フエHue

このフエ編では,ベトナムの観光地フエを訪れたときの眺めで,順にホイアンを発ちダナンを経由したときの眺め,カイディン帝廟,トゥドゥック帝廟,グエン(阮)朝王宮とフラッグタワー,ティエンムー寺の観光,フォン川クルーズなどの写真にキャプションを添えて載せました.

ダナンを経由pass through Da Nang

ダナンは大理石の名産地

ダナンは大理石の名産地

この日も晴れた朝,バスでホイアンを発った.しばらく走るとダナンのエリアに入る.ダナンは良好な大理石を産し,その加工販売業も盛んだそうだ.街道脇にはそうした店がたくさん並んでいる.写真のような布袋様,観音様,狛犬...といった石像は日本のものと同じようなデザインで驚いてしまう.尤もどちらも中国に源を発するのであろうが.


ダナン周辺は開発が進む

ダナン周辺は開発が進む

ダナンは良港に恵まれ,工業化も進み,リゾートに適したビーチもある.人口は増えているそうだ.ガイドHさんもここに住んでいるそうだ.海岸沿いにはマンションやリゾートホテルの建設も盛んだそうである.ハイアット系のホテルも最近オープンしたそうで,米国の退役軍人なども多く訪れるという.

こうした新しいホテルは地元の若者の結婚披露宴でもよく利用されるそうだ.披露宴は200~300人くらい(多い!)の客を招待するそうだ.ただ驚いたことに,ベトナムでは招待された客がご祝儀を差し出すという習慣がなく,専ら費用は招待する当事者が用意しないとならないそうだ.という訳で大体は多額の借金をして結婚式を挙げるそうで,何年間も返済で苦労するのは当たり前のことだそうだ.いや~それは大変ですね~


ダナンの旧米軍格納庫

ダナンの旧米軍格納庫

1965年米海兵隊が上陸し,以来大規模な基地が建設されたそうだ.この格納庫もその一つのようだ.それ故にまた1968年の南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)はこのダナン駐留米軍に対して大攻勢,所謂テト攻勢をかけた激戦地でもあった訳だ.


橋から眺めたダナンの街

橋から眺めたダナンの街

何という橋であろうか,大きな吊り橋を通過した.その橋の上からダナンの街の中心部を望むことができる.現在人口は80万人以上だそうだ.ガイドHさんの話ではベトナムの平均寿命は70歳くらいだが,ここダナンも含めて人口の2/3は30歳以下だというから驚く.発展は続くであろう.尤もベトナム戦争直後6,500万人だった人口が最近8,500万人まで急増し,二人っ子政策が発令されたとも.


ダナンで建設中建設中のベトナム名物間口の狭い建物

建設中のベトナム名物間口の狭い建物

ダナンの街道脇で建設中の建物があった.所謂うなぎの寝床と呼ばれる間口が狭く,奥行きが深い建物だ.ホイアンの旧家もこうした傾向があったが,小さな街で新しい建物であってもこうした形式が一般的に見えた.基本的には不動産価格と固定資産税に因るものらしい.

ところで8階建てでも結構簡素な作りだ.地震がないので大丈夫なようである.


ダナンとフエを結ぶハイヴァントンネル

ダナンとフエを結ぶハイヴァントンネル

ダナンを過ぎると丘陵地帯に入る.そしてそのうちトンネルに差し掛かった.ハイヴァントンネルと称され,全長6,280m,ベトナム最大級のトンネルだそうだ.2000年から工事が始められ,2005年に完成したそうだ.資金のかなりは円借款で賄い,工区の2/3ほどは間組(ハザマ)が施工したそうだ.間組は『黒部の太陽』で活躍した頃からトンネル技術に長けているようだ.

トンネルは安全確保のためバイク通行や家畜の運搬は禁止で,バイクは専用運搬車に乗せ,ライダーはバスで抜けるそうである.円借款返済のため通行料金は高めだそうだ.それでも山を越える在来道路を行くより短時間でフエに抜けることが可能なため,通る車は多いようだ.


下は,ホイアンを発ちダナンを経由したときの写真いろいろ

ホイアンを発ちダナンを経由したときの眺め
ホイアンを発ちダナンを経由したときの眺め ホイアンを発ちダナンを経由したときの眺め ホイアンを発ちダナンを経由したときの眺め ホイアンを発ちダナンを経由したときの眺め ホイアンを発ちダナンを経由したときの眺め ホイアンを発ちダナンを経由したときの眺め
ホイアンを発ちダナンを経由したときの眺め ホイアンを発ちダナンを経由したときの眺め ホイアンを発ちダナンを経由したときの眺め ホイアンを発ちダナンを経由したときの眺め ホイアンを発ちダナンを経由したときの眺め ホイアンを発ちダナンを経由したときの眺め

ハイヴァントンネルを抜けるとフエのエリアになる

ハイヴァントンネルを抜けるとフエのエリアになる

長いハイヴァントンネルを抜けるとそこはフエのエリアだそうだ.やはり東の太洋と西の山に挟まれた狭い平野に展開された田んぼの中を行く.道路と並行して鉄道も走っている.ハノイとサイゴンを結ぶが単線で,丸一日,バスと同じくらいの所要時間だそうだ.新幹線計画も上がっているそうだ.


クリスチャンの墓

クリスチャンの墓

とにかく墓だらけというくらい墓が目立つが,こうしてクリスチャンだけの集まった墓なども見られる.棺が同じ方向に整然と揃っている.


紙原料の木材チップ工場

紙原料の木材チップ工場

紙の原料となるという木を砕いて木片に加工する工場だそうだ.庭には加工されたものが山と積まれている.パルプにする前処理ということになるのだろうか?なおこの工場のチップは主に日本に輸出されるそうだ.

なお原料となる木(ガイドHさんはチップの木と言っている)は別の場所にて植林されている林を見ることができた.


フエに入ると家の前の小さな祠が目立つ

フエに入ると家の前の小さな祠が目立つ

フエエリアに入ってから,街道沿いの農家やお店なの庭先には装飾された小さな四角い箱状の祠が目に入るようになった.先祖を祀る祭壇のようなものだそうだ.写真のお宅では二つも建てられている.殆どの家にはあるし,道端や田んぼに置かれていることもある.デザインは違うがタイの家の庭先風景と少し似たところがある.


下は,ダナンを過ぎてフエに入った辺りの風景

ダナンを過ぎてフエに入った辺りの風景
ダナンを過ぎてフエに入った辺りの風景 ダナンを過ぎてフエに入った辺りの風景 ダナンを過ぎてフエに入った辺りの風景 ダナンを過ぎてフエに入った辺りの風景 ダナンを過ぎてフエに入った辺りの風景 ダナンを過ぎてフエに入った辺りの風景 ダナンを過ぎてフエに入った辺りの風景

フエの歴史

さてこうして歴史の街,フエに入ってきた.フエに関わる大雑把な歴史を年表にすると下図のようである.

フエに関わる歴史年表

フエに関わる歴史年表


分裂していたベトナムで,1777年北部のタイソン(西山)朝が広南グエン政権を倒した,しかしやがてその残党がシャムやフランスの支援を得てハノイに攻め入り反撃,1802年ついに北部を占領し,グエン朝を樹立.

政権をとったグエン朝は今回観光するフエを都とし,全土に版図を広げた.

ところでタイソン(西山)朝も姓はグエンで,広南グエン氏と同じだそうだ.朝鮮半島の金さんのように,いやそれどころかベトナムでは3人に1人がグエン(阮)とか,とにかくとても多く,区別するために広南とか西山を付すそうである.

カイディン帝廟Tomb of Khai Dinh

フエの地ビールフェステバル

フエの地ビールフェステバル

フエの街に入ると先ず開放的なレストランで腹ごしらえの昼食となった.ここの地ビールはフェステバルだそうで,早速戴く.まあ普通に美味しい.

メインデッシュはフンボーフエ(bun bo Hue)で,フン(bun)はビーフンのフンで,太めの米粉麺,ボー(bo)は牛肉,フエ(Hue)風,と云うことだそうだ.こちらも美味しかった.なおHueはガイドHさんの発音からはフエではなく殆どフェと聞こえた.


グエン(阮)朝第12代皇帝カイディン(啓定)帝廟

グエン朝第12代皇帝カイディン(啓定)帝廟

1802年に政権を握ったグエン(阮)朝の第12代皇帝がカイディン(啓定)帝(在位1916-1925年)だそうだ.グエン朝は元々フランスの支援を得て政権を奪還したのであったが,それがあだとなってやがて植民地とされ,結果としては誠に重大な悲劇である.カイディン帝はそんな植民地時代の王朝最後から2番目の皇帝で,言葉は悪いがかなり仏に飼いならされた傀儡的皇帝にされたようである.

仏好みの皇帝は仏に長く滞在し,戻るとこの廟建設の財源を確保するために先ずは増税し,1920年から建設にとりかかったそうである.この建物は最初登った階段の上に建ち,確か碑文が収められていたように思う.階段の龍柱にあしらわれた文様など含めて外観は中国風に強く感じられるが,建築材料には当時仏で主要建材であったコンクリートが多用されている.ただコンクリートは風化し易いので傍で見るとちょっと安っぽい印象を受ける.殊に庭の,家臣である武官,文官,兵の像までがコンクリート造りなのにはちょっと興醒めだ.折角すぐ近くのダナンではあれほど立派な大理石彫刻を産することができるというのに.....

一方敷地内の建物の配置や,これから見物する本堂であろう「啓成殿」の外壁や,特に内部などはかなり欧風と言うか,欧中折衷というか,カイディンオリジナルというか...かなり独特な雰囲気だ.


カイディン帝肖像

カイディン帝肖像

最後の階段を登った所にある「啓成殿」に入った.ここの壁に掛かるこの方がカイディン帝だ.勲章をいっぱい下げ,ベトナム様式冠のモノクロ写真だ.晩年にしては若そうであるが,実際かなり若くして亡くなったようだ.

ところで次に巡るトゥドゥック帝廟の主,トゥドゥック皇帝は何人もお妾さんが居たそうだ(普通皇帝はそうだと思う)カイディン帝は女性嫌いで,奥さんが居なかったようだ.不思議だ.でも王国最後となる次の第13代バオダイ皇帝は存在したし,聞き違えたかな...,?


カイディン帝廟の啓成殿前室

啓成殿前室

壁も天井も過剰とも言える装飾が施されている.天井は皇帝の象徴,龍であるが,かなり欧風な雰囲気でもある.バロック様式の影響があるということだ.

ところでこの廟が建設されている頃,ホーチミンもフランスに渡り,同国共産党に入党したそうだ.不安定だったベトナム情勢のこの時期,既に共産党政権の芽が出ていたということであろう.因みにホーチミン氏も生涯独身で通したそうである.


カイディン帝廟で玉座の皇帝

玉座のカイディン帝

啓成殿の玄室もまた華美である.ここには玉座に座るカイディン帝の姿があった.また遺体はこの下に埋葬されているそうだ.


カイディン帝廟リユースされた壁の装飾

リユースされた壁の装飾

上の写真のように啓成殿の壁はなかなか見応えあるモザイクのレリーフで彩られている.それが近づいて見ると,この写真のように茶碗やビンの欠片が埋め込まれていて驚く.中には『NIPPON』などと日本のビールビンの欠片も混じっていて,とても皇帝の廟らしからぬ見事な廃物リユースだ.


下は,カイディン帝廟のいろいろな写真

カイディン帝廟での眺め
カイディン帝廟での眺め カイディン帝廟での眺め カイディン帝廟での眺め カイディン帝廟での眺め カイディン帝廟での眺め カイディン帝廟での眺め
カイディン帝廟での眺め カイディン帝廟での眺め カイディン帝廟での眺め カイディン帝廟での眺め カイディン帝廟での眺め カイディン帝廟での眺め

世界遺産ロゴこのカイディン帝廟を含むグエン王朝時代の建造物は『フエの建造物群』(Complex of Hue Monuments)として1993年ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている.

トゥドゥック帝廟Tomb of Tu Duc

トゥドゥック帝廟の庭

トゥドゥック帝廟の庭

カイディン帝廟見物の後,それより前の時代,グエン朝第4代皇帝トゥドゥック帝(在位1847年-1883年)の廟を訪れた.レンガとセメント造りの「務謙門」と呼ばれる正門をくぐると,大庭園の趣だ.例えば東京で言えば,江戸時代の熊本藩主,細川家の下屋敷で,現在は公園となっている戸越公園(品川区)のような,いや,それをず~っとず~っと広くしたような感じだ.

写真は発音は不明ながら漢字では「謙湖」,またここに浮かは「謙島」だそうだ.現在水の流れは無く,淀んでいるように見える.往時は外部の川に繋がり,もっと綺麗だったそうだ.池の辺りには東屋も設けられ,この地を別荘として扱ったというトゥドゥック帝が蓮や野鳥を眺め楽しんだのであろう.


トゥドゥック帝廟の「謙宮門」

謙宮門

池の辺りから墓所に向かう最初の階段の上に門があり,「謙宮門」と呼ばれるそうだ.主に木造で,焼き瓦屋根が載っている.屋根の龍はやはり立派だが,傷みが激しいようで脇には鋼の補強材が入れられている.

地震こそないが,台風や雨季の雨は激しく,傷み方は早いのかも知れない.確かにここに来るまでに幾度となく川を見たが,ベトナムの発電量の90%は水力という程水は豊富だそうだ.それでも夏には停電がよく起こるし,またさらなる経済発展には不足で,原子炉導入も検討されているそうだ.


トゥドゥック帝廟庭の家臣像

トゥドゥック帝廟庭の家臣像

ここの庭の通路両側にも家臣である腕を組んだ文官,太刀を携えた武官の像が並んでいた.ベトナム人は比較的小柄なためであろう,像もまた小柄なようである.

背後の多数の太目の枝を持つ木は,ホイアン福建会館の庭木と同じなのだが,名前は失念.


トゥドゥック帝廟の和謙殿

和謙殿だったか?

トゥドゥック帝廟はとても広く,多くの建物が建てられているのだがこれは確か「和謙殿」だったかと思うが自信がない.他に「良謙殿」,xx殿,...と色々あるのだが,内部の撮影は禁じられており,思い出し難い.内部にはトゥドゥック帝自筆の絵画や詩歌が掲げられ,またご本人と正室の位牌があった.なお位牌は俗名で,戒名の慣わしはベトナムには無いと聞いた.また側室は多数いたが,左手の別棟に位牌が収められていると聞いたように思う.

トゥドゥック帝は幼年時天然痘を罹い,身体が弱かったという.そのため政はさておき,詩歌や絵画に励んだ面があるそうだ.また建物すべてに『謙』の字が含まれるが,これは自ら謙虚であるべきとの自戒の念が込められているとも言われるようだ.


トゥドゥック帝廟の墓所

トゥドゥック帝廟の墓所

帝廟の一番奥,一番高い所に埋葬されたとされる場所があった.かなり広く,周りが漆喰で固めたレンガ塀で囲まれ,中央に石棺状のものが置かれている.ただ必ずしもこの下に埋葬されている訳ではなく,盗掘を避けるため実際に埋葬されている場所は不明だそうだ.また実際に埋葬に関わった人たちは口封じのため殺害されたと聞くと,気の毒でならない.


トゥドゥック帝廟の碑文を収めた館

碑文を収めた館

募集の手前に大きな石碑を収めたこの館があった.漆喰で固めたレンガ構造であるが,屋根には木も生えてちょっとこの先気掛かりだ.

碑文の漢字を眺めると,中にはあまり見たことがない複雑なものも含まれているが,かなりは現在の日本で使用されるものと共通に見えた.なお,現在ベトナムでは使われなくなったが,漢字の読み方は日本の音読み/訓読みのように,原音に近い読み方とベトナム独自の読み方両者あって,意味の多くは日本と同様概ね漢字の原意に従うようだ.なお中国語の四声は難しいことで有名だが,ベトナム語は六声でさらに難しいと,次のガイドCさんが後に話してくれた.


下は,トゥドゥック帝廟の写真

トゥドゥック帝廟での写真
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トゥドゥック帝廟での写真 トゥドゥック帝廟での写真 トゥドゥック帝廟での写真 トゥドゥック帝廟での写真 トゥドゥック帝廟での写真 トゥドゥック帝廟での写真 トゥドゥック帝廟での写真

グエン朝は元々フランスの支援で成立という弱みを握られていた訳だが,第4代皇帝トゥドゥック帝の頃になると,開国を迫る仏はベトナム各地を攻撃,占領し,結局通商条約(多分不平等)を結ばざるを得なかったようだ.トゥドゥック帝は歴代グエン朝皇帝中最も長い在位で,立派な廟があるが,続く第5代以降3,4人は1,2年のうちに入れ替わり,現代日本の政権交代以上短期間で入れ替わったようだ.こうした皇帝は廟も作られないどころか,遠くアフリカまで流された人もいるそうだ.


トゥドゥック帝廟を見物した後,グエン(阮)朝王宮に向かった.途中市内を走ると,鉄道の踏切待ち(左写真)などあった.列車は例えて言えば小田急,JR,東急混成のように,色々な外装が混じっている.

フエの踏切フェステバルビールの配送車フォン川沿い通り

またフェステバルビールの配送車(中の写真)は,ビール好きなだけにすぐ気付いた.

グエン(阮)朝王宮とフラッグタワーHue royal palace & the flag tower

グエン(阮)朝王宮前のフォン川のお堀を越える

フォン川のお堀を越える

グエン(阮)朝王宮正面にはォン川が流れ,天然のお堀になっている.ただ川はお城をぐるりと囲んでいる訳ではないのでその内側に人工的な濠も掘られている.で,この写真の堀はどっちだったか....?内側の二の堀だったかな~


グエン(阮)朝王宮の午門

王宮の午門

王宮敷地に入って最初の大きな建物が午門.ホーチミンの大きな肖像画が掲げられている.北京の天安門に掲げられる毛沢東の肖像画より大きいようだ.午門自体は天安門に比べて小さく,軽快な造りだ.左に鼓楼,右に鐘楼が設けられている.

グエン朝は中国の科挙システムを採っていたそうだ.門内の資料室には皇帝年頭の挨拶の絵図が掲げられており,午門二階の皇帝を間近に望む位置に立てたのは科挙合格者だけだったそうである.すごい別格扱いだった訳です.


グエン(阮)朝王宮前のフラッグタワー

グエン朝王宮前のフラッグタワー

午門前には広場がある.ちょうど天安門広場のような感じだ.そしてその広場を挟み,午門と対峙するようにフラグタワーが築かれ,ベトナム国旗がはためいていた.初代皇帝のザーロン帝時代に築かれたそうである.

なお広場には大砲も据えてあった.実戦配備もさることながら,宮殿であるから号砲としても活用されたのではなかろうか.

グエン(阮)朝王宮の太和殿

太和殿

鯉の泳ぐ池の先に建てられている.紫禁城をお手本にしたそうだ.しかしサイズはかなり小さいと思う.黄色い屋根,大きな龍は皇帝の象徴であろう.内部は資料館として観光客に開放されている.その手前『古明地大』の門の柱は精巧な龍のレリーフが彫られている.

なおこの右手に博物館があり,往時の写真や宝飾品が展示されていた.


グエン(阮)朝王宮右手の建物

王宮右手の建物

どのような機能の建物か判らなかったが,屋根の下に美しい壁画が掛かっていた.またシンプルな直線でグリーンの屋根はちょっとイスラム建築のようでもある.さらに赤い列柱は京都のどこかの神社を彷彿させないでもない.


下は,グエン(阮)朝王宮の写真

グエン(阮)朝王宮の写真
グエン(阮)朝王宮の写真 グエン(阮)朝王宮の写真 グエン(阮)朝王宮の写真 グエン(阮)朝王宮の写真 グエン(阮)朝王宮の写真 グエン(阮)朝王宮の写真 グエン(阮)朝王宮の写真
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ティエンムー寺Thien Mu pagoda

ティエンムー寺の八角塔

ティエンムー寺の八角塔

王宮を後にしてティエンムー寺にやってきた.山門の階段を登ったところにこの七層八角形の高い塔が建っていた.レンガ造りで21mの高さがあるそうだ.

ティエンムー寺は大乗仏教の臨済宗寺院で,1601年建立だそうだ.しかし日本の臨済宗の寺ではまず見られない形式の塔だ.中国にはわりとこうした塔は在るように思う.


ティエンムー寺本堂の仏像

本堂の仏像

八角塔を過ぎるとまた門があり,両側に仁王様のような守護神が入り口を守っている.そしてそこをくぐると本堂に至る.ここには写真のような三体の仏像や布袋様が安置されていた.

靴も脱いでお堂に上がりお参りした.お賽銭を入れて戻るとき傍らのお坊さんが「ち~ん」と鐘を鳴らしてくれた.

それにしても仏像や観音像の光背には少し戸惑う.まあ分り易く表現した....と言えるが.


ティエンムー寺故ティッククアンドック師の車

故ティッククアンドック師の車

ホーチミン市のページでも記したが,南ベトナム(なおフエもこの範囲内だった)はゴディンジエム政権の時代,政府高官や軍幹部全てはカトリック教徒で,人口の大半を占める仏教徒を迫害し,自分たちの権益だけを守ろうとしたそうだ.そんな1963年,ここティエンムー寺のお坊さんティッククアンドック師がサイゴンに行き,抗議の焼身自殺を遂げた.ガソリンをかぶり,燃え盛る炎の中でも座禅姿を崩さなかった写真は世界に衝撃を与えた筈だ.そのティッククアンドック師がサイゴンに行くために自ら運転して行った車がこのオースチンであるそうだ.この遺品は現在寺の車庫にそっと置かれていた.


ティエンムー寺で食事を準備中の小坊主さん

食事を準備中の小坊主さん

本堂のさらに奥にキッチンと食堂の建物があった.覗いてみると前髪を残し,他を剃り上げた頭の少年僧がせっせと炊事や配膳作業をやっていた.ちょうど侍が月代(さかやき)を剃るのと全く逆で,ここだけ残し,他は剃ってあるのが興味深い.

私達が訪れたのは夕刻であるから,これは夕食の準備のようである.つまり数カ月前訪れたビルマのお坊さん(上座部仏教)はお昼以降食事は摂らないそうだが,ここ大乗仏教の寺では夕食は食べるようである.


下は,ティエンムー寺の写真

ティエンムー寺の写真
ティエンムー寺の写真 ティエンムー寺の写真 ティエンムー寺の写真 ティエンムー寺の写真 ティエンムー寺の写真 ティエンムー寺の写真
ティエンムー寺の写真 ティエンムー寺の写真 ティエンムー寺の写真 ティエンムー寺の写真 ティエンムー寺の写真 ティエンムー寺の写真

フォン川クルーズPerfume river cruise

フォン川の屋形船に乗る

フォン川の屋形船に乗る

ティエンムー寺はフォン川畔に建つ.そしてその近くの乗り場で屋形船に乗り込む.船はカタマランで,船室というか,客室というか...は殆ど真四角だ.船体側面に古の王朝を偲び龍の絵が描かれている.なのでまたドラゴンボートとも呼ばれるようだ.これで今夜宿泊のホテルまでクルージングだ.

ところでフォン川は漢字では「香川」と書くらしい.で,英語では「Perfume River」となるようだ.Perfumeと言っても私達には必ずしも好ましいと感じない匂いの場合があるが,この川は大丈夫だろうか?(→大丈夫だった)


フォン川クルーズの船長さん

フォン川クルーズの船長さん

この人が操舵中の船長.横に並べたお土産の販売もこなす(船大丈夫かな~?).実はこの船はファミリービジネスとして操業されている,とは言ってもこの船長と,奥さんと,お子さんだ.

奥さんは販売専任で,出航すると直ちに「ビールはいかが?」と勧め,床に衣類など広げてセールス活動に暇がない.ベトナムでは普通女性がセールスの腕が一枚も二枚も上だそうだが,確かにそんな感じだ.


フォン川の橋をくぐるドラゴンボート

橋をくぐるドラゴンボート

右の橋は鉄道の橋,左は現在工事中の新しい大きな橋だそうだ.この街も発展中で,インフラ整備に懸命だそうだ.観光ドラゴンボートはたくさん往来しており,この辺りでも私たちの船と逆方向に行く船とすれ違った.う~ん横から見るとドラゴンがなかなかもっともらしく,それなりに王朝の雰囲気を醸し出しているかも.まあ,気分次第であろうが.


フォン川畔のHuong Giang Hotelに到着

Huong Giang Hotelに到着

今夜の宿Huong Giang Hotelの裏口側には船着場があって,陽の沈む頃到着した.夕陽が川面に映えていい眺めだ.


フォン川畔のホテルの部屋から街を望む

ホテルの部屋から街を望む

ホテルにチェックインし,部屋に入ると,街の様子と,フォン川双方が見える部屋だった.夜の帳が落ちようとするタイミングであったがホテルのプールではなおも泳ぐ人の姿が見えてちょっと驚いた.

今日はいい天気だったが,さて明日はどうかな~


下は,フォン川クルーズの様子

フォン川クルーズの写真
フォン川クルーズの写真 フォン川クルーズの写真 フォン川クルーズの写真 フォン川クルーズの写真 フォン川クルーズの写真 フォン川クルーズの写真 フォン川クルーズの写真

宮廷料理の夕べ

ホテルで一休みの後,Royal Parkというレストランで宮廷料理(ほんとかな~?)の夕食を頂戴することになった.私達客ももっともらしい装束に身を包むのだが暑いので,皆直ぐに脱いでしまった.写真の春巻きなど美味しかった.大根と人参で作られた鳥の羽根一かけら口にしたら,ウェートレスに「食べないで下さい」と言われた.どこぞの一流料亭であったように使い回すのであろうか?と思った.

フエの宮廷レストラン宮廷音楽演奏家
宮廷風衣装宮廷料理

宮廷音楽演奏もなかなか手馴れたものだ.日本人客の場合日本の曲も一曲混ぜて,気を遣ってくれている.ご馳走様でした~



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