カラパタールへ(2/2)Kalapattar

フェリチェまで順調に進んだ.ロブチェを経てゴラクシェプ,カラパタールに向かう.

第13日目:2005年10月31日(月)

今日は第13日目,ロブチェまで進む日だ.

フェリチェ  Pheriche

朝食の準備に精を出すフェリチェの少年

朝食の準備に精を出す少年

ロッジ(Snow Land Lodge & Restaurant)の室温2℃の寒い朝,起きてキッチンを覗くと働き者の少年がかいがいしくかまどの火を起こし,お湯を沸かし始めていた.これから家族やトレッカーの客の食事の準備に入るのだ.


フェリチェの先は既に強い陽射し

フェリチェの先は既に強い陽射し

フェリチェは谷あいにあるのでまだ陽が射さないが進行方向先はとっくに朝が明けてきた.明暗の差が極端に大きく,完全に白飛びしてしまった.全般に乾いたイメージの本街道沿いにあって,フェリチェの谷は珍しく一部湿原のようになっている場所がある.足を入れたら凍てつくように冷たかろうから,踏み違えないように注意を払い進む.


タワチェとチョラツェを左に見ながら歩く

タワチェとチョラツェを左に見ながら歩く

フェリチェの谷で目立つ山がタワチェ(左)とチョラツェ(右)だ.タワチェはどうした訳か右に相当傾いてきた.チョラツェも釣られていくらか右に傾いている.妙だ.


チョラツェの脇を進む

チョラツェの脇を進む

暫く歩くとチョラツェが単独峰でなく複数の峰から成るように見えてくる,若しくは独立の名前を持つ別の山かも知れないが.....いずれにしてもこの山群の腹脇を左間近に見ながら進むようになる.大きな山肌が青空に映える.この快適な斜面をトレッカーヤクも足早に下っていく.登りは楽ではないが.

トクラ  Tukla

トクラ(Tukla)に至る

トクラに至る

いかにも冷たそうな流れで炊事道具を洗うシェルパニを見かけて程なく,トクラ(Tukla:4,620m)に到着する.僅か数軒の小さな集落のようだ.頃合いも良し,Tukla Guest Houseの看板を掲げたこの茶屋で熱いミルクティーだ.

ちょうどこの時天秤棒に鍋やらたらいやらを吊るした行商人がこの集落を訪れ,近所の2,3人の女性が寄ってきて品定めが始まった.不思議なことに行商人はこの辺ではあまり見られない所謂インド系若しくはアーリア系の顔立ちであった.

トクラの先は暫く急な登り

急な登り道始まる

トクラの先は暫く急な登りが続く.ここ暫く歩いた区間ではダントツの勾配のように思える.ヤクもそれほど楽ではなさそうだ.ヤク使いは右手に鞭を左手に数珠を持ってヤクを駆る.


急登を登り詰めるとシェルパ遭難碑のある頂上に出る

急登の上に出る

息せき切らして急登を登り詰めるとタルチョーで彩られたシェルパの数多くの遭難碑のある頂上に出る.北方の展望も開けている.ところで坂の手前からず~っと見えていたこの山はチョラツェだろうか?多分そうだ.


ヌプツェが豪快に現る

ヌプツェが豪快に現る

程なくヌプツェが大きく立ちはだかる.それまではエベレストのちょうちん持ちの如くいつもその前面に付属物のように出現していたが,こうして単独で現れるとどうしてどうしてなかなか見応えのある山容だ.ところでヌプツェNup-tseのNupは西,tseは峰の意味だそうで,ローツェ/ヌプツェ連峰の西側の峰,に由来するそうだ.

ヌプツェは7つの峰を持つそうだ.主峰のヌプツェ第1峰(7,864m)の初登頂は1961年5月16日英国遠征隊デニスデービス(Dennis Davis)とタシシェルパ(Sherpa Tashi)によって北尾根(通称スコットルート)から成されたようである.なお1996年までに同主峰が登られたのは,初登頂に加えてたった2回だけだそうである.ふ~ん,やはりどうせ登るならエベレストってことですかね~?

ロブチェ  Lobuche

プモリが見えてくる

プモリが見えてくる

やがて進行方向にネパール/チベット国境に位置するプモリ(Pumo Ri:7,161m)が見えてくる.シェルパ語で少女峰の意味というが,上の写真,鋭く切り立つチョラツェとかと比べると対照的に丸みをおびた形状が容易にその連想を助ける.またサイトによってはエベレストの娘と書いてあるところもあった.初登頂は1962年ドイツ/スイス隊のゲハードレンザー(Gerhard Lenser)によって成されたそうである.

氷河谷を歩く

氷河谷を歩く

我々の登りとすれ違うようにトレッカーとヤクが下ってきた.この辺りに氷は残ってないがこのU字形の底は氷河が削り取った形だ.谷には石ごろごろのモレーン(堆石)が形成されている.氷河はここヒマラヤでも年々後退しつつあるそうであるが,この辺りはいつ頃消滅したのであろうか?

左端はプモリであるが,中央はどうやらリントレン(Lingtren:6,749m),右端はクーンブツェ(Khumbutse:6,665m)のようである.

間もなくロブチェに到着

間もなくロブチェに到着

クーンブコーラの支流が見えてくると程なくロブチェ(Lobuche:4,930m)に到着だ.ロブチェにはそれほど多くのロッジがあるように見えないが,好天のせいか道端や川原で寛ぐ大勢のトレッカーの姿が見られた.落ち着いたロッジ(Kalapattar Lodge & Restaurant)は部屋こそ粗末だったがいろいろな方と出会うことができ楽しかった.


下は,第13日目の写真あれこれ

第13日目の写真
フェリチェ~ロブチェの眺め
フェリチェの谷の朝 フェリチェの谷東側の無名(?)峰 フェリチェの谷を進む チョラツェを左手に見ながら進む チョラツェの複数の峰が現れる チョラツェの脇をトレッカーが下る グループトレッカーの荷を運ぶヤクの隊列
トクラへ歩みを進める 坂がきつくなってきる辺り 間もなく難所が待っている 難所を上がったところにタルチョーがはためいていた しばしなだらかな道に変わる 石ごろごろ,しかしこの日は快晴で快適だ ロブチェの近くなるとプモリが見えてきた
後退した氷河谷の中央にクーンブツェ,西側にプモリが,東側にヌプツェが聳える プモリと名前の知らない山 プモリの方向に進む 氷河谷をどんどん登る ヌプツェののこぎり状頂が青空に映える クーンブコーラの支流か?川原が見えてきた.先はプモリ,クーンブツェ,ヌプツェ 今夜の宿泊地ロブチェの集落に到着だ.先はクーンブツェ,ヌプツェ

第13日目のメモ

ロブチェのロッジ(Kalapattar Lodge & Restaurant)に到着すると契約トレッキング会社,HSA社の他のガイドとポーターに出会った.それぞれバサンシェルパさんとオーンチェ(部族不明)さん.このトレッキング会社でバサンシェルパという名のガイドは二人いて,こちらは大きい方,通称トールバサン(若しくはビッグバサン)と呼ばれるようだ.オーンチェさんも今回はポーターとして付いて来たが,時々ガイドもやるという.

バサンシェルパさんは今回千葉から来られた59歳の男性(単独)のガイドだった.カラパタールを目指しているが調子が思わしくなく,言葉がよく通じないので筆者にも会ってくれないかと言われ,部屋に伺うとベッドで横たわっていた.2時間も3時間も昼間寝ていると聞き,早速「寝るのは高山病には良くないそうですよ」と,バサンさんのアドバイスを伝える.

聞けばナムチェと過ぎた頃から具合が悪く,既にその頃に酸素を使ってみたそうだ.日本では百名山登頂を達成し,後一年で定年のところ苦労して長期休暇を取って来たそうである.山経験豊富,限られた休暇であったので無理したのであろうか,本来一旦高度を下げたいところである.明朝は様子を見てカラパタールに向かうか諦めて下るか決めたいと言われていた.後日ルクラで聞いた話ではやはりこれ以上高度を上げるのは危険なので残念ながら諦めて下山したそうである.

バサンさんが話すには,ナムチェ界隈では,シャンボチェのホテルエベレストビューが酸素を常備している.他のロッジと比べれば通常宿泊料金US$250と桁外れに高いが,このときは半額以下に値引きしてくれるということで,ここに宿泊することにしたそうである.ただ酸素は一時的には症状を和らげはしたたが,回復させるには至らなかった模様だ.

ところでバサンシェルパさん,ベテランガイドでとても人気があるようだ.今回の千葉のお客さんとその直前の客とではガイド日程がオーバーラップしていて,前客をルクラで見送ったとき,千葉の方は既に前日ルクラに降り,ポーターのオーンチェさんと途中まで,多分パクディンくらいであろうか,にたどり着いていたという.それを追いかけ,追い着き,一緒になったという訳だ.

筆者にも親しく声を掛けてくれて,それまでの歩みの状況や,当初計画より2日ほど早めにここに到着したのでチュクンで宿泊を増やしたい旨話したりしたら,「そりゃ大丈夫だ」,と太鼓判を押してくれた.いろいろ雑談しながら筆者がチャーハンをぺろりと平らげる場面を傍で眺めていたので,殆ど食べられないという千葉の方と対比して,大丈夫と思ったのであろう.確かにここのチャーハンは美味しかった.さらに,「ルクラでのフライト予備日も有効に使って,この先予定を消化したら,ターメ(Thame)まで行ってみたらいいんじゃないか」とプランを提示してくれた.ターメに関しては初めて聞くことであったが,すっかりその気になって,この提案は後日そのまま実行に移されたのであった.バサンシェルパさん,ガイドはもちろんのこと,英語も確かで,これまでの歩みと残り時間をうまく勘案して的確にアドバイスしてくれる,これが人気の秘密であろう.

このロッジではもう一組の日本人グループに出会った.カラパタールから下って来たという男性3人,それぞれ千葉,東京,神奈川だそうで,皆60歳代.その中で千葉の人は1991年,50歳のとき最初にネパールに来て病み付きになり,以来毎年のように来るので既に十数回の経験,65歳になったという.「でも最近はどこもマオイストの活動が激しくなった」,「トレッカーに対し,半ば強制的に寄付を募るのは普通であるが直接危害を加えることはない」,「しかしながら政府軍関係者が居ると考えられる施設や場所ではしばしば火器や爆弾による事件が発生し,その巻き添えになる危険性が極めて高くなった」,「現在安心して歩けるのはここクーンブエリア上部,ルクラから上のみになってしまったのは残念」と話されていた.もう一方の具合の思わしくない千葉の方のことをお伝えしたら,「シャンボチェに上がったのはまずかったですね,一旦ナムチェに降りて高度順応を図ってから上に登るべきでしたでしょうね,同じ千葉人として部屋を訪ねて話をしてみます」と言われていた.

このロッジで筆者の部屋は窓なし,所謂行灯部屋だった.窓は無いながらもしっかり寒くなり,明け方の室温は氷点下1℃,少し呼吸が苦しい.しかしセキは少なくなったので助かる.千葉/バサングループも上に登るのであれば一緒にとも思っていたが,芳しくないのであろう一階の食堂に下りてこない.カラパタールに向け我々だけで出発することにした.

第14日目:2005年11月1日(火)

今日はは第14日目,ロブチェに向け7:20AM出発した.

ロブチェ  Lobuche

ロブチェを出発する

ロブチェを出発する

ロブチェは標高が高いため寒い,ロッジ(Kalapattar Lodge & Restaurant)室内の気温は-1℃まで下がっていた.外を眺めると幸い今日もいい天気だ.朝食後ロブチェを出てU字谷のモレーンを登る.振り向くと遥か向こうにカンテガとタムセルクが並んで見えた.右手の近くの大きな山はタワチェかな?


前方真正面にはプモリ

前方真正面にはプモリ

前日に引き続き進行方向にはプモリが継続的に見える.丸みを帯びたなだらかな三角形は同じなので,この辺りでは著しく形が変わっていくヌプツェなどど違って,判断に迷う心配は全く無い.
この地域ではクライマーもシェルパも過去に多くの事故で亡くなった人がいる.たまたま通りかかったに過ぎないが,例えばPeterさんの記念碑などに遭遇する場面があった.大きな碑だが,一体どのような事故で落命したのであろう?

プモリ頂上へのルートについては,南東尾根ルートが最も簡単であるが,モンスーン後の季節は尾根からオーバーハングした氷が崩れ落ちる可能性があるために最も危険なコースでもあるそうだ.そのため冬,低温で氷の崩壊が少なく,かつ降雪がそう多くならないタイミングを選んで登るのが1つの方法である,といった登山案内が登山会社のサイトにあった.


クーンブ氷河とロブチェ氷河が交わる辺り

氷河に至る

地図でみるとこの辺りはクーンブ氷河とロブチェ氷河が交わる場所だ.目の前のこれはクーンブ氷河だったか?末端の多くは削り取った土砂で覆われている.上流の一部,中央の山の麓を望むと氷が露出している部分もある.

左の白いのはリントレン(Lingtren),中央の黒はクーンブツェ(Khumbutse),するとその右のやや奥まった白いベルトの頂は,チベット領内のチャンツェ(Chantse:7,556m)のようだ.

標高5,000m辺りを登る

ラジュが登ってくる

この辺りは既に標高5,000mに達していようか?後ろを振り向くとラジュが付いて来てくれている.でも彼もそれなりに難儀そうだ.地元とは言いいながら,普段低地暮らしのラジュにとっても,筆者と同様初めて体験する高地なので,そう楽ではないに違いない.実はこの後少しして,一時的に元気を失うのであるが.

ゴラクシェプ  Gorakshep

カラパタールの丘が見えてくる

カラパタールの丘が見えてくる

しばらく歩くとプモリに下にこげ茶色,平べったい三角系の丘が見えてくる.そう,これが目指しているカラパタールの丘だ.まあこれなら大丈夫であろうと思えてくるのだった.ところでKalapattarのKalaは黒い,pattarは岩,結局「黒い岩」の意だそうであるが,ここから眺めたカラパタールの光景は正にそのものズバリ!の叙述が当てはまる.


ゴラクシェプのロッジ群が見えてきた

そしてゴラクシェプのロッジ群が見えてきた

やがてゴラクシェプのロッジが見えてきた.数年前は2軒だったと聞くが今は4,5件のロッジがあるようだ.先ほど来見えていた氷河,クーンブ氷河はここに続いている様子が肉眼でよく判る.また,氷河の先には,左からプモリの東斜面,リントレン,クーンブツェ,チャンツェが並ぶ.


宿泊したスノーランドイン

スノーランドイン

しばらく歩きゴラクシェプ(5,160m)に着く.ここが宿泊したロッジ(Snow Land Inn)だ.到着したとき快晴で風もあまりなく食事をしたり日向ぼっこのトレッカーがプモリを背に外でたむろしていた.

チェックインのときロッジ受付係りの男性が「去年ここの泊まり,近くの湖で泳いだ70代日本人男性の写真が廊下にありますよ」と教えてくれた.確かに廊下の壁に,湖に漬かる男性の写真が数枚あった.「うっ,す,すごい!」としか言いようがない.ドゥードポカリで出会ったヒンドゥーの巡礼と同じか?いや,額に日の丸の鉢巻をしているところを見ると,多少俗な要素も混じっているような......


下は,第14日目ゴラクシェプまでの写真あれこれ

第14日目ゴラクシェプの写真
ロブチェ~ゴラクシェプの眺め
ロブチェから暫く登るとクーンブ氷河が見えてくる クーンブ氷河脇をトレッカーが行く.先方は左からプモリ東斜面,リントレン,クーンブツェ,チャンツェ(?) 所々クレバスを作り,氷の肌を見せながらゆっくり流れているようだ. ゴラクシェプに向かってなおも進む.先には左からリントレン,クーンブツェ,チャンツェ 黒い頂のカラパタールの丘と青い屋根のロッジが集まるゴラクシェプが見えてきた.先には左からプモリ,リントレン,クーンブツェ ヌプツェが青空に映える ゴラクシェプのロッジでは日向ぼっこのトレッカーが軒先で集っていた

カラパタール  Kalapattar

カラパタールへ登り始める

カラパタールへ登り始める

ゴラクシェプには早く到着したし,天気のよい今の内に,と昼食後独りでカラパタールに登ることにした.すぐさまクーンブ氷河の背後にエベレストやヌプツェや周辺の山々が圧倒的な迫力で横に立つ姿に見入ることになる.特に知名度のエベレストと,手前に立ちはだかるヌプツェに目が行く.やはり山は天気次第だ,全スペクトルの光が偏りなく注ぎ,白い山肌は紺碧の空に明快なコントラストで浮かび上がり実に美しい.この辺で記念写真も忘れないで撮っておく.

エベレストとヌプツェ

エベレストとヌプツェ

徐々にヌプツェ背後のエベレストも現す姿を多くする.高い山は上昇気流が生じるのであろうエベレストの背後には雲が掛かってきた.こうして眺めるとヌプツェもどうしてどうして豪快な山だ,と改めて思う.


プモリを目指して登る

プモリを目指して登る

カラパタールの丘は,特に終盤の岩場を除けば殆どは緩やかな土の地面での登りだ.頂上はちょうど写真左のプモリの方向なのでここを目指せばてっ辺に至ることになる.

なお中央はリントレン(Lingtren:6,749m),右端はクーンブツェ(Khumbutse:6,665m)だ.プモリに雲が現れ,広がりつつある.急げ急げ!


カラパタール頂上はプモリの手前

カラパタール頂上はプモリの手前

カラパタール頂上近くになると原語カラパタールが意味するという「黒い岩」の登りに変わる.ただその範囲はいくらの大きさでもない.頂上はちょうどプモリの手前でトレッカーが登っていくのが見える.


エベレスト(サガルマータ)

エベレスト(サガルマータ)

カラパタールの丘頂上近くではヌプツェから覗くエベレストの頂上がいくらか多くなり,イエローバンドがよく見えるようになる.

なお層の名前は,一番上がチョモランマ層(Q),次がその名が示すように黄色のイエローバンド(Y),最も下がノースコル層(N)と呼ぶのだそうである.5000万年前,インド亜大陸とアジア大陸の衝突の結果,ヒマラヤ山脈とチベット高原が誕生したそうで,そんな衝突の状況が各層の分析でいろいろ判るようである.イエローバンドは主に石灰岩から成る層であるようだ.


下は,カラパタール中腹からの眺めあれこれ

第14日目カラパタール中腹の写真
カラパタール中腹からの眺め
カラパタールへ少し登るとヌプツェとエベレストがよく見えてくる 中央,クーンブ氷河の背後に見えるはチャンツェ(Chantse:7,556m) 中央がチャンツェでその左がクーンブツェ,右が無名峰で,次がエベレスト クーンブ氷河下流方面.右に小さく見えるのはアマダブラム 黒い大きな2つの峰の右の白い尖った小さな峰がアマダブラム カラパタール中腹のエベレスト カラパタール中腹のヌプツェ
カラパタール中腹から眺めたクーンブ氷河 カラパタール中腹のエベレスト 2/3くらい登ったカラパタールから眺めたエベレストとヌプツェ カラパタール中腹のヌプツェ カラパタール頂上間近,背景はプモリ 黒い石が転がるカラパタール上部 左からクーンブツェ,チャンツェ,無名峰,エベレスト

カラパタール頂上の1つ

カラパタール頂上の1つ

てっ辺の手前にタルチョーはためくところがある.これがカラパタール頂上でこの上のてっ辺はカラパタールエクストラだと近くにいたシェルパが話してくれた.真偽のほどは判らない.この場所を上方より眺めるとカラパタールの肩の部分で,下から吹き上げる風が強そうなところだ.しかしてタルチョーを掲げるには好都合であろう.


カラパタール頂上

カラパタール頂上

ここが天辺のカラパタール頂上(5,545m).五色のタルチョーがいっぱいだ.この日は天気が良かったので下って行く人登って来る人とで,広くない頂上で順繰りに入れ替わっていく.


エベレストベースキャンプ方面を望む

エベレストベースキャンプ

カラパタール頂上からクーンブ氷河方面を望むと上部は白くなっているのが良く見える.この辺りにエベレストベースキャンプが設営されるそうであるが,今は登山シーズンでないためテントは1つも見えない.ここで墜落したヘリコプター2機の残骸がかすかに見える.この事故でパイロットが恐れをなし,以来ヘリに依る物資や人の輸送は引き受けてくれなくなったそうだ.エベレスト登頂隊はその分地上運搬を増やさなくはならなくなったわけだ.

西側チャングリシャー氷河方面を望む

西側チャングリシャー氷河方面を望む

カラパタール頂上に立つと西のチャングリシャー氷河方面が臨めるようになる.これはプモリの麓から始まる氷河のようである.氷河の先に鋭く突き出た峰が見える,これがチャングリであろうか?


縦写真を何枚か

カラパタール頂上の眺めカラパタール頂上の眺めカラパタール頂上の眺め

下は,カラパタール頂上からの眺め

第14日目カラパタール頂上の写真
カラパタール頂上の眺め
カラパタール頂上から西方を望む タルチョーで覆われたカラパタール頂上 カラパタール頂上から眺めたエベレスト,ヌプツェ 北西に氷河湖が見える カラパタール頂上から眺めたエベレスト カラパタール頂上から眺めた南西方面 カラパタール頂上から眺めた西の方面

第14日目のメモ

ゴラクシェプには,ロッジはそう多くはない.確実に部屋をブッキングしてもらうためにジェルジェンに先に行ってもらうことにした.彼は足が速い,どんどん先にいって姿を消した.筆者とラジュはいつものようにゆっくり歩みを進めた.しかし,途中ラジュの姿が見えないので,少し引き返して見ると岩陰でうずくまり元気がない.彼はこちら側はナムチェまでの経験しかなく,普段も2,000m台の比較的低地に暮らしているので疲労と高山の影響でダウンしてしまったのであろうか.通りすぎるトレッカーが,「もっと頑丈なポーターを雇って,低いところに下ろした方がいい」とか,「水を飲め」といってペットボトルを渡してくれたりしてくれた.

何とかしなければと思い,チョコなどいくらかの食べ物を添えてラジュを残し,筆者だけジェルジェンを呼び戻しに先に行くことにした.ゴラクシェプ近くになってジェルジェンが出迎えてくれていた.ラジュの様子を伝えると共に,とりあえず荷物はジェルジェンが運び,くれぐれも彼をしからないように頼んで迎えに行かせた.筆者はそのままジェルジェンが部屋を確保してくれたロッジ(Snow Land Inn)に向い,間もなく到着した.大きなダイニングルームと数多くの客室を備えたロッジだった.

暫くすると二人が元気そうな姿で到着したのでほっとした.ポーターは一般に栄養も不十分で,高所でも食堂の片隅で粗末な寝具で眠るため,睡眠も不十分になり往々にして高山病に陥り易い,と聞いた.そんなことも経験不足に加えてダウンの要因になったのであろう.ロッジで元気を取り戻したラジュを見て一安心だ.普通ポーターやガイドは元気,トレッカーぐったり,がしばしば見かける光景なので,まあこれも珍しい経験,気合を入れてかかろう!

ジェルジェンに予約を取ってもらったために,眺めは良くないがちゃんとした部屋が確保できた.ダイニングルームはとっても広くて一度に大勢食事できる.ストーブに近いところで毛布に身を包んで読書に没頭している人,ボンベから酸素吸入している人,激しくセキ込んでいる人,.....等々いろいろな人が居た.何れもヨーロッパの人のようだ,尤もこの夜東洋人は筆者一人であったが.遅くなるとストーブの周りはポーターたちが大勢寄ってきた.乾燥ヤク糞の補給は専ら彼らがやってくれる.

ここのお手洗いの床は珍しいことにタイル貼りである.ところがこれが曲者なのだ.ここは寒いので水洗用水タンクは常時氷が張っている.同じようにタイルの床もこぼれた水で凍っており,その上のマットもまた氷が付いている.で,マットに載る度に身体がマットごと床を滑り,とても怖いのだ.ジェルジェンに話したら,彼も,「そうだそうだ危なかった!」と同感であった.マットが仇だ,これが無ければまだましな気がした.

第15日目:2005年11月2日(水)午前

今日は第15日目,朝早く起きてもう一度カラパタールに登ることにした.

カラパタール  Kalapattar

カラパタールの朝,エベレスト背後から陽が射す

エベレスト背後から陽が射す

早起きする.室温-5℃,寒~い!5:40AMロッジ(Snow Land Inn)を出発し,7:20AMカラパタール頂上(5,545m)に到着.エベレストはカラパタールの東.背後から朝日が当たってくる.この時カメラが作動するも,1枚きりで以降全く動かなくなる.たまたま同じカメラを持っていたオーストリアの人のカメラも,電池入れ替えしてみたが動作不能となった.気温は-13℃.水筒のポカリスイットがシャーベット状になっている.

この寒い朝カラパタール頂上には7人

この寒い朝頂上には7人

日の出は7:40AM,エベレストではなくヌプツェの真上辺りから昇った.カメラ不調のため日の出写真なし.頂上にはシェルパのガイド3人,トレッカー4人合わせて7人居た.意外と少ないと思ったが,寒いし,カメラも動かなくなるし,まあこんなもんであろうか.

日が昇ったとき居合わせたシェルパ3人は,ウォ~と歓声を挙げ,レッサムフェリリを歌い出した.トレッカーがよく知っているこのメロディーを選曲してくれたのはサービス精神からであろう,多謝.狭いカラパタール頂上ではイスラエルから来たこの人と隣になった.間もなく日が当たり身体が温かくなり,カメラも動くようになった.太陽は偉大なり!ここでプモリを背景に写してもらった.

カラパタール南方面のパノラマ

南方面のパノラマ

南側は最初タワチェ,チョラツェに朝日が当たり,あっと言う間に全体が明るくなった.クーンブ氷河の左(東)から鋭い三角形のアマダブラム,カンテガ,タムセルク,氷河のこちら側にタワチェ,チョラツェが見える.


カラパタールからゴラクシェプに下る

カラパタールからゴラクシェプに下る

カラパタールから下ってくるとゴラクシェプ(5,160m)のロッジが見えてくる.ゴラクシェプとカラパタールの間は砂地の広場のようになっており,ヘリコプターが着陸できるようにマークが付いている.やがてロッジまで下り,前庭の陽だまりで遅い朝食を食べた.



下は,第15日目午前カラパタールの写真あれこれ

第15日目午前カラパタールの写真
カラパタール頂上での朝の眺め
'カラパタール頂上.朝のプモリが順光線を浴び白く輝く カラパタール頂上から朝のタワチェ,チョラツェを望む 朝のカラパタール頂上から北西を望む カラパタールから眺めたタワチェ,チョラツェ 朝のカラパタール頂上から眺めたアマダブラム 朝のカラパタール頂上から眺めたエベレスト カラパタール頂上.朝のプモリ

第15日目朝のメモ

朝のカラパタールは寒かった.頂上で同じようにカメラが動かなくなったオーストリアだったかの男性に,「-13℃ですから」,と告げると,彼も自身の温度計を出して,「オーッ,そうだ-13℃だ!」と頷いた.でも「日本製だ!」と,チラリ皮肉を付け加えることも忘れなかった.家でテレビの天気予報を見ていると,旭川など北海道ではしばしばそれより低い気温を目にするが,みんなよく平気でいられるものだと感心する.筆者には寒過ぎる,特に,厚手のウール靴下にスカルパ製皮革トレッキングブーツであるに拘わらず,足の指先が猛烈に冷える.まあ元より血の巡りが良くないのが一層悪くなったということであろうが.....トホホ.日が昇って直ぐに暖かくなって助かった.直射日光の即効性には改めて感じ入った

筆者が下るとき,半分くらいの地点であっただろうか,腰を下ろして休憩中の日本人グループトレッカーに出会った.アルパインツアーサービスのメンバーで,一人だけ途中でリタイアし,11人でカラパタール頂上に向かっているところだそうだ.聞けばその朝3:00AMにゴラクシェプを出発して来たそうで,すざまし~い!とビックリしてしまった.3:00AMスタートということは氷点下を相当下回る気温の中を既に5時間は歩いた筈で,すごいな~と思った.また,やはりツアーは大変そうだな~と感じた.でも少なくとも11人(多分それに添乗員)の人々は皆ニコニコ平気そう,タフな人々だった.

さらに下ると,ラジュが登って来るのが見えた.「えっ,これから登るの?」と問えば,「そうです」と応え,どんどん上に行った.昨日の不調が見違えるように回復して嬉しい.筆者がロッジまで下って食事し,お茶をすすっているところにラジュは帰って来た.頂上まで行って来たそうだから,随分早い.筆者の3倍のスピードはありそうだ.ゴーキョでは,「ゴーキョリに一緒に行こうか?」と訊ねても,首を縦に振らなかったが,今回は別に何も薦めはしなかったのに自らカラパタールに登った訳だ.仕事で来たが,折角だからと云う気になったのであろう,筆者と同じく初登頂だった.


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