この南方長城編では,2017年10/18(土)朝,帝盛酒店からバスで南方長城へ行き,長城の階段や壁上を歩く,そしてまたバスに乗ると懐化の街に入り昼食をとり,懐化高鉄駅へ行き武漢行き列車に乗り込むときの写真を載せました.
南方長城はマーカー10辺りに位置している.
別窓で大きなGoogleマップを開く天下鳳凰大酒店で2日目の朝が来て,朝食後バスに乗り込んだ.あいにくというか,やはりというか,雨の中南方長城に向け出発した.
目指す南方長城は,行政的には湖南省湘西トゥチャ族ミャオ族自治州鳳凰県(日本の市相当)に属する,つまり鳳凰市内であるわけだ.
この自治州は山がちな地形が多いが,幾らか平地があると米や野菜が作られているようだ.広い平野は漢族が占め,少数民族は辺疆の地に,という図式だ.
バスは『南方長城旅客服務中心』に到着した.広い駐車場を備えている.服務センターは大きな建物だがあまり人気が感じられない....でもお手洗いはちゃんと開いていた.
殆どが鳳凰県域内にあり総延長191kmあるという南方長城(図で灰色の城壁)の中で,この近くのほんの一部(黒い城壁)を遊覧区域として表示しているようだ.
私たちは今マップ底辺の駐車場にいて,階段を上り門を越えて城壁で囲まれた楕円の内側まで歩く.そして45度の方向に走る黒い城壁を右上方向に上り,ここを進んで,また左に(下側に)折れ,そのまま下降し,元の広場左辺に戻ることになる.
服務センター前から先ずは入場ゲートへ行き,通過する.南方長城のあちこちには関所とか門とか設けられ,多分ここもそんな門跡の一つか,厳しく通行をチェックされたそうだ.今はこうしてチケット(パスポートもだったか)一枚で通過できる.
入場ゲートから次は,写真上部に見える広場入口の東門(East gate)を目指し100段くらいという階段を上る.階段も脇の庭木もよく整備されている.
東門を抜けるとそこは広場になっていた.そして写真左に見える建物跡,金勝営(Barracks)と呼ばれる駐屯地が置かれていたようだった.
広場にはバカでかい将棋盤,3つ上のマップで,私には漢字読めない,KYではっきりとはしないが,マス目が少ないので多分囲碁盤ではなく将棋盤.
その盤の何やら武術人形が並んだ辺りは,同じマップを見ると商店があったようだ.当時駐屯兵士の生活を支えたのであろう.
広場から北の山を望むと,上方に凹凸ある城壁が見える.さて次はあそこを目指して上る.
ところでこの南方長城であるが,明代になり間もなく,漢族中央政府は各地に派兵し,この辺り西南地方の少数民族も一応平定した.ただ反政府的敵対者もかなりいたわけで,1554年,ミャオ(苗)族の中で朝廷統治に服従する人たち,従わない人たちに区別し,非服状側と,服従ミャオ族を含む漢族の居住区を物理的に分離すべく,ここ湖南省西部山地に長城を建設し始め,明代1623年に完成させたということだ.
また後に満人が政権を握り,清(11644〜1911年)となった時代でも同じような分離,防衛行政が継続されたということだ.
ということは現在の鳳凰古城ミャオ族住民の多くは朝廷統治に服従した人たち,漢族サイドの人の末裔ということになるのでしょうか.
南方長城ハイクは時計廻りと反時計廻りの2ルートがあり,私は楽そうな前者ルートで行くことにした.それには東門脇の階段から上り始めることになる.
さて最初は東門脇から始まる東城壁階段を上った.トレイルは全てきれいに整備された石の階段で,傷んだ箇所は近年補修されたのではなかろうか.
そしてある程度高い位置に至ると広場南側の駐屯兵舎,金勝営跡がよく見えた.
さて途中で北城壁に折れ,全体の半分くらい上ったか,439段目に来ると2門の大砲を据えた砲台があった.
なお砲台は全長城に渡り,一定距離ごと据えられ,また3km~5kmおきに関所,上述の金勝営のような兵営,前哨詰め所が設けられていたという.
上り階段は続いた.雨なので普通の山道なら大変だが,写真のようにきれいな階段なのでとても助かる.とにかく北京の長城トレイルなどに較べて全くきれいで,ある意味作り物的物足りなさも感じられる.贅沢だ.
716段目の標識があった.この辺りが殆ど頂上のようである.
私たちはちょこっと歩くだけだが,こんな城を191kmも建設した中国人はやはり尋常ではないな~
頂上近くに東屋と居住用と思しき家屋があった.東屋(にしては大きいか)では男性が体操していた.後ろの家屋で暮らす管理人でしょうか.
頂上からは西の階段に折れ,ひたすら下った.この西城壁はかなり急坂ではないかと感じられた.途中でここを上ってくるツアーメンバーの男性とすれ違った.上りはもっと急に感じられるのではなかろうか.
そして広場西の外れに降り,南方長城ハイク完了.
南方長城観光が終わり,バスで写真のトールゲートを通過し懐化市に向かった.
バスは懐化市に入った.バカ高いビルが建ち並んでいる.中国の都市はどこもすごい.
毛家飯店の看板が掛かるレストランでランチを頂いた.例によってご当地メニューだったが,まあそれまで食べていたものと大きな違いはなく,美味しかったと思う.
それより注目すべきは『毛家』の名であろう.
レストラン(ホテル)の一画にこの毛沢東元首席の金の像が祀ってあった.お銚子が添えられ,線香が焚かれ,しかもお賽銭箱も置かれている.
さて『毛家』であるが,毛家飯店オーナーは毛沢東氏の親族若しくは一族なのであろう.毛沢東氏はここ懐化市より長沙市に近いが,同じ湖南省の生まれ育ちで,縁者は省内に多いのではないでしょうか.
毛家飯店で昼食後,バスで懐化南高鉄駅に到着した.ここから高鉄で武漢に向かう予定だ.
高鉄で武漢に行くとき,及び武漢での写真は別ページ懐化から武漢駅をクリック.