この成都経由で帰国編では,7/20朝八美のホテルを発ち瀘定に至り,往きとは異なる天全経由で成都に戻り一泊.翌7/21成都空港から成田に帰国したときの写真を載せました.
この日は八美のホテルで4:30起き,まだ暗い5:30出発でバスは走り始めた.道路の渋滞に巻き込まれる前に切り抜け,成都の予約レストランに間に合わせたいという.そのレストランは遅い時間になると入れないのだそうだ.
暫くすると明るくなってきた.ただ雨はまだ続いている.雨の中牛が彷徨っている.どこへ向かうのだろう?
往きと同じ経路を逆方向に辿って行くと,チベット族の立派な家々や山肌にマニが掲げられる村や街を幾つか過ぎていく.
途中,往きで宿泊した新都橋の汽車酒店のお手洗いに立ち寄り,東に進んだ.新都橋の先辺りからは樹木が見えなくなり,広々した緑の丘陵地帯が展開される.所々にヤクが草を食んでいる.
往きとは逆方向から再び折多山峠(Zheduo mountain pass:4,298m)の上に来た.今回もまた天気が悪く,早々にパスする.
折多山峠からつづら折りの坂を下っていく.この辺りの道は空いているし,雄大な光景が楽しめる.
今日もラサ目掛けてサイクリストは行く.このショットで見える人たちは別にグループではなく,個人こじんのサイクリスト(チャリダー)が偶然同じ辺りを通過しているからだ.こうしたシーンが長いなが~い川藏公路のあちこちで見えるのだから,その総数は計りきれないほど大きいと思う.実にタフだと思う.
道は大渡河脇に沿うようになり,ダムとその横の炉橋隧道と記されたトンネルの辺りまで来た.土色の水を満たしたダムは発電用のようである.また大雨が多く,土砂災害の多いこのエリアの防災にも役立てているのかも知れない.
なお,この辺り(四川省)のホテルやレストランなどの給湯器はガスではなく,電気が多いようだ.水力発電の電力は,遠距離では送電コストが嵩むので,近くで消費,つまり地産地消を推進しているそうである.
炉橋隧道の下流では橋の工事が進行中だった.巨大なアーチは既に組みあがり,路面や柵の仕上げ工事に入った段階のようだ.
橋工事の先に,直進は石綿,左折で天全の標識があった.往きでは,少し距離の少ない天全経路は崩壊で不通,そこで石綿廻りで通ったのだった.あれから数日経ったこの日,天全経路が通過できるとの情報が入ったそうで,近道の天全方向に曲がっていった.
天全方面の道に入って,頃合いも良く,このレストランでお昼を頂くことになった.店名の重慶十里香酒店はオーナーの出身地に因むものであろうか?キャッチフレーズに『農家風情』『山珍美味』『地道活禽...』などと,掲げられている.有り体に日本語で言えば,山菜や地鶏の田舎料理といったところか?
野菜や山菜,豆腐,豚肉....などが軒下に並べてある.客はこの中の好みの材料を現物指定できる訳だ.また蒸籠や中華鍋がその横に並び,ご主人がそこで調理するのだ.リゾート地などで,クッキングそのものをパフォーマンスとして見せるレストランはよくあるが,ここでは店の人が客を呼び込んだり,今日の特別料理を説明したり,調理したり,....と色々こなすための配置であろう.
中にはタクシーのバックシートドライバーのように,何やかんや調理の過程に指示を出す人も......まさか居ないか.
典型的四川料理,麻婆豆腐などもあって美味しかった.
さて店全ルートに入った訳であるが,少し行くと落石の跡があった.相当大きな石で,直撃されたら大事故だ.これが一部片付けた後なのか,復旧後また落ちたのか定かではないが片側通行は確保されている.
街道脇の家のデザインを見ると,これまでのチベット族のエリアから,漢族のエリアに入ってきたようだ.多分標高もかなり低くなったのではなかろうか.
この大きな崩落現場の手前で,1時間以上待たされたのだが,ようやく進行が許され片側通行となっているここを通過した.1~1.5時間毎交代の一方通行となっているようだ.私たちが通過した先には,反対向きの車両が延々と連なっていた.
こうした停車待ち行列の最中,後ろから追い抜いて行く車が結構ある.先に行っても入リ込むスペースはなく,横向きに無理やり割り込んでいたりする.全く信じられないような光景だが,一体どうなっているのだろう?
ようやく天全の山岳道路を抜け,平坦部に入ってきた.ここは雅安の近くの街だったと思う.広々した道路になった.
雅安(Yaan)からは高速道路に入った.これでレストランには十分間に合うであろう.
雅安の標高は580mくらいだというが,高速道路の周りは緑豊かで清々しい.
成都の料金所だ.『世界銘酒 五粮液』の広告が目に映る.市場経済国家より更に進んだ印象ですな.で,いまその五粮液とは何ぞやとググってみると,五穀で作られた随分上等な白酒で,偽物も多く出まわっているらしい.
なお成都空港はここから近いようであるが,空港と都心を結ぶ専用高速道路があり,今通ってきた道路からは降りられないということだ.
成都に入ると,縦横に走る高架の新しい道路が目立つ.成都は膨張し,道路整備が進められているそうだ.橋脚には落書きが見られず,このへんは立派だ.
道端に武侯祠に案内標識が出ていた.今回訪れることはなかったが,劉備玄徳や諸葛亮孔明が祀られた霊廟があるところだ.成都でも旧市街的趣のエリアであろう.
比較的緑が多く,建物も趣ある造りが見られる.
土曜日の夕方なのに(なので,か?)結構車の通りは多い.歩いている人たちは当然多い.関東地方辺りと気候が大きく違わないし,顔立ちも似たようなものであるし....行き交う人の様子は日本の日常光景とさして違わない(山岳道路での運転マナーとかはあれほど違うのに)
さて待望の薬膳料理店『欽善齋レストラン』に到着した.時間に間に合って良かった.薬膳料理って,ひょっとして,薬草とかだけの懐石料理を仙人のように食べるのか....と疑問にも思っていたが,さにあらず.普通の料理に,薬草やハーブ類を加えた普通の食材料理なのだそうだ.安心した.大唐時代から伝わる医食同源の思想に基づく,漢方薬と四季折々の食材を組み合わせた料理とも言えるそうだ.
欽善齋は大変大きなレストランで,大きな複数の部屋に,個室も備え,中庭を見下ろすテラスにはオープンカフェ風エリアもある.私たちは個室で,実際食べて,美味しさは素晴らしかった.ビールははっきり覚えてないが随分安く,ちゃんとよく冷えていた.
サブガイドCさんは成都住まいであるが,家に帰る間もなく,次のお客様(中国の)を連れて成都空港に行き,オーストラリア旅行の添乗に出かけるという.と云うことでお別れの挨拶となった.どうも長い間ありがとうございました,次のガイドもお気を付けて.
Sさんは日本語はあまり達者でないので英語で挨拶したが,以前東京に案内したことも経験したことがあるそうだ.ただ対日関係が悪化する中,近々の日本行きは当面ないかも知れない.実際オーストラリアの次は韓国,その後はニュージーランドツアーだそうで,ハイシーズンの今は休む暇がないそうだ.
欽善齋レストランで満腹になり,バスで最初泊まったと同じ四川賓館に行った.もう全てが完了し,シャワーを浴び,荷物をまとめる.CCTVのチャンネルを順次回していくと,ドラマだが,旧日本陸軍の軍服を着た人物が中国人に悪さする場面が放映されている.いっぱいあるチャンネルの中の一つくらいはこういった放送.....と感じられる.残念なことだ.
7/21朝バスで成都空港へと向かった.郊外には集合住宅がどんどん新築されている.中国の一人っ子政策は例外があり,漢族以外全ての少数民族,一人っ子どうしの夫婦の子など,が相当するという.前日さよならしたサブガイドCさんと奥さんは共に一人っ子だったので,現在一歳になる男の子に加え,将来あと一人生むことができるそうだ.なお奥さんは独トリンプ社アジア支社(中国支社だったか?)人事本部マネジャーで共働きだが,双方の祖父母(近くに住む)が交代で孫の面倒を見てくれているそうだ.
で,ここまで前置きで,こうした新築集合住宅の購入にも一人っ子の親が資金援助するケースが多いそうで,....まあ,何かと中国の親御さんは大変だな~と.
成都空港に到着し,ANAカウンターでチェックインした.見送りに来て頂いたメインガイドSさんとはここでお別れだ.色々ありがとうございました.
出国審査を過ぎ,ゲートに進んだ.近くのショップでちょっと買い物をして,現金で支払うため売り子にお札を渡した.すると,OXOXOXOXOX...(中国語)とか言って,受け取ってくれない.今回着いたとき,円で元を買ったのだが,不足してきたので以前の中国旅行で残っていた漢字のお札を財布に入れており,それを出したつもりだった.変だな~暫くして,それは台湾元のお札であることにようやく気付いた.あ~恥ずかしい.結局クレジットカードで支払った.
乗り込んだ全日空NH-948便は往きと同じB737-700機だった.成都空港の離陸許可が出ず,30分あまり遅れた.その後は問題なく順調に飛び,食事を頂き,映画など見て成田に到着.
あっと言う間に入国審査が済み,荷物コンベアへ.これも直ぐに出てくる.同行のみなさん,添乗Nさんお世話になりました.ありがとうございました,皆さんもお気をつけてお帰り下さい.
成田からは京成北総線と東京メトロで帰った.楽しかった,お~しまい.