東京国立博物館前景 右側が本館,左奥が平成館
縄文時代の土偶,土器などの遺物には興味を抱いていた.幸い上野の東京国立博物館に行けばこれらが見えるようで,しかも最も好奇心をそそられる「遮光器土偶」も展示されているというので出かけてみた.訪れたらさらにあの有名な「火焔土器」もあり感激した.
一般に言われている時間軸上の時代区分は大まかには下のようである.ただこうした区分は諸説ありしかも全くのど素人私が書いたものであるが.
縄文時代の年表
とにかく縄文時代が1万年も続いたというのがやはり驚きだ.長かったと言われる江戸時代でも250年程度らしいので桁が違う.
縄文遺物と言えばこれがダントツだ.縄文晩期青森県つがる市木造亀ヶ岡遺跡で出土したそうだ,木造亀ヶ岡は木材で造った亀ヶ岡の立体模型かと思ったら,然にあらず「きづくりかめがおか」という地名だそうだ.ちとたまげた.
縄文晩期の遮光器土偶
これまで書籍やウェブで幾度となく見てきたが,こうして現物を眺めるとインパクトは一層強烈だ.私にはタトゥーが彫り込まれたローハイド防具と遮光器と小さな兜(これだけはアンマッチだが)を纏った大層なマッチョガイに見える.迫力だ.
なおこうした横長細スリットの遮光器はイヌイットの人たちが雪目を避けるためよく使用するそうだ.またフィンランドの超人スナイパーシモヘイヘ(Simo Häyhä)氏がこのような遮光器を着けた写真をウィキペディアの遮光器のページで見ることができる.ただ残念ながら縄文遺跡からは遮光器そのものは一欠片も出土していないそうだ.雪国という土地柄使われていた可能性高かろうが木製で朽ちたのであろうか,無念.因みに考古学者や専門家は遮光器ではないとする説が多いようではあるが.
ここ平成館の遮光器土偶展示は全周を眺めることができる.そこで横から眺めると身体の前後はかなり圧縮されていることにどうしてかと疑問を抱く.逆に顔の両側に圧縮板を押し当てて細面の神官に育てるというアイマラ族(ボリビア)の話などは聞いたことがある.では身体前後方向に圧縮された胴体や頭部はいったい何なんだ.
なお左脚が欠如しているが,縄文土偶ではこうした例が多く,例えばその欠落部位の平癒を願う祈祷に供されたとか諸説あるようだ.
縄文時代の土器と言えばやはり誰もがご存知,この火焔土器だ.他は平成館,この一点だけは本館で展示されていた.新潟県長岡市馬高(うまたか)遺跡で出土した縄文中期の時だ.火焔土器はこの一品の固有名詞で,これに似たカテゴリーは火焔型土器と呼称されるようだ,いずれも縄紐状文様,つまり縄文で本体側面や張り出した火炎装飾が加えられている.縄文の限定詞は1万年の時代名にも採られたようにやはりこの時代一番の象徴なのであろう.
縄文中期の火焔土器
火焔型土器を見たかの型破りアーティスト岡本太郎氏さえ「なんだ,コレは!」と叫んだそうで,やはり相当斬新でユニークなアートと捉えたのではないでしょうか.
私は随分ゴテゴテしていて,これが極めて印象深い.これが実際の煮炊きに供されたと聞くと特に後片付けが大変だな~と生活感に満ちた感想も漏らさずにはいられない.まあそのゴテゴテが私には長く記憶に留めてくれていたわけであるが.
上は縄文中期の土器であるが,下掲載のような早期や後期のものも多々展示されている
どちらも縄文の火炎模様など張り出した装飾はなく本来の壺の機能を重視した仕上がりになっている.調理にも後片付けにもメリットがあったであろう.早期の一品はU字状先端ヘラで同芯状に溝を入れ,土器のなかった石器時代からするとかなり先端的デザインであったであろう.またこの溝はローレットと同様滑りにくく持ちやすくするという見かけ優先でなく機能優先結果の機能美が最重要とするインダストリアルデザインの考えが込められているように感じられる.
一方右側縄文後期の土器には突起を有する手持ち用フランジが設けられ,本体にはV字状溝が装飾的に刻まれている.縄文型土器の伝統が少し織り込まれている印象だ.
こちらは青森県七戸町長久保で出土したという縄文後期の土器.私には洗練されたテーブル醤油差しに見える.当時醤油は無かったであろうが何らかの液状調味料,例えば柚子果汁などを入れたのではなかろうか.
縄文時代後期異型片口土器
全体は醤油差しくらいの大きさで,とにかく肉薄に仕上げている.全体的にとてもユニークさ,オリジナリティに富み,表面の溝文様には中期縄文の香りを幾らか残しているように感じられた.
さて出土品の年代はどのように調べるのであろう.幾つかの判定法の一つに放射性炭素年代測定があるそうだ.
炭素には以下3つの同位体(アイソトープ)が存在するそうだ.いずれも原子番号6(元素記号の左側下数値)の炭素であるが,基本的な質量数12(元素記号の左側上数値)の炭素12(98.8%)他に中性子が1つ多い炭素13(1.1%)または2つ多い炭素14(1.2x10-10 %)が混じっているのだ.それぞれ中性子の数が6,7,8個と異なるので質量が変わるようだ.
炭素Cの同位体
この中で質量数14の炭素14だけは非常に微量ながら放射性アイソトープで,その半減期は5730年ということだ.そこで質量数14の炭素14の含有率を調べることで最初≒その当時の周囲大気の同位体比率(生物として絶えた時点)から何年経ったか逆算できるというわけだ.
これまで同位体分離技術はどんどん進み,現在では土器に付着した微量の食べ残し食物なども,しかも短時間で可能となったそうだ,ただC14含有率(最初はおよそ1.2x10-10 %)は微量で誤差やバラツキもあり,半減期間が進むに連れ誤差も蓄積され,現代に近いほど推定結果時間のバラツキが大きくなるので年代特定は苦しくなるそうだ.さらなる発展が望まれ進歩し続けているようだ .
またうまい具合に生物(動植物)最期の同位体含有率は地球上異なる場所や時によって若干異なるも概ね一緒であるようだ.こうした僅かなずれカリブレーション値は適宜国際考古学会(のような機関)から発行されているそうだ.
炭素Cが窒素Nに換わる
さてエネルギ的に不安定な炭素14は中性子が電子と反電子ニュートリノを放出して陽子に変わる(ベータ崩壊)というそうだ.このように安定状態に向かうため絶えず減少していくが,その安定状態は質量数は同じながら原子番号7の窒素Nに換わるようで驚いた.つまり元素が変わるということはひょっとしたら水素がヘリウムに変わる核融合のようなエネルギが得られるのかな?と.ベータ崩壊でエネルギ放出しているのは確かだが極く微量,質量変化もまた極々微量に過ぎないということかな.この辺は殆ど理解してない.
本博物館所有品以外,例えば個人の方からお借りし展示しているものは撮影不可であるが,圧倒的多数は撮影可能で大変嬉しい.しかも展示品前のガラスは反射が少ないタイプのようだ.その昔大英博物館やスミソニアン,ルーブルなどでも撮影可能であったが,まだ今のように年取ってなかったので写真は殆ど撮らなかった.今思うに失敗だった.この歳になると写真の威力は絶大で多いに助かるのだ.
博物館2階窓から覗くと周囲は大木茂る随分立派な森で驚く.そしてとにかく遮光器土偶と火焔土器を含めて間近に長時間眺められて素晴らしかった.
(2023/5/27記しサーバにアップロード)