紹興Shaoxing

江南の地図

紹興は杭州の東南,バスで1時間ぐらいに位置し,人口430万人余りで比較的小ぢんまりした街.市内には川と運河が網の目のように縦横に走り,物資輸送のジャンク,魚捕りの船,昔ながらの苫船(とません:菅や茅菅を菰のように編み,上部を覆った船らしい)など様々な船が行き交っているようで,ここもまた東方のベニスと称されるそうだ.(江南にはベニスが多い)

この風光明媚な紹興は,古くは越の国の都として栄えたそうであるが,現在紹興は紹興酒でよく知られるのみならず,世界最大と称される織物市場があるそうだ.中国軽紡城と呼ばれるこの市場に7000社以上の織物問屋が軒を連ね,日本のバイヤーも多く訪れるそうだ.クラスにも依ろうが,ネクタイなどは量り売りで取り引きされるほど大量に売買されるという.

紹興のローカルガイド徐さんの話では,紹興は「書」「酒」「蘭」が名物で,最近の話題はエンジン付きバイク禁止,建設ラッシュといったところだそうだ.「書」は,300年代の書家王羲之がこの辺りの人であったことに源を発するそうである.「酒」「蘭」は気象や水が理由であろう.

魯迅故里Luxun Native Place

魯迅故里歩行街

魯迅故里歩行街

案内板に魯迅故里歩行街と記されたこの美しい街並みは,筆者自身甚だ疎いが作家魯迅が幼少時過ごした街だそうだ.建物は白壁と僅かに曲面を描く黒い屋根で統一され,小さな運河にはゴンドラのようなユニークな意匠の小船が浮かび,なかなか趣き深い景観を呈している.


魯迅記念館

魯迅記念館

魯迅故里歩行街に入ると直ぐに,紹興魯迅記念館が通りの右側にあった.写真のように内部にはたくさんの資料が展示されている.

魯迅(本名は周樹人)は1881年,ここ紹興に生まれ,1936年,55歳のとき上海で没したそうだ.先祖が農民だったが,次第に財をなし,祖父は科挙の進士で,北京で国史,図書編纂の仕事をしていたそうだ.ところがこの祖父が科挙の試験場で賄賂を贈ったとされ投獄されてからは大変で,家財を売っては換金し,役所に持参し,うまく取りなしてもらおうとしたそうである.まあそれ故に周家は傾いてしまったそうだ.

魯迅の父は頭は良かったものの病弱で,いつもベッドで阿片を吸っており,36歳で病死したそうだ.魯迅の生きた時代は,南京のページで触れた孫文たちの辛亥革命を経て中華民国に変わる激動の時代,に当たるという.日本では明治中頃から昭和の初め頃に相当する.魯迅は前述のように,幼い頃家が没落したが,国費で技術者養成の学校に入り,日本へ留学した.日本滞在は1902年-1909年で,現在の東北大学医学部で学び,そこでの藤野先生との出会いは大きな影響を与えたようである.なお魯迅と藤野先生が並んだ大きな塑像が館内に展示されていた.時代はちょうど日露戦争,1904年頃だという.そんな戦争報道ニュース映画を観たのがきっかけで,身体の治療よりも,中国人の精神改革がもっと重要,改革の動機付けには文学が有効....という訳で医学部は中途退学して東京で文学活動を始めることになったという.

魯迅故居と百草園

魯迅故居と百草園

魯迅の生家は記念館の通りの少し先にあった.清朝時代,日本の江戸時代に建てられたそうだ.周家が傾いたときもこの家が没収されるということはなかったそうである.現在は国家級の文化財になっているそうで,偉人の生家が保存されるのは世界共通だ.ここでは生まれてから,1898年までの17年間暮らした訳である.部屋や庭がたくさんあって,とても大きな邸宅だと思った.左写真は京王線の駅名と同じ百草園と名付けられた裏庭で,かなり広い畑が備えられている.魯迅の少年時代の大事な遊び場だったそうで,コオロギや小鳥を捕まえたりしたという.

巨大な干物

巨大な干物

紹興は海が近いので海水魚か?それとも湖や川が多いので淡水魚だろうか?はたまたシャケのように海水でも淡水でも育つ魚か?いずれにしてもアジなどと比べてとても大きいヒラキだ.魯迅故里歩行街の土産物店では紹興酒と共にたくさん並べられていた.きっとこのヒラキも紹興の特産なのであろう,


下は,魯迅故里の写真あれこれ

魯迅故里の写真
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紹興酒Shaoxing rice wine

紹興酒の瓶

紹興酒の瓶

下紹興酒の工場,とは言っても倉庫くらいであるが.一応見せてもらった.このような瓶がたくさん並べてあった.表面の白は確かpHをコントロールするために塗布した石灰だったかな?大きな樽とかではなくこのような小型の瓶,しかも粘土の栓だという,で長期間熟成するには,この大量生産時代にあっては,場所と手がかかりそうである.

紹興酒は蒸したもち米と小麦こうじなどを原料として醸造するそうだ.同じ製法で醸造されたものでも紹興産は紹興酒,他は黄酒となるそうだ.言わばコニャックとブランデー,シャンパンと普通のスパークリングワインの関係と同じであろう.実際には台湾産の紹興酒などが市場に大量に出回っているのであるが.....紹興では70を超える蔵元が水路に沿って点在しているそうである.醸造には良質で豊富な水が要るであろうが,ここ紹興は鑑湖など,ミネラルと微生物が多く含まれている良質の水が豊富で,酒の醸造にはピッタリな土地柄ということだ.ここでの醸造は2400年前の春秋時代に遡り,その頃既に名酒の産地として知られていたというからすごい.

紹興酒のアルコール度数は14~18度.普通は当然飲用であるが,ワインや日本酒同様調味料として用いられることもあるそうだ.紹興酒は製法の違いによって元紅酒,加飯酒,善醸酒,香雪酒の4種類があり,この順にドライであるそうだ.よく飲まれるのは加飯酒だという.黄酒を長期熟成させたものを老酒というのが本来の定義であろうが,日本では台湾産とかの黄酒を都合よく老酒と称する場合があるようだ.


下は,紹興酒工場で見たときの写真

紹興酒工場での写真
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紹興市街Shaoxing City

至るところで湖に出合う

豊富な水

バスで走っていると,至るところで湖に出合う感じだ.ここでも淡水真珠の養殖は広く行われているそうだ.上海蟹については....さてどうだったかな~


紹興市街風景

紹興市街風景

ここは比較的高層建築が少なく,通りに木が多く,少しほっとできる街のように感じる.


下は,紹興市街の写真あれこれ

紹興市街の写真
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日本語の上手なガイド徐さんの話では,紹興では女性は当然,子供も皆紹興酒を嗜むそうである.日本ではしばしば砂糖を入れて飲む人がいるが,こちらでは普通砂糖を入れて飲むことはないそうだ.紹興酒は基本的に年数に比例して上質となり,例えば一番若い元紅酒はアルコール度数は8%程度と低く,味はイマイチで,やはり加飯酒の5年物以上くらいがいいそうだ.



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