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前日までで登るのは終わってしまった.ナムチェを経由してルクラへに向かうことにしよう.

第21日目:2005年11月8日(火)

今日は第21日目,先ずはパクディンに向け下る.

ターメ  Thame

冷たいが快晴のターメの朝

冷たいが快晴のターメの朝

風の強い日だ.でも良く晴れているので景色がくっきり見える.朝食後トレッカーそれぞれのポーターは荷物を背負い出発の準備だ.こうして改めて周りを眺めてみるとターメには意外とロッジが多いようである.日本語のガイドブックにはあまり載っていないのでどんな処かとも思っていたが,これなら大丈夫だ.


断崖には岩絵がいっぱい

断崖には岩絵がいっぱい

ターメを出て暫く行くと深いボーテコシの谷に掛かる橋に至る.渡った橋の袂の岩には幾つもの仏画が描かれている.鮮明であるので比較的最近描かれたものであろう.このトレイルはトレッカーの数は少ないものの,大規模なヤクキャラバンとはよく遭遇する.多分ターメからナンパラ峠に至るには相当シビアな過程を踏むのであろう.そんなキャラバンの安全を見守るために描かれた絵なのかな~などと思った.

クワンデ連峰の一部だったか?

クワンデ連峰の一部だったか?

この辺り,ボーテコシの両岸に道があり,帰路は確か南側(進行方向下流に向かって左側)を通ったような.....とすると映っているのは対岸のクワンデ連峰の一部.....か?


巨大なメンダン(Mendan)

巨大なメンダン(Mendan)

長いなが~いメンダン(Mendan)が続く.彫られた文字の角の丸みや苔から見て相当古いものもありそうだ.周囲の住民が奉納したものであろうが,疎らな住居の数に比べてマニ石の数の多さには驚くばかりだ.

ターモ  Thamo

ターモに至る

ターモに至る

ターモ(3,440m)の集落には多くの住宅があるが,その屋根に一風変わったものが見られる.写真中央のものがそうの例であるが,所謂藁葺き屋根で,石など丈夫な材料が多いこの地方にあっては珍しいのではなかろうか.この辺りは夏の間もそれほど雨は多くないと云うことだろうか?


チベットのヤク追い

チベットのヤク追い

この編んだポニーテールのようなヘアスタイルの男性はすべからくチベット人と言っても間違いにならないし,また実際そうである,とガイドのジェルジェンに教えてもらった.この男性は砂埃を巻上げながら沢山のヤクを追っていた.同様なヘアスタイルの者が数人,ヤクの背に沢山の荷を載せて隊列を組んで進む,所謂キャラバンだ.このチベットへの街道ではそんな光景を眺めることがしばしばある.

景色を楽しむヒマラヤンタール

景色を楽しむヒマラヤンタール

丘の上に立って毛が風になびいているように見える.きれいな毛並みだ.こうして眺めると,タールも雄大なヒマラヤの風景を楽しんでいるようにも見える.いや,実際はもっと生活くさく,獲物を探しているのだろうか?

残念ながら,なんでも,リューマチと解熱の良薬になるということで密猟され,数が少なくなったと聞く.

マニ車を持つ婦人

マニ車を持つ婦人

マニ車を持つ人は数珠を持っているいる人と比べると多くはない.時にこのようにであうことがある.いずれにしてもこの地方の人々はとても敬虔な仏教徒だ.

マニ車の大きさはいろいろだ.このように手持ち用のは一番小さいタイプだ.次に大きいのは寺院の脇にたくさん並べられたタイプで直径20~30cmくらいものか.さらに大きいのはマニ車専用の建物に収められな大型タイプで,直径1mくらいから3mくらいの巨大なものまである.フランシス水車型の動力マニ車もあって,サイズはやはり直径1mくらいから3mくらいのものをよく見かける.

ナムチェ  Namche

所トレイルランナー

高所トレイルランニング

ターモとナムチェの間は道幅が広い.ここで走っている人は高尾山ほどではないまでも,それでも何組かのランナーを見かけた.ただ歩くだけでもハァハァしている筆者から見ると超人的だ.尤もエベレストマラソンというのがあるそうだからそうしたランナーからすればごく普通のトレーニングなのであろう.


西の丘から眺めたナムチェ

西の丘から眺めたナムチェ

こうして眺めるとかなり急斜面に街が形成されていることを改めて知る.特に右下の段々畑はものすごく急斜面に設けられていると感じる.背後のタムセルクが独立峰のような感じにも見える.手前の建物群と背後の山の取り合わせは若干ペルーのマチュピチュと似た雰囲気がなくもないような......


クワンデ(コンデリ)連峰

クワンデ(コンデリ)連峰

ナムチェ(3,450m)のロッジ(Hotel Norling)で昼食後,パクディンに向け下り始める.クワンデ(コンデリ)はターメトレッキングではいつも大きく見える主題の山だった.このように連なったクワンデが眺められるのもそろそろ終わり,つまりターメトレッキングも終わりだ.


クスムカングルを眺め下る

クスムカングルを眺め下る

ナムチェを下ると林が深くなる.トレッキング出だしの登り行程では雲に隠れていたクスムカングルがよく見えた.

パクディン  Phakding

ドゥードコシにまた出合う

ドゥードコシにまた出合う

ナムチェからの急な下り坂を過ぎるとドゥードコシ(Dudh Koshi)と再び出合う.そう,遥かゴーキョから流れ来るあの川だ.まだ陽は高いが谷あいの川筋には既に届いてこない.下り行程でもあり緑豊かな水辺を軽快に歩く.


巨大な丁半の壷

巨大な丁半の壷

ジョサレ辺り,路傍のバッティ前でシェルパやポーターが丁半賭博のようなゲームをやっている.皆,あの例のよれよれのネパール紙幣を沢山手に握り,真剣そのものだ.驚いたのはサイコロを放り込んで振る壷の大きさだ.写真中央上部に見える,外側が黒,内側が赤のそれである.メチャ大きい!その下に転がる大きなサイコロ6個を見ると,これが元凶と納得する.


モンジョに下る

モンジョに下る

さらに下り,モンジョ(2,815m)辺りにくる.振り向くとクーンビラが見えてきた.この辺から,お正月にはクーンビラ山麓のクムジュンに出かけてお祈りする人もいるそうである.


クーンビラがくっきり見えた

クーンビラがくっきり見えた

モンジョを抜け,チョモア(Chomoa)辺りであったか,背後にはクーンビラが全容を見せていた.登るときは雪を被っていたが殆ど解けてしまったようで岩肌を見せている.

この後さらに下り,ザンプテ(Zamphute)に至り,登り行程で宿したロッジ(Kong De Peak Guest House)の再び泊まることになった.


下は,第21日目の写真あれこれ

第21日目の写真
ターメ~モンジョの眺め
ターメを出て暫くするとボーテコシの深い谷に出会う 橋を越え岩に描かれた絵の場所を歩く また登りだ 斜面にはヤクが群れている ターメ後方の山だったか? ターモでヤクを世話するシェルパニ 家畜囲いと住居が建ち並ぶターモの村
学校に向かう小学生 フルテ辺りで対岸のクワンデを見上げる ナムチェバザールのお店 急坂終わりドゥードコシと再び出会う 急坂終わりドゥードコシと再び出会う モンジョ辺り モンジョ下辺り

第21日目のメモ

今日の昼食は,三たびナムチェのロッジ(Hotel Norling)に立ち寄り,ダイニングルームで食べた.HSA社の契約ロッジであろうので,自然そうなる.

ここで,筆者と同じようにHSA社と契約して登って来たトレッカーと短い時間一緒になった.30歳くらいの壮健な男性だ,何しろ半袖シャツだしやはりすごい!19日間の日程でカラパタールへ行く予定だそうだ.よく日本でも山に行くのだが,このような長期の休暇はなかなか取れず,今回ようやく実現できた,という.まあ,たしかにこのような働き盛り世代の日本人男性は少ない.ヨーロッパからのトレッカーはいっぱい居るが,日本ではなかなか休みが取れないのは現実だと思う.で,彼は,「体力的には問題ないと思うが高度障害が心配」と言い,「どうでした?大丈夫でしたか?」と訊かれる.立派な身体で,標準一日行程の2~3倍は歩けそうに見えるし,余裕だと思う.高度障害は普段槍ヶ岳とか穂高とかのすごいところに通っている山男でも問題が生じるケースがあり,100%大丈夫かどうか予測できない面があるそうで.....一般的には山慣れた人は自己診断も確かであろうし,判断や対策も速いであろうから....と言いつつ午後の下り行程に出発することになった.

ナムチェから下る場面では,登るときと比べて雲がなく圧倒的に山が良く見えた.クスムカングルも,クーンビラも....例のナムチェ直下の急坂で,結構時間的には遅い頃,大変そうに登って来るグループにも出会う.あまりにも苦しそうで声も掛け難い.しかしまあ,いくらゆっくり歩いても,暗くなってしまうことはまずないだろう,ゆっくりゆっくり歩くのがいい,と登りでたっぷり汗をかいた経験から思う.

坂を過ぎドゥードコシに出会い,これに沿って下り,やがて行きで泊まったザンプティのロッジ(Kong De Peak Guest House)に到着した.キッチンを覗き込んで夕食を頼むのと,かまどの火が赤々と燃えていた.

この日は客は筆者のみでさびしそうだし,ストーブもまだ点いていなかったし,ダイニングルームに行かずにキッチンに居座ることにした.頼んだチャーハンは奥さんではなく,高校生くらいの若い娘さんが例のかまどにフライパンを据えて作ってくれた.かまどには水管が組み込んであり,暖められたお湯がキッチンの外の洗面台に届くようになっている仕組みが見える.実際には必ずしもうまく作動している訳ではないようで,出てくる水はあまり温かくなかったが.....こうしてこの日は暮れ,明日はルクラに向け歩くことになる.

第22日目:2005年11月9日(水)

今日は第22日目,どんどん下る.

パクディン  Phakding

マニ車のお堂

マニ車のお堂

パクディン上のザンプティのロッジ(Kong De Peak Guest House)を出て歩く.今日もまた天気がいい.暫くあるくと道端に大きなマニ車を収めたお堂が建っている.ライ族のラジュは入らないがシェルパのジェルジェンは入ってマニ車を廻す.今日の安全でも祈願したのであろうか?


緑豊かな畑と馬

緑豊かな畑と馬

どちらも珍しい.パクディンは2,650mと標高が低い.なので気温が高くなったのであろう,青々とした野菜が茂っている.葉野菜の一種であろうがさて何という野菜か?

馬もまた珍しい.見かけるのはゾッキョ,ヤクが殆どで滅多なことでは馬をみるこがない.(マッツェルモで川原で水を飲んでいるのを見たが,荷物用ではなかったような.....)これまた標高が低くなったためヤクでなくても大丈夫になったのではなかろうか?

ガート  Ghat

ガートの茶屋

ガートの茶屋

ガートに到着し朝の茶を飲んだ.ここは手入れされたマリーゴールドの花が咲くヒマラヤンロッジのダイニングルーム.入り口の直ぐ傍にあり,かまどがあって,言わばダイニングキッチン形式になっている.暖房にもなるしこの地方にはちょうどいい形式だ.隣のテーブルの3,4人のポーターが朝からお湯割のお酒,名前は忘れたが,たしかロキシ入りだったか.....を飲んでいた.好きな人は朝からなんだ~

クスムカングル?

クスムカングル?

ガートを過ぎた辺りに見える.地図に照らすとどうやらクスムカングルのようである.形がそれまでと違うので100%の自信はないが.


トレッカーが行く

トレッカーが行く

皆トレッキングを終えてルクラに向かっている.大半はルクラ空港から飛ぶのであろうが中にはジリまで歩く人もいるであろう.この畑のきれいな緑は何かな?大麦かな?

チャブラン  Chablung

チャブランに至る

チャブランに至る

大きなマニ石にタルチョーが架かる.ロッジの暖かそうなサンルームもタルチョーの暖簾で念入りだ.今日のこのような天気のいい日,この部屋の窓辺にいたら汗ばむくらいであろう.それで外のトレイルを歩くトレッカーを眺めてお茶をすするのもまた乙であろう.


チョータラ(chautaara)で一休み

チョータラ(chautaara)で一休み

ポーターが大きな荷物を置いて一休み.荷物置き台のチョータラ(chautaara)は少なくとも数十分間隔の距離ごとに設けてあるように見える.茶屋の前であることが多いと思うが,チョータラ単独のこともある.


シェルパ族の農家

シェルパ族の農家

この辺り豊かな畑が広がっているチャブランの辺りの農家,実はガイドのジェルジェンの家なのだが.この農家の場合は畑で農作物一本槍で家畜は飼っていないと聞いた.まあ鶏くらいは 飼っているかもしれないが.

ルクラ  Lukla

ルクラに入る

ルクラに入る

ルクラ(2,850m)に戻ってきた.ギザギザの山の手前くらいがルクラ空港か.


ルクラのショップ

ルクラのショップ

インターネットカフェを含め色々な店が並んでいる.ジェルジェンは電話屋に入り,カトマンドゥのボスに無事ルクラに帰った旨報告し,翌日のカトマンドゥ空港における筆者のピックアップの準備,車と人,を伝えたようだ.


クーンブリゾートロッジ

クーンブリゾートロッジ

ロッジ(Khumbu Resort Hotel)のいい部屋を確保してくれた.広いツインでシャワーにテレビが付いている.眺めもいい.久しぶりにシャワーを浴びる.ただ浴室は,居室もそうであるように決して暖かくはない,念のため.でもサッパリした~


クーンブリゾートロッジ窓の外

窓の外

ルクラ空港の傾斜式滑走路が見えている.軒下には衛星放送のパラボラアンテナがいっぱいだ.尤もここらは衛星放送以外映らないのであるが.
さてこれからダイニングルームでエベレストビール,缶ではなくビン,しかも大ビンの,でも飲むか~これが最後のヤクステーキを肴に.


下は,第22日目の写真あれこれ

第22日目の写真
ガート~ルクラの眺め
ガート辺りで日向ぼっこ ガートの集落 岩の上の子守り ガートに現れた行商人 ゾッキョが荷を運ぶ チャブランまで下った ルクラでテントを張るトレッカー

第22日目のメモ

ルクラに戻って今回のトレッキングはおしまいだ.ロッジ(Khumbu Resort Hotel)の広いダイニングルームで久しぶりにビール,その名もエベレストビールを飲む.先ず国際的には必ずしもメジャーでないどころか,むしろ滅多なことでは存在しない国が多い中で,ネパールでは大ビンであることが嬉しい.加えてRs300のリーズナブルプライスだ.

ジェルジェンとラジュにビール飲むか?と訊ねるも,酒類は嗜まないと味気ない返事だ.ラジュは子どもだから当然としてジェルジェンはちょっとストイックな感じだがまあ主義だから仕方あるまい.で,何がいいか訊ねると,コークだというのでコーンやポテトのスナック菓子を一緒にオーダーする.ラジュは育ち盛りだから一所懸命食べていた.

仕方ないので一人で飲んでいると,あのトール(ビッグ)バサンがテーブルにひょっこり現れた.「ビールはどうか?」と訊ねると,ちゃんと飲むと言う.そうこなくっちゃ,やはり.ターメ紹介に対して,首尾よく実行してなかなか良かったと報告し,感謝した.また彼から,千葉のお客さんがやはりロブチェから上に上がるのは無理で残念ながら引き返した旨聞いた.また彼は当初よりエベレスト街道の後,ポカラに行く予定があったそうで,既にそちらに向かったそうである.アンナプルナ方面を歩くのであろうか?バサンも知らないそうであるが,そこで雪辱を果たしてもらえればいいと思った.

ポーターのラジュライの仕事はこれで終わりだ.村に帰ることになり,久しぶり両親に会えるためだろう嬉しそうだ.彼の足で2日間の距離だそうで,相当遠い.ということは筆者の足だと4日はかかるのかな?ルクラより低地で大きな集落,畑や果樹,家畜などが主な生計の手段らしい.ただそれだけでは不十分なようで,彼自身2,3回道で知合いのポーターに遭遇したように遠い場所にかかわらずここまで来てポーターの仕事をやる者も多いようである.これまでどうもありがとう,お気を付けて!と,心付けを渡し,握手で別れた.

第23日目:2005年11月10日(木)午前

今日はは第23日目朝,カトマンドゥに戻る日だ.

ルクラ  Lukla

ルクラの朝

ルクラの朝

ロッジ(Khumbu Resort Hotel)の窓を見ると日が出てくる頃だった.さて天気は如何に?もう歩かないもののフライトはあるので....


晴れている,順調に飛ぶだろう

晴れている,順調に飛ぶだろう

少なくともルクラは見通しがいいし,風もない.これでカトマンドゥの気象条件に問題なければ飛ぶに違いない.


カトマンドゥへ戻る  Fly back to Kathmandou

オンスケジュールのフライト

オンスケジュールのフライト

混雑のルクラ空港出発ロビーを通過し載った.混雑していたのは気象条件がよいために一斉に離陸するからであろう.とにかく短時間のうちに飛び立ってくれた.コントラストが強いため白とびして写っていないがこの副操縦士の右手にはクーンブ山系より西の山々も見えていた.次はこちらもと早や次に気を馳せながらカトマンドゥへ向った.

第23日目午前のメモ

ラジュは既に前日役目を終えて帰っていたのでジェルジェンが筆者のダッフルバッグを持ってルクラ空港に送ってくれた.喧騒のルクラ空港で中の職員にチケットを渡すと共に一言二言何かを告げ,お互いにお礼と別れの言葉を交わして慌しく別れた.彼はすぐ近くに実家があるに拘わらず帰ることも適わず,今日新たなトレッカーをこの空港で迎える予定だ.筆者と別れた直後は既に到着する機体からそれらしき乗客がいるかどうか目を凝らしているに違いない.どうぞ次も気をつけて案内してね.

とにかく今回のトレッキングは天候に恵まれ幸運であった.運不運であるので天に任すしかないがやはりトレッキングには,天候は最重要なファクターだと思う.加えて予定以上にいろいろ廻れたし良かった,ありがとう.



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