鎮江Zhenjiang

江南の地図

鎮江は市区人口100万人,郊外含め290万人.ここもまた古くから商業都市として発達した国家歴史文化名城(街)だそうだ.三国時代には呉の孫権が一時この辺りに都を置いたそうだ.鎮江はまた軍事面でも重要で,アヘン戦争での激戦地でもあり,1858年の天津条約で条約港に指定され,1861年から一時英国租界が置かれていたこともあるそうだ.長江と大運河の交差点に位置するため,歴史的に商品が集散する都市として発展してきたそうだ.またこの街でのハイライト金山寺(江天禅寺)は千年の古刹で,他にも禅寺がいくつもあるそうである.最近日本でもよく好まれる黒酢は,中国では香酢と呼ばれ,ここ鎮江では良質な香酢を産するそうである.温暖な気候条件がもち米と麦胚芽を原料にして作るのに好適な環境なのだそうである.

鎮江市街City of Zhenjiang

長江をフェリーで渡る

長江を渡る

揚州からはフェリーで鎮江に渡った.フェリーは乗客を乗せたままバスを載せ,殆ど揺れることもなく静かに長江を横切る.この渡し場は揚州の大運河と長江の交差点で,古来より交通の要衝とされてきたそうだ.日本からの遣唐使が揚州経由で北上したり,また長安から南下して帰国する折,この地を通過したそうである.その頃の命がけの旅に比すれば,筆者らの観光旅行はあまりにもイージーであるが,文明発展の恩恵を享受できるのはありがたい.

鎮江の街

鎮江の街

この辺りは鎮江の街の中心のようである.昼食を食べた鎮江大酒店の前広場の眺めである.これまで回った他の都市と比べて高層建築があまりなく,木立ちなど多いように思う.


列車手荷物のX線検査

列車手荷物のX線検査

広場に面して鎮江駅があった.天気がよいので広場には大きな荷物を抱えた列車待ちの人々が多く見られる.頃合いを見計らって写真のX線検査装置に荷物を通して乗り込んで行く.中国ではどこの地方でも列車に乗り込むには手荷物のX線検査が義務付けられているみたいだ.


下は,鎮江市街の写真あれこれ

鎮江市街の写真
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金山寺JinshanSi

金山寺慈寿塔

金山寺慈寿塔

鎮江の街からもよく眺めることができる金山寺の塔だ.入り口ゲートをくぐり,少し歩くと本堂の後ろ辺りに位置している.文慈寿塔と称し,7層8角形で高さが30mであるそうだ.反り返った屋根と金の代用であろう黄色の壁が典型的中国様式を感じさせる.


金山寺の仏像や羅漢像

金山寺の本堂や他のお堂には黄金色の仏像や羅漢像がたくさん並んでいた.やはり羅漢像の表情は変化が大きい.金山に寺が創建されたのは東晋代(420年ころ)だそうで,とても古い.以後歴代の皇帝が参拝のためこの地に足を運んだという.

金山寺の仏像金山寺の仏像
金山寺の羅漢像金山寺の羅漢像

過去,金山寺には色々な日本人が訪れているという.例えば,奈良時代717年の遣唐留学生,阿倍仲麻呂はここ金山寺などにも足跡を記しながら長安に留学する.やがて科挙の試験に合格し,洛陽の司経局校書として任官し,さらに官位を重ねた.在唐35年を経過して,帰国を図るが乗船した船は暴風雨に遭ってベトナムに漂着.幸い中国領内だったので755年には長安に帰着しているようだ.だが日本への帰国はついに果たせなかったそうだ.

日本真言宗の開祖で,また書で有名な空海(弘法大師)も延暦23年(804年),遣唐使の留学僧として唐に渡り,一時ここ金山寺に滞在したそうである.

日本の室町時代,中国では明の時代,雪舟がここで修行をしているそうだ.金山を描いた絵が残されているそうだ.


金山寺裏側の門

裏側の門

裏側の勝手口のような門には「慈心照世」と記された額が掲げられている.黒地に金箔の文字が映える.

ところで,日本で知られる金山寺味噌はここに由来し,鎌倉時代この寺に修行をした覚心という僧が和歌山県に伝えたことに始まるらしい.しかしガイド藩さんの話では,現在金山寺や鎮江には,あの甘~い日本式「金山寺味噌」に相当する食品は見当たらないそうである.まあ,覚心氏が元の味噌に一工夫加えて,新たに創作したものかも知れない.インドのカレーより日本のカレーがよほど美味しいと筆者は感じるが,好みの味を探求した結果であろう,としておこう.

白蛇伝

白蛇伝

金山寺はまた中国の説話白蛇伝と縁が深いそうで,境内入り口近くにこの白蛇伝発祥地のポスターが掲げられていた.白蛇伝はかなり古くから小説や戯曲などの題材とされてきたそうで,白蛇の化身である女性が中心人物で,人間の男性と恋に落ち夫婦となるも,正体が知られ退治されるというのが大きな枠組みだそうである.

ある資料によれば,昔々,峨眉山に千年以上にわたり修行をしていた白と青の二匹の蛇がいたそうだ.二匹は人の世にあこがれ,二人の美女に身を変えて「白素貞」と「小青」と名乗り,この辺りまで来て書生の許仙という男性と知り合い,素貞がプロポーズし,めでたく一緒になったそうである.素貞は医学に精通し,結婚後夫婦で薬屋を開き,数多くの患者を診ていたそうだ.ところが金山寺住職,法海は素貞が千年以上修行した蛇の妖精だと見抜いたそうで,人間に害を加えるのではないかと思い,許仙を素貞から離させようとしたそうである.以降幾度か危機があり,また素貞は自分が確かに蛇からの変身だと告げたが,許仙は妻の愛情の深さを悟り,人間であろうと蛇であろうと二人は共に白髪になるまで添い遂げることを心に決めるのであったそうな.しばらくした後,素貞には息子が生まれ,その祝い日に,法海が再び姿を現したそうだ.彼は許仙の願いを顧みず,素貞を西湖湖畔の雷峰塔に沈めてしまったそうだ.しかし,このとき峨眉山に逃げ帰った友人の小青は技を磨き,やがて法海を破り素貞を救い出したそうである.な~るほど!

このストーリーでは素貞が助かって良かった.金山寺住職の法海に対してはあまり好感を抱くことができそうもないが.....まあ,昔話だからいろいろなバージョンがあり,これもその中の1つなのかも知れない.


下は,金山寺の写真あれこれ

金山寺の写真
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こうして鎮江の観光は終わった.次は南京に向かう.



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