杭州Hangzhou

江南の地図

杭州は浙江省の省都,銭塘江の河口付近,西湖湖畔に位置している.市街区人口は393万人,郊外含め642万人というから相当大きい都市だ.中国七大古都の一つで,4700年前の新石器時代から人類が生活し,中国文明の発祥地の一つだという.紀元前222年の秦の時代に県を設けられ,950年頃の呉越国,および1130年頃南宋時代の都となったこともあるそうだ.

杭州は世界180カ国と貿易関係を持ち,目本は杭州の二番目の貿易先,また杭州市には外国投資企業は6120社に上り,日本からは例えば東芝,松下,三菱などの大手企業が杭州に直接投資しているそうだ.

杭州近郷Suburbs of Hangzhou

豚の搬送

豚の搬送

南京から杭州に向かう途中の休憩所で見かけた光景.豚を満載し,消費地に運ぶ途中であろう,柵から脚が出たためかドライバーが内側に押し込んでいる場面だ.今年は亥の年,日本では猪,中国では豚だそうだ.そんな折角の豚の年に拘わらずこれから食用に供されるのだ.


杭州郊外の農家

郊外の農家

パゴダ風の立派な住宅は郊外農家の住宅.典型的には,4階建てくらいで,1~2フロアは家族の居室,1フロアは家内工業用や倉庫,1フロアは地方からの出稼ぎ者用に賃貸アパート,などに用いているそうである.前述のごとく,杭州市への外国投資企業は著しく多く,当然国内企業もたくさん集まっていて,農家の人は殆どそういった企業に勤めているのだそうだ.それで皆収入が良く,リッチで,競って立派な家を建設しているのだという.それでも企業では人材が足りず,地方から出稼ぎ労働者を募り,また勤めることになった農家自身も農業維持のための人手が不足し,そんな状況でゴージャスな住宅建設は,アパートへの投資と収益,近隣への見栄....と一石二鳥の効果があるそうである.

杭州に限定されないが,これまで廻った江南の全てのエリア,これから行く先にも,屋根にはテレビのアンテナ,八木宇多アンテナもパラボラも一切ない.藩さんに訊くと,テレビ放送は全て有線に切り替わったのだそうで,中国全土,よほど山奥にでも行かない限りアンテナは見られないという.尤もNHKやCNNなどを直接キャッチするためにパラボラアンテナを使っているケースはあるようであるが.


下は,杭州近郷風景

杭州近郷風景
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六和塔Liuhe Pagoda(Six Harmonies Pagoda)

六和塔前景

六和塔前景

銭塘江の辺に建っていた.ここに都を置いた呉越国皇帝は仏教の信者で,970年にこの六和塔を建立したそうである.銭塘江の高潮を鎮め,また灯台の役目があったそうな.

六和塔の前庭に白い六和の石像と,そのいわれについて記した六和鎮江の碑が建っている.六和石像は芸術大学の著名な作家の作であると説明を受けたが,名前は思い出せない.

伝説によれば,昔,銭塘江にとても凶暴な龍王がいた.しばしば風を吹かせ,高波を立てて漁船を翻弄し,家や田畑を水没させた.六和という少年(少女?)の漁師である父親も波にさらわれて死亡,母親は連れ去られてしまった.六和は大いに悲しみ,怒りに満ち,連日川に石を投げ込みようやく川を鎮めた.さらに龍王の宮殿を激しくゆさぶり続けたところ,やがて龍王は降伏し,許しを請い,金銀財宝を六和に差出し,和解せんと試みた.だが六和はこれを許さず,母親を帰すこと,および人々に害を及ぼさないこと,を要求した.龍王はついに完全に降伏し,要求に応じた.以来,銭塘江は再び溢れることは無くなり,人々は安心して生活をおくることができるようになった.人々は六和に感謝し,彼が積み上げた石の小山に塔を建てた.これが六和塔であるそうな.

六和石像には,この怒りに満ちた六和の顔が判りやすく表現されている.

銭塘江

銭塘江

六和塔螺施階段で最上階まで上がることができる.確か10元の入場料だったか?上方の回廊からは銭塘江の雄大な流れを一望することができる.銭塘江の対岸辺りはオフィス街のようだ.

銭塘江は浙江とも称され,浙江省で一番長い川で,全長605km,源は安徽省の山脈に源を発するそうだ.銭塘江は杭州の入り江付近で急に広がり,ラッパ状の形をしているそうだ.この特殊な地形に太陽,月の引力が作用し,「銭塘江の逆流」になるそうだ.毎年旧暦に従う数日に逆流が見られるそうで,特に「8月18日の潮,その壮観天下に無し」といわれる時や,中秋の頃に満ち潮は見事で,見物人が大挙して堤防に並ぶそうである.ちょっとした津波のような光景らしい.


下は,六和塔の写真あれこれ

六和塔の写真
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西冷印社Xileng Seal-Engravers’s Society

西冷印社入り口門

西冷印社入り口門

西冷印社は西湖湖畔にあった.金石印材の保存,篆刻の研究を目的として成立した日本でもよく知られた学術団体だ.名前は,西側の西冷橋(見てはいないが)に由来するそうで,傍には大きなレストラン楼外楼が並んでいる.彫るにせよ,鋳るにせよ,従来印は職人の仕事だったものを,やがて元,明以降は文人が手を染めるようになったそうだ.特に浙江省の金石篆刻芸術は18世紀,清の乾隆帝時代に全盛期を迎え,「浙派」と呼ばれるようになった.当時著名な杭州の篆刻家数名が現西冷印社の付近に土地を購入し,楼閣や亭などを建て,西冷印社の基礎を築いたそうで,後に紹興の趙之謙,安吉の呉昌碩らが加わり1913年に呉昌碩先生を社長とする「西冷印社」として正式に発足したようである.これは中国国内はもとより,日本の有名な篆刻家河井仙郎ら,はるか海外からの入会申し込みも来たほどの反響を呼んだそうだ.現在西冷印社の社員は国内外含めて300人近くの篆刻家がいるという.所定レベルを維持するため,欠員が出ない限り新規社員の入会は認められないそうである.

西冷印社の庭園

印社内庭園

印社内の園林,建築はいずれも自然の地形を利用して作られている.堂や閣,楼,塔などのいろいろ建ち並び,書や石碑,篆刻作品が掲げられている.

園内の一角には作品や書道や篆刻の用品を販売している一画があった.西冷印社ブランドの篆刻用品は東京でも数店で販売されているが,例えば印泥(朱肉)のいい色の10両装ではやはり2万円以上と決して安くはなく,東京で買うのと同じように高価であった.

印影と側款の見本

印影と側款の見本

ある建物の外壁には,篆刻作品印影と側款拓本の拡大印刷されたものが展示されていた.写真,右の白文は筆者の最も好きな斉白石先生の「魯班門下」だ.その左の朱文はガラスの反射でよく見えないが趙石の「天下為公」,下の白文は橋大壮の「物外真遊」のようである

ここで作品を眺めていたら,たまたまここを通った男性が印譜集を取り出して,ページ毎に中国語で解説してくれた.中国語で全く言葉が理解できなかったが,作品が鑑賞できてよかった.この方も,自作品を見ず知らずの外国人に見せて,解説することができてそれなりに満足そうであった.しかして互いに謝々を交わして立ち去ったのであった.


下は,西冷印社の写真あれこれ

西冷印社の写真
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西湖Xi Lake

三潭印月

三潭印月(Santanyinyue)

杭州市西郊にあることから西湖と呼ばれたそうだ.三面は山に囲まれ,一面だけ市内に面している.南北3.3km,東西2.8km,外周15kmで琵琶湖の約100分の1くらいの大きさになるという.

南側の湖中に明代に建造されたとういう写真に見える2mほどの石塔3基が浮かんでいる.石塔の洞に薄い紙を張って灯をともすと,漏れる灯光が小さな月のように見えて,空のリアルな月とあい照らす,ということらしい.この三潭印月は10元(だったか?)紙幣に印刷されている.

浅い西湖の結構大きな遊覧船

浅い西湖

西湖は,平均水深は1.8m,最も深いところでも2.8mしかなく,とても浅いそうだ.一万年余り前に形成された干潟で,最初は淡水化していなかったと考えられるそうだ.それなりに大きい湖だし,結構大きな遊覧船でクルーズしている分にはそんなに浅いようにはとても見えないが,.....きっと船底は弁当箱のように真平らなのであろう.

西湖はまた鎮江/金山寺に記したように白蛇伝のヒロイン白素貞が法海によって沈められた(若しくは入水した)といわれる場所でもある.

動く山水画の趣の西湖光景

山水画

距離に応じたグラデーションのかかったモノクロームの光景は正しく中国山水画の世界だ.こうしてゆっくり動く遊覧船を眺めていると,動く山水画の趣で,見応えがある.


西湖湖畔の親子

親子

湖畔を散歩している親子に出会った.写真撮っていいですか?と訊ねたら,湖をバックに顔を向けてくれた.


下は,西湖の写真あれこれ

西湖の写真
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中国茶叶博物館National Tea Museum

中国茶叶博物館の色々な肩書き

色々な肩書き

中国茶叶博物館,茶叶の意味がいまいち判らないがお茶の博物館.入り口にはそれ「xx素質教育基地」だの,やれ「xx茶文化教育基地」だの....いっぱい看板が架かっている.周りには茶畑もあるし,広くお茶について教育する場になっているのであろうか.


プーアル茶

プーアル茶

博物館内は,お茶の歴史,各種茶葉,茶事,茶具,茶の習慣,友好などのテーマに分けられ,展示されている.写真中央はカチンカチンの丸い大きな茶,プーアル茶の一種,この2週間前ほど前,麗江の茶屋でもよく見たものと同種だ.それもその筈,プーアル茶は雲南省の茶樹で同省南部の少数民族ハニ族などの間で古くから伝わるものだそうだ.製法は,加熱によって酸化醗酵を止めた緑茶を,高温多湿の場所に置き,コウジカビで半年から2年醗酵させる.醗酵期間が長くなるほど味はまろやかになる.原則として醗酵期間の長いものほど値段は高くなり,6年物,12年物などもある.脂肪分解作用があるので,脂っこい中華料理を食べた後に飲むのがよいとされるようだ.ただ独特の風味が必ずしも好まれないことも多いそうではある.

展示室に続いて茶室があり,烏龍茶,プーアル茶,一葉茶などのお茶を試飲させてもらった.ダイエット効果があるとされる種類のお茶の試飲場面では,「過去,既に数ヶ月間に渡って試したが,この通り全く体重が減じていない」という声も挙がっていた.試飲が終わると,「やっぱり」定番の販売コーナーがあって,どんどん勧められるのであった.


下は,中国茶叶博物館とその周囲の写真

中国茶叶博物館周囲の写真
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杭州市街City of Hangzhou

銭塘江沿いに高層建築が建ち並ぶマンハッタンのような杭州の光景

マンハッタンのよう

銭塘江沿いの高層建築が建ち並ぶ辺りはちょっとマンハッタンのような景観だ.杭州は上海ほどではないにしてもあちこちに高層建築が聳える.建設中のものも多い.環境破壊がなく経済発展が続けば言うことなしであるが,実際はどうであろうか.....


杭州のスーパーマーケット

スーパーマーケット

よく小さな街のあちこちに見られる超市ではなく,普通に大規模なスーパーマーケットのレジ.20くらい並んでいる.商品は極めて豊富だ.当時日本で衛生管理上問題になり,商品を撤去されたペコちゃんマークの商品が大量に陳列されていたのには少し驚かされた.日本でも特殊な店では見られるが,ここでも水槽には多くの活魚が揃えられていた.


007皇家賭場

007皇家賭場

杭州の目抜き通りにあった映画館の看板.「007皇家賭場」は日本では「007カジノロワイヤル」,原題は「Casino Royale」.Royaleは仏語で,英語のRoyalに相当するようだ.賭場は日本語でもあるが,なぜかカジノと比べて特殊業界専用語若しくは江戸時代以前までの....といった印象を受ける.漢字だけだと結構大変だけど,訳語が1つにまとまっていいかな....ついでに,赤い縦書きの文字を眺めると,映画は「電影」と綴るようだ.な~るほど.


大きなレストランの宴会

宴会

ここは夕食をとった大きなレストラン.隣の席では,新年会か?それとも忘年会か?なにしろこの日は2月2日で,普通は新年であるが,今年旧暦の正月(春節)は2月20日から始まるそうなので,そうなると.....会社の宴会のようで,合計3卓.先ず司会がプログラムを説明し,部長クラス,比較的年配管理職のスピーチ,ビンゴの抽選会,電気炊飯器など大きなものが当たっていたりしてビックリ,部長がワインなどを注いで廻り.....日本の会社の宴会とよく似ているが,並んでいる酒の量はとても少ないように見えた.やはり若い人が多いし,一応義理で参加しているがほんとに飲むのは仲間内だけのときにするのだろうか?


下は,杭州市街の写真あれこれ

杭州市街の写真
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杭州からは紹興を訪れ,再び杭州に戻って見物し,その後烏鎮に行った.次のページは紹興.

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