ウランバートルへfly to Ulaanbaatar

このウランバートルへ編では,モンゴルビザの取得,ソウルを経由し,ウランバートルに来て少し市内を廻ったときの写真と記事を掲載した.

モンゴルビザMongolian Visa

一月ばかり前のインドビザ申請ではちょっとしくじった.今回のモンゴルビザではちゃんと調べて,抜かりなくやらねば.駐日モンゴル大使館のサイトを開くと,「申請者情報を入力後,申請書を印字して写真を貼り,旅券とともに大使館・名誉領事館に申請してください 」との案内が載っている. という訳で,申請者情報を入力し,プリントアウトして申請書とした.ここで,
(1)一箇所,32.Reference in Mongoliaの項は入力できなかった(多分バグ)ので,プリントアウトに手書きで書き入れた.
(2)2ページ分あるが,2枚にプリントするのか,1枚に両面プリントするのかよく判らなかったが,両面プリントにしてみた.
これに写真を添えて,渋谷駅から東急本店前を抜け,松涛を抜け,神山町21-4の大使館に持って行った.受付では申請書をチラッと見る程度で,他国大使館のように一応記載漏れなど不備がないかチェックする様子は殆ど見られず,直ぐに,受付カードを渡された.カードに記された口座に4,400円払い込み,一週間後の午後一時に,受付カードと払い込み票を携えて来るように言われる.その通り実行し,一週間後無事ビザは得られた.

ソウル経由via Seoul

ソウル経由インチョン空港で待つ

インチョン空港で待つ

成田でもう一人のメンバーの方と顔を会わせ,13:55発大韓航空KE-704便でソウルへと飛び立った.機内食,せっかくの白身魚なのにキムチくらい辛い味付けなのが大韓航空らしい.飛行は順調で定刻通りインチョン空港に到着した.トランジットであるが,豚インフルエンザ警戒は厳しく,一人ひとり質問票回収と体温測定を行っていた.

ウランバートル便には大分間があり,ゲート前のテレビでそのうち始まった韓国プロ野球の実況放送に見入る.サムソンライオンズVSロッテジャイアンツだった.北京オリンピック優勝国だけあってなかなかのゲーム運びのようだ.ソウルは東京と時差がないが西に位置するためかなり遅い時間まで照明なしで明るい感じた.

そのうち大阪からのメンバーとツアリーダーのAさんが到着し,一緒に大韓航空KE-867便でウランバートルへと飛び立った.こちらも概ね満席のようであった.隣のシートの3人はソウルから夏休みでウランバートルに帰省する学生であろうか,機内販売のお土産を乗務員に相談し,チョコレートにしていた.まあ無難であろう.


ウランバートル着

ウランバートル着

やがてKE-867便はウランバートル上空に差し掛かった.気象条件が悪いせいか暫く旋回した後チンギスハン国際空港に到着.少し間を置いて拍手があった.着陸時の拍手はやはりロシア文化圏の影響だろうか?

機外に出ると雨で,寒い.出迎えてくれた現地旅行社のマネジャーB氏から,「雨を運んでくれてありがとう」と言われる.別にいやみを言っているのではなく,乾いた大地のモンゴルの人は雨が降るととても喜ぶようだ.なのでモンゴルでは傘をさす習慣はないそうだ.いや~それにしても寒い!

空港から車でウランバートルで最初の5つ星ホテルと云うウランバートルホテルに行きチェックイン,部屋に落ち着くと深夜12時を廻っていた.なおウランバートルは東京より1時間遅れの時差がある.

ウランバートル(標高1,350m)Ulaanbaatar

ウランバートルのレーニン像

レーニン像

ウランバートルホテルは都心に位置している.到着の翌朝ホテル前の小さな公園を歩いたら,地面で寝ている人がいた.多分前夜飲み過ぎて寝たんだと思うがかなり冷え込むので危ないのでは?多摩川の橋の下より大分寒そうだし....慣れているのかな~?

市場経済に移行して大分経つがレーニン像があることに少し驚く.レーニンにはまだそれなりに敬意が払われているようだ.

ホテルの右手には縦書きが特徴的なモンゴル文字看板のある郵便局,右手には昨2008年6月,第5回総選挙の開票結果をめぐって野党側一部の支持者等が暴徒化し焼き払った人民革命党本部ビルがあり,現在も黒く煤けていた.日本語ガイドVさんは,この当時,ウランバートルホテルに宿泊していた担当のお客さんを必死の思いで裏口から非難させた経験があるそうである.


ウランバートルのスフバートル広場

スフバートル広場

ウランバートルホテルの近くにスフバートル広場(Sukhebaatar Square)があった.北京なら天安門広場....のように,首都の代表的な広場のようだ.中央に名前の由来であるモンゴル革命の指導者スフバートル(Sukhebaatar)の騎馬像が立っている.1918年中国軍の侵入に対し,スフバートルは独立運動に参加.1920年ウンゲルン(ロシア軍人)軍に加わりクーロン(庫倫,現ウランバートル)に入り中国軍を駆逐.ただウンゲルンの政治は苛酷を極め,モンゴル民衆は憤激,完全な民族独立を求めるようになった.そこでモンゴル人民党を結成し,モンゴル人民義勇軍を編成.まず駐屯の中国兵を攻撃,ついでウンゲルン率いる白軍を赤軍とともに撃滅し,1921年7月人民政府樹立.後,全軍司令官に就いた,そういった人物であるそうだ.

広場の周囲には日本軍捕虜の過酷な労働で建てられた国立オペラ劇場(タシケントのオペラ劇場と同様だ),チンギスハンの坐像が鎮座する政府宮殿いやカルチャーセンターだったか?国立図書館,市庁舎,銀行(自由経済移行後,雨後の竹の子のように増えているそうだ)....などが集まっている.


モンゴル料理

モンゴル料理

モンゴルでは,穀類や野菜など畜産品以外は東部の少しのエリアを除いてかなり生産が限定されるようだ.なので首都ウランバートルや以西,南部はこれらのエリアから,若しくは輸入に頼っているようだ.しかしやはり肉や乳製品が伝統的に多く用いられるようである.

ここはアルタイという名のバーベキューレストランのコックさん.客が生の野菜や肉を選んで渡すと,巨大な鉄板で焼いてくれる.サラダや蒸しギョーザ(ボーズ),調理済みの料理も並んでいる.マトンやビーフ料理が多いが,特にカザフ系が好むという馬肉や,逆にカザフ系(モズレム)が食べないポークなども並んでいる.総じて香料は少なく薄味,筆者にはとても美味しく感じられる.

食事後,ゴビ砂漠で出土した恐竜化石で有名な自然史博物館,13世紀,彼のチンギスハンが築いたモンゴル帝国資料を含む長く偉大な歴史を展示した民族歴史博物館などを見て廻った.特に後者は独自文字や広大な版図の展開,収縮などなかなか見応えがある.ただ双方とも撮影禁止である.

博物館見物後,大して時間が経ってないが,まあやることもないし....ということで夕食に韓国レストランに行った.韓国料理だがモンゴル風アレンジで肉料理が多い.モンゴルには韓国系の人が多く暮らし,双方の往来も多いそうである.


下は,入国した翌日見たウランバートルあちこちの写真

ウランバートルあちこちの写真
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ウランバートルは帰国前にもう一度見て廻る予定だ.明日は,朝ウルギーに飛び,さらにアルタイ方面に向かう.



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Rev.1.0:2009/7/25