ハノイHanoi

このハノイ編ではベトナムの首都で,また観光地でもある古都ハノイを訪れたときの眺め,フエからハノイへ向かうときの様子,ホーチミン廟,一柱寺,ホアムキエム湖,玉山祠,ハノイ旧市街,水上人形劇の写真にキャプションを添えて載せました.

フエからハノイへfly to Hanoi from Hue

フエ空港

フエ空港

フエとフォンニャケバン見物を終えて,2/7朝ハノイに向かうことになった.ガイドHさんにフエ空港まで送ってもらい,お暇した.

フエ空港待合室のショップには最盛期ではない筈だが美味しそうなマンゴーがたくさん並んでいた.一般のちょっとしたお土産品などもあり,買おうとしたら,『USドルはだめ,ドンのみです』と言われ,市中のお店より融通が利かない.でもカードが使えたし,値段そのものはとても安かった.成田空港などは他より高い気がするので,ここは良心的な気がする.尤も社会主義国ベトナムでは,公的なお店は市場などより安い傾向があるとも聞いた.


ハノイ空港からバスで都心に向かう

ハノイ空港からバスで都心に向かう

フエからはA321機のベトナム航空VN1504便で飛んだ.そして1時間程度のフライトでハノイ空港に到着した.フエと比べると圧倒的に涼しい.その前の週はダウンジャケットが必要なくらい寒かったそうだが,私達が到着したときは少し緩んでいたようで,普通の上着程度で済んだ.それでも『南国ベトナム』の固定観念があるので,この寒さには驚く.

空港出口に出ると,新しいガイドCさんが待ってくれており,新しいバスに案内してくれた.すぐバスに乗ると,早速都心へと向かった.どうぞよろしく.


テト(旧正月)の飾り付け残るハノイ市街

テト(旧正月)の飾り付け残るハノイ市街

都心にやってきた.Tetの文字がみえるから旧正月テトの飾りであろう.今年は1月23日からテトだったそうだが,折角飾り付けたのだからとそのまま暫く残すようであった.ハノイ以外でもこうした光景は見られた.

テトと聞くと,反射的に『テト攻勢』という言葉が脳裏に浮かぶ.ベトナム戦争中,テト期間中は休戦するのが南北暗黙の了解であったものが,1968年のテトで北がいきなり不意打ちをかけ,特にサイゴンやフエ,ダナン等を猛烈に攻めた.米軍と南ベトナムは反撃で何とか凌いだが,ベトコン(解放戦線)による都市部占拠や住民処刑,またそれに対する米軍の空爆など多数の犠牲者が出た.いろいろあろうが,戦いがなくなったことはいいことだ.

ベトナムは非支配の歴史です,とガイドCさんが語るに
ベトナムはこれまで中国に1000年,仏に100年,そして米に20年支配されてきた.主権を取り戻したのは幸いです,と.そうでしょうね.


下は,フエからハノイへ行くときの写真

フフエからハノイへ行くときの眺め
フフエからハノイへ行くときの眺め フフエからハノイへ行くときの眺め フフエからハノイへ行くときの眺め フフエからハノイへ行くときの眺め フフエからハノイへ行くときの眺め
フフエからハノイへ行くときの眺め フフエからハノイへ行くときの眺め フフエからハノイへ行くときの眺め フフエからハノイへ行くときの眺め フフエからハノイへ行くときの眺め

ホーチミン廟Ho Chi Minh Mausoleum

ハノイのホーチミン廟

ホーチミン廟

初めはベトナム民主共和国,後にはベトナム社会主義共和国全土建国の父となったホーチミンの眠る廟.とても大きな廟で総大理石造りだそうだ.

私たちは単に外側を眺めただけだが,廟内にはガラスケースに収められた遺体が安置され,参拝に訪れるベトナムの人々(や観光客)でいっぱいだと聞いた.北朝鮮もそうであるが,こうした保存技術はやはり旧ソ連からもたらされたのであろうか.その昔ブッダの時代にはこうした遺体保存の技術はなかったので,毛髪や歯,また遺灰などが祀られた.また乾燥気味のエジプトなどではミイラとして安置された.いずれにしても生前大きな偉業を残した人は,後継者が,時には自らが,例えばフエのトゥドゥック帝のように存命中に長い年月と資金を注ぎ込んで残すものなのだな~と改めて思った.


ホーチミン廟前のバーディン広場と外務省庁舎

ホーチミン廟前のバーディン広場と外務省庁舎

ホーチミン廟の前は大きな広場となっている.バーディン広場(Quang Tuong Ba Dinh)と呼ばれるそうだ.1945年9月2日,ホーチミンがベトナム民主共和国(北ベトナム)の独立宣言を読み上げた場所だそうだ.この広場は人で埋まり,さぞや大歓声が上がったことでしょう.

向かいの黄色い建物は外務省,いや国会議事堂だったか?何れにしてもこの辺りは国の重要機関が集まっているようである.



下は,ホーチミン廟とその周辺の写真

ホーチミン廟とその周辺での眺め
ホーチミン廟とその周辺での眺め ホーチミン廟とその周辺での眺め ホーチミン廟とその周辺での眺め ホーチミン廟とその周辺での眺め ホーチミン廟とその周辺での眺め ホーチミン廟とその周辺での眺め ホーチミン廟とその周辺での眺め

一柱寺One Pillar pagoda

ハノイ一柱寺

一柱寺

ホーチミン廟の直ぐ近くに,名の通り池の一本柱の上に建つお堂があった.階段を登り,本尊の観音様にお参りした.千手観音で,背後には漢字で『蓮花臺』と記されている.キラキラの光背とアルファベットには若干違和感も....

このお堂は,本来延祐寺という寺のなかの一つの建物ということだ.

延祐寺の歴史は古く,リ(李)朝の第二代皇帝の時代,1049年に建立されたという.年表を眺めてみると,下のようになる.日本の平安後期の頃になるようだ.


ハノイ一柱寺,モンゴル軍や明軍襲来に関わる頃の歴史年表

ハノイ一柱寺,モンゴル軍や明軍襲来に関わる頃の歴史年表


第二代皇帝はあるとき,蓮花の上で子供を抱いた観音菩薩の夢を見たそうだ.そして程なく子供が授かったそうだ.そこで帝は観音様に感謝し,蓮の花に似せたデザインのこのお堂を建て,観音像を安置したということだ.尤も建物はそれほど長く持たないので,幾度か建て替えられたそうである.

一柱寺はお参りの人が絶えない

一柱寺はお参りの人が絶えない

私達が訪れたのは平日の水曜日であったが,参拝の人々が絶えない.年配者より,若い人が多いように見える.日本の寺と比べて若い人の比率が高いと思う.平均寿命や人口構成比の違いもあるではあろうが,総じて熱心な感じに見受けられる.


下は,一柱寺での写真

一柱寺での眺め
一柱寺での眺め 一柱寺での眺め 一柱寺での眺め 一柱寺での眺め 一柱寺での眺め 一柱寺での眺め

ホアムキエム湖Hoan Kiem lake

ホアンキエム湖とは『剣を返す湖』の意だそうだ.15世紀半ば,神(竜王)から宝剣を授かったレ(黎)帝は,この剣でベトナムに侵攻した中国(明)軍を撃退した.そして戦いが終わり,平和を取り戻したとき,レ帝はこの湖で大亀に出合い,元の持ち主である竜王のもとに剣を返還するよう啓示を受け,届け返した,ということだ.いかにも伝説っぽい話であるが,1968年には250kgという大亀が実際発見され,啓示を受けたとされる大亀の剥製が後述の玉山祠に祀られているそうだ.大きさは長さ210cm,幅120cmというから確かに非常に大きい.ただこの種は近年あまり見かけられることがなくなり,絶滅が懸念されているという.湖水の状況など見ると残念ながら確かに棲息に適しているとは言い難いように思えた.

↓ホアムキエム湖と木製フク橋↓『日本』を前面に押し出したサロンパス
ホアムキエム湖と木製フク橋『日本』を前面に押し出したサロンパスの看板
名所ホアムキエム湖は観光客でいっぱい天秤が行く
↑名所ホアムキエム湖は観光客でいっぱい↑天秤が行く

ホアムキエム湖周辺は市民の憩いの場で,特に若いカップルにはデートのメッカだそうである.なおハノイの人口は600万人で,サイゴンの800万人より少ないそうだ.それとこの辺りはもちろん観光客も目立っている.

玉山祠Temple of the Jade mound

大きな『福禄』文字の掲げられたこの門は玉山祠の入り口だ.道教の教えを参照すると,福は実子に恵まれる幸せ,禄は財を成す徳を表すという.私たちはこの辺を少しウロウロしただけであるが,橋の先に玉山祠があるそうだ.さてこの玉山祠は,13世紀,チャン(陳)朝の時代,モンゴル(元)軍の3回にも渡る進撃を見事に撃退したというベトナム史上英雄中の英雄チャンフンダオ(Tran Hung Dao)将軍を祀っているところだそうだ.当初こそ短期間ハノイ(当時はタンロン)占領を許すが,やがて猛暑や兵糧攻めで元軍は撤退,二回目の侵攻に対してはゲリラ戦で撃退.さて元軍三度目は,陸路だけでなく,食料輸送も兼ねて海路からも同時に攻め入ったそうだ.だがチャンフンダオ将軍は陸路の兵は防戦し,途中に留め置き,ハロン湾の船団を攻めて,壊滅させたそうだ.以降元軍はベトナム侵略を諦めたようだ.めでたしめでたし.

『福禄』文字の掲げられた門門に連なる通路
玉山祠の塔玉山祠への橋

日本もモンゴルには二度に渡り攻め入られたが,チャンフンダオ将軍のように著しく卓越した人物は居なかったようだが幸い神風で撃退できたとされている.何れにしても両国ともモンゴルから守ることができて何よりだった.

ハノイ旧市街old city of Hanoi

ハノイ旧市街

ハノイは寒い

ハノイ旧市街をただ漫然と散歩した.気根を生やした街路樹など南国ムードだ.そして当然南国ベトナムは暑いものと思っていたが,意外と寒い.特にバイクの人は寒いのでダウンジャケットも多い.

国旗はかなり掲揚されている.まあ,世界的には平均的かも知れないが,翻って日本は国旗を見かけることが著しく少ない国であると改めて認識し,ちょっと残念に感じたりした.


ハノイ旧市街歩道はバイクでいっぱい,人は車道を歩く

歩道はバイクでいっぱい,人は車道を歩く

場所によって,歩道は駐車したバイクで溢れて人が歩けないほどだ.

ただ交通ルールは結構守られていない,いや弾力的に運用されているようだ.ガイドCさんが語るに,お巡りさんは居らず,皆『お止まりさん』だという.つまり警官は同じ場所から動かず,違反が見つかったら,Uターンしてそのまま逆走して逃げるケースは普通に見られるという.いや~すごい.尤も捕まっても幾らか袖の下で済むからOKです,とホーチミンシティでTさんに聞いた話と同じだ.

Cさんの話はさらに深まる.まあこうした微罪ではなく,社会主義国には特に多い傾向があると思うが,ここベトナムは大物の汚職がしばしば挙げられるそうだ.そしてまた中国と違って汚職で死刑はないものの,終身刑の判決は稀ではないそうだ.ところが終身刑だった筈が,1年くらいで娑婆に舞い戻ってくるのは間々あるのだそうだ.服役中に多額の賄賂を,政府や司法関係者に贈るそうだ.それを短期間に繰り返し,終身刑→30年→10年→5年→1年で出所,とマジックのようになるそうだ.信じられないようでもホントのことだそうだ.


ハノイ旧市街ベトナム風オープンレストラン

ベトナム風オープンレストラン

風邪でもないのに防塵のためマスクの人も多い一方,歩道に食品を並べ,食事中の人も居る.ベトナム風オープンレストランと見ていいし,これもベトナムの活力を窺わせる一コマであろう.


ハノイ旧市街を行く天秤棒の行商

ハノイ旧市街を行く天秤棒の行商

ホーチミンシティでも,ホイアンでも,フエでも見られた光景であるが,天秤棒は趣きがある(あくまで見物人の立場で).日本ではもちろん,他国でもあまり見かけないように思うが,さてどうだろう?日本では魚屋さん,一心太助のイメージ,徳川 家光の時代,今から400年も遡ることになりそうだ.

でも太助は男性,一方ベトナムでは天秤棒を担いでいるのは圧倒的に女性が多いように見える.働き者だ.


下は,ハノイ旧市街辺りの写真

ハノイ旧市街の写真
ハノイ旧市街の写真 ハノイ旧市街の写真 ハノイ旧市街の写真 ハノイ旧市街の写真 ハノイ旧市街の写真 ハノイ旧市街の写真 ハノイ旧市街の写真
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ひと通りハノイの街を巡った後,一旦バッチャン村経由でハロン湾見物に出かけた.そこで一泊しまたハノイに舞い戻り,水上人形劇見物に行った.

漢字風カリグラフィーか?

漢字風カリグラフィーか?

水上人形劇見物の前にベトナム料理のお店で夕食を頂いた.布袋様両脇の掛け軸の文字,漢字風であるが,多分アルファベットだと思う.例えば右側一番上は“Mai”ではなかろうか?こうした文字は例えばフォンニャケバン国立公園に行く途中見た寺院の門とかあちこちで見えた.ベトナム語はどうやら音節毎或いは漢字記載の場合の一文字に対応してアルファベットを区切って書くようなので,こうしたカリグラフィーができてきたのではなかろうか?


水上人形劇Vietnamese water puppetry art

操り糸のない水上人形劇

操り糸のない水上人形劇

夕食の後タンロン人形劇場にやって来た.ホーチミン氏が子供たちのためにと直々に建てた劇場として知られるそうだ.劇場入り口には列ができており,指定席に座り,周りを見渡すと満席のようであった.

水の張られた舞台,いやプールの背後にベトナム風家屋が,左に楽団の演奏席が設けられている.座長の挨拶に続き,人形が水上に現れた.言葉は解らないが動作は素早く,なかなかコミカルなシーンもある.何より驚くのは,普通上から垂れ下がっている筈の操り糸が見えないし,また文楽のような黒装束の人形遣いも見えないことだ.


水上人形劇の人形は素朴で庶民的なな雰囲気

人形は素朴で庶民的な雰囲気

人形の顔立ちは素朴な感じに作られ,ストーリーはよく解らないながら,例えば左魚捕りシーンなどでは魚におちょくられたり,火や水を吹く迫力ある龍など庶民的で楽しい演目で,ややもすると日本人でさえ難しい文楽とかとはかなり趣きを異にする.

ところで人形は背後の家屋辺りの水面下から伸ばされた棒で操るそうで,素早い動作をこなすには相当の重労働になるそうだ.見ていると確かにそうだと納得できる,

ところでこの人形劇は1000年もの歴史を有するそうで,当初ベトナム一地方の農民が収穫祭でその辺の泥池で演じられたのが始まりだそうだ.それが少しすると中央でも評判になり,11世紀始まり~15世紀になると宮廷でも演じられるようになったそうな.でも『宮廷』といった先入観とはかけ離れ,実に庶民的演芸で私達観光客にも楽しめるものだった.


下は,水上人形劇の写真

水上人形劇の写真
ハノイ水上人形劇の写真 ハノイ水上人形劇の写真 ハノイ水上人形劇の写真 ハノイ水上人形劇の写真 ハノイ水上人形劇の写真 ハノイ水上人形劇の写真
ハノイ水上人形劇の写真 ハノイ水上人形劇の写真 ハノイ水上人形劇の写真 ハノイ水上人形劇の写真 ハノイ水上人形劇の写真 ハノイ水上人形劇の写真

水上人形劇を楽しんだ後,ハノイ国際空港に向かった.この空港はひどい混みようでチェックインに右往左往した.私はガイドCさんに御暇することもままならず,出国審査に向かった.同行者が見当たらず困ったが,そのうち現れほっとした.この空港はフライト数に比べて狭すぎるそうで,新しいのを現在建設中なのだそうだ.

真夜中の0時過ぎ,ベトナム航空VN0310便は飛び発ち,順調なフライトの末,朝方成田に着いた.楽しかった.皆さんお世話になり,ありがとうございました.



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