡り橋がようやく見つかり,そこから渡った.

ロッジに戻ると,ジェルジェンから,「引越し完了,荷物は運んだよ」と告げられた.新しいロッジにはサンライズロッジ(Sunrise Lodge & Restaurant)の看板が掲げてあった.日本でも日の出山荘とか同種の名前のロッジはありそうだ,発想は多分同じであろう.

昼食でそのサンライズロッジのダイニングルームに行くと,ここも客がいっぱいだ.隣に座っていたのが中年のドイツ人カップル,やはりどこに行ってもドイツの人は多い.ゴーキョリからチョーラパスを越え,カラパタールに行き,ここに着いた.チョーラパスを越えて来たところが筆者とは一線を画すところだ.あくる日チュクンリに登るそうだ.この人たちが,目の前にいっぱいいる20~30歳台の男女について,「彼らはイタリアからで,翌日アイランドピークに向かう」,と解説してくれた.10人余り居ようか,中の一人が上等そうな,イタリア産に違いなかろう生ハムをナイフで切り分け配り,一人はポンプのような器具を長い時間懸命に操作していた.どうやら水のろ過装置のようである.この人たちの若々しくいかにもアルピニストといった出で立ちと動作が華やかさを漂わせていた.

チュクンのロッジがこう繁盛しているのは,チュクンそのものが見どころが多いのに加えて,やはりアイランドピークへ向かう人たちの通過点で,部屋数があまり多くないためであろうか?


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