このハロン湾編ではハロン湾クルーズに行き,水上集落,スンソット洞窟,ティートップ島展望台を巡り,また帰路立ち寄った周辺の写真とキャプションを載せました.
バッチャン村を見てから更に東進し,ハロン湾に到着した.頃合いも良く近くのレストランでフォーや春巻きのベトナム料理の夕食を頂いた.ベトナム料理は美味しい.
食事を終えて,このHalong Pearl Hotelにチェックインした.結構客室が多いようで,私たちの後には中国の人たちらしき大団体が入ってきて,エレベータが暫く混み合った.部屋はハロン湾に面し,かなり広く快適だった.
ホテルで一夜を明かし,翌朝直ぐ近くの桟橋に行った.幾艘もの観光用ボートが停泊しており,私たちは写真のこのボートに乗り込むことになった.甲板や船室は木造で,下ろしてはいるがセールまで付いていてなかなか雰囲気のあるボートだ,船体全体が木造かどうか不明だが,あるいは本体は鋼鉄製か?
乗り込むと直ぐに出航し,ハロン湾を進んだ.甲板にいると少し霧雨に降られるような天気だが,海面は穏やかでボートは静かに進む.程なく幾度も写真で見たことのあるハロン湾風景が展開されてくる.
ハロン湾は海の桂林と称されることがあるが,実は桂林のカルスト地形はここハロン湾までず~っと連なっているのだそうで,へえ~そうなんだと改めて思った.桂林の川(漓江 )に対して海の違いがあるが,山の形や鍾乳洞がある点などよく似ていると思う.
石灰岩が侵食されてユニークな形になった.闘鶏の形だそうだが,そう言われればそうかな~と思える.大小3,000もの島があるそうだから,こうして特徴的なものはいいとして,そうでもない島は名付けるのが大変でしょうね~
島の右のボートは私達の乗っているのと同タイプで,船室が1フロアのタイプだ.ここでは見えてないが中には2フロアタイプのボートも見かける.こうしたタイプは一つのフロアには幾つかの個室が備えられ,宿泊しながらのクルージングが楽しめるそうである.
船内で色々売り込みがあるのはベトナムでのお約束であろう.船内でランチを済ますと,この娘さんが絵葉書などを手に各テーブルを売り込みに廻り始めた.ただこの娘は至って押しが甘く,まだベトナム女性売り子序の口といった感じだ.なので,少しして幕内クラスのお姉さんが登場し,セールス法を伝授していた.
クルーズ船は船長以下,3人くらいの男性船員,多分調理や給仕担当の女性,この娘を加え2,3人で操業されている風だった.家族,あるいは一族であろうか?乗船/下船時以外男性船員は暇なので,2階操舵室で船長も含めてカードゲームに興じていた.おいおい大丈夫かいな?と思わないでもないが,凪だし,まあいいか.
下は,ハロン湾クルーズでの写真いろいろ
ハノイ編玉山祠の項でチャンフンダオ(Tran Hung Dao)将軍がモンゴル軍の第3回目襲来を撃破したことを記した.その中で,ここハロン湾で採った戦術がかなり大きな効果を得たと云うことだ.
それを図解すると,右の絵のような感じになりそうだ.比較的大きな船でモンゴル軍団船はハロン湾にやって来た.チャンフンダオ将軍の知恵で,湾の海底には予めベトナム軍の手で多量の杭を打ち込んでおいた.やがて干潮を迎えたとき,モンゴルの軍艦は水位が下がったために,打ち込まれた杭に引っかかって動きが封じられた.そこへ比較的小型船を操るベトナム軍船が自由に動き回り,モンゴル軍を壊滅させた.とまあ,こういうことらしい.
ハロン湾の自然現象を熟知していたベトナム軍に対し,中央アジアからヨーロッパにかけてまで制覇した流石のモンゴル軍も海に関しては若干慣れていなかったのかも知れない.
アジアの国ではしばしば見かけられると思うがここハロン湾にも幾つもの水上集落があり,生活が営まれている.多くは好んでこういった場所に住んでいるのではなく,経済的困窮などの理由でやむを得ずこうなったのではなかろうか.ただ家は,多摩川畔のダンボールハウスとかの趣きとはいささか異なり,しっかりした造りだ.また国旗も掲げられ,決して一時しのぎの仮住まいではなく恒久的住まいであることを窺わせている.
それに実際見た訳ではないが,集落によっては小学校1,2年生対象の学校まで設けているエリアもあるらしい.尤もそこでも3年生くらいからは陸上の学校となるので,親元を離れての生活になるらしいが.
私たちはこれら水上集落の中で,観光化された一つの家に立ち寄ることになった.ボートがエンジンを止めると,透かさず小舟が寄ってきて横付けし,『こんなものいかがでしょう?』と売り込んでくる.いや~この商売ッ気は大したもんだ.生活が掛かっているのであろうが大したバイタリティだ.
さて水上集落に上陸(?)した.ここのご家族は魚や貝の養殖,販売を生業としているそうだ.普通の魚などに加えてモンゴウイカやカブトガニが生簀にいてびっくりした.カブトガニは日本では古代生物,天然記念物的扱いの雰囲気だと思うがここでは食料とされていることに驚く.またそれとは別に,写真のように横のネットに貼り付いたカブトガニがその図体に比べて随分小さな挟み付き足で糸を掴みながら歩く様子を見てまた驚く.別に食べなくとも十分楽しませて貰った.ここの水上生活のお宅の売上には貢献できなかったのですみません.
いや~恐れ入ります.先程は泊まったボートに横付けした小型船がありました.今度は水上集落を訪ねている観光客目掛けてやはり小型船が寄って来ました.今回はフルーツ売りの女性です.すみません,間に合ってます,と今回も断らざるを得ないのだが....いや~この本気さには辟易しながらも,一方この逞しさにはやはり感心します.
下は,水上集落のいろいろな写真
ハロン湾の島には幾つもの鍾乳洞があるそうだ.島名不明ながら,写真のこの島だけで地図には3つもの鍾乳洞が載っている.岩肌にポッカリ空けた口は,中でも大きなスンソット洞窟と呼ばれているそうだ.
上陸し,少し階段を上り,スンソット洞窟に入った.写真左下の見物人と比べると洞の広々した様子が思い出される.スンソット(Sung Sot)とはベトナム語で『驚き』の意だそうだ.ここに最初に入った人がこの広さに驚いたのであろうか?
天地繋がった巨大な鍾乳石が林立するこの鍾乳洞であるが,今は既に成長が止まっているのだそうだ.侵食や成長を促す水分の供給が止まったということだろうか?
なかなか立派な鍾乳洞だが,同行者も感想を漏らしていた「少し照明がドギツイ」ようだ.
下は,スンソット洞窟の写真
スンソット洞窟出口で墨絵が売られていた.絵もさることながら興味深いのは作者のサインと落款印だ.両方共漢字ではなくアルファベットで綴られているようだ.ガイドCさん自身もそうらしいが,ベトナムの人は漢字で書くと苗字が1文字,ミドルネームが1文字,名前が1文字,合わせて3文字であることが多いそうだ.まその並び順は,姓 ― ミドルネーム ― 名だそうだ.例えばホーチミンは胡(Ho)―志(Chi)―明(Minh) だそうだ.なおCさん自身も自分の名を漢字で書いてみせてくれた.
でこの絵のサインと落款印,漢字風に模してあるがそれなりに味わいがあると思う.パチパチパチ!
墨絵が現実になった?とも言える光景だ.桟橋には洞窟見物に訪れたたくさんのボートが繋がれている.晴れていればもっと良いと思うが,墨絵的光景もまたいいのかも知れない.2月のこの季節はこうした霧が立ち込める天気が一般的らしい.
この洞窟近くにも水上集落が見えた.そこの住人であろうか,小舟を桟橋に寄せて生簀の魚や貝を観光客に,どうですか~と声を掛けている.観光客もさることながら,観光船が客に供するための食材として,ボートの調理担当者に多く売れるのかも知れない.
スンソット洞窟の島からほど近いティートップ島にやって来た.島の天辺は展望台になっていると云うことで400段の階段を登った.スンソット洞窟同様人気があるようで,階段は混み合っている.15分くらい歩いたであろうか,頂上の展望台に到着し,しばし周囲を眺めた.いい眺めだ.
階段を降り,海岸に出るとそこは割りと広い砂浜だった.石灰岩の島に砂浜の取り合わせはちょっと変わっているし,夏にはなかなかの人気で人で溢れるそうだ.
なおこのエリアは『ハロン湾』(Ha Long Bay)として1994年ユネスコ世界遺産(自然遺産)に登録されている.
ハロン湾観光を終え,バスで再びハノイへ向かった.長い行程で,途中また刺繍工房のあるショップに立ち寄った.なかなかいい作品も揃っている.
さてこれで殆ど終わった.後はハノイで水上人形劇の楽しみが待っている.