ゴーキョリへ(3/3)Gokyo Ri

マッツェルモまで来た.あとはゴーキョに行き,そこをベースにゴーキョリを目指す.

第8日目:2005年10月26日(水)

今日は第8日目,ゴーキョに向かう日だ.

マッツェルモ  Machhermo

朝のキャジョリ(Kyajo Ri)

朝のキャジョリ(Kyajo Ri)

マッツェルモからよく見える朝のキャジョリの麓には雲が棚引き,それがマッツェルモ氷河に沿って流れていく.雲の量がこの朝の場合徐々に減っていった.この写真で見ると,マッツェルモ氷河はマッツェルモの集落の少し手前で無くなり,解けた水が下流に流れる.マッツェルモの川原ではその水を飲んでいる馬を見かけた.馬を見ることはあまりなく,珍しいと思った.

朝のマッツェルモから望む北方面

朝のマッツェルモから望む北方面

マッツェルモの宿を出て丘まで上がると,北部にはドゥードコシとその両岸の茶色の大地が広がり,先にチョオユーが白く輝いている.7:30AM頃出発したので,まだ陽は東の空に低く,ドゥードコシの谷と対岸の地は未だ日陰のままだ.この辺でYTGの皆さんにお願いして暫く同行させてもらうことにした.

パンガ  Pangka

パンガのカルカ

パンガのカルカ

パンガの辺りは比較的平らで広々した土地があり,カルカがいくつも見られる.ただし今の季節は家畜がいないのが少し寂しい.夏に草が生えているときに下から家畜を連れて来て所定期間,2,3ヶ月か,ここで草を食ますそうである.

1995年11月10日,時ならぬ大雪で,一見なだらかに見える左手の斜面で雪崩が起こり,トレッキングツアーの日本人13人とシェルパ12人がロッジもろとも飲み込まれて死亡した場所はこの辺りのようである.季節はずれの大雪で,誰もが予想できなかった雪崩だったようだ.この日はネパール各地で雪崩が発生し,同じ日にカンチェンジュンガトレックで日本人3人,その他アンナプルナ方面等で合計60人余りが死亡したという痛ましい記録が残っているようだ.

茶色のパンガを行く

茶色のパンガを行く

パンガを越えチョオユーを眺めながら進む.この辺りはなかなかのどかな光景が続く.眺めはのどかであるが,筆者の呼吸は一層ハァハァしてくる.今は茶色一色であるが写真のようにここらは草地であるので,夏はさぞやきれいであろう.ただ夏はモンスーンで雨が多く,普通のトレッキングには不適なのが残念だ.


ゴーキョに近づくと石ころが多くなる

やがて石だらけの道に

ゴーキョに近づくと石ころが多くなる.モレーンがこの辺りまで下っているのだ.トレッカーはもちろんポーターとゾッキョもどんどん登る.一旦モンラの方向に足を出したトレッカーは途中で引き返す人は殆どなく,皆ゴーキョピークに向かう.そんな訳で歩いているトレッカーの数はどの辺りもあまり変わらない.トレッカー相手でない地元居住者やその人たち対象のポーターや家畜は上に行くほどいくらか少なくなるではあろうが.

ゴーキョ第一湖 Gokyo 1st Lake

ゴーキョに源を発するドゥードコシの支流

ゴーキョに源を発するドゥードコシの支流

ゴーキョ近くではいくつかの小さな流れが集まってドゥードコシの流れが形成される様子である.ゴーキョ方向からの流れはそれら支流の一つだ.この辺は小川程度の大きさに過ぎない小さな流れだ.ただ,このようなかなり上流の小さな流れであっても飲料に適さないので,ペットボトル入りミネラルウォーターや,一度沸かした湯/タトパニ(tato pani),など水だけは常に持ち歩かなければならない.しかも高度障害を未然に防ぐためできれば大量に.

石の地面

石の地面

ゴーキョ近くになり,ごろごろした石の地面が広がる.先に見えるはチョオユー.青空に白い峰が映えて快適に歩みを進めることができる.どうやら今日はチョオユーが天下の日だ.ず~っと見えている.それと,トレッキングはやはり天気次第だ,何事にも替え難い.ドーレのロッジで会ったカトマンドゥから来た二人のヒンドゥー巡礼者が下ってくるところと,この辺りで遭遇した.ドゥードポカリの巡礼を終えたのであろう.筆者は登っているところだから,足の速さは大分違うようだ.

ゴーキョ第一湖現る

第一湖現る

最初に見える湖はゴーキョ第一湖.地図で見ると,元もとの名はLongponga Tso,また標高は4,650mのようだ.上には引き続きチョオユーが真っ白に輝く.薄雲が架かっているのは先方のゴーキョ第二湖の上だろうか?
湖の傍,たくさんの手製チョルテン風ケルンがネパールらしさを醸し出している.湖面には鴨(?)のような水鳥が数羽翼を休めていた.

ゴーキョ第一湖

引き続きゴーキョ第一湖

さらにゴーキョ第一湖の右岸を進む.標高が高くなり雪が残るようになる.黒い岩との強いコントラストの斑点が絶妙だ.
この辺で南を振り返ると
チョラツェチョラツェが雲の切れ間から姿を見せてくれる.この辺りでもチョラツェは引き続きヒマラヤ襞がきれいだ.

ゴーキョ第二湖 Gokyo 2nd Lake

ゴーキョ第二湖

ゴーキョ第二湖

やがて第2番目の湖,ゴーキョ第二湖の岸辺に来る.湖面の高さは4,690m,シェルパ語名はTaoche Tsoのようだ.ゴーキョ第一湖の標高は4,650mであるから殆どフラットなところを歩いてきたということになろうか.第二湖は,水の色がいかにも氷河湖の色だ.空の青,湖の青,岩山の黒,雪の白,ここに到達すると皆歓声をあげて立ち止まる.


ゴーキョ第二湖の脇を進む

さらにゴーキョ第二湖の脇を進む

まだまだゴーキョ第二湖の傍を歩く.きれいな湖だ.やがてゴーキョ第二湖が終わり,石ごろごろの道を継続して歩く.歩いているとき雪が降ることがあったが,粉雪よりず~っと細かい,何と呼ぶのか?霧雪と言っていいくらい微小粒径の雪だ.この程度の軽微な雪に見舞われたに過ぎなかったのは幸いだった.

念のため「霧雪」なる用語があるかどうか調べてみる.なんと,それが在るのだ!気象庁階級表の中に,大気現象:霧雪/ごく小さな白色で不透明な氷の粒が降る現象,と載っている.ちなみに雪は,大気現象:雪/氷の結晶が降る現象,とある.素人考えでは氷の結晶は透明で,雪はむしろ霧雪の定義である「白色で不透明な氷の粒」の方がふさわしいような.....さらによく耳にするダイヤモンドダストについて広辞苑第5版を引くと,〔気〕細氷,と味気ない.細氷を気象庁の用語で調べると,大気現象:細氷/ごく小さな分岐していない氷の結晶が徐々に降る現象,とある,結局素人がにわかには辿り着けない世界なようで......

でも打ち切りにする前に,さらにウィキペディア(Wikipedia)でダイヤモンドダストを引いてみる.要約すると,霧を構成する水滴が凍り,あるいは空気中の水蒸気が直接昇華して,小さな氷の結晶となって浮かんでいるために視程が妨げられる気象現象が氷霧(こおりぎり,ひょうむ).空気中浮かんでいる水滴は過冷却状態となるため0℃以下でも容易には凍らない.そのため通常は気温が-30℃以下になるような極めて限られた気象条件でしか氷霧は発生しない.氷霧が発生しているときに太陽が出ていると氷の結晶が日光を散乱して輝いて見える.これはダイヤモンドダストとして知られている.ダイヤモンドダストは一般的に極めて低温でないと発生しないとされているが,-2℃という温度でも短時間ではあるが局所的に発生が観察された事例もある.と結構判りやすい.結局ゴーキョ辺りで見舞われた細かい雪は霧雪なのか氷霧なのか?今もって判らないのである.

ドゥードポカリとゴーキョ  Dudh Pokhari & Gokyo

ゴーキョ第三湖(ドゥードポカリ:Dudh Pokhari)

ゴーキョ第三湖(ドゥードポカリ:Dudh Pokhari)

また暫くあるくと今度は第3番目のゴーキョ第三湖もしくはドゥードポカリ(Dudh Pokhari)に至る.向こうにはチョオユーが立ちはだかっている.これまでの湖同様,湖の右側に沿い,チョオユーを仰ぎながら歩き,ゴーキョの集落に進む.シェルパの言葉でドゥードはドゥードコシのそれと同じくミルク,ポカリは湖の意だから,ミルク湖,となる.

ミルクの色とはかけ離れているので外観からはちょっと連想できないが.ネパールでは一般的に水と山は神聖である.高山湖のほとんどは宗教上の巡礼の場であり,上述の二人のヒンドゥー巡礼者はその一例であろう.厳寒の水で巡礼者の罪を浸すことで清めるようである.特に8月の満月がこの湖に落ちるときは,ボーダヒマール(Baudha Himal)の襞に祈りを込めるべく何千もの巡礼者が集うそうである.

ゴーキョのロッジ前

ゴーキョのロッジ前

ゴーキョ(4,790m)に到着した.ゴーキョのロッジ(Gokyo Namaste Lodge & Restaurant with Shop)はなかなかすばらしいチョオユービューポイントに位置している.ロッジ付属のナマステショップは,ゴーキョのコンビニといった趣で,スナックから日用品一通り揃っている.寒いここゴーキョにあってもテントは結構な数並んでいるものだ.


ゴーキョの裏山

ゴーキョの裏山

昼食後ゴーキョの裏山に登った.ただ午後になり天気が急激に悪くなったため,見通しがあまり良くない.ンゴズンパ氷河(Ngozumba Glacier)が真下に見え,時々氷河が砕ける音が聞こえてくる.雲が切れたとき,北にチョオユー,南にチョラツェがチラリと見える.だが瞬く間にまた覆われてしまう.手前には今登って来たゴーキョ湖やゴーキョピークが当然のことながら直ぐ近く,ほんの傍に広がるが,どんよりしてイマイチだ.日が翳るとやはり寒い.じ~っと雲が切れるのを待つのが徐々につらくなる,引き上げるとするか!


下は,8日目の写真あれこれ

第8日目の写真
パンガ~ゴーキョの眺め
パンガ辺り,石の家に石の家畜囲いの脇を行く パンガを越えさらにチョオユーを眺めながら進む ここらで一休み,あー気持ちいー ゴーキョ第2湖から振り返り眺めるチョラツェ(左)とタワチェ(右) ゴーキョ第2湖脇を進む ゴーキョ第2湖 ゴーキョ湖(ドゥード湖)をバックに記念撮影,ここでは見とれてしまう.
ゴーキョ湖(ドゥード湖)とチョオユーを眺め進む ゴーキョ湖(ドゥード湖)脇のゴーキョピークの1つも見事だ これはチョオユーとギャチュンカンの間だったか? ドゥード湖を左になおも進む ドゥード湖に立つ山2つ,同じ高さなのに茶色と雪を被る黒の2種ある妙 'タルチョーはためくチョオユーの方向にトレッカーが行く チョオユーを背に,ゴーキョ湖(ドゥード湖)を正面にゴーキョの集落が見えてきた'

第8日目のメモ

YTGの皆さんにお願いして暫く,多分今日と明日朝,同行させてもらうことにした.日本山岳会会員ということでいろいろ山の話など伺いながらついて歩いた.歩くペースなどは結構ゆっくりでちょうど良かったし,おかげで楽しかった.皆さんゴーキョリゾートホテル滞在だ.このロッジは,かつてシャンボチェの日系高級ホテル,エベレストビューで働いていた人の経営で,奥さんの実家があるここゴーキョに土地を確保し建設した,と聞いた.ゴーキョはここ数年でロッジが倍増したというが,我々トレッカーにとってはありがたい.

朝ゴーキョ湖辺りに差し掛かったとき,下山する60歳代前半くらい男女3人のグループに出会った.言葉から関西の方か?最初カラパタールに行き,チョーラパスを越え,ゴーキョリに登って今帰るところだそうだ.アイゼンは要らなかったそうである.ゴーキョリゾートホテルに泊まったそうで,「あそこのヤクステーキはとても美味しかった,昼と夜2回続けて食べた」と語られたのが印象深い.

ゴーキョのロッジ(Gokyo Namaste Lodge & Restaurant with Shop)は三方ガラスのサンルーム食堂を備えていた.なので昼間は明るく暖かい.しかし日が暮れれば太陽電池で充電したバッテリーで灯る薄暗い蛍光灯と乾燥ヤク糞のストーブなので決して明るくはない.そんな中で厚い本を開いて,ヘッドランプで読書を続けるヨーロピアン(多分)が2,3人居る.地図とか資料とかなら誰でもそうするが,厚いハードカバーの小説とかの類には何となく違和感を覚える.南洋のリゾートのプールサイドなどで厚い本を広げているのも大方は欧米人であって,日本人とかはあまり見かけない.ヒマラヤは世界中からいろいろな人が集まるので文化の違いに触れるのもまた面白いと思う.

ここのロッジは客が多い.グループも多い,夕食で座るテーブルをキョロキョロと探していると,こっちこっちと手招きしてくれる人がいる.こんなとき一人分くらいだとどこかに席が空いている場合が多い.ガーリックスープにモモを注文した.招いてくれたのは大所帯のオランダ人グループ.聞けば旅行会社主催のツアーで14人だそうだ.見ると20~40代,いわば働き盛りの男女が多そうだ.「どこから?」と左の焼きソバを食べている男に訊かれたので,誰でも知っている「東京」と答えると,「東京のどこ?」とさらに追求される.他国の人が聞いても判らない地名を言ってもしようがないのでサバを読んだが,東京を少し知っている人だった.現在xxx(筆者はアムステルダム以外知らないので,長いこの地名覚えられず)でシステムエンジニアをやっており,今は国土の排水システムの設計(←さすがオランダ!)をやっているそうだ.10年ほど前に2週間ほどかけ,仕事で東京の色々な会社のシステムを見せてもらったり,休みに東松山から東京まで歩いたり,都内の歩行者天国を楽しんだという.それで詳しいのだ.「歩行者天国はなかなかすばらしい!」と言うので,「元々コペンハーゲンが元祖で,それを輸入したのですよ」って応えたら,右隣のイギリス人が「へえ~,ヨーロッパ発祥か!」と合いの手を入れてくれた.このイギリス人,明日チョーラパスを越えカラパタールに向かう予定で,ゴーキョ⇒カラパタールは,2歩進むと1歩ずり落ちる感じで,逆向きコースより少し歩くのにてこずりそうだ,と言っていた.尤もその人にとっても初めてのことで,「今しがた仕入れた情報では」と付け加えていたが.

ヘッドランプを着け,ペットボトルの水と歯磨きセットを持って外に出る.既に同じスタイルの人が歯磨きしている.粉雪より細かい粉雪が少し舞う中,夜空を見上げて歯ブラシを口に入れる.文字通り無数の星が輝いている.筆者はせいぜいオリオンと大熊座の名を思い出す程度で甚だ疎いが,こういった分野に興味ある人には鮮明に見えるのでいいと思う.お~寒い!ブルルッ!

第9日目:2005年10月27日(木)

今日は第9日目,いよいよゴーキョリに登る日だ!YTGの皆さんと一緒に登る計画だ.

ゴーキョリへの登り  Gokyo Ri

ゴーキョの早朝

早朝の出発

室温3℃,外に出ると測らなかったがかなり寒い.5:45AMまだ薄暗い中ヘッドランプを着けてロッジ(Gokyo Namaste Lodge)をスタートした.登り始めて暫くするとギャチュンカンの頂に朝日が当たり始めた.振り向けばゴーキョピークの1つゴーキョピークの1つにも陽が当たり始めた.そして周りもすっかり明るくなりヘッドランプは要らなくなった.

ゴーキョリ中間点まで登る

ゴーキョリ中間点まで登る

ここは1/3地点くらいか?1/2地点くらいか?背景のゴーキョピークの1つにも,登山道にも完全に陽が当たってきた.地面は霜で白く,それまでは相当寒かったがこれで暖かくなる.ここらでYTGガイドのGokyoラクパさんに頼んで記念撮影.


ゴーキョ湖(Dudh Pokhari)を振り返る

ゴーキョ湖(Dudh Pokhari)を振り返る

時々ゴーキョ湖,第2ゴーキョ湖を振り返りながら登った.この時間湖周辺の低い峰みねへの光の回り具合がちょうどいい.ゴーキョ湖背面の白い雪の壁,チョラツェの前面辺りであろうか,低く白い雲が谷を満たしている光景もなかなかだ.


ゴーキョリ頂上  Gokyo Ri

ゴーキョリ頂上で西側を眺める

ゴーキョリ頂上で西側を眺める

念願のゴーキョリ頂上(5,360m)に立った.登ってみると他の高い所の例に漏れずタルチョーがたくさんはためいている.風でタルチョーが1回舞えば1回お経を読んだと同じ功徳があるという.ここから西側を眺めるといくつかあるゴーキョリ(ゴーキョピーク)の一つがきれいに見えている.それもその筈,すぐ傍なのだから.


エベレスト,ヌプツェ,ローツェを背に

エベレスト,ヌプツェ,ローツェを背に

一方こちらは東を眺めると,ゴーキョリにてエベレスト,ヌプツェ,ローツェが先にある.ローツェはヌプツェの背後になり,ほんの少しだけ頂を覗かせている.オランダグループのBさんとちょっと情報交換中.Bさんとはこの先々数回に渡って再会する.


迫力のギャチュンカン(Gyachung Kang)

迫力のギャチュンカン(Gyachung Kang)

ゴーキョリから望むギャチュンカンは圧倒的な迫力で迫ってくる.距離と,光線の方向と,何よりもその形態に因るものか.7,922mと若干8,000に満たないためか注目度がさほど高くないのかも知れないが,とても見応えのある山だ.マッツェルモで出会った福岡の山岳会の皆さんが初めて成功したという南西稜ルートとは,頂部逆三角形の左端頂点から下りる稜線であろうか?確かにこのルートは右の稜線と比べて傾斜が急であるように見受けられる.

ンゴズンパ氷河(Ngozumba Glacier)

ンゴズンパ氷河(Ngozumba Glacier)

タルチョーたなびくゴーキョリから東南の方向を眺めた.ンゴズンパ氷河(Ngozumba Glacier)は幅1km,長さ16kmにも及ぶそうでとても大きい.ンゴズンパ氷河の向こうにエベレスト,ヌプツェ,ローツェ(ヌプツェ右側稜線上に少しだけ頂を見せている),遥か遠くにマカルー,チョラツェ,タワチェが見える.マカルーは遠いだけあって霞んで見える.ただカラパタールからは見えないそうなのでここではよく眺めておこう.


何枚かの写真をつなげてパノラマにしてみました.PCまたは大きなタブレット使用の場合は,山の名前をクリックするとその山のページにジャンプします.

ゴーキョリからのパノラマ写真
Thamserku Kantega Tawachee Cholatse Makalu Lhotse Nuptse Everest PumoRi GyachungKang ChoOyu Lobuchepeak

ゴーキョへ戻る  Gokyo

ゴーキョ湖に向かって下りる

ゴーキョ湖に向かって下りる

下山路で南を眺めた.ゴーキョ湖,第2ゴーキョ湖の青緑が映える.ニュージーランド南島テカポ湖だったか?も同じような色の湖で,氷河が削り取る地面の成分が流れ込んでそのようなスペクトルになる,と聞いたことがある.多分色が同じようであるし,近くに氷河という条件も同じなので似たような効果ではないかと思った.

ンゴズンパ氷河は,山の直ぐ下では真っ白であるが,このような水平部分まで下ると削り取った岩や土砂が混じるのであろう黒ずんでいる.時々音がするのは河の名の如く絶えず流れている証であろう.だから割れ目は急にどこにもできる可能性があり,上を歩くのは甚だ危険だそうである.

遥か向こうに見えるはカンテガにタムセルク,いつも姿を見せてくれる健気な兄弟山だ.


石室小屋が山の中腹に建つ

石室小屋が山の中腹に建つ

ゴーキョ湖近くまで下ると小屋が現れる.本体も屋根も石造りの頑丈な小屋だ.夏の間はこのような高地まで家畜を連れて来るようなので,宿泊や炊事設備を備え,また農具などを収納しておく別荘,若しくは小屋ではなかろうか.


ゴーキョのロッジに戻る

ロッジに戻る

昨夜に引き続きこのロッジ(Gokyo Namaste Lodge & Restaurant with Shop)に泊まる.2階総ガラス窓のところが食堂になっている.3面とも総ガラスで北のチョオユー,西のゴーキョ湖,見えたかどうだったか思い出せないがチョラツェのある南方向ともに明るく見渡せる.ここで問題のチーズバーガーと,これで蒙った不覚を的確に挽回するヤクステーキを食した.話が長くなるのでまた下で.

手前の総ガラス張りの小屋はシャワールーム,とは言ってもバケツ一杯のお湯を柄杓で浴びるタイプ,と聞いた.筆者の場合躊躇が先に立ち,未体験.


下は,9日目の写真あれこれ

第9日目の写真
ゴーキョリの眺め
ゴーキョ湖,ンゴズンパ氷河の向こうにチョラツェ,タワチェ,カンテガ,タムセルク ゴーキョリから望むギャチュンカン ゴーキョリ頂上 ゴーキョリから望むギャチュンカン タルチョーはためくゴーキョリから望むチョオユー ゴーキョリから望むロブチェピーク(左端)とエベレスト(右端) ゴーキョリから望む,ンゴズンパ氷河の向こうにマカルー(左端),チョラツェ,タワチェ
ゴーキョリ頂上,チョオユーとギャチュンカンを背に ゴーキョリ頂上,チョオユーとギャチュンカンを背に ゴーキョ湖,ンゴズンパ氷河の向こうにチョラツェ,タワチェ,カンテガ,タムセルクを背に ゴーキョリから望むチョラツェ,タワチェ ゴーキョリから望むエベレスト,ヌプツェ,ローツェ(ヌプツェ右側稜線上に少しだけ頂を覗かせている) ゴーキョリから望むエベレスト ゴーキョリにてエベレスト,ヌプツェ,ローツェを背に

第9日目のメモ

少し朝が早かったが,ほんの少しの間でヘッドランプも必要なくなり,順調にゴーキョリに登りパノラマのヒマラヤが見渡せた.エベレスト,ヌプツェ方向は逆光のため風景的には若干不満が残る.夕方もう一度登ればいいのであるが,雲が多くなり....

早くに下ったので時間がたっぷり,ゴーキョリゾートでYTGの皆さんとお茶を飲んだ.近くに単独トレッキング中の若い日本人女性が居られた.これからゴーキョリに行くようだ.基本的にポーター,ガイドなし,前日カラパタールからチョーラパスを越えるときのみ一時的にポーターを雇ったそうである.これがRs1,000だったそうで,高い!とこぼしていた.それにしても日本人も若い女性はタフですね~
そうこうしているうちに時間が来た.YTGの皆さんは今日マッツェルモまで下る.互いに無事を祈ってお暇することにした.

ロッジ(Gokyo Namaste Lodge & Restaurant with Shop)に戻りチベット柄の暖簾をくぐったところにある食堂でゆっくり昼食をとることにした.今日は早くに出かけたため朝飯抜きであったが,初めてメニューで目にした"チーズバーガー"をオーダーしてみた.ただチーズバーガーと云う言語表現自体は同一であっても,マックとかモスバーガーとか,そういったものを連想してはいけない!(と,言われても筆者は当然のことながら,まあ多少の違いはあろうが基本的には同じ筈....くらいに考えて注文したのであるが.....).えっ,どこにビーフがあるの?どれがスライスチーズ?と狐につままされること請け合いである.

考えてみればヒンドゥー教が国教の国,世界でたった一つのヒンドゥー教が国教の国だから,元々ビーフはあまり食べないのだ.またスライスチーズなどという気の利いたものがあると考える方が不自然だ.かくしてこれは所謂同音異義語の範疇に属すもの,との結論に至った.

残念ながら今日も午後は雲が多くなり,東の丘に登るのをあきらめる.またも食堂にお茶に行く.ここでメンマさんというシェルパ族のガイドさんと,ポーランドの男女4人グループと雑談を交わす.先ずメンマシェルパさん.27歳,エベレスト登頂5回(21歳で初),うち日本隊に3回,南アフリカ隊に1回,ロシア隊に1回に同行.日本語も少しでき,上を向いて歩こう,と,何という曲かよく耳にする「春を愛する人は.....」の2曲を披露してくれた.

一方件のポーランドグループの中の一人,47歳と言うが実に強健そうに見える.先ずは無条件で褒め称える.4年前トロンパス越えを含むアンナプルナ一周の経験があり,今回は明日チョーラパス越えでカラパタールに行くそうだ.筆者の,「どこから来たか?」に対する,「日本から」という回答に対して,「えっ!日本人?ネパール人と同じに見えるな~」と正直だ.こちらもポーランド人も,チェコ人も,アジア系が祖先と言われるハンガリー人だって皆一まとめの「西洋人」にしか見えないもの.そこで一応,「シェルパのルーツはチベッタン,それと日本人とは共通の祖先,モンゴリアンだよ~」と言ってみた.「モンゴリアン言うたらジンギスハンやないか?」「本まか?」と前半は言語で,後半は顔で表現した.

で,メンマシェルパさん,今回の仕事は,このポーランド人とは全く関係ないが偶然にも別のポーランド隊のロブチェピーク(Lobuche peak 6,135m)登山のポーターとして(ガイドではなく)参加しているという.47歳ポーランドがすかさず,「で,現在その連中は何処にいるの?」と問えば,メンマが,「北に3時間行った湖の辺でテントを張っているよ」と答える.ポーランド人4人,時計を見ながらなんとかかんとか,と訳のわからない言葉で協議し,「行ってくる!」の言葉を残し風の如く立ち去った.この間たった5分.ポーランド民族の決断の早さには驚くしかない.

残されたメンマシェルパと筆者はなおも暇つぶしを続ける.「で,エベレスト5回のベテランガイドが何故ポーターなど(失礼だ!)に身をやつしているのか?」と問えば,浮世のさまざまなしがらみやら,何やらあるようで,ガイドの時はカトマンドゥに居を構えていたが今はルクラで,ある種のリストラと家庭の事情.....などなど.日本隊と3回中,2回はあの野口健さんとエベレスト清掃登山を共にしたという.今は別れたが野口さんの最初の奥さんはネパール人だったそうである.

ところでメンマシェルパさん自身は無酸素エベレスト経験は無いそうだ.大勢登ったエベレスト登頂日本人の中で,一人だけ無酸素で成功した人がいて,名前を教えてくれたが筆者は知らなかった.....メンマシェルパさんが言ったその名前も思い出せない.

「日本料理,中国人妻,米国式生活が理想だと言われ,そんな気になったりもするが,お前もそう思うか?」というので,1,2番目の組み合わせが社会通念上からすると若干逆なようにも思うが,人それぞれなので.....「ん,まあ,ところで日本語でメンマっていう中国料理の材料であるから覚え易い名前でいいね....」とかでお茶を濁すと,「そう言えば,以前にもそんなこと言われたことあったな~....」とか,ばか話で閉めた.

天気がイマイチで時間はある,なおも食堂に居座っていると,新しく登ってきた日本人男性とお会いした.福岡の方で65歳というがとても若々しい.筆者と同じフライトでカトマンドゥに到着(そう言えば到着ロビーで見かけたような....)し,総日数29日間で筆者より3日長い.筆者のコースと似たりよったりだが,長い分エベレストベースキャンプにも周るそうだ.

前年アルパインツアーサービスのパッケージツアーでカラパタールへ行った経験がお有りで,そのとき知り合ったガイドと今回は個人契約の上,ポーター一人を加えて歩いているそうだ.やはり単独の方が自由に計画でき,調子を見ながら歩けるので良かろう,とのことだ.ただ長い間留守にするので衛星電話を契約し毎日連絡しているそうだ.予定外に奥さんが出発の3日前に入院されたそうでなおさら役立ったことだろう.担当医の,「ご心配要りませんから」という言葉とともに,入院でむしろ安心,して出発することができました,と言われていた.衛星電話は一月3.8万円の基本料金に通話料で,毎日簡単な連絡程度で合計5万円くらいになるそうだ.申し込んだとき,ジャーナリストですか?と訊かれたそうで,衛星電話は辺鄙なところに出かける報道関係者とか商社員などのニーズが多いそうである.

前年のツアーでは胃全摘出であまり食事ができないのでその分ビールで補う人とか,脳腫瘍の手術後の人とか,...いろいろな人が居られたが,見ているとやはり大変そうだ.元気なうちにできるだけあちこち駆け回りたい,と言われていた.

昼のチーズバーガーで不覚をとったので,夕食は"ヤク"ステーキを注文し,挽回することにした.昨日2食連続でヤクステーキを食べた大阪弁男性の実話も背中を押した."ヤク"なら宗教上も問題ないし,こんどこそ間違いない筈だ.実はほんとに宗教上問題ないかどうか判らない.英語で,牛はカウで,水牛はバッファロー,動物学的には明らかに別の種だ.だからヒンドゥー教でも水牛は普通に食用される.しかるにヤクは,それと牛の一代ハイブリッドであるゾッキョが産まれるように,牛とは近い種であろう......まあそんなことは置いておいて食べたいのだ.

牛とヤクの外見はよく似ているが肉は全く異なる.肉の形態はビーフのように連続してなくて,細かな塊を繋げたような形態,味はビーフのように洗練された濃い味ではないが筆者はそれなりに美味しいと思う.平地では必ずしも積極的に食べようとは思わないかもしれないが....らくだ肉とかと比較すると圧倒的に美味しい.かくして満たされた一日は終わりを告げようとしていた.


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