このバッチャン村編ではハノイ近郷陶器の里バッチャン村を訪れたとき,およびその周辺の写真にキャプションを沿え載せました.
ハノイからバスで30分ほどであったか,陶器の里として知られるというバッチャン村にやって来た.
この辺りでは陶器の焼かれるところは幾つかあるが,バッチャン村はホン川(Red river)に隣接しており,船が入れるため中国なども含めて他所に容易に運び出せる地の利で発展してきたそうである.埋もれた古い陶器など調べると,13世紀,チャン(陳)朝の時代には生産が始まり,明など中国の技術や様式が取り入れられてきたそうだ.
観光地化されたバッチャン村を,水牛車で巡った.この辺りは牛も飼われているが農作業には水牛の方が多く関わっているのかも知れない.かなり大勢乗せて引くので水牛は力持ちだ.
『バッチャンだけでじっちゃんは居ませんよ~』という冗談の出るガイドCさんは広島に滞在したことがあるそうで,かなり本格的日本語をこなす.
ベトナムでも中国のように,結婚式に先立って名所や景色の良いところで大々的に写真を撮る習慣があるそうだ.バッチャン村はそんなロケーションの一つだそうで,一組のカップルがカメラマンのアドバイスに従ってポーズをとっていた.
中国人の場合遠くヨーロッパの街角まで出掛け,全く臆面も無く,撮影している姿にはこちらが呆気にとられるが,ベトナムの皆さんも豊かになればそうなるのかな~....中部のガイドHさんが『多くの若者は借金して結婚式を挙げる』と話していたが,その現在が既にこの撮影であるから,この先はやはり中国並かな....
何人かの人が手書きで絵付け作業を行なっていた.なかなかいい色合いで,焼き上がった色も期待できそうだ.
店内に並ぶ最終的な製品は日常の実用品や観光客向けにアレンジされたデザインのものなど揃っている.そんな訳で,例えばとても薄くて高強度品とか,レンジでも大丈夫な高耐熱製品とか,はたまた高名な陶工の作品とかを揃えているのではないので,手頃な値段で買えると思う.
壺や椀は一般的なろくろ製法でも作られていた.しかし初めて知って驚いたのが分割石膏型でのモールディング製法だ.特に大きな壺の製作に適すると思うが手順はこんな感じだ.
この方法はろくろでは難しい大型の壺など,より量産的に作ることができそうで感心した.
下は,バッチャン村でのいろいろな写真
ハノイから走り,バッチャン村に入る少し手前で大きな川を渡る.ホン川(Red river)のようだ.川岸のあちこちに藁葺の東屋が見える.多分釣り人がここで釣り糸を垂れるのではなかろうか?そうであれば遊びではなく,プロの漁師かな~?とか思いながら目を凝らしたが,あっと言う間で,釣り人は見つけられないうちに通り過ぎてしまった.
ところでこのホン川はまたバッチャン陶器を運び出すのにかつて,そして多分今も活用されている筈だ.
ハノイを出ると水田などの農村地帯となるのだが,農地が宅地変換され新しい住宅が増えているという.郊外の新築で3,000万円くらいするそうだ.一般的所得水準からすると非常に高価だが,暫く前の不動産ブームで高騰したそうだ.景気が悪化した現在であるが,元々こうした高価な不動産を手にした人たちはお金持ちで,別に住宅を使わないにも拘わらず,換金する必要もまたないので手放さず,価格は下がらないままだとういう.ガイド稼業のCさんにはとても買うことは無理なようだ.
尤もハノイ都心の住宅だと当然もっともっと高価で,賃貸料が月100万円に上るという.なのでお金持ちはこうした物件を所有することで楽々暮らせるという.社会主義国の不思議というか,現実の一面でしょうね.
道路脇の果樹園で採れた果物を販売している.日本でもどこでも見られる光景だが,この果物が何だったか思い出せない.この辺はその名産地と解説があったのだが....
途中縫製と刺繍工房のあるお土産屋さんで休憩した.刺繍は離れた方が綺麗に見える.間近で見ると舞台裏を覗くような感じでちょっとガッカリのもある.
石像は洋風,中国風いろいろ揃えてあるが,灯籠など日本のものと似ているものもある.元々中国発祥かな?何れにしても,フエの王廟コンクリート製家臣像などよりやはり品位が感じられる.
墓地は南,中部ベトナム同様非常に多い.ただ前者のお墓のデザインとは異なって,直線を基調としたシンプルでモダンな雰囲気のものが多い.それと幾らか密集して建てられているようでもある.
お揃いの制服を着け,中学生か,ちょうど下校時間のようで一斉に自転車で進んで行く.皆溌溂とした感じで,爽やかな光景だ.