このページは2023年9月28日ヒガンバナ(または曼珠沙華)でテレビのローカルニュースでよく見かける埼玉県の巾着田に出かけてみた.
巾着田のヒガンバナ
巾着田は埼玉県日高市曼珠沙華公園にある.最寄り駅は西武池袋線高麗(こま)駅と随分難しい読みだ.普通だと「こうらい」と呼びがちで,朝鮮半島で王建が高句麗の後継と称し建国し,やがて統一を成し遂げ,一時元に併合されるも1392年の李氏朝鮮建国まで続いた国家,が思い浮かぶ.
実際高麗(こま)市は朝鮮半島「高句麗(高麗より古い)」と深く関わり,上よりかなり古い奈良時代716年「高麗郡」が置かれ,江戸末期には当日高市,隣の飯能市,鶴ヶ島市,川越市....が含まれていたそうだ.そして高句麗と関係深い「高麗」氏一族が中国唐朝からの亡命が狙いでもあったようだが,日本に高句麗文化を伝えた役目も多かったようだ,とBingで読んだ.
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何度かの乗り換えで高麗(こま)駅に着いた.そしてしばらく歩き曼珠沙華公園に至る.入園料を支払い入ると絵図が描かれた案内看板があり,巾着田の周りを囲むように流れる高麗川(こまがわ)の様子が一発で解る描写だ.つまり巾着田の形は巾着袋そっくりなのだ.或いはΩを上下反転した形とも言える.
これまで巾着田の名は幾度も聞く機会があった.田んぼにしては面白い名だな~くらいに思っていたが,この絵は正に「百聞は一見にしかず」の見本のようなものだ.
さて園内に入ると直ぐにヒガンバナ(曼珠沙華)が咲き乱れるエリアになる.当たり前過ぎる「きれいだ」の言葉を思い浮かべる.
それと観るまでは広い原っぱに咲いていると思い込んでいたのだが,実は」桜やニセアカシアなど樹木が多く茂っているのだ.びっくりした.これも「一目瞭然」の見本だ(或いは思い込みの訂正か)このように暑い日はかなりの日除け効果がある.
さらに驚くことがある.それは観光客の多いことだ.平日の暑い日なのにこんなにもたくさんゾロゾロ歩いている.自分もその一員です,すみません.
遊歩道を半分くらい過ぎた辺りか,脇の高麗川に降りるパスがあった.そしてドレミファ橋と呼ばれる橋が架かっていた.橋の中ほどに立つと流れに浸かるようで気持ちがいい.でも橋幅は狭いので行き交うのは少し怖いよ.
この橋は当初橋脚だけで橋桁は無かったそうだ.つまり橋脚の丸太の上をドレミファと歌いながらぴょんぴょん飛び渡ったのだそうだ.なかなか優雅ですね.
ドレミファ橋から間もなく露店と屋根付き休憩ベンチの揃った広場に出る.露店には一般の食べ物やここ特産のスイーツなども揃っている.なのでランチを持参することなく便利だ(駅前で見渡したがコンビニ見えなかった)
露店の広場からは後半になる.見事なまでに曼珠沙華は咲き誇っている.
ところでここで見る花は殆ど赤で,白い花は全部で数本だった.混じらないように管理しているのでしょうか(園外の一般家庭の庭などではシロバナも結構咲いている)
ほぼ顆粒エリアになった.案内パンフレットを見ると,この辺りの巾着田1/4くらいの土地は私有地のようだ.そして市有地同様花が咲き,林も豊かだ.やはり林とその下の曼珠沙華はいいですね.
十分に巾着田を眺め,その外に出た.広い畑のようであるが,普通の作物が栽培されているようには見えない.牧草かな~とも思ったが牛は見ないし......
巾着田を抜け通行量の多い舗装道を歩き聖天院(しょうでんいん)に来た.一帯は上述の「高麗郷」に相当し,朝鮮半島からの帰化人が開拓した地で,本聖天院や近くの高麗神社も帰化人ゆかりのようだ.
高麗山聖天院は奈良時代(西暦751年)に創建された真言宗智山派の古刹で,本尊不動明王(胎内仏弘法大師御作)ということだ.不動明王が本尊とは珍しいのでは.....山門には風神雷神が睨みを効かせていて迫力だ.
以上のように暑い中歩いたが楽しかった.おしまい.
(2023/10/3記す)