鳳凰古城Fenghuang

この鳳凰古城編では,2017年10/16(木)午後,バスで張家界市から鳳凰へ移動し,ホテルに着き,苗族料理を頂き休む.翌10/17(金)鳳凰古城(旧市街)へ行き,鳳凰広場辺りから,東正街辺り,沈従文博物館,東門城楼辺り,老菜街辺りを見物し,沱江跳石渡りを楽しみ,次いで小舟で沱江遊覧で下り,降りた対岸の左岸通りを歩き,また日が落ちてから鳳凰古城夜景見物に出たときの写真を載せました.


鳳凰古城付近のGoogleマップ

湖南省の鳳凰古城はマーカー9付近に位置している.

この辺一帯は湘西トゥチャ族ミャオ族自治州で,少数民族トゥチャ族(105万人)とミャオ族(86万人)が総人口の72.9%を占めるということだ.

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鳳凰へgo to Fenghuang

鳳凰へ向け山間の道を行く

鳳凰へ向け山間の道を行く

天門山麓のレストランで昼食の後,バスで鳳凰市に向かった.周囲は山ばかりだが,立派な高速道路が続く.山の中腹にはときどき段々畑や集落が見える.


鳳凰への途中,川の畔の村

川の畔の村

川が流れていた.山の麓の傾斜ある土地に村がある.湖南省は海から遠いので,こうした川は魚捕り或いは養殖に利用されているのではなかろうか.


高速道路のSAで休憩

高速道路のSAで休憩

鳳凰までは250km,4,5時間予定されている.ということで途中サービスエリアで休憩となった.日本のSAと同じように各種食べ物店やコンビニが揃っている.コンビニではドライフルーツのパックなど買ってみた.美味しい.


峡谷に架かる大橋

峡谷に架かる大橋

大分進んだ.高速道はますます山深く入る.そして峡谷に架かる大きな吊橋を通過した.またその先にはトンネルも設けられている.

『この橋が開通したお陰で少数民族の皆さんは非常に楽になりました』と,自身がトゥチャ族(土家族)のガイドZuさんが実感込めて話してくれた.橋がない時の峡谷越えは確かに大変でしょうね.


天下鳳凰大酒店に到着

天下鳳凰大酒店に到着

バスは天下鳳凰大酒店に到着した.まあ随分立派な名前のホテルだが,建て増しで大きくしたのか,建物に第xx館とかの名が振られている.


広くていい部屋だった

広くていい部屋だった

チェックインし,キーをもらって部屋に入る.広くていい部屋だと思う.


ホテルでミャオ族(苗族)料理Miao Cuisine at the hotel

ホテルレストランで苗族料理

ホテルレストランでミャオ族料理

部屋で一段落した後,ホテルレストランに降りた.今日はミャオ族料理ということになっている.

上述のようにこの辺一帯は湘西トゥチャ族ミャオ族自治州で,総人口ではトゥチャ族の割合が多いようだが,ここ鳳凰周辺だけ見るとミャオ族がかなり多いようである.


ミャオ族装束のウェイトレスも

ミャオ族装束のウェイトレスも

ホテルレストランではミャオ族衣装を着けたウェイトレスも仕事している.旅館で和服の中居さんのような感じかな.

ところでミャオ族は大変衣装に凝るそうだが,居住分布範囲が広く(ベトナムの方まで),居住エリアごとに異なる伝統デザインがあり,その違いはかなり大きいという.

ところでミャオ族はミャオ語を話し,中国では最も長い歴史を持つ民族の一つで,4000年前の史籍で『南蛮』と称されていた記録があるそうだ.ただ現代ミャオ族との連続性は確実とは言えないようだ.また統一の文字がなかったが,1956年に方言を含む表音文字を創出したということである.現在その文字は実際使われているのでしょうか....いや,最近はアルファベットによるミャオ語表記が用いられるらしい.それなら漢語のピンイン同様であろうか.

宗教はアニミズムでシャーマンが厄払いや病気治療を行い,牛を犠牲にし,食する祭りがあるそうだ.


これがそのミャオ族料理

これがそのミャオ族料理

写真上の鍋が,酸味のあるトマトスープに川魚を煮込むミャオ鍋料理『酸湯魚』だったか....他は一般的な中華料理かな......


ヘッドレストのあるバスタブ

ヘッドレストのあるバスタブ

食事が終わり部屋に戻り,風呂に入った.バスタブに,茶色の『へ』の字状断面のヘッドレストが付いていた.こんなの初めて見たが,単純ながら柔らかい素材で,吸盤で取り付けられ,実に快適に頭を置ける.感心した.


鳳凰古城へgo to the old town of Fenghuang

一夜明け,古城(旧市街)に向かう

一夜明け,鳳凰古城(旧市街)に向かう

新市街にある天下鳳凰大酒店で一夜明け,10/17(金)朝になった.それほど距離があるわけではないがバスで鳳凰古城(旧市街)に向かった.

新市街の通りはごく普通のアジアの街,中国の街の眺めだ.そして旧市街に入り,なぜが政府賓館の看板の架かる大きな建物前の駐車場に入った.政府とは鳳凰市のことでしょうか?


政府賓館前から古城内側へ

政府賓館前から古城内側へ

政府賓館前から古城内側へ歩き始めた.この辺りは傾斜地のようで階段を下る.周囲の建物やそれらの壁は新市街と違ってなにげに中華風香りが漂う.


路上で商う奥さん

路上で商う奥さん

左はアケビ,右はブドウではなく,さくらんぼ,でもなく....わからないが多分これらの果物を,山側の農地で朝採りし,天秤棒で背負ってここに運んだのでしょう.採れたてでいい品物だと思う.

ところで中国のサイトで見たのだが,鳳凰の石畳は若干青みを帯びた青石板がよく用いられると記され,言われればそのように見えるのだが....,そうでしょうか.なお青石板(ブルーストーンスラブ)はセリサイト(sericite:絹雲母)がベースで,亜塩素酸塩,石英,少量の黄鉄鉱および方解石など含むらしい.


牛肉粉の朝食中

牛肉粉の朝食中

傍らのレストラン『辺城牛肉粉館』で市民の皆さんが朝食中だ.当然『牛肉粉』であろうが,粉は米の麺,ベトナム辺りでフォーと称するものだと思う.

ところで辺城とは大辞林を見ると辺境を守る城で,この後見物する博物館の主,作家沈従文(しん じゅうぶん)の代表作小説タイトルだそうだ.まあ,このラーメン店は便乗商法ということになりましょうか.でも朝早くから客が多いですから,味はいいのでしょう.


鳳凰広場辺りaround the Fenghuang Plaza

鳳凰広場辺り

鳳凰広場に出る

駐車場から歩き鳳凰広場(別名従文広場,文化広場)に出た.街の名である大きな鳳凰像が丸い池の中に立っている.デジタル大辞泉を見ると,鳳凰とは古代中国で麟(りん),亀,竜とともに四瑞として尊ばれた想像上の霊鳥.体は,前が麟(りん),後ろは鹿(しか),頸(くび)は蛇,尾は魚,背は亀,あごは燕,くちばしは鶏に似るといわれる....と記されている.まあ,いろいろな生き物の合体か,とも思いたくなりますな~


阜城門(西門)

阜城門(西門)

鳳凰広場に面して阜城門(ふじょうもん),別名西門が建てられている.昔はここが市街(城)への西の入り口であったのでしょうね.2層目,3層目には回廊が巡らせてあり,監視できる造りになってますね.


鳳凰広場でミャオ族コスプレとカメラマン

ミャオ族コスプレとカメラマン

左はミャオ族コスプレのお客さん,右の菅笠おばさんは一眼レフを下げたカメラマン.コスプレ用貸衣装屋を兼ねている場合もあるし,衣装は別の業者に任せ,専ら撮影に専念するタイプがあるそうです.現在撮影の最適ポーズを指導中だ.

ミャオ族は特に鳳凰周辺に多く居住し,その伝統衣装の華やかさで知られる(場所にもよるそうだが).家庭で女の子が生まれると直ちにその子の銀の頭飾りのための貯蓄を始めるという.気合が入ってますね.銀(Ag)の原子番号は47で質量は大きい.写真のような頭飾りは3,4kgになり,ネックレスなど加えフル装備すると10kgとかになることもあるそうだ.そうなると殆ど鎧並みですな~


阜城門先の小さな流れ

阜城門先の小さな流れ

川の名前は失念したが,阜城門先の通りに沿って流れている.旧市街のお堀の一つとして機能したのであろう.自然の川か,掘られたものか聞き漏らしたが.


東正街辺りtosei Avenue

鳳凰城のモニュメント

鳳凰城のモニュメント

阜城門から北に少し行くと鳳凰城と記されたモニュメントがあった.石を漆喰で固め,反った瓦屋根の先端に渦巻き模様の鳳凰の顔(かな?)を載せた鳳凰古城スタイルだ.

また鳳凰城の文字の右下には揮毫した朱鎔基の名と記した辛巳春の干支(2001年かな)が見える.朱鎔基氏は江沢民時代(1993年ー2003年)の首相だ.

また左側にいる笠の女性たちは写真屋さん(カメラマン)で,写真を撮り,販売している.でも大勢いて競合激しそう.


鳳凰城のモニュメントから反対側を望む

鳳凰城のモニュメントから反対側を望む

上記モニュメントから反対側を向くとこんな風に見える.ちょうど角の建物が,土地に合わせて丸い輪郭,丸い屋根になっている.この辺りでは風変わりなデザインだ.


三連提灯と石畳の通りと多重の塔

三連提灯と石畳の通りと多重の塔

鳳凰城のモニュメント手前には三連提灯と石畳の商店街が通っている.古城のメインストリート東正街だ.そしてその先の山上には多重の塔が見えている.お寺でしょうか.


東正街の古城博物館前

古城博物館前

入らなかったが古城博物館があった.石積みの壁やうだつ,瓦屋根がいい感じだ.左寄りの小窓カウンターがチケット売り場になっている.


天秤で魚を売り歩く女性

天秤で魚を売り歩く女性

東正街で天秤両端籠に魚を入れ,売り歩く女性がいた.魚は鮮魚であるから当然沱江等で捕れる川魚であろう.女性ながら一心太助を彷彿させる.普通の洋服なので漢族の人でしょうか.


鳳凰農村商業銀行

鳳凰農村商業銀行

東正街の鳳凰農村商業銀行前だ.英語名Fenghuang Rural Commercial Bankが振られているがRuralだといかにも『農村』よりも『田舎じみた』的印象を受けるのだが....私だけかな...


ミャオ族年配女性の装束

ミャオ族年配女性の装束

前向きと後ろ向き,二人のミャオ族女性の姿が見える.色柄刺繍の入った紺の上下服はミャオ族年配女性共通の装いのように見える.

それに,(細い)線のストライプ模様のターバンを巻いているのも共通だ.このエリアの既婚女性はターバンを巻いて,髪の毛を見せてはいけない.....という掟があるとか,本当かどうか未確認ながら年配女性は概ねそうした被り物をしている.ホントならイスラムの掟と同じだが...


東正街の中国国旗を掲げた冷麺のお店

中国国旗を掲げた冷麺のお店

珍しく中国国旗を掲げたお店があった.ポスターをみると涼粉とあるからミャオ式冷麺(米麺の),冷やしフォーのお店のようだ.他のメニューももちろんあろうが.


ミャオスナック店

ミャオスナック店

多分米粉のヌードル,串刺しヤキトリなどが並んでいる.それとやはり臭豆腐のポスターがあるのでそれも揃えてあるようだ.


手造りトウモロコシ粉店

手造りトウモロコシ粉店

石摩相思条の意味はよく判らないが,右側の石臼で,たくさん壁に架かるトウモロコシを製粉するのだと思われる.石臼は相当大きいのでかなり腕力がないと回りそうもない.

右上看板『純手工涼粉』は純手製ゼリーのようで,石臼製粉の応用商品であろうか.

また手前皿にはナッツ類も並んでいるから,これらも粉にするのだろう.なおナッツ粉を固めたおこし状クッキーもまた当地名産なのだ.


ミャオ族男性が天秤棒で行く

ミャオ族男性が天秤棒で行く

ミャオ族男性が天秤棒で担いで行く.さて天秤棒両サイドのバスケットの中身は果物でしょうか.ミャオ族若い女性はとても華やかな衣装であるが,男性は上下衣服,帽子モノカラーでとてもシック,いや地味だ.


天然朱砂専売店

天然朱砂専売店

天然朱砂専売店の看板が見える.現物の朱砂は写ってないが....鈍い赤みを帯びた石だ.大辞林で見ると辰砂(しんさ)とも称するようで,水銀の硫化鉱物,六方晶系結晶片は鮮紅色でダイヤモンド光沢がある.多くは塊状または土状で赤褐色.低温熱水鉱床中に産し,水銀の原料,また朱色の顔料として古くから用いられてきた.有毒,と述べられている.

私がここあたりで見たものは,六方晶系『鮮紅色でダイヤモンド光沢』のものは見えず,殆ど赤褐色だった.ネックレスなど各種アクセサリーが販売されているが,水銀の硫化鉱物というところが他人事ながら気になる.


沈従文記念館Shen Congwen museum

沈従文記念館前は傘がいっぱい

沈従文記念館前は傘がいっぱい

沈従文記念館前の通りは傘がいっぱいで,楽しい.傘は逆さだ.雨の多い地方だけに,ここに雨が溜まっった水がどば~っと落ちてくことがないのかな~でもどうやら普通の傘のように湾曲凹面がなく,それに水抜きも設けてあるのだろう.


沈従文記念館入り口

沈従文記念館入り口

沈従文氏はここ鳳凰出身で1930年代を代表する文豪だったそうだ.そしてここに同氏縁の品々を集めた記念館があった.私はよく,いや全くわからないまま,皆に連れられて中に入った.


沈従文記念館

沈従文記念館の肖像画や書

ここは沈従文記念館の一室で,肖像画や像,書など展示されていた.他の部屋には机やベッドなど調度品,原稿や出版された書籍等多く並んでいた.

氏の父親は漢族軍人,母はトゥチャ族,父方の祖母はミャオ族で,代表作である前述の小説『辺城』はこうした土地や民族の諸要素を織り込んだ作品だそうだ.


沈従文記念館の楽器屋さん

沈従文記念館の楽器屋さん

沈従文記念館の傍に楽器屋さんがあった.主商品は瓢箪型リード部のある縦笛で,ターバンのミャオ族おばさんが実演販売している.コブ付き笛とターバン姿からインドのヘビ使いを思い出してしまった.すみません,でもそっくりです.


東門城楼辺りeast Gate

東門城楼辺り

東門城楼に上る

鳳凰古城は,明代に五寨長官司を始設し,清が領域内の鳳凰山から名を得て鳳凰県庁を置いたそうだ.そうか鳳凰という大層な名は山が最初にあったのですね.少し納得した.

で,城(市)には城門がある訳で,東門城楼は古城内にある6つの門,南華門,北門,阜城門,南門,東関門それにこの東門の中で一番東に位置するそうだ.写真のように赤レンガのアーチ型基礎の上に回廊付き2層建屋が載っている.

鳳凰古城建設当初の明代では土造りで,1556年(明朝嘉靖期)煉瓦造りに改修され,1715年(清朝康熙期)に現在の石造りに改修され,強化されたということだ.


東門城楼の大砲

東門城楼の大砲

古城の外側(沱江の側)銃眼には大砲が数門据えてあった.他にも刀剣類などの武器,また鎌,鍬や鋤といった当時の古い農具なども展示されていた.


東門城楼から眺めたうだつ群

東門城楼から眺めたうだつ群

東門城楼から奥側に並ぶ建物を眺めると,うだつが群を成してきれいに見えた.うだつ壁は石(若しくは黒レンガ)を漆喰で固め,その上辺は瓦で覆われ,先端が鳳凰の頭をデザインしたような形で装飾されている.

うだつは延焼防止が主機能であろうが,財を成した証の誇示として役目もあるそうだ.日本の,うだつが上がらない,と同じ範疇の言葉遣い,いや元々中国から日本に伝えられたのであろうが.


東門城楼近くの『苗嶺老湯黄牛肉烤館』かな?

東門城楼近くの『苗嶺老湯黄牛肉烤館』かな?

東門城楼近くにあった『苗嶺老湯黄牛肉烤館』かな,と思われる(自信ないが一応)レストランがあった.漢字がこれでいいなら,ミャオスタイル炙った牛肉料理か....

通りに面したアイスケースには古法老酸奶と書いてあるが,これは伝統的ヨーグルトとかであろうか.解らない漢字を無理やり解釈してみるのも中国旅行の味わい,としておこう.


老菜街辺りlaocai Street

東門城楼から望む老菜街

東門城楼から望む老菜街

沱江右岸に沿い,東門城楼と北門城楼とを繋ぐ街路で,沱江との間にはレンガの城壁が築かれている.つまり,古城内側は沱江という天然の堀と人工城壁二重で防護されていたわけだ.当時の敵は誰だったのでしょうか?明朝,清朝からすると,現在この辺りに多いトゥチャ族(土家族),ミャオ族(苗族)といった少数民族になるのでしょうか....

老菜街沿いには東正街などと同様,生姜飴など各種食品店,銀製品や朱砂アクセサリーなどのお土産店が立ち並び,観光客の姿が多い.


ミャオ族の写真モデルか客引きか

ミャオ族の写真モデルか客引きか

東門城楼近くで見掛けたミャオ族装束の娘さん.きれいな刺繍が施された晴れ着のように見える.写真撮影のモデルか(それなら撮したのごめん),それともお店の客引きかな.

この女性の頭に銀のかんざしが見えているが,こうした銀のアクセサリーを販売しているお店はこの老菜街にも多数ある.銀製品はとてもきれいだが放って置くと黒くなり易いので,手入れも怠れないではあろう.


北門城楼から望む老菜街

北門城楼から望む老菜街

一つ上の写真と同じ老菜街を,反対側の北門城楼から眺めた景色.道脇城壁の家並みのさらに左手に沱江の流れがある.

歩いている路面は中心の線の右が老菜街の通り,左が城壁上の通りで,城壁の高さ分(2~3mかな)高くなっている.


北門城楼

北門城楼

ここも東門と同じように,赤レンガアーチ型基礎の上に回廊付き2層建屋が載っった構造だ.このアーチを潜り,向こうに抜けると沱江の跳石渡りの場に行くことができる.

門の前では地元の農家の人が直売果実を並べていた.


老菜街のハンコ屋さん

老菜街のハンコ屋さん

金石篆刻3分仕上げのハンコ屋さんだ.いや~速いですね.右脇の壁に見本の印影が幾つか掲げてあり,斉白石先生の作品もあった.

ここも看板は漢語,英語,韓国語で,やはり韓国のお客さんは多そうだ.


老菜街の横丁

老菜街の横丁

細い通りなので横丁としておこう.でも石畳の歩道や立派なうだつのある建物など,老菜街やメインの東正街と同様ですね.完全に観光で成り立っている街の雰囲気だ.


二人の天秤行商男性

二人の天秤行商男性

天秤の両端バスケットには各種野菜や果物を入れている.多分一人ではカバーできない多種品々で,二人ペアを組み,あっ,その果物は扱ってないです,といった場面をなくし,客の要望に応えるためであろうか.顧客第一ですね.

なお菅笠(のような笠)はなかなか凝った模様が施され,空気抜きのメッシュが設けられている.


さらに老菜街の横丁

さらに老菜街の横丁

こちらもまた別の横丁.シンプルな壁間に傘が続く眺めがまた素晴らしい.

全然シーンが異なるものの,傘というキーワードのせいかシェルブールの雨傘の出だし画面が思い浮かぶ.


沱江(だこう)渡りcross the Tuo river

北門城楼辺りから沱江

北門城楼辺りから沱江

北門城楼辺りから沱江と対岸を望むとこんな風に見える.沱江と同名の川は合わせて3本もあり,ここの川は湘西沱江と呼ばれ,他と区別されるようだ.洞庭湖の西に入る沅水の支流となるという.水の色は濃いエメラルドグリーンだ.

その沱江は左から右に流れ,これまで専ら右岸側の街を歩いたわけだ.中ほど手前が跳石渡りの跳石,その左が板橋である.


跳石渡り

跳石渡り

跳石は建設が簡単で,洪水でも水下に隠れるだけで壊れることがないので,橋建築が難しかった昔から備えられていたそうだ.

さてそこを歩くのも鳳凰観光の一つの楽しみで,左岸側に渡ってみる.跳石は2列あるので双方向同時通行が可能だ.


左岸も撮影モデル,貸衣装屋さん,写真屋さんがいっぱい

左岸も撮影モデル,貸衣装屋さん,写真屋さんがいっぱい

左岸にも撮影モデル(右の男女),貸衣装屋さん,写真屋さん(左の笠女性)が待機している.衣装を借りてコスプレ,或いはモデルさんと一緒に撮影する人が結構見える.銀塩写真の時代からこうした商売があり,出来上がった写真をホテルに届けたりしたものだが,デジカメに代わり,近くのプリンタで直ぐ出力できるので商売し易くなったと思う.


板橋から眺めた雪橋と南華大橋

板橋から眺めた雪橋と南華大橋

跳石で渡った右岸から,今度は板橋で戻ってみた.途中川の真ん中で上流を望み,次の橋である雪橋と,その先の南華大橋を写してみた.重なって映すと絵的には何らいいところがないことが判った.

ところで雪橋は比較的最近2012年暮れ頃できたそうで,ちょっと前の地図には載っておらず,あら?と思うことがあった.


沱江遊覧Tuo river Cruise

小舟に乗る

小舟に乗る

再び右岸に戻ると,沱江何じゃら波止場的名称の沱江遊覧小舟乗り場に入った.そして幾らか待って乗り込んだ.


遊覧船は沱江を下る

遊覧船は沱江を下る

小舟は一艘10人位乗りであったか,船頭さんは長い竿一本で操り静かに下った.

川辺には3,4階建くらいの建物がびっしり連なっている.そして尽く沱江に面してバルコニーが設けられ,ハンギングチェアが吊ってある.

こうした建物の部屋の多くは民宿,ゲストハウスとして営業しているという.これだけあれば観光客も多い筈ですね.ただ外国人はこうした宿に泊まるのはちょっとだめらしい.中国の宿泊施設に泊まるには身分証明書の提示が求められるが,自国のIDであればOKだが,他国のパスポートでは許可されないらしい.いろいろセキュリティや機密漏洩防止上の制度なのでしょうか.


沱江でお洗濯

沱江でお洗濯

沱江でお洗濯の人がいた.手で洗うのは大変だと思うが,やはり気合を入れてやるときは洗濯機では頼りないのであろうか.なお洗剤の沱江への流れ込みは排水路の仕組みがわからないが,ここで手洗いでなくとも結構あるかも知れないですね.

なお背景の水車は多分実用ではなく,観光用ディスプレイではないでしょうか.


虹橋を潜る

虹橋を潜る

さて小舟は虹橋に差し掛かってきた.虹橋は二階建て屋根付き橋で一階部分が通り,二階部分はショッピングアーケードになっているらしい.

さて注目すべきは,虹橋右手の水上で多数の杭で支えられた建物群で,吊脚楼と(ちょうきゃくろう)呼ばれる建築様式だそうだ.2つ上写真の民宿ハウス群も同様な工法なのだが,この虹橋前の建物の杭がより多数で分かり易い.

川辺に建築可能とする工法として採られてきたのであろうが,甚だ興味深い.


沱江左岸渡し場に到着

沱江左岸渡し場に到着

船頭さんの上手い手捌きで沱江左岸渡し場に到着した.ミャオ族装束の数人が何やら舞か何かをみせているが....

それはそれとしてこの辺りで上陸した.


万名塔

万名塔

上陸した岸辺には万名塔と呼ばれる7層で高さ21mの塔が建てられていた.沱江の水害を防ぐ祈願のため,多数,つまり万名の人々から募ったお金で完成したのが名の由来だそうだ.高いが石造りのしっかりした構造に見える.


沱江左岸通りthe left bank of Tuo river

硯カフェ

硯カフェ

左岸に着くと,ここから上流に向かって歩いてみた.最初にInkstone Coffeeとの看板のお店が見えた.そして脇に『硯』の篆書が添えてある.な~るほど,硯はInkstoneか,中国語は名詞に関しては割りと分かり易い.


沱江で釣り

沱江で釣り

停泊中の小さな屋形舟から釣り糸を垂れている人が見えた.今日はお客さんが少ないか,或いは休業日なのであろう.見ている時間が短か過ぎたのか,この間竿は微動打にしなかったが,まあ釣りとはそうしたものであろう.


沱江左岸通りを行く籠を背負う人

沱江左岸通りを行く籠を背負う人

さて沱江左岸通りを下って行くと,二人の女性が籠を背負い足早に先を進んだ.この辺りは車の入れない狭い道がまだ多く,荷物を背負って運ぶ必要があるのだろう.

道脇の小川は排水路であろうか,そうであれば沱江に流れ込むな,きっと.


沱江左岸通りお土産店の母娘

お土産店の母娘

お茶などのお土産店があった.さして忙しくはない,いやむしろ暇か,お店番の母娘はスマホで楽しんでいる.スマホはどこでも暇つぶしに重宝するという見本かな.


沱江左岸通りの原始人酒吧

原始人酒吧

原始人酒吧なるお店があった.よく判らないが名前がおもしろい.酒吧は飲み屋,居酒屋の意味合いみたいだが,原始人とは何だろう?


沱江左岸通りで手編み上履き販売の女性

手編み上履き販売の女性

左岸通り脇で手編み上履きを作りながら販売する女性,装束から多分ミャオ族でしょうか.ご自身のお孫さん用スリッパのような可愛い感じの品々を並べている.

ところで背景のレンガ積みであるが,ここに限らず鳳凰のレンガ積みは単純に半ブロックづつずらして積み上げる一般的な方式ではなく,薄いのと厚いのを一部ランダムに積み上げているようだ.理由は判らないが.


沱江左岸通りの酒屋さん

沱江左岸通りの酒屋さん

左岸通りに酒屋さんがあった.酒瓶や瓢箪に入った酒で,本格的な感じのする酒だ.中身は老酒とか....であろうか.

ところでスーパーとかコンビニとかでなく,お酒専門店として営業しているところが凄いですね.


沱江左岸通りの土地料理食材店

土地料理食材店

沱江小魚などとあるので土地料理食材店のようなものではなかろうか.

ただこの辺りどこでも見かける臭豆腐ですが長沙経典臭豆腐となっている.長沙の仏教寺院特性の豆腐,言わば高野豆腐の長沙板....でも違うようです.ここでの経典はクラシカルとか,正当な,とかの意味らしい.まあ,大したことを言っている訳ではなさそうだ.


鳳凰古城夜景Fenghuang night view

夜になり再び鳳凰古城に出掛ける

夜になり再び鳳凰古城に出掛ける

私は昼間の鳳凰古城見物を速く切り上げ,ホテルで休んでいたのだが,日が暮れて,もちろんまた皆さんと一緒に夜景見物に出掛けることにした.

バスではなく歩いて古城まで行くのだが,玄関を出て振り返ると天下鳳凰大酒店の明かりが華々しく灯っていた.


ミニ4輪スクーター

ミニ4輪スクーター

暫く歩き古城に近づいてきた.そして歩道には写真のような多分電動であろうが,ミニ4輪車が2,3台停車していた.ドミノピザの配達スクーターを2台並列に置いて,接着したようなものではなかろうか.中国でははるか昔からエンジン付きバイクではなく電動スクーターが走っていた実績があるので,ミニ4輪でも先駆けするのではなかろうか.


鳳凰古城南華門

鳳凰古城南華門

そして鳳凰古城南華門に到着した.南華門は南華大橋の入り口でもあり,古城を南側から見下ろすにいい場所なのだ.

南華門は昼間通った阜城門(西門),東門城楼,北門城楼とかと違ってゲート部分は広く2車線分の幅がある.多分近年車の時代以降に建設された,若しくは改築されたのであろう.


南華大橋から眺めた沱江上流側

南華大橋から眺めた沱江上流側

南華門から南華大橋に進み,昼間訪れることのなかった沱江上流側を眺めてみた.建物のライトアップに加え,沱江に架かる橋や,流れ落ちる堰の様子がなかなか見事だ.


鳳凰古城堰近くをズームアップ

堰近くをズームアップ

上写真の堰の辺りをズームアップしてみた.堰の上流水面が静かで,脇の建物をミラーの如く映しているのがいい.

そして堰の下では,落差で位置水頭が速度エネルギーに変換された水力で廻る水車も見える.面白い.


南華大橋から眺めた鳳凰古城側

南華大橋から眺めた鳳凰古城側

次に南華大橋から古城側を眺めてみた.中央の沱江に架かる手前の橋は比較的最近竣工したという雪橋だ.そして最初歩いた古城のメインが右に,沱江下りの後歩いた左岸側光景が左に見える.


鳳凰古城夜景雪橋先をズームアップ

雪橋先をズームアップ

雪橋を寄せてみると,山形の上側橋梁の上に二層の建物が鎮座している.そしてその二層建屋の下に見える青い線は,雪橋奥の板橋のようである.

雪橋のず~っと向こうに見える大きな建物の載ったアーチは虹橋であろう.

鳳凰古城夜景は色温度の低いライティングが主で,けばけばしさがなく,それでいてすばらしい.またこれまでいつも雨(っぽい印象)だったが,このときは殆ど降らず幸いだった.

見物が終わると南華門からタクシーで天下鳳凰大酒店に戻った.さて明日は南方長城見物だな~


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