ホブド川畔へ行くgo to the bank of Khovd gol

このホブド川畔編では,ウランバートルからウルギーへ飛び,ここから車でサグサイ,カザフ集落を廻り,ホブド川畔のキャンプサイトに着くまでの写真と記事を掲載した.

ハイキングマップ/Hiking Map Day 3

ウルギー(標高1,720m)へ飛ぶfly to Ulgii

ウルギーへ飛ぶ

ウルギー便

旅行3日目の2009/6/20(土),この日はモンゴルの真ん中より少し東に位置するウランバートルから,西の最果てウルギーまで飛ぶ.ウルギーとウランバートには1時間の時差があり,結構離れている.そのフライトの離陸時刻が5時とばかに早く,まだ暗い朝3時半にホテルを出た.EZnisという航空会社の便で,SAAB社の340B機=30人乗り双発プロペラ機だ.EZnisのEZ=Easy,nis(モンゴル語)=Airだそうで,340Bを3機保有し,早朝から夜遅くまで機体をやりくりし国内各所に飛ばし,繁盛しているようだ.私たちのツアーも当初予定フライトが確保できず,滞在が一日長く変更され,2週間程前に通知された経緯がある.


ウルギーへモンゴルの草原上空を飛ぶ

モンゴルの草原上空を飛ぶ

今回のモンゴル旅行で最も驚いたのが“草原”の解釈だ.いろいろな資料を眺めると,ゴビ砂漠を除けばモンゴルは緑の草原で,国土の3/4くらいは草原....,と思っていた.その“草原”とは,緑の絨毯,さらに草ぼうぼう,と無意識のうちに決め付けていた.それが,な,何と!写真のように緑の絨毯には程遠い,僅かに緑も見えるが明らかに砂漠に近い様相ではないか?

ウランバートルからウルギーまで3時間のフライト(成田-北京くらい)で,湖の周囲などでは幾らか緑が濃くなるものの,地理学的定義は不明なるも,感覚的には概ね“砂漠”と称するが相応しいだろう.いや~驚いた.

ウルギーに近づくころ,北側にはロシア国境近くのイフトルゲン山群,南側にはウイグル国境のアルタイ山脈の白い峰々がきれいに見えてくる.


下は,ウルギーへ行くときの眺め

ウルギーへ行くときの眺め
ウルギーへ行くときの眺め ウルギーへ行くときの眺め ウルギーへ行くときの眺め ウルギーへ行くときの眺め ウルギーへ行くときの眺め ウルギーへ行くときの眺め ウルギーへ行くときの眺め

機内アナウンスで9℃という快適なウルギー空港,ダートの滑走路に降り立った.ハイキングメンバー5人(自分を含む),ツアーガイドAさん,山岳ガイドTさん一緒に到着した.滑走路脇,掘っ立て小屋のお手洗いが遊牧民の空港らしさを醸し出している.モンゴル語とカザフ語併記の空港ビルを出ると,キャンプ中お世話になるシェフのBさん,キッチンボーイZさん,2台の4WDドライバUさん,Kさんが待っていてくれた.よろしく願います!

ウルギーはバヤンウルギー県(人口10万人弱)の県庁所在地であるが人口は3万人に満たないようであるから,いかにもモンゴルらしい人口密度の低い町と言えそうだ.モンゴルは多数の部族があるが,その多くはモンゴル系で,言語は大阪弁,名古屋弁程度の違い,宗教はチベット仏教と,一部シャーマニズムであるそうだ.ただここバヤンウルギー県だけはカザフ族が90%を占め,言語はトルコ系のカザフ語,宗教はイスラムで他とはかなり違うそうである.

そんなカザフ族の町で,キャンプに入る前にトルコ料理のレストランで朝食を食べることになった.テレビに映っていたどたばたドラマはトルコの番組だそうだ.オーナーはトルコ人という訳でなくカザフ族だが,トルコ語をかなり理解するそうで,3ヶ月の練習で上手になるそうだ.逆にモンゴル語を理解しないカザフ族の人も多く,カザフ語を話さない山岳ガイドTさんと地元民がうまく話しが通じない場面がこの後幾度か現れるのであった.

サグサイSagsay

サグサイへ向けロシア製4WDで出発

ロシア製4WDで出発

ウルギーからは西の最果てを目指し,先ずハイキング開始点シベートハイルハン山の麓まで,これから2日間車で向かう.古びた車はロシア製準軍用とされる4WDだ.見かけより強力なようで,我々ハイカーとスタッフおよびテントやキッチン用具,スタッフ用との2台で進んだ.


サグサイの小さなモスク

サグサイの小さなモスク

ウルギーを出ると白いゲルや中国(ウイグル)国境にアルタイの白い峰が見えて,モンゴルの大地を実感する.ただ地面は機上から眺めた通り,砂漠に近いところが多い.

1時間ほど走ったであろうか,サグサイの村に至った.広い原っぱに小さく質素なモスクがあり,管理人が中を見せてくれた.ミフラーブとその脇に説教台のある礼拝堂が,入り口近くにはメドレッセ(神学校)の小部屋があり,アラビア語のコーランを備え,アラビア文字の説明シートが掲げてあった.

このモスクで,たまたま二人の青年に出会い,少し話しを交わした.パリから来たそうで,ウランバートルからウルギーへは路線バスを用い,60時間要した.ウルギーで買った(借りるより安いそうで)という馬に跨ったので,冗談で「パリに連れて帰るのか?」と訊いたら,「いや~3週間,或いは最長2ヶ月間位して戻るとき売り払うのさ」,と比較的少ない費用で長期間自然に親しむ方法を伝授してくれた.なおこのときを除いて,以降数日ハイカー/トレッカーに出会うことは一切無かった.住んでいる人も少ないが,観光客も殆ど見かけない静かな処だ.


サグサイで墓守の石人

墓守の石人

モンゴル系部族は墓を作らないが,カザフ族は墓,しばしば共同墓地を作るそうだ.そして墓の脇にこのような石像がよく設けられている.以前見たキルギスの石人は必ずしも墓守ではないようだが,造形的にはとても似たような印象を受ける.

モンゴルにはまた“鹿石”と呼ばれる方柱状の石に鹿などを彫りこんだものもあるそうだ.彫りこまれた模様(剣などの武器)から起源前2千年~1千年と,とても古いものも多く存在するそうである.さて,この先行き合うことができるかな?

ところでこの辺り,小川に白鳥(下段右から2枚目)は普通として,鶴(下段右から4枚目)が砂漠に居るのが不思議だ.どうやら虫を探しているようだ.


下は,サグサイ辺りの写真.

サグサイ辺りの眺め
サグサイ辺りの眺め サグサイ辺りの眺め サグサイ辺りの眺め サグサイ辺りの眺め サグサイ辺りの眺め
サグサイ辺りの眺め サグサイ辺りの眺め サグサイ辺りの眺め サグサイ辺りの眺め サグサイ辺りの眺め

下は,サグサイ近くの野原,砂漠なのに頑張って咲く花いろいろ

サグサイ近くの野原,砂漠なのに頑張って咲く花
サグサイ近くの野原,砂漠なのに頑張って咲く花 サグサイ近くの野原,砂漠なのに頑張って咲く花 サグサイ近くの野原,砂漠なのに頑張って咲く花 サグサイ近くの野原,砂漠なのに頑張って咲く花 サグサイ近くの野原,砂漠なのに頑張って咲く花 サグサイ近くの野原,砂漠なのに頑張って咲く花 サグサイ近くの野原,砂漠なのに頑張って咲く花

カザフ族の集落Kazakh Village

ゲルの引越し

ゲルの引越し

野道を行くと,ゲルや家財道具,および家族を満載したトラックと行き合った.今はちょうど夏の始まり,雨が多くなり草が高地へと広がっていく時期.それに合わせて遊牧の家族が新しい場所へと移動するのだそうだ.

首都ウランバートルとかを除き,土地は国有で私有はなく,どこにゲルを建てるも自由なのだそうだ(←うらやましい).ただ同じ場所に複数の家族が建てると,家畜の草を賄うことが難しくなるので自ずと離れて(馬で15分とか)建てるのが普通らしい.


カザフ族の鷹匠~カザフ集落で

カザフ族の鷹匠

やがてカザフ族の小さな集落(といっても疎らであるが)に行き当たり,ガイドTさんの知り合いが居られるという一軒を見せてもらうことになった.

鷹狩り,ここではイヌワシだそうであるが,2000年も前からのカザフの伝統だそうだ.ヒナ,普通オスより重く攻撃的なメス,を捕獲し,家族のように育み,鷹匠とイヌワシの信頼関係を築いた上で狩りを行うそうだ.写真はこのゲルの住まう経験豊かな鷹匠,ワシは7歳で,最も働きのいい3歳は過ぎたそうである.一般に11歳くらいになるとお役御免で野に放すそうだ.

野ウサギ,キツネ,オオカミなどがハンティングの対象で,冬場,先ず鷹匠とイヌワシが丘の上に登り,麓で10人くらいの仲間が獲物を追い立てるそうだ.獲物が駆け始めると,鷹匠はイヌワシの目隠しを解き,周囲を見渡させた後リリースする.イヌワシは急降下し,両足で獲物を捕らえ,鷹匠の元へ戻るそうだ.イヌワシの爪は踵に生えた後ろ足爪が一番強力で,掬い上げるように捕獲するそうである.イヌワシの両足が,大型獲物の別々の部位を掴むとき,両足が引っ張られて裂けることがないよう,予め両足を紐で結んでおくそうである.

獲物を運び戻って来ると,鷹匠は写真で黄色のポシェットからご褒美の餌を取り出して与えるそうだ.多分徳川家康の鷹狩り,はたまた長良川の鵜飼いなどと似たようなところがあろう.


カザフ式ゲル~カザフ集落で

カザフ式ゲル

上の鷹匠の方のゲルにお邪魔し,チーズ類やバター茶などカザフ色豊かなお昼ご飯を頂戴した.なおゲル=家,ゲル≠テントだそうである.つまり,ゲルは私たちキャンプのテントのように仮の住まい,移動式,ダンボールハウス....と云った概念ではなく正式な住宅に相当する訳だ.最初ちょっと驚いたが,これは遊牧というライフスタイルからすると当然のことであろうと直ぐに納得した.

ゲルは円筒パンタグラフ状部材に,円錐状の梁(いや垂木か?)群,つまり巨大番傘,を載せた骨組みで,その周りをフェルトを覆った作りになっている.円筒パンタグラフ状部材の周囲にはロープが回されており,上部番傘屋根の重力が円筒壁を開こうとする力を該ロープが支えている,というのが構造力学的に観たときのカギであろう.つまり,一応中央に2本の柱があるが,力学的にはさほど重要ではなさそうだ.

インテリアは刺繍を施したフロア&壁カーペットが多用され,エクステリアはフェルトの上に綿か何かの布が被せてある.ゲルの組み立てには1.5~2時間くらい,畳むのは2~3時間くらいあれば済むそうだ.さすが遊牧のプロだ.なお,カザフ式ゲルはモンゴル式ゲルと比べて大型で天井も高いということだ.

赤いキャップの鷹匠の右隣は弟さんで山岳ガイドをしているそうだ.昨夏,各国最高峰登頂を目指している田部井淳子さんのフィティン峰登山の折,ガイドをされたそうだ.モンゴルで山岳ガイドは極めて少なく,国内に登山学校もなく,皆見よう見まねの自主トレーニングでようやくガイドになっているという.ということで一般の観光ツアーは多いが,トレッキングや登山のツアーはなかなか容易に組めないらしい.

写真右手前は私たちのシェフBさんで,モンゴル系部族,チベット仏教徒(多分)なのでスカーフなし.一方カザフ族はイスラムなので女性はスカーフを着用している.なおゲル内の作法の一つとして,女性の座る場所は入って右側と定められているそうだ.


下は,カザフ族の集落を見せてもらったときの写真

カザフ族の集落を見せてもらった光景
カザフ族の集落を見せてもらった光景 カザフ族の集落を見せてもらった光景 カザフ族の集落を見せてもらった光景 カザフ族の集落を見せてもらった光景 カザフ族の集落を見せてもらった光景 カザフ族の集落を見せてもらった光景 カザフ族の集落を見せてもらった光景
カザフ族の集落を見せてもらった光景 カザフ族の集落を見せてもらった光景 カザフ族の集落を見せてもらった光景 カザフ族の集落を見せてもらった光景 カザフ族の集落を見せてもらった光景 カザフ族の集落を見せてもらった光景 カザフ族の集落を見せてもらった光景

この辺りには固定式の住宅(下段右端の写真)も見えた.ログハウスに土で目張りを施した構造のようである.近くに木は殆ど生えていないから結構建設するのは大変ではなかろうか.

ホブド川畔(1,970m)Khovd Gol

ツェンゲル(Tsengel)を過ぎる

ツェンゲル(Tsengel)を過ぎる

やがてツェンゲルの村に差し掛かった.白壁で目張りしたログハウス式固定住宅が結構な数建ち並んでいる.大きな村だ.家の周りを塀で囲んでいるところが多い.塀が多いのは首都ウランバートルでも感じた.なので,塀は家畜囲いの役目のみならず,泥棒避けの意味合いも大きいのかも知れない.なお,ゲルも含めて,番犬も多いそうなので迂闊に近づくのは危険であろう.

村で大きな建物が見えるが,多くは学校で,それほど大きくはないがモスクなどもあるようだ.このころ学校は既に3ヶ月の夏休みに入っていたので,子供は見かけない.遠いところから来て,寄宿舎等に入っている子(土地柄,そうした子は多いそうだ)は親元に帰ったようだ.


ホブド川畔でキャンプ

ホブド川畔でキャンプ

ツェンゲル村を過ぎホブド川沿いを遡上した.水が確保できる適当な川畔でテントを張ることになった.途中すれ違う車は殆どないし,ましてやキャンパーもまず見かけない.そんな訳で今のところどこにテントを張ろうが自由なようだ.

生憎風が強く雨模様になってきたが,幸い完全な砂地ではないのでテントに砂が入り込む心配はなさそうだ.

近くの丘に昇るとホブド川の対岸遠くに大きな建物が見える.モリブデン(Mo)とタングステン(W)を産出する米資本の鉱山だそうだ.モンゴルは金,銅,モリブデン,蛍石,ウラン,亜鉛,鉛,燐など鉱物資源が豊富,畜産に継ぐ産業で輸出額の1/3以上占めているそうだ.なので,各国が狙っているのは当然で,日本企業のウランバートル駐在者も鉱物資源関係が多いようだ.なおガイドTさんは鉱山技術専攻で,現在の仕事を始めるまではエンジニアとして採掘会社に勤務していたそうだ.


下は,ホブド川畔に行くまでの眺め.家畜はラクダ,羊,ヤギ,ヤクなどを見かけた.

ホブド川畔に行くまでの眺め
ホブド川畔に行くまでの眺め ホブド川畔に行くまでの眺め ホブド川畔に行くまでの眺め ホブド川畔に行くまでの眺め ホブド川畔に行くまでの眺め ホブド川畔に行くまでの眺め ホブド川畔に行くまでの眺め
ホブド川畔に行くまでの眺め ホブド川畔に行くまでの眺め ホブド川畔に行くまでの眺め ホブド川畔に行くまでの眺め ホブド川畔に行くまでの眺め ホブド川畔に行くまでの眺め ホブド川畔に行くまでの眺め

ホブド川畔の白いポピー

白いポピー

ホブド川畔キャンプサイトの周りを歩くといろいろ花が咲いていた.ポピーもその一つで,詳しい同行者が語るに,白いのは割りと珍しいのだそうだ.細い首が風になびくのでなかなかピントが定まらず,ぶれてしまいがちだ.

下は,ホブド川畔で咲いていたいろいろな花.桜草,マメ科の花,勿忘草などが目立つ,いや他の名前を知らないというのが正しいが.

ホブド川畔で咲いていた花
ホブド川畔で咲いていた花 ホブド川畔で咲いていた花 ホブド川畔で咲いていた花 ホブド川畔で咲いていた花 ホブド川畔で咲いていた花 ホブド川畔で咲いていた花 ホブド川畔で咲いていた花
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旅行3日目の2009/6/20(土)はこうして終わった.さて明日は何があろうか?



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